久々に真夏の太陽を浴びた日
2009年7月27日 (月曜日)
昨夜まで、九州の大雨の中で過ごしていたが、きょうからは、また東京の人。
東京は朝からよく晴れていた。しかも、「夏っ!」という陽気で暑かった。
朝の20分の徒歩通勤では、太陽の日差しを全身に浴びて、汗だくで会社に到着した。外の気温もぐんぐんと上がっていき、日中は30度を軽くオーバーした。
いよいよ本格的な夏である。わがパフにとっては、熱い商戦の夏である。
真夏の太陽を浴びながら、いい汗をかいて、お客様といい関係を築きながら、たくさんの仕事を受注したいものだ。
汗の量と、仕事の量とは比例する。
でも、くれぐれも脱水症状には気を付けて。
水分補給だけじゃなく、脳への(知識や教養という名の)養分補給も忘れずにね!
知覧を見て涙した日
2009年7月26日 (日曜日)
実はいま、鹿児島空港でこの日記を書いている。
ん、鹿児島? どうしてだ??
・・・と思う方がいるかもしれないが、計画通りの行動だ。今回の、福岡・熊本行きが決まったときから、鹿児島まで足をのばそうと企てていた。
僕は九州出身なのだが、鹿児島本土に足を運んだことは今まで一度もなかった。昔、家族で与論島に行ったことはあるのだが、与論島は鹿児島というよりも「沖縄のうえ」という感じなので。
鹿児島行きの目的はただひとつ。
- 知覧(特攻平和会館)を見ること -
だった。
今朝、熊本のホテルで食事を済ませた後、JR熊本駅に向かった。
特急電車で、熊本から新八代に行く。そして新八代から鹿児島までは、九州新幹線が開通している。一時間ちょっとで到着するのだ。新幹線は偉大である。
が、しかし!
熊本駅について唖然とした。
折からの大雨で、ダイヤが大幅に乱れている。みどりの窓口は大混雑だ。
窓口の行列に並ぶのも大変なので、自動券売機をみつけて、そこで鹿児島までの切符を買うことにした。
ところが!
券売機の画面に出てくるのは、午後の特急ばかり。まだ午前10時なのになぜだ?
構内アナウンスに耳を傾けてみると、福岡からの列車がほぼすべてストップしているのだという。ありゃりゃ。
結局、一時間ほど待って、熊本始発の普通列車に乗って新八代まで行き、ようやく新幹線に乗ることができた。
新幹線に乗ってビックリ。車内がガラガラなのだ。
なるほど。福岡からの列車はストップしているわけだから、僕のような熊本以西から来た乗客しかいないわけだ。
予定の時間をずいぶんと上回ったが、午後1時過ぎにやっと鹿児島に着いた。
鹿児島もやっぱり大雨。桜島が見えるかなと期待したが、輪郭すら見えない。まあ、しょうがない。
そして目的地である知覧へ。次の観光バスまで一時間ほど待たなければならなかったので、タクシーを使うことにした。
しかし、ここでまた事件。
事故があったらしく道路が大渋滞していたのだ。事故は、この大雨のせいだったのかもしれない……。
結局、知覧に着いたのは、午後3時だった。当初の計画よりも3時間ほどの遅れだ。
僕は急ぎ、特攻平和会館に入った。
ちなみに、知覧特攻平和会館のことをご存じない方のために、以下パンフレットに書かれている内容を転載する。
—–
この知覧特攻平和会館は、大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう。)の沖縄決戦で、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するものです。
——
展示コーナーには、1,036柱の隊員の遺影や遺書が展示されていた。隊員の年齢は20歳前後である。僕らのイベントに参加している大学生たちと同年代である。中には教育係などを兼ねて死んでいった30歳前後の少佐格の軍人もいた。
遺書の多くは両親や弟、妹に宛てられたものだった。妻や幼い子供たちに向けた遺書もあった。全体の10分の1も見ていないのに、すでに僕の目には涙が溢れてしまっていた。
若くして死んでいったこの隊員たちの行動を無駄にしてはならない。どんなことがあっても平和を守らなければならない。戦争の悲劇を二度と繰り返してはならない。月並みかもしれないが、このようなことを、ほんの数十分の時間で痛切に思うに至った。
知覧のことはまた改めて書いてみたい。多くの若者たちに(うちの社員たちも含めて)、ぜひこの特攻隊員の遺書を読ませてやりたい。自分の悩みがいかに小さなものか。いまの時代がいかに恵まれたものであるか。わがままな自分と贅沢な時代に、きっと気づくことであろう。
そしていま。知覧の見学を終え、タクシーと高速バスを乗り継いで鹿児島空港に着いたというわけだ。
金曜、土曜、日曜の九州で過ごした3日間。実に密度の濃い時を過ごした。記録的な大雨の中、移動した距離も半端じゃない。でもそれだけに記憶にも残るんだろうな、きっと……。
記録的な豪雨のなか生誕の地を辿った日
2009年7月25日 (土曜日)
どうやら九州は記録的な豪雨らしい。なにもこんな時に限って……。僕はよほどの雨男のようだ(苦笑)。
それはともかく、予定通り、本日はTさん宅を朝の9時に出発した。
向かうは「八代郡坂本村葉木」(現在は市町村合併で、八代市坂本町葉木となっているらしい)。
山と川しかない、とんでもない田舎だ。
実は昨夜から一緒にいるTさんというのは、僕の10歳上の従兄なのである。そして、向かう先は、Tさん兄弟や、僕と僕の兄が生まれた村なのである。
Tさん兄弟(4人)と僕と僕の兄は、僕の父・母・爺さん・婆さん・叔父さん・叔母さんたちと全員一緒に暮らしていた。超大家族なのだ。特にTさんは、生まれたばかりの泣き叫ぶ僕をおぶって、面倒をみてくれたらしい。だからかどうかは知らないが、Tさんのことを皆は、「おぶあんちゃん」と呼んでいた。
この「おぶあんちゃん」(Tさん)のお母さん(つまり僕の叔母さん)が、昨年末亡くなられたのだが、僕はお葬式に伺うことができずにいた。ずっと気になっており、今回の九州遠征の機会にお参りさせてもらうことにしたのだった。
この写真が、僕らが生まれ育った家なのだが、右にみえるのは球磨川。左は急斜面の山(というか崖?)だ。
この山と川に挟まれた家が釘さん生誕の地なのである。
昔は旅館でかなり賑わったのだが、いまはTさんの長兄ご夫婦だけがひっそりと暮らしている。建物も、もう築57年である。
久々に訪れた生誕の地。奥にある仏壇の叔母さんの位牌の前で手を合わせた。
これで、本日の大目的は達成した。
Tさんは、「せっかくここまで来たんやけん、人吉にでも行ってみるか?」と言ってくれた。
人吉(ひとよし)というのは、球磨川の最上流にある町で、生誕の地を離れた僕ら家族(父、母、兄、僕の4人)が、一年弱の短いあいだ住んでいた土地だ。僕が5歳のときだった。短い期間ではあったのだが、僕にとっては思い出深い土地。なぜなら僕の小さい頃の記憶は、この土地からスタートしているからだ。卒園(正確にいうと中退なんだけど…)した幼稚園も人吉にあった。
しかし、僕は5歳のとき以来、人吉には行ったことがない。44年ぶりの帰郷なのだ。
家があったであろう場所に行ってみた。もちろん昔住んでいた家はあるはずもなかったが、周囲の風景には見覚えがあった。
そして向かったのが幼稚園。青井神社という大きな神社のなかにある幼稚園なのだ。
うわー、懐かしい。だんだん昔の記憶がよみがえってきた。
幼稚園のある敷地まで行く。
昔と同じだ。44年前、僕は毎日バスでこの幼稚園に通っていたのだ。
ついつい嬉しくなって、パチパチと写真を撮り始めた。
なにごとかと思ったのか、若い保育士さんと園児が、「こんにちは、どうかされましたか?」と出てきた。
「あ、ぼ、僕、44年前にこの幼稚園に通っていたんです。いまは東京にいるんですが出張のついでに寄らせてもらいました。44年ぶりなので、ついつい懐かしくなっちゃって…」
と説明すると、保育士さんはニッコリ笑って、「ああ、そうでしたか。私もこの幼稚園の出身なんですよ」と、最近の園の話などしてくださった。
記念に保育士さんと園児のツーショットをパシャッと撮らせてもらい、ブログへの掲載許可もいただいた。
保育士さん(お名前をお聞きするのを忘れちゃいました)、どうもありがとうございました。
生誕の地へ行きお参りをし、出身の幼稚園に行き、これでもう思い残すことはない。
Tさんと一緒に一路、熊本に戻った。車で2時間以上かかる。途中、大雨の隙間をぬって熊本ラーメンを食べたりしながらの、ゆったりとしたドライブだ。
そして夕方。
現在、熊本に住んでいる中学の同級生に会うことになった。4~5年前の同窓会で、数分会話したことがあったものの、きちんと会うのは30年ぶりだ。何を隠そう、中学時代、ずっと憧れていたマドンナなのである。
そのマドンナもすでに49歳。3人の子供のお母さんだ。上のお子さんはなんと25歳。時の流れの速さを痛感する。
雨の中、マドンナは僕を宿泊先のホテルまで迎えに来てくれた。いやー、久しぶり。ぜんぜん昔と変わらない。マドンナはいくつになってもマドンナなのだ。
熊本料理の店で昔話に花をさかせながら食事をし、その後、お決まりのカラオケへ。短い時間だったが、「15歳のあの頃」に戻った幸せなひとときだった。
特別に許可をいただいたので(あれ?いただいたっけ?ま、いいですよね、笑)、記念に写真を載せることにしよう。
こんな感じで、熊本の2日めは幕を閉じた。
しかし、激しい雨はあいかわらず降り続いている……。
九州は、台風のような激しい雨だった日
2009年7月24日 (金曜日)
午後の飛行機で福岡に飛んだ。
離陸して一時間半ほどで福岡の上空までやってくる。高度がだんだん下がる。
飛行機の機体が激しい雨に打ちつけられて揺れ始めた。雨で窓の外が見えない。
まるで台風のようだ。
そのせいか、定刻を20分ほど遅れて、やっと飛行機は着陸した。
きょうは福岡で、パートナー企業のネオ倶楽部(就職エージェント九州)さんのところに激励訪問のあと、以前のコンサル先(某社の熊本支社)の責任者だったTさん(コンサル当時は御自宅のある熊本勤務で、現在は福岡本社に転勤している)のところにお邪魔する予定だった。
が!
Tさんからつい先日、
「そん日は、熊本で仕事になったけん、熊本までこんね。夜は我が家で一杯やって、泊って行けばよかたい」
という連絡をもらっていた。
ということで、ネオ倶楽部さんとの打ち合わせが終わったあとは、高速バスに乗り込み、熊本を目指したのだった。
福岡滞在時間は、なんとたったの一時間。中洲の街に後ろ髪を引かれるような思いだった(笑)。
激しい雨の中、バスは走る。
熊本に到着したのは、もう夜の7時を回ったころだった。
Tさんはバス停まで車で迎えにきてくださり、さっそくTさん邸まで伺うことになった。
積もる話は夜中の12時ころまで続いた。焼酎もずいぶん進んだ。TさんとTさんの奥さまには、すっかり御馳走になってしまった。
さて、明日はこのTさんと、熊本市からさらに南に下った(車で二時間ほどかかる)八代の奥地に向かうことになっている。
なぜか?
それはまた明日の日記で書くことにしよう。
この日記は明け方に書いているのだが、激しい雨は、まだ降り続いている……。
六本木の夜は更けて・・・だった日
2009年7月23日 (木曜日)
きょうは昨日とはうってかわって、公開できる出来事がまったくない日だった。
いや、何もなかったわけではない。
むしろ、未来から見れば、記録と記憶に残る出来事があった日となるのかもしれない。
がしかし、いまの段階で公開することが難しい。
さて、何があったのか……。
せめて後から振り返ったときに目印となるよう、関係者にだけは分かるタイトルにしておこう。
新聞コラムと日食と送別会&昇進祝いの日
2009年7月22日 (水曜日)
きょうはいろんな出来事があった日。もう少し分散してくれれば、日々の日記で困ることもないのになぁと思う。
【出来事その一】
イトーが新聞コラムニストに!!
きょうから始まった日経産業新聞の 『部長のための経営学講座~新卒採用におけるマネジメント』というコラムを、なんとパフのイトーが寄稿。本日から7回連続の掲載となった。なかなか、クオリティの高いコラムである。奴(イトー)のことを知ってる人が読むと、「あの野郎、エラソーなこと書きやがって」という感想を抱くかもしれないが(苦笑)。
ぜひ皆さん、読んでやってください。
⇒ http://puff.weblogs.jp/ito_column/
【出来事その二】
5年ぶりのお客様への商談同行
つい先日、「内定者のコミュニティサイトを検討したいんだけど」という問い合わせをいただいた。T社という業界最大手企業。実はここ数年、新卒者採用を中断していたため、パフとの取引もなかった。ところが急きょ10年度採用から復活することが決まり、ご連絡をいただいたのだ。しかも新たに採用担当部署の責任者となった方(この5月に着任したばかり)は、10年前(僕しか営業マンがいなかったころ)、パフとの取引を決断してくださったOさんだという。Oさんとは、5年前に三重県の工場に異動してからは、まったく会えていなかった。
「そりゃあ懐かしいなあ。声をかけてもらったのも、とても光栄なことだ」ということで、本日HRコンサルGのオオノとサービスマネジメントGのナガサキの訪問に、同行させてもらった。
訪問するのも、お会いするのも5年ぶり。いやあー、懐かしかったなあ。
【出来事その三】
日食
朝から雨が降り、空の雲も厚かったのであきらめていた。
が! T社との商談が終わり外に出ると、T社の警備員の方が、「いま、見えますよ!!」と空を指差している。
「あ、ほんとだ!」と、オオノとナガサキと、周囲にいたT社の来客者や社員の方たちとしばし一緒に眺めていた(写真撮ったんだけど、ほとんど判別できないですね)。
【出来事その四】
夜は、送別会と昇進祝い
協賛企業のS社の採用担当者Mさん。新卒で入社してすぐに採用担当者となり、2年半、パフとはいろんな場面でご一緒いただいた。とても(表現が不適切かもしれないが)美しく、可愛い女性で、パフの社員の中ではアイドル化していた方だ。今回、採用担当者を卒業して、まったく畑の違う部門に異動となった。
そして同じくS社の人事部長のSさん。今回、めでたくS社の執行役員に昇進した。僕は数か月前、プライベートなことで(うちの娘の個人的な趣味で)、Sさんにとてもお世話になったばかり。
そんなMさんとSさんのために、送別会兼昇進祝いを今夜行った。
パフからは5名。S社からは6名。総勢11名の賑やかな会だった。
とてもアットホームな社風のS社。人事部のみなさんも家族みたいに仲がよく、とても温かな時間を過ごすことができた。
ということで、46年ぶりの(日本で観測できる)皆既日食だったこの日の、四大出来事のご紹介でした。
職サークル布教(?)のためのセミナーだった日
2009年7月21日 (火曜日)
本日は夕方四時から、パフのセミナールームでの、企業(人事担当者)向けセミナーだった。
パフでは毎年この時期、企業向けのセミナーをふんだんに行う。
もちろん営業活動に繋げていきたいという狙いはあるのだが、それ以上に、パフの理念や事業運営ポリシーを、もっともっと多くの企業のみなさんに知っていただきたいという思いがある。
セミナーの参加費用は無料なのだが、人事担当者の皆さんには忙しいなか足を運んできていただくわけなので、セミナーでは(パフの売り込みは最低限にして)、お役に立てる情報提供に努めている。
内定者フォロー施策のご紹介とか、機電系学生の採用手法のご紹介とか、就活を終えたばかりの学生をゲストに招いたパネルディスカッションとか、企業の人事担当者自らの採用事例ご紹介とか……。
でも、きょうのセミナーは、ちょっと違った。
パフ創業時からの商品であり、スピリッツであり、事業コンセプトである「職サークル」についてのみ、説明させていただくセミナーだったのだ。「職サークル」の理念、考え方、取り組みをご理解いただくための、いうなれば「布教」のためのセミナーだ。
すでに長年(10年近く連続で)協賛企業になってくださっているM社とS社。2年ほど前に協賛企業となってくださったC社。この3社の人事の方々に、職サークル参画(協賛)の意味や意義や効果を、熱く語っていただいた。
また後半では、実際にパフを使いながら就職活動を行い、つい先日活動を終えたばかりの現役の大学四年生3人にも登場してもらい、「パフは何が良かったの?」という質問に答えてもらった。
こんな感じのセミナーだったので、まあ、見方によっては、予定調和というか、自画自賛というか、我田引水というか……(苦笑)。
僕も最近の日記の中で、 【協賛企業の基準】 を書いたばかり。
『青臭い!』とか、『偽善じゃないか?』とか、『効率的じゃない!』とか言われながらも、12年間会社が続いてきた理由は、この 【協賛企業の基準】を体現してくださった協賛企業の皆さんのおかげなのだと思う。
そういう意味では 「職サークル」は、やっぱり偉大なのである。
あ、やっぱり自画自賛だ。