パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

賢明なる(「釘さん日記」の)読者の皆さんにはバレていることと思うが、僕は、20日(金)、21日(土)、22日(日)と、3日間連続で日記を書いていなかった。

研修の合間に書こうと思い、いちおうバッグにノートPCを詰め込んで出かけて行ったのではあるが、腕の筋力アップくらいにしかならなかった。

そこで本日、3日分の日記をまとめ書きした次第である。

ついさっきアップしたのだが、日が経ると、ちょっと臨場感に欠けるな。反省、反省。

先週は、相当に体力と知力と肝力を消耗した一週間だった。日記には書かれていない(書くことのできない?)ハードなことも諸々あったしね。

そういえばきょうは、勤労感謝の日だった。もともとは農作物の収穫を祝う日だったと記憶している。

世の中不景気になったとはいえども、いま仕事に携わることのできている人々は、感謝をしなければならない。仕事が面白くないとか、キツイとか、給料が安いとか、そんなことに文句を言わずに、働けることそのものに感謝をしなければならない。

そう。3日間溜めてしまったとはいえ、日記を書けるだけのネタのある毎日に感謝しなければならないのだ。いや、心から感謝したいのだ。

僕らに仕事を与えてくれる、すべてのモノ・コト・ヒトに、感謝なのである。

世界の美術作品を見学した日

2009年11月22日 (日曜日)

オヤジ研修の二日目。

昨夜に続き、美観地区を散策したのち、本日のメインイベントである大原美術館へ。

大原美術館というのは、倉敷紡績や中国合同銀行(現在の中国銀行)、中国水力電気会社(現在の中国電力)などの社長を務めていた大原財閥の総帥、大原孫三郎が創設した私立美術館。

大原孫三郎は、とんでもない大富豪だったのだが、同時に、とんでもなく文化、芸術、教育に理解のある人物だったらしい。事業で得た富を、社会に還元することを自らの使命と心得ていたのだという。

我々オヤジ4人は、この美術館に吸い込まれるように入って行った。

僕はもともと美術作品に造詣が深いわけではない。世界的に著名な絵画を見せられても、誰の何という作品かなんて、たぶん言い当てられない。自信があるのは、ダ・ヴィンチの「モナ・リザの微笑」くらいなものだ(苦笑)。

しかし、そんな僕でも、大きな部屋に並ぶ名画の数々を目の当たりにして、感動で体が震えてしまった。

どう形容したらいいのだろうか。・・・うーん、だめだ。形容できない。

そのくらいナマの絵画というのは、得体のしれない凄いパワーを持っている。

特に僕が感動した(というか記憶に残っている)作品は、以下のふたつ。

出口のところで複製の小さな額が販売されていたので、思わず買ってしまったのだ。Ca3c0244_2  Ca3c0245_3 

 

 

上の写真は買った小さな額を携帯のカメラで撮っただけなのでよく分からないと思うが、ホントに見ごたえのある感動的な絵だった。

ちなみに、左は、レオン・フレデリックの「花」。右は、エル・グレコの「受胎告知」だ。

右の「受胎告知」は、この大原美術館の代表的な作品で、西暦1590年~1603年ごろに描かれたものだという。日本にこの作品があること自体が奇跡だといわれているらしい。何しろ現物を見ると、体が震えるくらいに、荘厳な気持ちになるのだから不思議なものだ。

美術館を出た後、他のオヤジたちも口をそろえて、「またゆっくりと来てみたい」と言っていた。僕もそう思う。

 

その後オヤジたちは、倉敷を後にして、後楽園と岡山城に向かった。

後楽園は、日本三名園のひとつ(ちなみに他の二つは、兼六園<石川県金沢市>と偕楽園<茨城県水戸市>)。とてつもなく広大な日本庭園である。

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岡山城は復元された建物ではあるが、中では興味深い展示が行われていた。熊澤蕃山や山田方谷といった、一般には有名ではないかもしれないが(僕も知らなかったが)、いまの時代があるのは、間違いなく、この人たちのおかげであると思える偉人たちの展示である。

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こんな感じで終了した二日めのオヤジ研修。得るものがたくさんあった高密度な時間だった。

それにしても、岡山県あなどり難し。もっともっと時間をかけて勉強してみたい。

しかし、あなどり難いのは岡山県に限ったことではないのだろう。僕らが知らないだけで、きっと日本には、様々な地方に素晴らしい風景があり、すごい偉人たちがいたのだと思う。

時間が許す限り、この愛すべき我が国、日本を巡ってみたくなった。多くの先人たちは、未だ見ぬ後世の人々のために、たくさんの汗と血と涙を流してきた。子どもたち、孫たちが暮らす世の中を、幸せなものにしたいと思って、一所懸命に働いていたのだろう。

翻って、我々の世代はどうだろうか。

自分の子どもや孫、そのあとに続く後世の人々のことを考えた国づくりや人づくりをしているだろうか。自分たちのことしか考えていないことが多くはないだろうか。

そんなことを考えさせられた、一泊二日のオヤジ研修なのだった。

最後に、U部長、I常務、國さん、どうもお疲れさまでした!!

閑谷学校で学んだ日

2009年11月21日 (土曜日)

きょうは、オヤジ研修の一日目。

オヤジ研修とは、その名の通り、オヤジたちの研修である。もう半年以上も前から企画していた。

起案者は、パフの創業前からお付き合いのあるO社のI常務。それとO社の得意先であるA社のU部長。さらに、つい先日の日記にも登場したばかりのパフ顧問の國さん

半年前、この3人が会食しているときにオヤジ研修が発案された。この場にいなかった僕までもが、なぜかメンバーに組み込まれていたのだ。

I常務56歳、U部長50歳、國さんと僕は(もうすぐ)49歳。立派なオヤジたちだ。

研修では、日頃のビジネスからは少し距離を置き、違った環境に身を置いて、気づきと学びを得ようということになった。

その結果、選ばれた場所は、岡山県。岡山は、國さんが生まれ育ったところでもあるのだ。

 

早朝の飛行機で、國さんと僕は羽田から岡山空港に向かった。

空港で、前泊していたI常務とU部長と待ち合わせ。I常務の運転するクルマで、向かったのは閑谷学校である。閑谷学校というのは、江戸時代に建てられた、岡山藩直営の、庶民教育のための学校である。講堂は国宝にも指定されている由緒正しい建物だ。

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いやー、学んだ学んだ。

やっぱり先人たちは偉い!

閑谷学校を創設した当時の備前(岡山)藩主池田光政は、人づくり・国づくりのためには、孔子の教えの儒学に学ぶことが大切だと考えたという。しかも教育は、武士だけではなく、広く庶民に対しても行わなければならないと考えた。だから藩校だけではなく、この閑谷学校が建てられたのだ。

この閑谷学校では日々、子どもたちの論語を朗誦する声が響いていたという。

そこで4人のオヤジたちも、論語の教科書を買い、論語を読むことにしたのだ。やっぱり論語には、人としての生き方の原点があるな。もういちど学び直そう。

 

 

閑谷学校での勉学を終えたオヤジたちが次に向かったのは國貞邸。つまり、國さんが生まれ育ったご実家だ。現在は、お母様が一人で暮らしてらっしゃる。

國貞邸はなんと、閑谷学校からクルマで10分足らずのところにあった。國さんが小さなころから勉学に励んでいたのは、この閑谷学校の影響も少なからずあったんだろうな。

國貞邸では、お母様手作りの料理をご馳走になった。ご自宅の畑で採れた野菜をベースにした料理。最高のご馳走で、遠慮もせず、たくさん食べてしまった。

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(写真を撮られるのが苦手というお母様を説得しての國さんとの3ショットです)

國貞邸でしばし寛がせていただき、次に向かったのが倉敷。同じ岡山県とはいえども、倉敷は結構離れている。

クルマで約2時間。途中、美しい瀬戸内海の景色を眺めながら、移動した。

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倉敷に着いたのは、すでに宵闇迫るころ。

オヤジたちは、せっかくなのでということで、美観地区の散策を行った。

写真では暗くて分からないかもしれないが、倉敷は、情緒あふれる街だ。素晴らしい。100年くらいタイムスリップした感覚だ。

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上の写真は、かの有名な大原美術館である。ライトアップされた建物が、なんともいえず美しい。

翌日、この美術館に入って、絵画の数々を目にするわけだが、もう感動モノであった。

 

 

そして夜。JR倉敷駅の近くの料理屋さんで食事をする。

ここには特別ゲストをお迎えした。A社のU部長の高校時代(U部長の出身高校は長崎県なのである)の親友であり、現在は倉敷でお寺の住職を務めながらも、商工会議所青年部の会長を務めておられるという異色のオヤジなのだった。

我々オヤジたちは、この異色なオヤジ住職の話にも感動したのだが、何より感動したのは、下の写真の「赤霧島」(芋焼酎)。普通の店ではまず置いていない逸品である。この店のメニューにも書いてはおらず、特別な人だけが飲めるという。

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このあと数時間、様々なオヤジたちの談義が続いたのだが、この日記には書けないことだらけなので残念ながら自主カットしよう。

それにしても、素晴らしく充実した、オヤジ研修第1日目だった。

お昼前、新潟からの来客。同業であり、ふるさと就職応援ネットワークの会長も務めている(株)広報しえんの山岸社長がお見えになっての打ち合わせ(ランチミーティング)。その後、山岸社長といっしょに都内の某社に向かう。某社の社長を山岸社長にご紹介し、コラボレーションに向けた打ち合わせを行ったのだ。なかなか良い感じ。互いが幸せになれるコラボが成立することを願う。

その後、山岸社長と別れ、青山一丁目に向かう。パフの中規模イベント、パフトークの司会(コーディネータ)を行うためだ。

昔(6年ほど前まで)は、パフのイベントの司会といえば僕が必ず行っていたが、最近は、よほどの事情がない限りやらないことにしている。なぜって、面倒くさいから(い、いや、ウソですよ、苦笑)。

で、本日は「よほどの事情」があったのだ。

本日は、埼玉県(立教大学の新座キャンパス)と、福島県(会津大学)でも、大学とのコラボイベントが開催されており、パフは極度の人手不足に陥っていたのだった。

こりゃ、さすがの面倒くさがり(いや、奥ゆかしい)僕でも、司会を引き受けざるを得ない(笑)。

きょうのパフトークのテーマは、「面接官の本音」。4社の企業の人事担当者が、何を考えながら、何を大事にしながら、どういう観察眼で、人物評価をしているかということを、じっくりとお聞きした。学生との直接のコミュニケーションタイムも盛り上がっていた。

うん。自分の満足度としては、なかなか高かった。イベント終了後、学生のアンケートもだーっと見たが、総じて「他には類を見ない」イベントとなったと思える評価だった。よしよし。

知人のご子息(大学3年生)もイベントに参加しており、終了後、小一時間ほど就職相談に乗った。賢く、高い志をもった若者だったな。そんな学生であっても、この「シューカツ」っていうやつには心を惑わされる。下手をすると姑息な人間にされてしまう。「シューカツ」は、なんともやっかいな怪物だ。「シューカツ」を、なんとかまともな「就職活動」に戻していきたいという気持ちを強くした。

イベントや就職相談を終えて帰社したら、会社にはポツポツとしか人がいない。各地のイベント班は遠方のため、みな直帰だったのだ。

ひと仕事終えたら、もう23時。まだ残っていた社員数名と、深夜までやっている寿司屋で晩御飯を食べて帰宅。

家に着いたら、午前2時半だった。

実は明日から一泊2日のオヤジ研修なのに……。

オヤジ研修??

さて、何なんでしょうね(笑)。続きは翌日の日記で。

本日、某大企業の経営トップの側近であるM氏と久々の会談。きっかけは、某社の関西支社長のご子息の就職相談だった。

M氏は、もともとマーケティングをやっていたかたで、とても発想が大胆かつ柔軟な方であり、お会いするたびに、「はっ」と気づかされることが多い。

きょうも、雑談の中から、とてもいいアイディアが生まれた。僕が今まで思いつかなかった新しい発想だ。しかも、パフなら十分に取り組めるだけのノウハウやネットワークを持っている。

うん。これはいけるかもしれない。世の中の就職と採用に変化を起こせるかもしれない。企業の採用を成功させつつ、多くの学生を救えるかもしれない。

M氏が所属する某大企業は、就職や採用とはまったく関係のない業界の企業である。M氏も、人事や採用とはまったく縁のない畑を歩んできた人である。でも、そのような畑違いの人だからこそ、斬新な発想ができるのであろう。

うん。いいかも。早く実行に移したくなってきた。まずは試しに(発案者である)M氏の協力を得ながら、某大企業の方々を巻き込んでみる。

年明け早々にでも着手できたらと思っている。

気持ちの悪い就職と採用に、終止符を打つときかもしれない。

素敵な新刊書籍をもらった日

2009年11月18日 (水曜日)

僕の大切な友人であり、恩人であり、パフの社員たちの師であり、顧問(非常勤取締役)でもある國貞克則さん。『財務3表一体理解法』(朝日新書)の大ヒットがきっかけで、いまやベストセラー作家にもなっている。そういえば、先週のAERAにも、勝間和代さんといっしょに登場していたな。

その國貞さん(僕は國さんと呼んでいる)から、本日、大きな段ボールが会社に送られてきた。

開梱すると、中には書籍がぎっしり詰まっていた。

その書籍がこれ↓

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20代に考えるべきこと、すべきこと ~できる人になるための勉強法・仕事術・キャリアデザイン』(日本能率協会マネジメントセンター)という、新刊の書籍だ。

パフで働くすべての従業員(社員だけじゃなく内定者や常勤のパートスタッフの皆さんも含めて)にプレゼントしてもらったのだ。

僕も早速、だーっと読んでみた。

いい。これはいい。実にいい。読むほどに、誠実に語る國さんの顔が頭に浮かんでくる。

この本は、就職活動を行っている学生や仕事に悩む若手ビジネスマンに、ぜひ読んでほしい。いわゆる「本質」が詰まっている。

あ、それから、学生にくだらない就職テクニックを偉そうに教えて得意になっている(似非)就職コンサルタントや、企業の教育担当者や、研修会社の講師の皆さんにもぜひ読んでもらいたいな。きっといままでの自分が恥ずかしくなって、読後には、まともな指導ができるようになると思うのだ。

僕も早速、今夜の「うまれよ塾」の指導では、この本を参考にさせてもらおう。

國さん、ありがとうございました!!

※國さんと僕との関係は、こちらで詳しく紹介しています。

⇒ 「素晴らしき100の出会い第144話 : 竹とんぼ屋の國(クニ)さん」 

サーバールームに感謝する日

2009年11月17日 (火曜日)

昨日は、お昼前から深夜零時までの12時間を、社外で過ごした。お客様の事務所やパートナー企業の事務所での打ち合わせ、商談同席、セミナー見学、(夜は)某社との謀議などで、高密度な一日だった。

ところが、きょうは一転。ほぼ丸一日を社内で過ごした。外出したのは、午前中20分程度、近所の区役所に書類を取りに出かけたのと、午後5分程度、近所の天丼屋まで500円の弁当を買いに行った程度である。

以前の日記で、僕の社長席がこのたびリストラの憂き目にあい、僕は流浪の身になったことを書いた。

日記を読んで、 「席がなくなったと聞きましたが大丈夫ですか? パソコンの作業や電話など、社員に見られたり聞かれたりするとまずい仕事も社長にはおありでしょうに……。そういう時は弊社事務所を気兼ねなくお使いください。心中いかばかりかとお察ししますという、大真面目に心配してくださる方からのメールもいただいたりした(感謝&感激の涙)。

でも、実は大丈夫。

僕がいままで使っていたパソコンは、サーバールーム内で生きており、(サーバールームという性格上)いままで以上に機密性にすぐれたエリアで仕事ができるようになったのだ。作業スペースは、いままでの半分にも満たないが、狭い分、集中して仕事が出来る。一人で考え事をするにも、うってつけの場所なのだ。

難点は、周囲をパソコンや通信機器など無機質な物体(サーバールームは、使われていない予備のPCや電話機などの倉庫にもなっている)に囲まれているので、長く居すぎると、人恋しくなってしまうこと。

でも、それも大丈夫。

そういう時は、社員席までふらっと出ていき、ボーっとしている社員を見つけては攻撃対象にして、数分間イジる(攻撃対象はわりと固定化されつつあるのだが)。社員は社員で、いつ現われるか分からない社長の攻撃に備え、気を抜くことなく仕事をすることになる。

まさに「社長席リストラ」が生んだ、予期せぬ効果である。怪我の功名とは、こういうことを言うのだろうか(苦笑)。

ということで、きょうは日ごろ出来ていなかった仕事(ご無沙汰の方々への“お元気ですかメール”や、集中して文書をまとめる仕事や、優先度が低くて先延ばししていた仕事や、IRサイトのシステム操作を習得する仕事など)を、かなりの生産性で実施することが出来た。日ごろ遅くなりがちなメールへの返信も即レスできたし、返信に代えて、直電話もできた(相手は僕のあまりのレスの速さにびっくりしていた)。昨夜、極限まで消耗してしまっていた体力や肝臓力も、回復した気がする。

そんなことも含めて、本日は、サーバールーム(=新しい社長席)に大感謝なのである。