お蔵入りの写真を公開する日
2008年6月21日 (土曜日)
ブログで日記を書くようになってから、携帯電話で写真を撮ることが多くなった。
特に出張先で日常にはない風景をみると、パシャッとやる。
が、そのほとんどは携帯のメモリーのなかに入ったままで、お蔵入りになってしまっている。
そろそろ携帯の容量が満杯になってきたので、パソコンに取り込むことにした。
懐かしい写真(といっても、いずれもまだ1年経っていないのだが)が多くて、このまま日の目に出ないままというのも、もったいない。
ということで本日は、お蔵入りになってしまった写真を一挙大公開することにしよう。
コメントは、あえて入れません。
「これはいったいどこの何の写真なんだろう? 」
「釘さんは、いったいどこを、ほっつき歩いてるんだろう?」
という想像力を働かせながら、ながめていただければと思います。
兼六園と金沢城公園の写真を撮りまくった日
2008年6月20日 (金曜日)
本日、金沢の2日め。予約していた飛行機の出発まで時間があったため、兼六園と金沢城公園に行ってきた。
1982年。今から26年前。つまり僕が大学3年生のころ。友達との貧乏旅行で金沢に行ったことがある。そのときも兼六園には行ったことがあるはずなのだが、なぜかぜんぜん兼六園の景色が記憶に残っていない。
きょう26年ぶりに兼六園の入り口まで行って、その理由がわかった。貧乏旅行でお金をほとんど持っていなかった我々は、入場料を払うことができず(今でも300円なので、きっと大したお金じゃなかったんだろうけど…)、入場を断念したのだった。そりゃ記憶になくって当然だ。
ということで、生まれて初めての兼六園(&金沢城公園)見学となったわけだ。
携帯で写真をとりまくったので、以下、日記の残り部分は、写真のみで埋め尽くすことにしよう(いわゆる手抜きである。へへ)。
北陸・金沢で講演を行った日
2008年6月19日 (木曜日)
きょうは朝から金沢(石川県)に来ている。ちらっと以前の日記でも書いたような気がするが、石川県の産業政策課と産業創出支援機構が主催する人材戦略セミナーを、パフが引き受けたためだ。
依頼文書を改めて読むと、経済産業省の「若者と中小企業とのネットワーク構築事業」の一環で実施されるセミナーのようだ(いまさら、「ようだ」もないですね。不謹慎でスミマセン)。
このセミナーは、今後、複数回に渡って開催されるのだが、きょうがその初日。きょうは約150人の、県内企業の経営者や人事担当者の皆さんに向けての啓発、情報発信型セミナーで、僕の講演が中心だった。
講演は、 「売り手市場を凌ぐ採用活動の新しい視点 ~顔の見える採用活動」というタイトル(主催者側が命名してくださった)。パフにとって「顔の見える」がタイトルに組み込まれたことはたいへん光栄だ。こりゃ気合いを入れてやらにゃいかんなあ…と、久々にプレッシャーを感じた講演だった。
とはいえ、いざ講演が始まってしまうと、持ち前の「開き直り精神」が発揮され、さほど緊張もせず、やめときゃいいのに、Puff the magic dragon ♪ の歌まで披露してしまった(おまけに拍手を強要してしまった、笑)。
僕が最終的にお伝えした要点は、次の内容だ。
・学生は、首都圏の大手有名企業と皆さんの会社とを比べます。
・知名度や資本力では残念ながら劣勢と言わざるを得ません。
・皆さんが首都圏の大手有名企業と比較して勝てること。
・それは、ご自身の会社や地元に対する「熱き思い」です。
・経営者、人事担当者、現場の社員の皆さん。皆さんが異口同音に語る「熱き思い」こそが、大きな差別化となるのです。
実はこれらは、パフの若手社員であるタカタとタシロに、 「おい、タカタ、タシロ! 中小企業が新卒採用を成功させるために必要なことはなんだ。3つあげてみろ!」と、突然問いかけて返ってきた答えがもとになっている。
彼らは知名度に乏しい中小のお客様を多く担当しており、苦労しながら採用の成功に向けてお客様といっしょに取り組んでいる。やっぱり現場からあがってくる声は的確だ。
そして最後は、いつもながらの「うまれよ」のメッセージをお伝えした。
「うまれよ」はやっぱり学生だけでなく、ベテランの社会人や経営者にも響くメッセージだということを実感した。
講演後は、聴いてくださった経営者の方や人事の方から、 「よかったです。自分と同じ思いを聞けて嬉しかったです」という言葉をいただいたり握手を求められたりして、僕のほうこそ嬉しくなった。
元来、人前で話をするのは苦手な僕なのだが、頼まれたら断れない性分ゆえ、きょうのような講演を引き受けることが最近多い。講演直前までは、とても気が重いのだが、講演後は実にスッキリ、 「ああ引き受けてよかった」という気分になる。我ながら調子のいいやつだ(笑)。
夜は金沢に本社のある同業者J社で打ち合わせ。その後、G社長と、情緒あふれる金沢の街へ…(G社長、すっかり御馳走になってしまいました。ありがとうございました!)。
ということで、なかなか充実した北陸・金沢での一日だった。
おおっとたくさん!インターンシップ説明会だった日
2008年6月18日 (水曜日)
本日は先日に続いて第二回目のインターンシップ説明会。
前回は告知後間もなかったということもあって、参加人数は7名という少人数での説明会だった。
それはそれでアットホームな雰囲気でとてもやりやすかったのだが、今回は一転。前回の3倍以上の25名参加で、セミナールームぎゅうぎゅうの中での熱い説明会だった。
いつも思うのだが、若いパワーというのはほんとうに素晴らしい。また、とてもうらやましい。
何か新しいものがここから生まれてくる、という期待感でいっぱいである。
若いうちはあれこれ考えずに、決めたことを信じて突き進んでほしい。これに限る。
この夏はきっと「熱く」なりそうだ。僕も久々に、インターンシップといっしょに営業の現場に出て行こうと思う。若い連中には負けていられない。
そうだ、吉野屋の期間限定の「うなぎ定食」を食べて、いまから体力をつけておくことにしよう!
長年連れ添ったノートPCに別れを告げた日
2008年6月17日 (火曜日)
夜7時過ぎ。会社に持ち込んだ僕個人のノートPCで、講演の資料(あさって石川県でセミナーがあるんです)を作成していたときだった。
ピシュッ
と音がしたかどうかは定かでないが、画面が真っ黒になった。
このノートPC(IBM ThinhkPad)、最近どうも調子が悪く、しばしば画面が真っ黒になる現象が続いていた。
制作中の資料はもちろんオジャン。気を取り直して、もういちど再起動して、作業に取り掛かった。
すると3分もしないうちに、また ピシュッ!
だめだこりゃ! (いかりや長さんふうに)
こういうときの僕の決断と行動は早い。30分後に僕は、有楽町のビックカメラ5Fにいた。
店員の話を聞くこと10分。悩むこと3分。購入手続き10分。
手には新品のノートPC(Let’sNote)をぶら下げていた。
そのまま自宅に帰宅して、ネットワークやらメールやらアプリやらの初期設定をもろもろ行う。3時間くらいかけて、やっと仕事を再開できる状態にもどった。
哀れなのは、7年間に渡ってこき使われたあげく、あっさり見捨てられてしまったIBMのThinkPad。いま部屋の片隅でひっそりうずくまっている。
ちょっと落ち着いたら、もういちど修理を試みてみよう。直ったら娘にでもプレゼントするかな。「そんな古いのいらない!」と怒られそうだが(笑)。
ところでいま、新しいLet’sNoteでこの日記を書いているわけだが、使いなれぬキーボードとマウスパッドで悪戦苦闘している。おまけに今までWindows2000という古いOSだったのが、いきないVistaになってしまい、あまりの操作性の違いにとまどっている。うっかり変なボタンを押して、せっかく書いた日記を消してしまいそうだ。こりゃたいへんだ。
ともかくも、いままで7年間お世話になったThinkPadに、心から「ごくろうさま」と言ってあげたいと思う。
『うまれよ塾』OBの新入社員からメールをもらった日
2008年6月16日 (月曜日)
きょうのネタは、実は一週間ほど前の出来事なのですが、本人が、「釘さん日記」での実名紹介を快諾してくれたので、あたかも本日の出来事であるかのごとく書くことにします。
・・・・・
明治大学をこの春卒業して、関西の超大手メーカーM社に入社した鄭(てい)くんという、(元)学生がいる。
僕との出会いは、僕が自ら講義をしている「うまれよ塾」だった。その後、パフの少人数イベントである「社長対談」にも参加してくれたりしていた。
昨年の春先、次のようなメールをもらって、さらに付き合いが深まった。
こんにちは。ご無沙汰をしております。
(中略)
先日、就職活動を終了させることが出来ました。
T株式会社
M株式会社
F株式会社
から内々定を頂くことが出来ました。
現段階で企業に順位をつけることが出来ず、決断には非常に苦心しております。
私の就職活動は「うまれよ塾」から、本格的に始まりました。
「うまれよ塾」から学んだことは就職活動中も常に心の中にあり、私の支えになりました。
本当に有難うございました!
そこで、就職についての講演会として、明治大学でお話をして頂きたく、ご連絡致しました。
5月中に、講演会について、お話をさせて頂くお時間を頂けませんでしょうか。
(後略)
ゼミナール協議会の責任者だった鄭くんの依頼で、僕が明治大学で講演をしたのが、ちょうど一年前だった。
この講演のおかげで、他の明大生たちとも広い接点をもてるようになった。鄭くんには感謝されたが、むしろ僕らも、鄭くんに大感謝だった。
そして、鄭くんはこの3月に卒業した。
元気にしてるかなあ……と、思っていた矢先の、つい一週間前にもらったメールが次の内容だ。
株式会社 パフ
代表取締役社長 釘崎 清秀様
ご無沙汰をしております。
明治大学ゼミ協でお世話になりました、鄭です。
2008年度が明けてから2ヵ月が過ぎましたが、お元気でお過ごしでしょうか。
新人研修も残り一カ月を切り、少しですが生活リズムが整ってきましたのでご連絡致しました。
■■近況■■
僕はこの2カ月で、生活環境が大きく変わりました。
・初めての一人暮らし(会社寮ですが)
・朝5時半起床生活
・日経新聞購読
・環境(社会)変化のスピードを知る
等、挙げ切れないほどです。
入社2カ月で、分からないことばかりかもしれませんが、毎日が本当に楽しく充実しています!
■■配属■■
5月9日付で○○○(勤務地:○○)という部署への配属が決定致しました。
4月1日より大阪の本社にて全社研修をしており、大阪生活は3ヶ月目を迎えています。
現在は座学研修中ですが、7月には前線へ行く予定で、今から非常に楽しみです。
僕は主に△△と□□等を担当し、営業で扱う商品数は10万品番を超えるそうです!
こんなに多くの商材を扱えるメーカー営業はそうはいないらしく、驚きました!
釘崎さんから教えて頂いた「うまれよ」や、誠実さ、心の持ち方等は今でも大切にしています。
また、何かの機会でお会いできることを本当に楽しみにしております。
僕は3年は大阪にいる見込みです。
お近くにいらした際には是非お声掛けください!
図々しいながら東京へ帰った際はお邪魔させて頂きたい程です。
今後ともご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。
いやあ、嬉しい。こういう若者が、まだまだ世の中にいるということが、とても嬉しい。
そして、 「うまれよ」を今でも大切にしてくれているということも、嬉しい。
さらに、 「『釘さん日記』に載せてもらえるなんて光栄です! 実名でお願いします!」と言ってくれたことも嬉しい。
こんな素晴らしい若者たちと接点を持つことができ、彼らの巣立ちに関わることができている自分は幸せ者である。
ということで、鄭くん、ちゃんと載せましたよ^^。東京に出てきたら、ぜひ築地に寄って下さいね。寿司でも食べに行こうぜ!
世の中的には「父の日」だった日
2008年6月15日 (日曜日)
6月の第三日曜日は、「父の日」ということになっているらしい。今年は、きょう6月15日が、その日。
さて、ここで問題です。
17年前。西暦1991年の父の日は、何月何日だったでしょうか?
答えは、 6月16日 です。
ほとんど意味のないクイズで失礼しました。
一般の人には意味がないが、僕には意味が大ありの日である。この日は、僕の娘の誕生日だからである。17年前の父の日に、彼女は生まれたのである。
そもそも生まれてくるだけで親孝行なのに、父の日に生まれるとは、なんとまあ、親孝行極まりない娘なことか。
子供は3歳までに一生の親孝行のほとんどを済ませる、ということを聞いたことがあるが、うちの娘の場合は、生まれたその日に90%くらいを済ませたのかもしれない(笑)。
ということで、以来、17年間。僕にとっての「父の日」は、娘の誕生に感謝する日となっているのである。