三郎と次郎の日
2009年9月23日 (水曜日)
またわけのわからないタイトルにしてしまった(笑)。
いきなり余談なのだが、ブログやコラムのタイトルって、案外その人の個性が出るものだ。
僕の場合は深く考えずに、でも素直になりすぎずに、ちょっとだけ捻りを入れてタイトルを付けるようにしている。
タイトルを考える時間は30秒くらいだろうか。
まずタイトルを考えてから本文を書き始める。僕は気持ちの赴くままに文章を書くほうなので、書き終わると、タイトルと中身が、著しく不整合を起こしてしまうこともある。
が、それはそれで構わない。
おっと、気持ちの赴くままに書いていたら、また全然タイトルと関係ない内容になってしまいそうだ(苦笑)。
で、本日のタイトル『三郎と次郎』というのは何のことかというと、『城山三郎』と『白洲次郎』のことなのである(なんだ、またそのネタか…と思わないでくださいね)。
きょうは日中、城山三郎の小説『官僚たちの夏』を読んで、夜、NHKドラマ『白洲次郎』の最終回を観た。
ただそれだけのことなのだが、ふと、このタイトルが浮かんだっていうわけだ。
『三郎と次郎の日』。
うん。なかなか良いじゃないですか。気にいった。
本とドラマの感想を書こうと思ったけど、タイトル負けしそうなので、それはまた次の機会にしよう。
・・・でもちょっとだけ。
『官僚たちの夏』は、ドラマの後に小説を読んだわけだが、ドラマと小説は、まったく別物だった。両方とも味があるし、城山三郎の小説はさすがなのだが、僕の心を揺さぶったのはドラマのほうだった(そもそも比べることじゃないんだけど)。
あの小説をもとに、さらに味のある男の世界を創り上げたTBSの制作陣にアッパレをあげたい。
そして今夜。『官僚たちの夏』の最終回を観終わった時もそうだったが、『白洲次郎』の今夜の最終回を観終わったときにも同じような感覚に襲われた。
それは「虚しさ」である。
本当なら、「ああ、いいドラマだった♪」といった余韻に浸るのが良いのだろうが、そう簡単にはいかない感情が残る。
これって制作者の狙い通りなのかな?
いずれにしろ、熱い男たちの生き様を描いた本格的なドラマ。テレビ局には、これからもたくさん作って欲しい。
一方で、文化や芸能の欠片すらない低俗バラエティ番組を早いところ追放してほしいと願うばかりである。
高校時代に戻って勉強をやり直したいと思った日
2009年9月22日 (火曜日)
最近、(「白洲次郎」や「官僚たちの夏」のような)骨太なドラマや映画を観たり、(世界の政治や経済関連の)本を読んでいて、「なんて自分には学や教養がないんだろう」と、痛切に思う。
大事を成すには、学問や教養が必要だ。物事を理解し、判断するためには、先人たちの幾多の歴史から学ぶことが多い。人と議論をするためにも幅広い知識や言語が必要となる。
そのベースとなるものは高校時代に学べたはずだ。高校時代の勉強が、社会に出たあと直接役に立つことはさほどないにしても、大量の情報を記憶したり、難解な論理を組み立てたり分解したりすることの「癖」は、一生懸命勉強することで身についたはずだろう。その「癖」が大事なのだと今にして思う。
今からでも遅くないと自分を慰める一方で、すでに脳細胞の半分以上が死滅してしまったのではないかと自分の忘れっぽさを嘆く日々を送るに至っては、もういちど高校一年生に戻れたらなあ……と、痛切に思う。
高校生のころは「学ぶ」ということの大切さを本当に理解していなかった。「良い大学に入る」ということだけが目的となってしまい、勝手にシラけて、勝手にそこから逃避してしまった。
自分の怠惰や逃避を学校や教師のせいにはしたくないが、「学問の本質」や「学問の面白さ」を教え諭してくれる先生に出会いたかったなぁ……。
まさに「人間老い易く学成り難し」である。
脳細胞が成長過程にある20代未満の少年、少女諸君!! 勉強するのは今しかないよ。携帯やゲームをいじっている場合じゃない。たっくさん勉強して、将来の日本を支えるのだ!!
遅ればせながら『白洲次郎』を観た日
2009年9月21日 (月曜日)
昨日、TBS日曜劇場『官僚たちの夏』を骨太ドラマであると書いたばかりだが、今夜、それを上回る骨太ドラマ(この形容詞は少し違う気もするが)、NHKドラマスペシャル『白洲次郎』を観た。
いやあ、素晴らしい。主人公である白洲次郎という実在の人物も(ドラマの通り)きっと魅力的な人物だったのだろうが、このドラマの作り方に惚れ惚れした。脚本もいいし、音楽もいいし、配役もいいし、カメラワークも素敵だ。
NHKすごい。民放との格の違いを、まざまざと見せつけられた気がする。
今夜の放送は、今年の2月に放送された第一回の再放送だったのだが、僕は2月の放送を観そびれていた。
明日は第二回の再放送。そして明後日は最終回の放送だ。
昭和の骨太の男の生きざま。明日と明後日の放送がいまから楽しみだ。
官僚たちの夏が終わった日
2009年9月20日 (日曜日)
シルバーウィーク2日目。秋のお彼岸でもあり、もうすぐ父親の命日でもあるので、きょうは朝から墓参りに行くことにした。
きょうは雲ひとつない秋晴れで、墓参りをするにはとても良い陽気だった。
うちの父親の骨は、6年ほど前にそれまでの熊本の墓から東京の世田谷(小田急線の成城学園駅から歩いて15分くらいのところ)のお寺に移している。以来、春と秋のお彼岸には必ずお参りに行くことにしている。
父親が亡くなったのは18年前。享年62歳だった。考えてみればずいぶんと早く旅立ったものだ。
板前だった父親は、死ぬその日まで包丁を握って仕事をしていた。経済的には恵まれなかったものの、人望が厚く、仕事関係の方々や若い弟子たちから慕われていたと聞く。九州の男らしく、寡黙でありながらも温厚であった。酒のみではあったが、人の悪口や愚痴などを言っている姿を見たことがない。僕も父の年齢に近づくにつれて、そんなありし日の姿を思い浮かべながら、ちょっと誇らしげに思ったりする。
さて、夜はお楽しみのテレビっ子タイム。毎週楽しみに観ていたTBS日曜劇場『官僚たちの夏』が、ついに本日で最終回を迎えてしまった。
このドラマの主人公たちは、僕の父親と同じ時代を生き(ステージはぜんぜん違うけど)、戦後の日本を幸せな国にするために精一杯働いてきた人たちである。
最終回のきょうは、現在(いま)を生きる我々に対して問題提起をするような終わり方だった。
高橋克実演じる鮎川(通産省繊維局長)が、志半ばで無念の死を遂げたのが、なんとも悲しかった。
いや、鮎川だけじゃなく、風越(佐藤浩市)や、庭野(堺雅人)や、片山(高橋克典)や、牧(杉本哲太)が、国際社会の荒波のなか、政治家やアメリカに屈せざるをえなかった悔しい姿を最後に映しだして、ドラマは終了した。
テレビを観ている我々に向かって、「お前たちは、これからこの国をどげえする?」と言っているような気がした。
奇しくも現在、政権交替した民主党が新しい国のカタチを創ろうとしている。僕と同年代の大臣や官僚たちが、これからの日本のリーダーである。ついでに言うなら(国は違うけど)、アメリカのオバマ大統領も同年代だ。自分も、この国のために何かを残してから死んでいきたいと最近よく考える。
余談だけど、このドラマ、視聴率がずいぶん悪かったらしい。こういう骨太のドラマは、いまの日本人には受け入れられないのだろうか。悲しいことだ。
よし。明日は、城山三郎の原作本を読んでみることにしよう。
シルバーウィーク初日の日
2009年9月19日 (土曜日)
きょうからの5連休をシルバーウィークと呼ぶらしい。シルバーか……。僕は「シルバー」といえば、『シルバー仮面』を思い出す。小学校5年生くらいのときにTBSで日曜日の夜に放映されていた、マイナーなSFヒーロードラマだ。
ヒーローものなのにとっても地味な作りで視聴率も低かったようだが、なぜかとても印象に残っている。というか案外好きだった。シルバー仮面を演じていたのは柴俊夫だった。子供向けの番組なのに、脚本が大人びていたんだよね、確か。そうとっても暗くて重いのだ。普通のガキ向けの番組に飽きていた僕は、こういう感じのドラマが好きだったんだと思う。
このポスター画像を見ると、やっぱり、そこはかとない暗さが漂ってますね。
・・・と、そんなことはどうでもいいのだけれど、そのシルバーウィークの初日。僕は朝から会社に行っていた。
会社ではタシロがひとりでコソコソと仕事をしているだけで、あとは誰もいなかった。
ガランとした休日のオフィスはいいものだ。
Youtubeで井上陽水を聴きながら、ゆったりと考え事に時間を使うことにした。
連休明けに控えている株主総会の準備も着々と進みつつある。
そして夕方。
会社を出て、株主さん兼歯医者さんのところに伺い、歯の定期検診を行った。
ここ数年、歯の治療でずいぶん時間とお金を使った僕だったが、最近はかなり健康な状態に近づいてきたようだ。
よかったよかった。
さて、明日もこの調子で考え事(インプットも含めて)を行いたいと思う。3日間インプット。2日間をアウトプットで過ごそうと思っている。
シルバー仮面みたいに、最後は渋くまとめてみたい(といっても誰にもわからないだろな、苦笑)。
会食が多かった一週間を振り返る日
2009年9月18日 (金曜日)
今週は月曜日からお客様やパートナーさんや株主さんとの会食が目白押しだった。
いくつかピックアップしておこう。
月曜日は御徒町にて、古くからの(もう18年くらいの付き合いになるかなあ)お客様であり株主である某社の人事責任者2名と会食。これだけ付き合いが長いと、もうお客様や株主様っていう感じではなく、旧友という感覚である。でも、いっしょに食事をするのは2年ぶり。まじめな打ち合わせは15分くらいで、その後は楽しく歓談。
店は、いわゆるフォークソング居酒屋。吉田拓郎のどでかいポスターが貼られていた。バーボンが美味かったな。
水曜日は、わざわざ沼津からお越しくださった大株主様とランチミーティング。東銀座の豚肉料理のお店で2時間ほど、さまざまなお話をした。5年ほどまえに月島でもんじゃ焼をいっしょに食べたことがあるのだが、そのとき以来だった。当時まだ高校生だった息子さんが、来春には就職だという。月日の流れの速さを感じた。
木曜日は、2年ほど前から大きな取引をいただいている某社の社長に、西麻布のレストランにお招きいただいた。いわゆる高級レストラン。財界人や政治家や芸能人たちもよく利用する店らしい(ホントに隣のテーブルでは某大物女優と某人気俳優が仲良く食事していたのにはびっくりした、笑)。実に美味しい料理とワインを楽しませていただいた。I社長、ありがとうございました!!
そして本日。取引先の幹部と、その取引先の元社員と、パートナー会社の社長と、僕の4人で神田の歴史ある居酒屋で会食した。創業は明治三十八年(西暦だと1906年かな?)ということだから、100年以上の歴史を有していることになる。レトロ好きな僕にとってはたまらないひとときだった。
この店で日本酒をちびちびやりながら、きんぴらゴボウや、サバの塩焼きなどを美味しくいただいた。
高級料理もいいけど、こういう庶民的な味もまたいい。貧乏人の僕には、こっちのほうが似合っているかもしれないな。
この店を出た後、某社の幹部が「どうしても行きたいところがある」といって向かったお店。
なんと、「トマトラーメン」の店であった。
トマトラーメン??
その外見にはびっくりしたが(チーズも入ってる!)、食べてみるとなかなか美味い。
でもまあ、ラーメンというより、スープパスタっていう感じかな(笑)。
前後するが、きょうの昼間は、パートナー会社のクリエイティブディレクターとランチミーティング。創業時からのパートナーで、新規事業に関するブレストを2時間ほど行った。
くだらないことから、とても実現が出来ないような夢のようなことまで、いろいろなアイディアが出てきた。
「昔はこうやって、いろんなアイディアを一緒に出し合っていたよねぇー。我々は、もっとこういう時間を持たなきゃ駄目だよね!」という話に落ち着いたのが、本日のブレストの最大の成果だったのかもしれない。
食事をしながらの打ち合わせっていうのは、相手との距離も近くなり、頭も心も柔らかくなるのでとても効果がある。
ただ僕の場合の問題は、(トシのせいか)アルコールが入り、夜遅くなると、意識が遥か彼方に飛んでしまうことだ。なんとか克服しなきゃだな。
誕生もあれば別れもあった日
2009年9月17日 (木曜日)
きょうは、パフの各種サービス提供の要(かなめ)である新卒二期生ホサカの誕生日だった。
彼女が内定者として働き始めた時(西暦2001年の7月。21世紀元年だったんだな)、彼女はまだ21歳。あの頃はやんちゃな学生で、僕も毎日のように怒鳴っていたのだけれど、いまでは、たくさんのメンバーと大量の仕事を見事に捌いてくれる名マネジャー。気がつけばもう大台かあ……。
まあ何歳になっても誕生日というのはメデタイものだ。ホサカさん、おめでとうございました。
一方で夕方ころ。ちょっとショックな訃報が入ってきた。
パフの名前の由来である、フォークソング“Puff”を歌っていた、アメリカの三人組のフォークシンガー“ピーター・ポール&マリー”(略称PPM)のマリーが亡くなった。享年72歳。白血病だったそうだ。
奇しくも2日前、このPPMのことを客先で熱く語ったばかりだった。そのお客様は若いころバンドを組んでPPMのカバーを歌っていたとのこと。PPMの来日コンサートも見に行ったことがあるとのことだった。マリーの歌声は、ホントに素晴らしかった。ピーターとポールの3人で織りなすハーモニーに、全世界の若者が魅せられた。
謹んでマリーさんのご冥福をお祈りします。
そして夜。今度は嬉しい誕生のニュースが飛び込んできた。パフの「幻の新卒三期生」であるナガシマ(旧姓)に赤ちゃんが誕生したというニュースである。
ナガシマはパフに入社する寸前、パフとは別の道を歩むことを決めた。しかし彼女はその後も、節目節目で僕にまめに連絡をくれる。僕のコンサートのときなどは、いつも大きなお花を贈ってくれる義理がたい奴なのだ。
ナガシマ、ホントにおめでとう。これからはママとしても頑張れよ~。
ひとつの生命(いのち)には始まりもあれば最期もある。始まりは嬉しいが最期は悲しい。でも、人類全体でみればバトンリレーのようなもの。我々は決して終わることのないバトンを永遠に繋いでいきたいものだ。