パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

昨日の日記を振り返る日

2010年3月18日 (木曜日)

昨夜アップした日記への反響の大きさにびっくりした。

昨夜は、午後8時ころの新幹線で大阪に移動した。ホテルにチェックインできたのは夜の11時近かった。

実はあの日記、ホテルにチェックインしてすぐに書き始めた。書き始めたのが夜の11時半くらいだったかなあ。で、アップしたのは深夜2時くらいだった。

いつもは15分くらいで、ちゃちゃちゃと書いてアップしている手抜きの日記なのだが、その10倍くらいの時間を昨夜はかけたことになる。記事の長さもウナギのようで、自分で読み返すのも辛かった(苦笑)。

このブログのシステムはTwitterとも連動しているので、アップされた瞬間、TwitterにもURLがリンクされた。

朝、ふたたびPCを開く。メールのチェックとともに、このブログの管理画面を見てびっくりした。

文章がウナギの長さなら、アクセス件数も「ウナギのぼり」なのである。同時にフォロワーの方々もぐんぐん増えていた。

今朝9時から現在までに「釘さん日記」の画面にアクセスされた件数は1,500件超。おそらく明日の朝には2,000件にも届こうかという勢いだ。

いつものアクセス件数は(平日だと)200件~300件くらいなので、これは驚異的な多さなのだ。

僕がTwitterに連動させなかったとしたら、ここまでの広がりはなかっただろうと思う。最近のネットの世界の凄さを実感した。

日記には、いろんなコメントをいただいた。言葉の解釈で誤解を与えてしまい不快な思いをさせてしまった方もいたようだ。申し訳ないことをした。その指摘については、昨日の日記のコメント欄で補足説明させてもらった。

大部分のコメントは、昔リクルートで働いていた方々からのものだった。好意的なコメントが多く、小心者の僕としては、正直ホッとした。

肝心の現役の方々からのコメントは今現在、まだない。この日記のキャラ上、いわゆる「上から目線」での文体だったので気分を害されている方々もいると思う。「そういうおまえは何さまだ?」と思っておられる方々もいるかもしれない。ちょっと気になる。批判でも否定でも構わないのでコメントをいただけたらなあと思う。組織に所属していると、なかなか実名は難しいかもしれないが、できれば勇気ある方の実名でのコメントを頂戴できると嬉しいな。

書いてみて思ったが、(会社の社長という立場こそあれ)僕は個人である。個人が大組織に対してモノ申すというのは、結構つらい。文章を書くのが上手なわけでもないので、伝えたいことがうまく伝えられていないという、もどかしさもある。僕がとても尊敬している先輩方が、まだ数名現役として(しかも相当上のポジションで)頑張っておられるので、よもや迷惑をかけなかったかしら?と、心配になったりもした。

世の中の評論家や批評家(最近はコメンテーターというのかな?)という職業の方々のことを、「批判、評論しているだけでいいよなあ」なんて揶揄したくなることがあったのだが、「考えてみたら、みな個人で体を張って勝負してるんだよなあ。本当は恐いだろうになあ…」なんて、彼らの立場と気持ちが分かったりもした。

僕はふとした瞬間にスイッチが入って、昨日のような辛口で硬派な文章を書くことがある。書くことが職業ではないので出来ているだけなのかもしれないが、そんな自分の気持ちに素直に従って書ける環境に感謝したい。

そうそう。昨夜の日記の文中にも登場している常見陽平さんも、元リクルートの方で、いまはたくさんの本(文章)を書くことを生業にしている。

ついさっき本日のブログがアップされていた。僕の昨日の日記のことにも触れてくださっているので、ぜひ読んでみてほしい。

⇒ リクルートが60周年を迎えるためにするべきたった1つのこと

常見さんも、わざと毒舌風な文体で書いていることが多いので、その奥にある真意を理解されず逆批判されたりすることも多いのではないかと推測する。ホントはとても心優しい愛情たっぷりの人なのに。

でも、こういう仲間がいるって幸せだ。個人だろうと組織だろうと、向かっている方向が同じ人たちと一緒にがんばっていける喜びを感じる。

きょうの日記は、珍しく真面目なことを書こうと思う。

しかも、「某大手就職情報会社」とか「某R社」といった暈(ぼか)した呼び名ではなく、実名で「リクルート」という社名を使う。リクルートの社員たちに、出来る限りの愛情を込めて書こうと思う。

厳しいことも書くが、業界の将来のことを考えたうえでの苦言である。どうか許してほしい。

—–
リクルートは今年で創業50周年を迎えた。奇しくも僕と同い年だ。

創業以来、企業の新規学卒者採用と学生の就職活動に多大なる貢献をしてきた同社に、尊敬の念を込めてお祝いの言葉を贈りたい。本当におめでとうございます

同社のことを尊敬するのは、就職や採用を大きなビジネス市場として創造し、育ててきた功績に対してだけではない。

この50年間、一般の企業では考えもしなかった(考えたとしても勇気がなくて実行できなかった)ような、奇想天外な事業や組織や仕組みを、これでもか!というくらい生み出してきたこと。同時に、その事業や組織を通じて、普通の企業に勤めていたら凡人(あるいは変人や奇人)で終わっていたであろう人材を、世の中に有為な人財として輩出してきたことに対してだ。

僕も、このリクルートに、かつてお世話になった人間のひとりである。

ただし僕の場合は、中途半端な年齢(22歳。大学4年生)で、中途半端な期間(一年弱)を、中途半端な立場(A職と呼ばれたアルバイト営業マン)として、働いていたので、有為な人財として輩出されたわけではなく、中途半端な人材として放出された、まさにハンパ者である。

おっと脱線しそうだ。元に戻す。

たった一年間ではあるが、リクルートで学んだことはたくさんあった。リクルートが縁で出会った大切な人たちは数限りない。また、リクルートでの一年間の経験がなかったとしたら、僕の人生はきっと平凡で退屈なものになっていたのではないかと思うし、パフという会社は絶対に生まれていなかった。それだけは断言できる。

そんなわけで(ハンパ者の僕ではあるのだが)、リクルートに対する尊敬の念や感謝の念は一般の方々よりも遥かに大きいのだ。

だからこそ、最近のリクルートの社員たちには、つくづくガッカリさせられる。

昨年の今ごろも憤慨して、こういう日記を書いた。(クリックするとリンクされます)⇒ ナビに頼らない(騙されない)ことが必要だと痛感した日

この日記を、就職ジャーナリスト(でいいのかな?)である常見陽平さん自身のブログで取り上げてくださった ことがきっかけで、僕と常見さんが知り合い、「破壊と創造の採用会議」なるものを立ち上げたのは、リクルートにとっては皮肉な話であったろう。

余談だが、僕らが執筆したブログは、リクルート内部で(ごく一部の部署だったのかもしれないが)「要注意人物の要注意ブログ」として印刷され回覧されたらしい(苦笑)。

そして、昨年の夏の(2011年度新卒企画=リクナビなど新卒採用企画の)営業シーズンでは、さらにガッカリさせられることが起きた。

就職ナビではリクルートに追いつくほどに勢力を増してきた毎日コミュニケーションズ(マイコミ)の「マイナビ」との仁義なき戦い、いや、見苦しい戦いを演じてしまったのだ。

具体的に書くと、マイナビとぶつかった場合、際限のない値引き合戦を繰り返したのだ

「自社の商品価値を損なうようなことをなぜするんだ?」と現場のマネジャーに問うたことがある。その返事にさらにガッカリさせられた。

「だって、あちら(マイナビ)が先に仕掛けてきたことですから……」

市場を創造し、業界をリードしてきた会社の営業マネジャーの発言として、最低最悪のものである。本当に嘆かわしい。

地方の同業者から聞いた話では、リクルートの直販部隊がマイナビと営業でぶつかった場合、「無料でのリクナビ提供」も認められていたそうだ。・・・終わっている。

いま就職情報誌業界は、かつてないほどの激震に揺れている。多くの同業者(特にリクナビやマイナビの代理店)は瀕死の状態で喘いでいる。

この業界の特異性として挙げられるのが、代理店が多数存在するにもかかわらず、直販(媒体社であるリクルートなど)の営業部隊も多数存在していることだ(テレビや新聞などのメディアでは、媒体社の営業マンは広告代理店をサポートするだけで、自分たちが直接広告主に売り込むことは稀だ)。

(リクルートやマイコミなどの)直販部隊は、値引き合戦を行ったとしても(情報メディアは利益率が極めて高い商品であるため)、全体でみれば赤字に陥ることはない(実際リクルートは、これだけ売り上げが落ち込んでいても、相変わらず高収益を維持している)。

しかし代理店はそうはいかない。仕入れ価格が定価の○○%と決められているので、値引き合戦にひとたび巻き込まれると、利益が出るどころか逆ザヤになってしまうのだ。それでも取引先を失いたくないので代理店は赤字を覚悟で値引きをする。結果として自ら会社に致命的な打撃を与え、悲しい末路を辿ってしまうのである。

リクルートは、この節操のない値引きによって、自らの価値を貶めたばかりか、(今までリクルートの媒体を販売し利益貢献してくれたはずの)同業者を崖っぷちに追いやってしまった。

「だって、不況で雇用環境が急激に悪化したわけですから。企業の値引き要請も半端じゃないですから……」と言い訳するのだろうか。

二番手、三番手の会社ならば、そういう言い訳も許せるかもしれない。そして、定価を改定するのならばまだ許せる。不況で苦しんでいるユーザー(採用を行う企業)にとっても、採用コストが安くなるのは喜ばしいことだし。

しかし、定価があってなきがごとしの値引き合戦は許せない。業界のリーダーたるリクルートは、決して行うべきことではなかった。

パフは幸い(大きな母集団を形成することだけを目的とした)自社媒体から撤退しているので(母集団が必要なお客様には、そのお客様にとって本当に必要なメディアを考え、選んで、提供することにしているので)、この節操の無い値引き合戦には巻き込まれずに済んだが、仲のいい同業者の恨み節を聞くたびに虚しさと怒りがこみ上げてくる。

実は、同様の愚を、リクルートはいまリクナビ以外の営業でも犯そうとしている。

これは、我々パフが、いままさに害を被りかけていることである。

長くなってしまうが、この際だから説明しよう。

—–

パフがいま多くの企業に提供している内定者向けのコミュニティシステム(PNCSという商品)を、リクルートも今週のアタマから正式に提供し始めた。つまり競合になったわけだ。

「え?なぜパフの商品をリクルートが売ったりするの?」と思われるかもしれない。

実はこの内定者向けのシステムというのは、商品名は異なるものの、パフが売っている商品と、リクルートが販売しようとする商品の開発元は同じで、まったく同じ仕様のシステムなのだ。

つまり我々(パフやリクルート)の自社開発品ではなく、開発元からのOEM商品なのである。

これを、我々の営業先に対して、節操のない値引きでリクルートが仕掛けてきたのだ。

 

「パフから買っても我々から買っても同じシステムですよ。だったら私たち(リクルート)から買ってください!」

「次年度のリクナビ(などの商品)から(通常の値引き額に加えてさらに)このシステム導入分の費用を割り引く。結果としてタダで提供するのでパフからは買わないで欲しい」

たまたまこの話を持ちかけられた企業の人事担当者が、こっそりパフの営業マンに教えてくれたことで発覚した。

さらにリクルートの営業マンは、事実とは異なること(つまりウソ)を人事担当者に伝え、商談を有利に運ぼうとしていたことも分かった(事情を知らない人には分かりにくいことなので説明しないが顧客に迎合した大ウソだ)。

ついに地に落ちたか、リクルートの営業マンよ……。

この話を聞き、怒りを覚えるというより悲しくなってしまった。本日、このような日記を書こうと思ったきっかけでもある。

この日記を読んでくれているリクルートの心ある社員たちに言いたいことがある。

業界のリーダーとしての責任や誇りを失ってはいけない。

キミたちが今すべきことは、節操のない値引き合戦をして、自らの商品価値を貶めることではない。商品を適正な価格で販売し、適正な利益をあげ、その利益を使ってこの商品をさらに磨きあげて、ユーザーを幸せにすることだ。

OEM商品とはいえども、リクルートのブランドで販売するキミたち自身の商品なのだ。

そして自社の商品には、誇りと同時に愛情を持たなければいけない。

僕たちパフは、このシステム(内定者コミュニティ)を今から10年前に自社開発し、当時は存在しなかった市場を創造してきたという自負がある。

開発費やシステム保守の負担を軽くするために、今でこそ開発会社からOEM供給を受けているが、このシステムには我々の長年の血と汗とノウハウがたっぷり詰め込まれている。

システムの仕様は、キミたちが販売するものと寸分たがわぬものかもしれないが、このシステムに込められた我々の想いは、キミたちの想像を遥かに超えるものがある。そして、我々のシステムを導入してくれた企業(利用者である内定者や社員)を十分満足させるだけの運用ノウハウを、我々は提供する自信がある。

もしキミたちがタダでこのシステムを企業に提供したとして、我々と同じ価値をキミたちは保証できるのか?

キミたちは業界のリーダーである。業界のリーダーには、リーダーとしての役目があるはずだ。

そのひとつは業界を健全な形に育てていくことだ。

強大な資本力を笠に、節操のない値引合戦を仕掛け、正直なビジネスを行っている同業社を潰すことがキミたちの仕事ではないはずだ。

もちろん、正々堂々とした戦いは歓迎する。値引きも場合によっては必要なこともあるだろう。

しかしこれは、倫理観や道徳観の問題である。姑息な手段や、ましてや営業トークを逸脱した「ウソ」はついてはならない

キミたちの誇り高き先輩たちは、値引き販売を「恥ずかしい行為」として認めなかった。僕もリクルートで働いていたころは「値引きをするということは、自分たちの商品価値を自ら下げているということと同じで、実に愚かな行為である」と教えてもらった。その時はよく分からなかったが、自分で会社を興し、自社商品を持つようになって、そのことの大切さがよく分かるようになった。

とても長くなってしまったが最後にひとつだけ。

リクルートが創ってきた就職と採用の仕組みは、多くの学生や企業の役に立ってきた。リクルートのおかげで多くの人たちが幸せになった。

一方で、最近では少々行きすぎたのではないかという気がする。弊害を多く生んでしまったのではないだろうか。

ここらで、本気で学生と企業のために、いまの仕組みを変えてみないか?

キミたちには、お金も人材(知恵や営業力)も情報もある。いま欠けているのは志だけだ。

もういちど高い志を取り戻し、この業界を健全な状態に戻し、手前勝手ではない世のため人のためのビジネスを創ってみないか?

創業50周年の今年、ぜひ真剣に考えてほしい。

—–

本日の日記は以上です。

長文ならびに独善的な言葉づかいで不快になられた方もいらっしゃると思います。たいへん失礼しました。

しかしながら、ぜひ本日のこの日記を、多くのリクルートの社員・役員・関係各位にお読みいただければと思っています。そして、皆様のご意見を、ぜひともこの日記の下のコメント欄に書き込んでいただければと思います。

フォロワーが倍増した日

2010年3月16日 (火曜日)

早朝から全社会議、よみ会、パートナーさんとの打ち合わせなどが隙間なく続く。気がつけば昼休み。昼休みにメールのチェックをすると、Twitterから「○○さんがあなたをフォローし始めました」というメールが多数届いていた。

うわっ、すごい。

その後もフォロワーが加わったという報告メールが断続的に届く。

昨夜までのフォロワーの数は16名だったのが、現在は33名にまで増えている。なんと(僕は何もしていないのに)1日で倍増してしまった。

昨日は知り合い中心のフォロワーだったのだが、本日は9割が僕がお会いしたことのない方々。きっと「フォロワーのフォロワー」という関係の方々なのだろう。それと、僕のブログ(twitterを始めたという記事)を読んで、あらたにtwitterユーザーになり、手始めに僕をフォローし始めてくださったという方もいるようだ。

僕はほとんど投稿できていないのだが、すごい人は10分に1回くらいの頻度で「つぶやき」を行っている。つぶやきなのに相当に深い考えを熟考・推敲のうえ投稿している(と思われる)人もいる。字数制限があるため、余計な飾り言葉は削り取られ、言いたいことの本質部分が剥き出しになっている。

僕は移動中(歩行中)にiPhoneで閲覧していたのだが、まさに掌のうえで、数十名の「つぶやき」が飛び交っている という状態。この感覚は、なんとも例えようがない。いままで経験したことのない感覚だ。

まだまだ不思議の国のアリスの彷徨は続くのだった。

3月14日ってホワイトデーだったのね。

僕は人にプレゼントするというのが、昔からどうも苦手だ。というか、意識が及ばない。小学生時代も、中学生時代も、高校生時代も、大学生時代も、本命で好きだった女の子にすらプレゼントを贈ったことがない(強要されて義理で贈ったことは何回かあったけど)。

そんなわけですっかり忘れていた。

お返しすべき人は3人しかいないんだけど(しかも3人とも、とてもお世話になっている人なんだけど)、いまさら慌ててお返しするのもなあ……。

今度、お食事でもお誘いすることにしよう。

#お三方とも年度末&年度初めの今はきっと忙しいでしょうから、落ち着いたころに声をおかけしますので、どうか勘弁してくださいね

ところで今夜の龍馬伝は、なんといっても吉田東洋(田中泯)のド迫力の演技だな。あれは、すごいわ。あんなのに睨まれたら何も言えないだろうな。龍馬も武市半平太も岩崎弥太郎もビビるはずだ。

結局、吉田東洋は武市半平太率いる土佐勤王党の那須信吾に暗殺されるわけだが(さ来週くらいかな?)、このド迫力の吉田東洋がどんな最期を遂げるのか。興味津津である。

肝心の福山龍馬は、加尾(広末涼子)との別れをまだ引きずっているようで、龍馬の持ち前の明るさがないのが気になる。龍馬は小さいことに囚われず、もっと大らかじゃないといかんきに。

とはいえども、苦悩する福山龍馬。きっと女子の人気は沸騰してるんだろうなあ。たぶん福山は、お返しの心配もできないほどの大量のチョコレートをもらっているのであろう。ああ、羨ましい。

龍馬といえば、twitterでフォロー中の孫正義さん(ソフトバンクの社長)。ありゃあ、聞きしに勝る龍馬オタクだな。放送の3時間くらい前に、「あと3時間を切ったがじゃーっ!!」とのつぶやき。そして、「あと20分だーっ!!」、「あと3分じゃー!!」、開始寸前には「心清めよー」、「正座準備良いかーっ!!」だって。放送終了後には、熱いコメントがまた連続。ここまでくれば立派である。

twitterといえば、きょう一日で、19人の方をフォローし、16人の方からフォローされる。まだよくわからず、不思議の国に迷い込んだアリスのような状態(んな可愛いわけないか)。

iPhoneにもTweetMeというTwitterを快適に使用するためのアプリをダウンロードしてみた。音声入力もできたりするのだ(案外正確に変換されてビックリ)。使い心地はなかなか良さそうだ。また、iPhoneにはたくさんの曲をダウンロードした。購入から1カ月半にして、やっとまともなユーザーになってきたようだ。

きょうはジムにも行って一時間みっちり筋トレ。僕の筋肉は、柔道をやるにはあまりに劣化しているので徐々に戻していかないとな。

さて。今週は各方面に散らばっている仕事を整理してまとめなければならない。ビッグプロジェクトも控えていることだし。

♪今年の春はいつもの春より短くなりそうな、そんな気がして……(アリスのベーやん風に。くだらねー)。

ツイッターを使い始めた日

2010年3月14日 (日曜日)

年の頭に登録だけしておいたツイッター。最近なにかと騒々しい。きょう届いた日経ビジネスにも孫さん(ソフトバンク)や三木谷さん(楽天)への取材とともに掲載されていた。

いざやり始めるとハマりそうだし、流行っているからといってやり始めるのも、なんだか癪に障るので静観していたのだが、さすがに少しはやっておかないと話題についていけないと思って本日使い始めた。

まずは何人かの知人を検索してフォロー登録した(知人といっても、喋ったことのない由紀夫ちゃんもその一人なんだけど)。ツイッター仕掛け人(黒幕?)の筆頭であろう孫さんも、もちろんフォローしてみる。

さてさて、いったいぜんたい、どんな世界なんだろうね。

「なんとかとハサミは使いよう」っていう言葉もあるように、目的によっては凄い可能性を秘めているような気もする。iPhoneも購入して一ケ月くらい経つのだが、やっと最近その凄さがわかってきたことだし。

時代の進化は、ホントに急激だ。

僕がインターネットを使い始めたのが1995年。たかだか15年前なのだが、この間のITの変化はすさまじいものがある。

ネットは、メディアやコミュニケーションの仕組みに劇的な変化をもたらした。ビジネスや産業のありかたも変えた。便利であるには違いないし、テクノロジーの進化ではある。

しかし、テクノロジーの進化が、そのまま人間を進化させているとは限らない。むしろ退化させていることのほうが多いような気もする。

コンピュータ(メモリや記憶媒体)の容量は、この10年で100倍の大きさになった。CPUのスピードも毎年倍々のペースで速くなっているわけだが、人間はそういうわけにはいかない。数千年前と比べても、たいして変わっていないのだ。いつか無理がきて壊されなきゃいいけどな…と心配してしまう。使う側の人間次第なんだろうけど。

ま、僕のようなスローな人間には、それなりの使い方がきっとあるんだろうけどね。

大学入学30周年

2010年3月13日 (土曜日)

昨日、仕事の打ち合わせで、僕の母校である明治学院大学(港区白金台)に伺った(母校なので「伺った」っていう敬語もなんだかヘンだな)。

3月中旬。気候も穏やかで、ふと30年前(1980年)のいまごろを思い出した。

僕はひとりで、この明治学院大学本館の事務窓口に行き、入学手続きを行なったのだった。

なんだかよく覚えてるなあ……。

だって、浪人時代に夜勤(駅弁製造)のバイトで働いて貯めたすべてのお金を、初年度納付金(入学金や授業料など)として持って行ったんだもの。忘れられないさ。30万円くらいだったかなぁ…。ほかの大学に比べると格段に安かったのだけど、当時の19歳の若造にとっては、とんでもない大金だった。

実は他にも合格していた大学があったんだけど(心のどこかでは、そっちの大学を選びたい自分がいたんだけど)、この納付金を、この日自分で払ったことで、その迷いを断ち切ることができた。手続きが済んだ瞬間、「これで自分の浪人生活は終わったんだ」という安堵感と、ちょっとした寂しさみたいなものが入り混じった複雑な心境になったことを覚えている。

あれからちょうど30年だ。

そっかー。長かったようで、あっという間だったなあ。

30年経った今も僕は、この母校にとてもお世話になっている。僕やパフが今、このような姿で存在できているのは、我が母校、明治学院大学のおかげであるといっても過言ではない。

昨日も、さらなるご協力のお願いのための打ち合わせだった。職員の皆さんは僕たちに、いつもとても温かく好意的だ。今回も、(普通ならありえない)無理なお願いを聞いていただけそうだ。本当にありがたいことだ。

僕は30年前の入学直後、学内の奨学金の試験に受かって授業料が免除されている(つまり、いったん払ったお金が戻って来た)。在学中も、ゼミの教授や学生課の職員をはじめ、いろんな方々にお世話になった。卒業に必要な単位も3年間ですべてもらった。おかげで4年次は(社会人のふりをして)心おきなく働くことが出来た。

在学中もさんざんお世話になり、パフを創ってからもさんざんお世話になっている。ここまでお世話になっているOBも珍しいのではないだろうか。

事業が成功して裕福になったら(なるんだろうか)、何か寄贈しないといけないなあ……。

音楽ホールとか。図書館とか。

まあ、そんなに裕福にならなかったとしても、僕が大昔に書いた本なら10冊くらいはプレゼントできそうだな。

ともあれ、今年は大学入学30周年の年。あらためて母校に感謝!!なのである。

仕事が遅い!!

2010年3月12日 (金曜日)

きょうも午前様に突入だ。まだ会社にいる。

社員には、「もっとスピードアップしなきゃ!」とか、「遅くまで残ってるのは能力がない証拠だ!」なんてことをよく言うことがあるのだが、最近いちばんトロくて能力がないのは自分自身かも…と落ち込んだりする。

それにしても、きょうは密度が濃かった。

午前は新宿で、(昨日の日記でも書いたが)某社の10年度採用(つまり来月1日の入社)のための会社説明会。

IT業界志望の12名の学生が集まってくれたのだが、みんなとても優秀なのだ。もちろん改善して欲しいところはそれぞれ多少はあるのだが、それにしても卒業間際まで縁のある会社と1社も出会えなかったという事実に僕はショックを受けた。能力も意欲もある若者たちなのに……。

うーん。これはまた後日、じっくりと考察したいな。識者たちの見解も聞いてみたいところだ。

お昼は引き続き新宿で、盟友S社長と久々のランチM。互いの仕事の都合で30分間のみ。ハヤシライスを急いで掻きこみながらの時間だった。

それでも昔は恒例だった「夜のじっくり情報交換会」が、ここ数ヶ月お流れ続きだったので、久々に生々しい情報交換ができたのは嬉しかった。

午後は渋谷で、大学向けのプロジェクトを一緒に立ち上げようと思っている某社の社長はじめスタッフの方々と討議。いやー、盛り上がった。これはカタチになるまで、ぜったい企業秘密だ。

「世界で、たったひとりのあなたのために」(パフ理念)と、「シェアナンバーワン=利益の確保」を、両立させられるプロジェクトになりそうだぞ。

築地に帰社後、すぐに某新聞記者の取材を受ける。西暦2000年の超氷河期(求人倍率が1を下回った年)に社会人デビューした女性記者だったのだが、話が盛り上がった。

その後、この記者の方も交えての「うまれよ塾」。

途中、記者に、「社会に出たら理不尽なことだらけですよね。コロコロ言うことが変わる上司もたくさんいますしね」と振ったら、満面に笑みを浮かべて「ほーんと、その通りですよね」と乗ってくださったのは嬉しかった。

おまけに最後には学生に対して、 「メディアの言うことを全部信じたらダメだよ。『このメディアが言っていることは本当にそうなのだろうか?』という見方をしなきゃね。ネットの情報は特にね」というアドバイスまでしてくれていた。大メディアの記者が言うのだから説得力がある。

そんなこともあって、本日のうまれよ塾は予定終了時刻を1時間超過。終わったら、すでに夜の10時を回っていた。でも社会人のゲストがいるっていうのは、学生にとっても良かったな。これからも毎回一人ずつ招いてみようかな。

で、やっと席に戻りメールの返事やら書類の確認やらしていたら、すでにこの時間。うーん。もっと時短しなきゃな。いい方法はないだろうかしら。秘書を雇う余裕なんてないしなあ……。

ま、やっぱり業績を向上させて、利益を生み出すのが一番の解決策ですね。

数行書いて帰るつもりが、調子に乗って書きすぎた。さ、そろそろ明日のために帰りましょう。お疲れ様でした!!