パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

昨日の「春の嵐」は凄かった。

各地では大きな被害と損害をもたらしたようだが、パフ周辺では大きな被害はなかった。遠方から通勤している従業員も午後早めに帰宅した(あるいは遅くまで残っていた)ので難民になることもなかったようだ。

僕は、昨日は夕方から日本橋で打ち合わせが2件(うち1件は会食)が予定されていたのだが、お昼の段階で延期することに決定。風雨が酷かった時間帯は、社内でぬくぬくと過ごした。

しかし、夜9時から予定されていた打ち合わせは予定通り決行することに。

打ち合わせの場所は「のろ」。

もともと腰を据えて議論するつもりだったのだが、嵐のおかげで僕ら以外はほとんど客がいなかったこともあり、ちょっと腰を据えすぎたかもしれない。気がつけば、もう午前零時を軽く過ぎていた。打ち合わせ相手は帰宅をあきらめ、東京駅前のサウナに向かっていった。ある意味、帰宅難民だな(苦笑)。

しかし、のろはやっぱり落ち着くな。4時間近くいたのわけだが、珍しくカラオケは一曲も歌わず、ただただ議論だけ。でも、疲れることもなく、あの昭和な環境の中で落ち着いた時間が過ぎていったのだった。

さて、本日は早朝から社内の会議2連ちゃん。その後、社外でランチM。それからすぐに大量のお買いもの。夕方は来客打ち合わせ、そしてまた会食。案外いろいろあるな。

ところで出勤途中にある(開花したばかりの)佃公園の桜は大丈夫だったろうか。気になる。

では、そろそろ朝ごはんを食べて、桜を確認しながら行ってきます!

パフでは四半期ごとに、最近三か月のあいだ社内外に大きな影響を与える(?)ような言葉や話題を発信した社員(お客様が受賞したことも過去何回かあるが)を対象に、『流行語大賞』なるものを与え、その栄誉を称えている。

いや、会社が与えている訳ではなかった。

昨年の秋にパフを卒業したナガサキというオモロ系の社員が6~7年くらい前から突然やり始めた。それがいまは、入社4年目のオオノが引き継いで実行委員を務めているのだ。

さて、パフ事業年度第16期第3クオーターにおける流行語大賞は?

はい、受賞者はこの人たち。

82party

流行となった、コトバは、

『花の82年会が30歳』

というもの。

あれ?

でもよく考えたら、上の言葉って流行してたっけ?

たしかに「花の82年会」という、休みの日にしょっちゅう集まって遊んでいるワカゾーたちのコミュニティ(社外含めると10名くらいいるのかな?)があるのは知っていたが……。

まあたぶん、そのワカゾーたちも、ついに30歳を迎えることになったことから、流行語大賞実行委員が畏敬と憐れみの念を込めて独断で決めたんだろうな(笑)。

彼らが手に持っている、表彰状の文面がとてもイケていた。

ただし、一部、未公開のプライベート情報が書かれているので、僕がここで明らかにしてしまうと剃刀でメッタ切りにされてしまいそうなので、いまは控えておこう。

ともあれ、栄えある流行語大賞を受賞した、タカタ、タシロ、ヒラハラ、おめでとう!!

 

さて、本日は第四クオーターが実質的にスタートする日。

30代はもちろん、20代の連中もこの最終クオーターを悔いのない結果に導くべく頑張ってほしい。

とはいえ、本日は午後から春の嵐になるらしい。

(特に帰り道)嵐に吹き飛ばされないよう気を付けて過ごそう。

では行ってきます!

 

本日は多くの企業で入社式が行われる。

パフには、この4月の新入社員はいないのだが、パフを利用してくれた学生諸君の多くは、本日が社会人スタートの日。

そこで、僕もメッセージを書こうと思う。

おしゃべり2

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4月1日(今年は暦の都合で2日)。

新入学、新学期、新年度。

学生も社会人も、多くの若い人たちが、昨日までとは違う「新しい道」を歩き始める日だ。

新入社員はもちろん、迎え入れる旧人たちも含めて、皆が新しい気持ちで新しい一歩を踏み出す。

いま就職活動を行っている学生の皆さんも、まだまだ就職は先だという皆さんも、あるいは将来の就職に向けて浪人をしている皆さんも、いつかは社会人としての新しい道を歩き始める日が来る。

みんな様々な悩みを経て、ひとつの選択を行い、最初の一歩を踏む。

納得のいく選択をした人も多いだろうが、ひょっとしたら「不本意な選択」をしたと思っている人もいるかもしれない。

あるいは、「この選択で本当によかったのだろうか?」と不安に思っている人もいるかもしれない。

さらに、歩き始めてしばらくして、

「あれ?こんなはずじゃなかったのに……」

とか、

「やっぱり自分の選択は間違っていた」

なんて思ってしまう人もいるかもしれない。

しかし僕は、それは絶対に違う、と思う。

悩んでいる若い人たちに向けて、よく言うことがある。

 

「自分の選んだ道を正解にするのも、間違いにするのも、その後の自分の行動次第だ。選択した段階では、正解も間違いもない。自分が自分の力で、自分の選択を正解にしていくんだ」

 

これから新しい道を歩こうとしている若者たち。

新しい道を選択しようとしている若者たち。

みんな、自分の選んだ道を信じて、胸を張って正々堂々と、歩き始めてほしい。

そして、3年後でも10年後でも20年後でも構わない。

「あのとき自分の選んだ道。歩き始めた道は大正解だったなぁ…」

と、誇らしげに語ってもらいたい。

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実はこれ、いまから5年前に、この「釘さん日記」に書いた原稿、そっくりそのまんまのコピペである。

5年経とうが10年経とうが、僕が新人に言いたいことは上のこと。「自分の選択は自分で正解にしろ」ということ。

「あーあ、こんな会社だとは思わなかったよ」

「こんな仕事やってらんないよ」

そんな愚痴を言っている輩には、(どこの会社に入ろうが、どんな仕事に就こうが)一生、選択の正解は訪れない。

(規模の大小や歴史の長短に関係なく)企業には、さまざまな課題が山積しているものだ。

事業をとりまく環境は日々激変し、仕事に求められるクオリティと社員に求められる能力は日々高くなっている。

おまけに、会社の方針は朝令暮改の連続で、上司や先輩はあたふたと走り回っていることも多いだろう。

でも、そんな大変なビジネス社会だけど、心配することはない。

いかなる仕事であっても、いざ自分に任された仕事であるならば、文句を言わずにただただ愚直に取り組む。

たぶん失敗するけど、それでいい。

怒られるかもしれないけど、それでいい(殺されはしないのだから)。

最初は失敗だらけだけど、そのうちきっとできるようになる。愚直にプラスして創意工夫もできるようになる。

すると、もう少し高いレベルの仕事を任されるようになる。

そしてまたたぶん失敗する。

でも、またそのうちできる(成果をあげられる)ようになる。創意工夫にプラスして改革もできるようになるかもしれない。

仕事なんて、その繰り返しだ。

それを何度も繰り返していると、知らないうちに大きく成長している。そして仕事がとても面白くなっている。

ただし、仕事から逃げないことが前提だ。あきらめないことが前提だ。

 

なーんて、偉そうなことを書いた僕だけど、昔はどうしようもない社会人だった。

いまでいう鬱の状態がずっと続いていた。

それでも、逃げ出さなかったので、なんとかなった(周りが見るに見かねて、なんとかしてくれた)。

仕事なんて、そんなものだ。

舐めちゃいけないけど、不安になったり、難しく考えすぎるのもよくない。

とにかく新人のうちは、直球勝負あるのみ。正面から、どんとぶつかっていこう。

キミたちの新しい門出に乾杯!

Ⅱ部乾杯

 ・・・以上、新人諸君へのメッセージでした。

 

さて、本日は我がパフも新しいクオーター(第4四半期)のスタートである。

午後はまるまるキックオフミーティング。

よいクオーターのスタートが切れますように。

暑苦しい男

2012年3月30日 (金曜日)

ノブという暑苦しい男がいる。

最初に会ったのは彼が大学四年生のとき。もう六年前のことだ。

「クギサキさんが絶対気にいる男なので、ぜひ会ってみてください」と、かつて一度もそんなことを言ったことのなかったヨシカワが、珍しく熱くなりながら僕にそう言うものだから、半信半疑ながら会うことにした。

『どうせ、“俺はできるぜ”というオーラを出しまくっている自信満々の勘違い学生だろう』と、正直たいして期待していなかった。

しかし、会って10分もしないうちに僕は彼と意気投合し、おまけに思わず寿司までご馳走してしまい、別れるときには固い握手をしながら、「こいつとは一生付き合いたい」と思ってしまった。

なぜか。

説明するのも面倒なくらい暑苦しい男だったからだ。

いや、本当はもっと形容すべき素晴らしい言葉があるのだが、癪に障るのでやめておく(笑)。

 その暑苦しい男ノブが、この四月からタイに行く。現地社員10数名のボスとして、短くても3年間は向こうで勤務するのだという(ノブは商社マンなのだ)。

ということで昨日は、ノブの壮行会を東京駅の近くにあるタイ料理屋で催した。

半年ぶりに会ったのだが相変わらずノブは暑苦しかった(いっしょに連れてきた後輩の男も、また面倒なくらい暑苦しい男だった)。

不思議な奴だ。ノブと話していると、つい釣られて、こちらも熱くなってくる。

でも、こういう若者がこれからの日本企業には必要だ。

たくさんいたら、それはそれで迷惑なのだが、10人にひとりくらいは、こういう暑苦しい男であってほしい。

余談だが、朝、自宅でこの日記を書いている途中、ノートPCのバッテリーが切れてしまった。いま会社で二度目の執筆中なのだが、「くそっ。なんで俺がノブのことを、朝の貴重な時間を使ってわざわざ二度も書かなきゃならないんだ(怒)」と、いま憎しみを込めながら書いている(苦笑)。

ということで、ノブ。

タイに行って、さらにその暑苦しさに磨きをかけてきてくれ。そして大きな失敗をしてきてほしい。おまえの帰りを楽しみに待っている。健康には十分気をつけるんだぞ!

パフの事業年度第16期(マジドラは第1期)の第3クオーターも、いよいよ大詰め。

営業担当を始めとする現場社員たちは、最終的なまとめを行う一方で4月からの最終クオーターを戦う準備を整えている。同時に、僕らは来期の体制や計画づくりを急ピッチで進めており、昨日も多くの時間を、そのために費やした。

人(社員)とお金(資金)とモノ(商品、サービス)。いまある経営資源とこれから捻出(創出)すべき経営資源。現在使える(調達できる)お金には限りがあるが、これからのお金やモノを生み出す「人の知恵と情熱」には限りがない。

それをどのようにすれば最大限引き出すことができるか、ということを考えるのが僕ら経営の仕事である。

来期は本格的な変化が内外で訪れることになるだろう。

変化に左右されるのではなく、自ら変化(機会)を起こせるような存在になりたいと思う。

 

と、少しだけ真面目なことを書いたところで、写真を1枚アップしよう。

Facebookのカバー写真として載せているものだ。

Yufuinchugaku

現在の僕を育ててくれた(たぶん僕の根っこの考え方や生き方に大きな影響を与えたと思われる)湯布院中学3年1組の卒業写真である。

アンジェラ・アキ風に言えば、

「拝啓十五の君へ。 君と、君の恩師と、君の素晴らしい同級生たちに、ありがとう」

っていう感じかな^^。

 

さて、本日の夕方も、来期のことを考える会議だ。

十五の君に感謝しながら、行ってきます!

にわかに、うどんブームだ。

香川県が「うどん県」になったり、高松市が「さぬきうどん駅」になったり……。

でも、僕が感動しているのは、(香川県には申し訳ないのだが)そんな他県のどうでもいい話ではなく、自分の財布と胃袋に関わる大切なことだ。

なんと、「はなまるうどん」では、世の中のすべての期限切れクーポンを持ち込むと50円割引になる、『期限切れクーポン大復活祭』という名前のキャンペーンを行うらしい。

我がパフの傍(八丁堀交差点のところ)にも、同店の店舗がある。

僕もたまに、この店で食べることがある。安くてなかなか美味しい。トッピングのコロッケや鳥天などもお気に入りだ。

この、「はなまるうどん」のキャンペーン。企画の革命的な斬新さに、まずビックリした。いやあ、お見事。あっぱれである。

でもそれ以上に、私的財政危機のこのご時世。どこの店のどんな期限切れ割引券であっても、もれなく(ただし300円以上のオーダーに限り)50円引きで食べられるというのが嬉しいではないか。

そんな割引券なら掃いて捨てるほどたくさんあるので、実質毎回50円引きで食べられるということだ。なんて凄いことをしてくれるのだ。

と、貧乏学生みたいな喜び方をしてしまったが、それほどまでにこのキャンペーンにはインパクトがあるということだ。売上増にもきっと大きく寄与しそうだ。もちろん宣伝効果も抜群だろう。

八丁堀(茅場町にも近い)の「はなまるうどん」のすぐ隣は吉野家。

牛丼ファンの僕としては複雑な心境ではあるが、4月のキャンペーン期間だけは浮気を許してもらおうと思う。

さあ、来週からが楽しみだぞ♪

 

先週末の土曜日、羽田発早朝6時過ぎの飛行機で大分に飛んだ。

ソラシドエアという格安航空会社で、搭乗口は空港の隅っこ。しかも飛行機のあるところまでバスに乗って行かねばならない。

飛行機は小さな機体で、まるで昔のプロペラ機みたい。

雨の中、タラップを使って乗り込んだ。

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2時間後。

大分空港に降りるときにはビビった。

機体が小さかったからなのか風が強かったからなのか、滑走路に着陸する寸前激しく揺れた。着陸の瞬間にはドスンとワンバウンド。いやあ、さすがにたまげたな^^;。

 

大分空港から高速バスに乗って、わが故郷の湯布院へ。

今回は、いつもの帰省とはちと違う。

母親を、別府の高齢者施設に引っ越しさせるための帰省だったのだ。

母親は昨年の秋に脳梗塞で地元の厚生年金病院に入院。大事には至らなかったものの、その後ずっと病院でのリハビリ生活を続けていた。

そしてこのたび、めでたく退院の運びとなったのだが、もはや一人で暮らすのは危険との判断で、高齢者施設に移り住むことになったのだった。

母親は熊本で生まれ育ち、湯布院に引っ越してきて早45年。人生の半分以上を過ごした町を去るわけだから、思いは複雑だろう。

とはいえ感慨にふけっている暇はない。

身の回りの荷物をまとめ、(ご厚意でお手伝いを買って出てくださった)社会福祉士さんのミニバンに積み込んで、いざ出発。

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別府の施設は、別府港から九州横断道路の坂道をえっちらおっちら車で15分ほど登った、坊主地獄、明礬(みょうばん)温泉という別府の観光地の傍にある。別府港から登る朝日も拝める、眺めのいいところだ。

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土曜日の午後から月曜日の夕方まで、母親の新たな暮らしを始めるための、準備、準備、準備で丸三日間を過ごした。

坂道を徒歩で下って30分のところに大きなホームセンターがあるのだが、いちどに全部のものを買うことができず、3往復もしてしまった。両手にたくさんの荷物を抱えての坂道歩行は、マラソンのいい練習になったかも。

この3日間、僕も母親の部屋で寝泊まりし、施設の食堂で、他のご老人達と一緒に食事をした。

日曜日は、たまたま月に一度の「お誕生日会」が催されており、ご馳走を食べながらのカラオケ大会などにも参加させてもらった。

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80歳を超えるおじいちゃんやおばあちゃんも元気に唄を歌っており、うちの母親もいい刺激をもらったのではあるまいか。

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先に入居している先輩のおじいちゃん、おばあちゃん。施設の職員の方々。みんな親切な人ばかり。

高齢者施設というと、なんだか辛気臭いイメージがあるかもしれないが、そんなことはまったくなく、明るく爽やかな雰囲気に包まれた場所だった。

もちろん、住みなれた町を離れることになった母親の心中を想像すると辛いものはあるのだが、一日も早く新しい環境に慣れて、このコミュニティに溶け込んでくれることを願うばかりである。

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そして昨日の夕方、ホームセンターから買ってきたホワイトボードに、上のようなメッセージを残して大分空港に向かったのであった。別れ際、母親のちょっと寂しげな顔が切なかったな。

これからしばらく、格安飛行機に乗っての大分往復が続く。

ソラシドエアさん、実は僕、高所恐怖症なので、飛行機をあんまり揺らさないでね(汗)。