パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

時間をつくる

2010年3月11日 (木曜日)

きのうは朝8時から夜11時半までの15時間半ずっと会社の中にいた。昼も弁当を買ってきてもらったので一切外に出ずじまい。

でも、15分に1回くらいの頻度で、来客、打ち合わせ、相談や報告(を受ける)、書類のチェック、就職相談、外からの電話などなどの割り込みがあったので、あっというまに15時間半という時間が過ぎ去ってしまった。結果、自分自身の仕事はほとんど進まず……。

うーん。時間がほしい。時間がほしい。時間がほしい。・・・と、3回繰り返しても時間が増えるわけではない。

そう、時間はつくるものなのだ。

きょうはこのあと築地の事務所に向かい、朝礼を済ませた後すぐに外出。某社の10年度新卒採用の説明会(つまり今月卒業する学生向けの説明会)が新宿で行われるのだが、その運営を僕らが代行する。タイミングがタイミングなので、説明会の後すぐに面接も実施する。僕も面接官の一人。さ来週には内定を出す予定だ。超スピードの採用活動である。大学4年生の諸君にとって、こういう会社がこの時期まだあることは救いだろう。

工夫すれば短い時間でいろんなことができる。

「時間」はいま、僕にとっていちばん大切な資源なのである。

柔道と龍馬の影響

2010年3月9日 (火曜日)

感動的な映画やテレビや小説を観たり読んだりすると、大きな影響を受けるものである。

僕らより少し上の世代には、石原裕次郎にずいぶんと影響を受けて、髪型や歩き方をまねる若者が多かったと聞く。

僕らの世代では、ブルース・リーの影響を受け、「アチョー」と叫びながら学校の廊下を飛び蹴りして走り去る同級生が続出していた。

僕も昔から影響を受けやすい子供で、ウルトラマンや仮面ライダーやタイガーマスクや巨人の星(星飛雄馬)や宇宙戦艦ヤマトには多大なる影響を受けた。

その癖はいまでも直っていないようだ。

現在影響を受けているのは坂本龍馬。

昔も「竜馬が行く」を読んだときには影響を受けていたが、最近のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映で、その熱が再燃してしまった。

もうひとつ影響を受けているのが柔道。

この日記でも最近は龍馬と並ぶくらいの頻度で出てくる話題だ。考えてみれば、パフの事業の目的は柔道修行の目的と合致している。明日配信の(企業向けの)メルマガにも、柔道のことを性懲りもなくまた書いた。

そういえば龍馬伝を観ていて思わず書き留めた台詞がある。

もう2週間以上も前の放送分だったのだが、日記に記録しておくのを忘れてしまった。

ということで、遅ればせながら本日の日記に書いておこう(実はこの台詞を書いておきたくて、きょうはわざと龍馬のことを書いたのでした)。

この世に生まれたからには、おのれの命を使い切らんといかん。使い切って生涯を終えるがじゃ(龍馬の父、坂本八平が龍馬に語った言葉)

ひとは皆、いつか必ず死ぬ。だからこそ死に甲斐のある生き方をせねばならぬ(龍馬が剣術修行を行った千葉道場の千葉定吉が龍馬に語った言葉)

うん。いいね。こういう気概をもった生き方(死に方)をしたいものだ。

学生諸君もテレビや映画を侮るなかれ。50歳のオヤジだって影響を受けるのだ。

業界関係者は、若者の心を揺り動かすような、骨太で良質な映画やテレビドラマをもっともっとたくさん制作してほしいな。そういう意味では最近のNHKは、極めてあっぱれだと思う。

2月中旬から約1カ月、移動だらけの毎日だった。毎日のように飛行機や新幹線に乗って長距離を移動していた。さすがにちょっと疲れたかな。

いま福岡から戻ってきて、缶ビールを一本飲んだ後この日記を書いている。少し仕事をしようかと思ったのだが、やめた。いかん。やっぱり疲れてるな。風呂に入って、さっと寝て体力を回復させよう。

それにしても昔の人は偉かった。特に電車もクルマもなかった頃っていうのは、歩くか船に乗るかしかなかったわけで、長旅の疲れなんて、現代とは比べ物にならなかったはずだ。体力だけじゃなく精神力も半端じゃなかったんだろうな。

世の中が便利になればなるほど、人間は弱くなるものだ。

携帯やネットやパソコンのおかげで、コミュニケーションの手段が飛躍的に便利になり手軽になった。反面、字(まともな文章)を書けない人が増えた。まともな会話ができない人が増えた。シャレじゃないがホントに弱ったもんだ。

・・・と、グダグダ言い始めるときりがないのでやめる。

さて。明日から一週間は東京にいる。自分の席に座っていられる時間も比較的ありそうだ。懸案事項を片付けるチャンス。何事も起こらないことを祈ろう。

福岡で龍馬伝を観た日

2010年3月7日 (日曜日)

きょうはお昼に東京・築地のパフに出社。ヨシカワとホサカとスギヒラと4人で会議を行った。

「日曜日なのに4人も集まって会議を行うとは、なにやら一大事?」と思われるかもしれないが、そうでもない(いや、大事な会議であるには違いないが、「一大事」っていうほどではないということ)。

僕が金曜日も終日会社にいなかった(名古屋に行っていた)し、あす(月曜日)も終日いない(福岡にいる)ので、顔を合わせて会議を行えるのが、きょうしかなかったわけだ。

ということで夕方。会議を終えた僕は、すぐに羽田空港に向かい福岡に飛んだ。

福岡のホテルに到着したのは夜の7時半。いつもの福岡出張なら、天神や中洲までラーメンを食べに行くのだが、今夜ばかりはそういうわけにはいかなかった。

なぜなら、毎週楽しみにしている『龍馬伝』の放送まであと30分しかなかったから。

僕はチェックインしたのち、大急ぎで近所のコンビニで弁当とビールを買って、ホテルの部屋に戻った。

そしてテレビのスイッチを入れるわけだが、ここで大きなショックを受けることになる。

エコノミーなビジネスホテルなので、テレビのサイズが小さいのは覚悟していた。

そして、デジタルではなくアナログ放送で、フル画面じゃないのも想定の範囲内だった。

し、しかし、画質があまりにも悪い。靄がかかったみたいで、色も白黒テレビみたいな映りなのだ。

いつもは、(昨年末買い換えたばかりの)LEDアクオス40インチ液晶テレビの迫力ある美しい画面で鑑賞しているだけに、この落差は激しい。

しかし、すぐに気を取り直してドラマの中身に集中した。

江戸の千葉道場での二回目の修行を終え、土佐に戻る龍馬。千葉佐那(貫地谷しほり)との別れのシーンは、ちょっと消化不良だったかな。でも、そのあとの展開を考えるとしょうがないか。

きょうのタイトルは、「引きさかれた愛」。龍馬の初恋の人、平井加尾(広末涼子)との、理不尽で悲しい別れが主題だったのだ。個人的には貫地谷しほりのファンなのだが、今夜のところは、広末涼子を引き立てねばなるまい。

だからというわけではないが、いやあ、広末、かわいそうだったなあ。いじらしかったなあ。切なかったなあ。

どこまで史実と一致しているかはわからないが、でも、平井加尾は、龍馬の初恋の人であったことは事実らしい。もちろん、千葉佐那も、後に登場するお龍(真木よう子)も、すべて実在の人物で、皆、龍馬とは深い仲だった(お龍は正真正銘の正妻である)。

天下を動かすほどの大人物は女にもてるものだ。

「英雄色を好む」という言葉があるが、こと龍馬の場合は、そんな猥雑で俗物的なものではなかったと推測する。すべてが真っ直ぐで天真爛漫な愛であったと思う。だからこそ女性たちは龍馬を放っておかなかったんじゃないかな。

さてさて、いよいよ尊王攘夷の嵐が吹き荒れそうな龍馬伝。来週は、悲劇のヒーロー武市半平太の土佐勤王党が結成される。幕末モードが一気に加速されそうだ。ボヤッとしていることの多かった福山龍馬も(涼子ちゃんとの)失恋の痛手から立ち直って、そろそろ天下国家に目覚めるころだろうか。

ますます来週から目が離せないぞ。

貴重な休日

2010年3月6日 (土曜日)

昨夜は、M社のF部長と、名古屋から東京までの新幹線のなかでずっと語り合って過ごした。東京に着いてからもまだまだ話足りず、東京駅からタクシーを飛ばし「のろ」まで行き、さらなる語り合いを行った。

F部長とのお付き合いは今年で丸10年となった。僕とパフのよき理解者である。でも互いに多忙であることから、二人だけで話をする機会は最近ほとんどなかった。久々にじっくり話が出来てうれしかった。

さて、本日は土曜日。そういえば先週の今頃は松山に向かっていたな。その前の週は九州にいたな。明日はまた九州だな。ウロチョロしている毎日で、落ち着きのない子供みたいだ。

しかし、きょうは休む。部屋の掃除もする。床屋にも行く。読めていなかった本を読む。斜め読みで済ませていた新聞にもじっくり目を通す。録り溜めていたテレビドラマ(不毛地帯)も観なきゃ。

うーむ。休むといいながら、やらねばならぬことが山積だ。

ではまずは、床屋から。

行って来ます!!

明日は朝6時に家を出発して名古屋に向かう。M社の会社説明会のコーディネートだ。

同社の説明会は月曜日に福岡でも開催されるのだが、当日入りだと間に合わないので、日曜日に入って前泊する。

いよいよ体調管理が大切な季節だ。寒かったり暑かったりが日替わりで訪れるこの季節。気をつけなきゃな。

とくに睡眠はキチンととらなきゃだね。といいつつ、出発まであと5時間ちょっとになってしまった。ってーことは4時間ちょっとしか寝られない?日記なんて書いてる場合じゃないな。きょうは刺激的なネタがたくさんあったんだけど、しょうがない。

さ、寝ましょう。おやすみなさい!どうか寝坊しませんように。

昨夜、予定通り丸の内警察署に出頭…いやいや出向いた。

出向いたのは丸の内警察署の7階。ここに『丸の内柔道倶楽部』の柔道場がある。

パフの古くからの取引先W社の大森さん(W社の取締役である)も、この柔道倶楽部の部員。中学・高校の6年間、柔道をやっておられたのだが、53歳のときにこの倶楽部と出会い、以来7年間(現在60歳である)、柔道の稽古に勤しんでいるのだという。

一方僕は、昨年、コマツ女子柔道部の顧問をしておられたコマツ人事部ビジネスクリエーションセンタ所長の木村さんとの出会いがきっかけで、僕の日記や、パフのメルマガで柔道ネタを書くことが多くなった。なかでも「柔道ルネッサンス」のことを書いた日記やコラムへの反響が大きかった。

W社の大森さんも、このコラムに感想を寄せてくださった方のお一人で、メルマガ配信後すぐにメールをいただいていた。「いちどぜひ『丸の内柔道倶楽部』にもお誘いしたい」と仰ってくださっていたのだ。

そしてついに昨夜、「見学」という名目で、柔道場にお邪魔することになったのだった。

そう。「見学だけ」のつもりだった。

しかし、柔道場に入り畳を見た瞬間、体がウズウズしてきた。一緒に連れて行った(パフでインターンをしている)オオツキが、僕の分まで柔道着を持ってきていた。実は僕も鞄の中に自分の(中学校のときに締めていた)黒帯を入れてきていた。

そして気がつけば、柔道着に袖を通していたのだ。

いやあ、楽しかった。懐かしかった。35年ぶりだ。

オオツキを相手に少しだけ打ち込みをした。昔得意だった背負い投げを試みた。オオツキが「投げてみていいですよ」と言ってくれたので、腰をぐいっと入れてみた。そして腰を上げながら体を回転させた。オオツキが宙を舞った。次の瞬間、オオツキがバシッと目の前の畳に叩きつけられた。

いやあー気持ちよかった。

うん。決めた。

もう一度、柔道をやろう。

35年前に講道館から初段をいただいたので、次に目指すは、講道館柔道二段である。

よし、がんばるぞ!!

(下の写真は、W社の大森さんとのツーショット。その下はオオツキとのツーショットです)

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