「理念に対する投資」だと聞いて、感動した日
2009年9月9日 (水曜日)
名古屋から岐阜方面に向かうJRに乗って15分ほどのところにある、「稲沢(いなざわ)」という駅で降りた。
改札を出ると、30代半ばの爽やかな男性の方が、笑顔で僕を出迎えてくださった。お名前をKさんと仰る。個人では僕に次ぐ二番目の大株主の方だ。
株主名簿上ではおなじみのKさんなのだが、お会いするのは、きょうが初めてだった。
実はKさんから2週間ほど前に、丁寧なお手紙を頂戴したのだった。
「簡単な自己紹介」というタイトルなのに、とても詳しくご自身のプロフィールを書いてくださっていた。
その自己紹介の中に、「モットー:縁を大切に。心あたたかく。(お会いできたら大変うれしく思います)」と書かれていた。さらにお手紙の文中には、「御社の理念に共感しております。」という言葉が書かれていた。
嬉しくてたまらなくなり、本日の訪問とあいなったわけだ。
このKさん。この地で50年以上の長きにわたって産業界に貢献している某メーカーの常務取締役でもある。
そのことも先日お手紙を頂戴して初めて知ったわけなのだが、本日はKさんに工場見学をさせていただき、現場で働く職人の皆さんの様子も拝見させていただいた。
(工場の中は見せられないので、周囲の風景だけ写真にアップします)
静かな自然に囲まれた工場なのである。
働いている方々の年齢層も広い。
中学を卒業してすぐ、集団就職でこの会社で働き始め、今年で50年が経過するという、熟練の職人さんがいらっしゃるかと思えば、フィリピンから3年の期限で働きにきている若者もいた。
皆、「家族」といった雰囲気で、和気あいあいと、かつ、イキイキとした表情で仕事をされていた。
昭和の雰囲気がぷんぷんと漂う、そんな心地よい空間だった。
工場見学が終わり、パフのまじめな現状報告の話も終え、Kさんのご案内で名古屋市内の有名なお店で食事をすることになった。
名古屋コーチン料理の「鳥銀風月」というお店だ。とても上品で優雅なお店だった。
会席料理を食べながら、お互いの情報交換をじっくりとさせていただいた。
なかでも感銘を受けたのがKさんの株式投資のポリシーの話。
Kさんは高校生時代から株式投資を趣味として行っているという。投資歴18年にも及ぶ、経験豊富なプロである。
そのKさんが投資をする会社は、3種類あるそうだ。
一つ目は、投資に対する「リターンが期待できる会社」。これは老後の蓄えにすべく、自分自身が定めた投資基準に沿って銘柄を吟味するのだそうだ。
二つ目は、言うなれば「カジノ」。趣味の一環として、遊び感覚で行っているのだそうだ。
三つ目は、「理念がしっかりしており自分自身が共感できる会社」。自分の価値観とぴったり合って、思わず応援したくなるような会社には、すぐの見返りなど期待せずに投資を行うのだという。
おかげさまでパフは、三つ目の基準に適い、見事Kさんの投資対象として選ばれたわけだ。
それにしても、 「“理念”で投資先企業を選ぶ」と言いきるKさんは、スゴイ。
食事の最後のほうでは、パフに対して心温まる応援の言葉の数々を頂戴した。
最近、株主の皆さんと面談するたびに、自分の使命に気づかされる。
Kさんと別れた後、本日のお礼のメールをKさんにお出ししたのだが、次のような文章を無意識に書いていた。
———-
経済や雇用環境は厳しい状況がまだしばらくは続くのでしょう
が、私はこの「パフ」という会社を、世の中に誇れる価値ある
会社に育て上げていくことを、私の残りの人生の大きな使命と
していきたいと思います。
本日は、そのための大きな勇気を○(K)さんからいただけたよう
な気がします。
———-
メールに書いた内容は、いまの僕の偽らざる心境である。
このような温かい株主の皆さんに支えられているパフは幸せな会社である。この幸せに甘えたりすることのないよう、いつの日かきちんと恩返しできるような会社にしていきたいと思った日だった。
Kさん。あらためて本日は、どうもありがとうございました。本当にうれしかったです!!
企(起)業家、兼パフの株主、兼教育者にお会いした日
2009年9月8日 (火曜日)
8月29日のブログで僕は、川嶋あい をモデルとした 『8月のシンフォニー』という映画を観に行ったことを書いた。
僕はこの映画で初めて川嶋あいのことを知り、彼女の生きざまや彼女が生み出した歌詞とメロディと歌声に感動を覚えた。宣伝は(とある事情から)ほとんどされておらず、また上映映画館の数も(とある事情から)少なく、縁がなければ観ることがなかったであろう映画である。
本日は、僕にこの「縁」をくださった、本映画の脚本も同時に手掛けられた西澤昭男監督にお会いした。
え、釘さん、ついに社長を引退して脚本家や映画監督の道を志すことにしたの??
と、思われた皆さん、残念でした。まだまだ引退しません。
実は、西澤監督との面談は、脚本家や映画監督としての面談ではなく、企業家の大先輩としての面談だったのだ。
西澤監督の本職は、株式会社ワオ・コーポレーションの代表取締役会長(同社の創業者)なのである。同社は、特に西日本で有名な、小・中・高校生向けの教育産業企業である。上場は1988年。西澤監督は、教育業界の大御所なのである。
#ということで、ここから先は、西澤監督ではなく、「西澤会長」と呼ばせていただきます。
西澤会長と僕との出会いは、いまから10年以上も前にさかのぼる。パフを創業してまだ二年目。にっちもさっちもいかない、明日倒産しても不思議ではないくらいの頃だった。
とある方が、僕を西澤会長(当時は社長)に紹介してくださったのがきっかけだった。「パフは若者にとって、なくてはならない会社です」という過分なる紹介だったと記憶している。
資金繰りに窮していた僕はダメモトで、西澤会長にパフの事業プランを説明し、出資のお願いをさせていただいた。
すると西澤会長は、(僕が拍子抜けするくらい即座に)パフへの個人としての出資を決定してくださった。
あれから10年。そのときのパフの事業プランは未だに達成しておらず(そのときの事業プランだと、パフはいまの10倍以上の規模になっているはずだったのだが…)。なかなか西澤会長に顔向けできない状況が続いていた。
だからというわけではないが、西澤会長に最後にお会いしたのは、もう5年以上も前である。僕は不義理なこと、このうえない奴なのである。
しかし今年の株主総会を前にして、株主の皆さんに、ぜひともご理解を頂戴しなければならないことがあり、僕はこの数週間というもの、大株主の皆さんのところへの訪問を繰り返している。
西澤会長も大株主のおひとり。「顔向けできない状況だから」などと言い訳することはできない。
きちんとお会いして、いままでの不義理を詫び、新たなる関係づくりのお願いをせねばならぬと思い、本日お邪魔したのであった。
西澤会長は、お会いするなり相好を崩して、僕の話に耳を傾けてくださった。何より驚いたのは、僕のこの「釘さん日記」を読んでくださっていたこと。冒頭、僕が「8月のシンフォニー」のことを日記で書いていたことを、ちゃんとご存じであったことに、感動してしまった。
本社事務所(書き忘れましたが同社は大阪本社です)で、僕からのお願いごとの説明が済んだあと、「お昼御飯でもいっしょに参りましょう」ということになり、車でウェスティンホテル大阪に向かった。
代表室長(いわゆる社長室長や秘書室長と同義)の西川さんと、採用責任者の日比さんもご一緒だった(お二人ともお忙しい中、ありがとうございました)。
天井が驚くほど高いレストランでのランチをご馳走になりながら、映画のこと、西澤会長の幼いころのこと、両社の事業のこと、硬軟入り混じったさまざまなお話をさせていただいた。約二時間の、実に充実した時間だった。
いちばん驚いたのは、なんと西澤会長のお父様は、僕がいま住んでいる月島でお仕事をされていたということ。西澤会長の二作目の映画(ふるさと-JAPAN-)では、月島にほど近い、門前仲町や木場が舞台となっている。昔のお住まいは木場にあったそうなのだ。このことで僕はよりいっそうの「縁」を感じたのだった。
と、ついつい長くなってしまったが、とにもかくにも本日の再会はとても嬉しかった。僕ごとき若輩者で無礼者の人間を、とても厚くもてなしていただいたことは、本当に感謝に堪えない。
心からの感謝を、この日記に書き残しておきたいと思った次第である。
#西澤会長、本当に本日はありがとうございました。
あ、そうそう。最後に西澤会長とウェスティンホテルの入り口の前で撮ったツーショットの写真を掲載しておきます。
#もちろん西澤会長には、きょうの出来事を実名で掲載することも写真を掲載することも、ご快諾いただいてますよ~。
<追記>
『8月のシンフォニー』の上映は9月11日(金)までの映画館が多いようです。東京なら渋谷東急ですね。学生の皆さん、ぜひ観ましょう。泣けるよ。企業の皆さん、2~3時間会社を抜け出して観に行きましょう。クビにはならないでしょうから(笑)。
破壊と創造の第1回採用会議(第二幕)が終わった日
2009年9月7日 (月曜日)
「おや?きょうの日記のタイトル、以前にも見たことがあるな」と思った読者のみなさん、なかなかの「釘さん通」です(笑)。
そう。8月28日の日記のタイトルとほぼ同じなのである。ただ一箇所を除いて。
その一箇所とは、「第二幕」というところ。8月28日は、「第一幕」だったのだ。
つまり、本日のセミナーは、8月28日の続編というか、追加公演みたいなもの。8月28日のセミナーが、すぐに定員オーバーになってしまったので、本日の「第二幕」を設けたというわけだ。
今回も50人近い採用担当者の皆さんがパフのセミナールームに足を運んでくださった。「第一幕」にお越しくださった方々と合わせると、ざっと90名にもなる。
皆さんともに、いまの就職と採用のありかたに疑問を感じ、変えていきたいと思っておられる方々だ。
こんなにもたくさんの方々に来ていただけたということは、我々にとって、とても心強いことだ。
第二幕の本日も、講師はもちろん常見陽平氏。そして後半は僕と常見氏との対談。
なかなか刺激的な議論ができた。採用担当者の皆さんの前のめりな空気が伝わってきた。とても前向きな一体感が生まれたのだと思う。
この「破壊と創造シリーズ」。第15回まで続いていく予定だ。一ケ月に一回のペースで開催したとしても、来年いっぱいまでかかる。
学生にとって。企業にとって。世の中にとって。真に価値ある就職と採用のカタチとは、どのようなものなのか……。
時間はちょっとかかるかもしれないが、この「破壊と創造の採用会議」から、新しい就職と採用のカタチをぜひとも生み出していきたい。
受け継ぐということを考えた日
2009年9月6日 (日曜日)
日曜日の夜は、テレビっ子タイムである。
8時からはNHK大河ドラマ『天地人』。9時からはTBS日曜劇場『官僚たちの夏』だ。
この二つのドラマを観ていて、「志を受け継ぐ」ということの大切さを考えた。
豊臣秀吉が成し遂げた天下統一。その後のまつりごとを託された石田三成だが、その前には徳川家康が大きく立ちはだかる。
三成は家康から蟄居させられ志を失いかけていたが、盟友である直江兼続によって、自分自身が為すべき大事に気づき、立ち直る。そして平和が訪れたあとの国づくりを、兼続とともに熱く語り合う。
兼続は、「武士だけでなく、百姓、町民の子供たちにも字を習わせ、書を読ませ、互いを思いやることのできる、愛と慈しみにあふれた国にしていきたい」と語った。
上杉謙信から受け継いだ「愛と義の精神」そのものだ。
いいねぇー。
通産官僚の風越慎吾(佐藤浩市)は、自身の国家作りのポリシーを、こう熱く語る。
「弱者を切り捨て、強者だけが生き残るような国にはしたくない」
そんな青臭い考えを嫌った総理大臣の池内(北大路欣也)やライバルの玉木事務次官(船越栄一郎)も、風越の私利私欲のまったくない国づくりへの情熱や志に、次第に心を動かされていく。どんなに論理的で効率的な仕組みであっても、そこに情熱や志がなければ物事は進まないし、人は動かないことを教えられる。
そして池内総理は、それまでの政敵だった須藤前通産大臣(長塚京三)に総理の座を譲る決心をする。玉木次官も、(次官コースをはずれたはずだった)風越に次官の座を譲る決心をする。
いいねぇー。
世の中にとって本当に大事なことは何なのか。それを実現させるために必要なことは何なのか。そしてそれを実際に(ヒトやモノやコトを)動かせるリーダーは誰なのか。
政治のリーダーにも、経済のリーダーにも、企業のリーダーにも、こんなことを考えながら(保身や権力や意地やプライドに囚われることなく)、次代にきっちりとバトンタッチできる人物であってほしい。
もちろん自分も。
久々に週刊誌を買った日
2009年9月5日 (土曜日)
最近、めっきり週刊誌を買わなくなった。
僕が若いころ(サラリーマン時代)は、世の中の出来事の情報収集は、FridayやFocasに代表される写真週刊誌を含む週刊誌や、夕刊フジや日刊ゲンダイのような夕刊紙から得ることが多かった。買うのは、もっぱら通勤途中や営業途中の駅の売店(KIOSK)だった。
でも、この数年間は、自分でこういった類の週刊誌を買うことがほとんどなくなってしまった。
タイムリーな情報はネットで入手できるのと、徒歩通勤のため駅の売店の前を通らなくなってしまったのが大きな理由だろうか。
別に週刊誌がなくても生活にも仕事にも支障はない。きっと多くの人たちもそんな感じだから、出版不況になってしまったのだろう。
しかし、きょう移動のため電車に乗って、ボーっと中刷り広告を眺めていたら、急に週刊誌を買いたくなった。某週刊誌の「選挙特大号」である。「われら衆愚の選択」という中刷り広告が目を引いた。
今回の選挙に出馬した政治家(主には落選した大物有名政治家)のことを、面白おかしく書いてあった。
新聞やテレビが扱わないようなことを、とっても無責任な言い切りの表現で書いているのが、なんだか妙に新鮮だった。
どこまで真実で、どこまで信じるのかは、読者に委ねられている。「読者は、自分の頭でことの真偽を判断できる大人である」ということを大前提にしたメディアであるとするなら、このような週刊誌もアリだろう。いまのインターネット上の口コミ情報に似たところがあるのかもしれないな。
ということで、きょうの日記は、何の蘊蓄があるわけでもなく、ただ「久しぶりに週刊誌を買って読みました」という事実の報告でした。
温かい株主の方々と歓談した日
2009年9月4日 (金曜日)
この数週間は、パフの株主の方々と会ってお話をすることが多い。
きょうも午前中におひとり。そして夜、もうひとり。計二人の株主の方とお話をした。
午前中の株主さんはSさん。パフを作って丸二年が経った頃(1999年末)に知り合った方だ。Sさんは当時、愛知県の某大学の助教授をされており、学生の就職指導官も兼務されていた(ちなみに現在は、神奈川県の某大学の教授)。
当時は『超就職氷河期』。新卒者の求人倍率が一倍を割り込んでいたときで、有名(高偏差値)校の学生といえども、なかなか就職先が見つからないという時代だった。
Sさんはネットで学生のためになる情報はないかと検索していたそうだ。そのとき見つけたのが、「パフの就職相談室」という掲示板式のQ&A(いまは「職相談部屋」という名称になっている)。学生から毎日のようにたくさんの相談の書き込みがあり、僕やボランティアの社会人の方々がその相談に対して親身な回答を行っていた。
Sさんはこれを見て、いたく感動したそうだ。こんなことをやっている会社があるなんて……と。
そして、僕の名前とプロフィールが書かれていた会社概要のページを見たSさんは、さらに驚く。僕はSさんの出身の大学(明治学院大学)の2年先輩だったのだ。
さらにパフは未上場の会社ながらも、外部の投資家が出資できる制度をもった会社であるということを知る。
このときSさんは、「パフのような会社にこそ大きく成長してもらいたい」と思ったそうだ。そして、「株主としてパフを応援させてほしい」という連絡を、Sさんのほうから頂戴したのだった。
きょうSさんと久々にお会いし、その頃の昔話をして、とても懐かしくなった。まだ正社員が誰もいなかった時代だ。資金繰りもままならず途方に暮れていたときだ。超狭いオンボロ事務所で10数万円程度の家賃すら負担に感じていたときだ。Sさんからの出資の申し出が、どれほどありがたかったことか……。Sさんと久々に話をしていて、このときの感謝の気持ちがリアルに蘇ってきた。
夜は埼玉県在住の株主さんのところに伺った。この方は、パフの株式を市場を通じて、少しずつ少しずつ買い足していき、いまでは上位10番以内に入るほどの大株主になった方だ。お名前はMさん。
Mさんは、働き始めた18歳のころに職場の先輩の勧めで株式投資を始めたとのこと。日本経済がバブルに向かっている頃で、かなりの利益が生まれたという。しかし、1991年、バブルが崩壊。株式市場の怖さを身をもって体験したのだという。
だがMさんは、その後も細々と投資活動は行っており、パフのことを市場で見つけてくださった。そしてパフの株式が市場で売りに出される度に、買ってくださったというわけだ。パフの株式は、(本来、経営者である僕がいう話ではないのだが)実力以上に高騰していたことがあった。そのときもMさんは、「パフは絶対大きくなる会社だから、この値段でも安いはずだ」と思って買ってくださったという。
Mさんは他にも未上場の会社を中心に投資活動を行っているのだが、倒産してしまった会社も多いという。「いまは圧倒的に損失のほうが大きいですよ」と笑って仰っていた。
「僕らは投資するだけだからいいけど、経営者は大変ですよね。自分で借金して、社員を養って、赤字になるといろんな人から文句を言われ……。でもまあ、パフさんもいまは大変な時期でしょうけど、頑張ってくださいね。何年後かには期待してますよ!」
Mさんはそう言って、僕を励ましてくださった。
いやあ、パフって本当に恵まれた会社である。このような温かい株主の方々が支えてくださっているわけだから。来週も何人かの株主の方とお会いするのだが、このような方々を絶対に裏切るわけにはいかないと、あらためて心に誓った日だった。
秋の気配が漂っている日
2009年9月3日 (木曜日)
きのう、きょうと、すっかり秋の気配だ。肌寒く感じるくらいだ。
一昨日の夜は日中は暑かったこともあり、うっかり窓を開けて寝てしまったのだが、朝、寒くて目が覚めてしまった。以来、どうも風邪をひいてしまったようで、ずっとのどが痛い(インフルエンザではありませんよ)。
ところで、きょうは、午後から採用プロドットコムさん主催のセミナーで、パフも講演枠をいただいた。
パフが行ったのは、8月19日に実施して大好評だった、「内定者育成のすごい仕掛けセミナー」のリバイバル講演。マングローブ社の新村さんに講師をお願いした。
僕は冒頭の10分間、自社紹介をさせてもらい、お決まりの「パフ」を歌ったのだが、どうもいつもと感じが違って、うまく歌うことができなかった。のどを痛めていたから(?)というわけでもないのだけれど、ちょっと後悔である。
セミナーそのものは、新村さんの奮闘で無事終了。新しいお客様との出会いがいくつもあったので、これからフォローの営業が始まる。
それにしても秋だ。今年はなんだか梅雨があけたかどうかもわからないうちに、夏が過ぎてしまったような気がする。僕はセンチメンタルな秋が実は好きで、こんな日は、オフコースの「秋の気配」を口ずさんでしまうのだった。