続・急性胃腸炎に襲われた日
2010年7月11日 (日曜日)
結局、木曜日の夕方から金曜日の明け方まで、断続的に襲ってくる下痢と胃痛のために熟睡することもできず、ずっと布団とトイレの間を往復していた。
セミナーの開始は11時。会場の青山一丁目のツインタワーまでは、タクシーで30分あれば到着する。ぎりぎりまで横になって精神を集中させた上で家を出ようと思った。
そして10時10分過ぎに決死の思いで家を飛び出した。
運よく家の前をタクシーが通りかかった。すぐに飛び乗り青山一丁目を目指すのだが、このタクシーがクセモノだった。
運転が下手っクソ(というか、荒っぽい)。急ブレーキをバンバン踏みまくり、急発進もしまくる。それでなくても弱っている胃が、コテンパに痛めつけられた。しかし、僕には文句を言う気力も、もう残っていなかった。
会場に到着したのが、講演の始まる15分まえ。
社員たちは僕が到着したのを見て、安心と不安の両方の表情を浮かべていた。
そしてついに講演開始の11時となった。
何の準備もせぬまま(用意されているパワポのチェックも何もせぬまま)、演台にあがる。多くのお客様が目の前にいらっしゃるのだが朦朧としてよく見えない。
「こんにちは!」と元気よく発声したつもりだったのだが、ぜんぜん声が出ていないのが自分でもよくわかった。そのあとの簡単な自己紹介もロレツがぜんぜん回らない。脂汗が滲んできた。
こりゃダメだ、と観念し、実は昨日から急性胃腸炎に罹ってしまったことを暴露した。
場の雰囲気を崩すことになるので、できれば隠そうと思っていたのだが、顔なじみのお客様には「様子がヘンだ」とバレていたことだろうし、初めてのお客様には「あんな情けない奴がパフの社長なのか?」と思われてしまうのも心外だし、そのお客様とあとで接する社員たちが可哀そうだ。あえて、いまの自分の弱々しい姿は仮の姿であるということを、言い訳させてもらった。
それから50分間。絵本の朗読も含めてなんとか喋りきったものの、伝えたいことの半分も伝えられなかったという悔しさがある。
自分で言うのもなんだが、僕は腹から大きな声を出すことが得意で、その声で情熱や思いを伝えることにも自信がある。アドリブで冗談を言って笑いをとったり、その場その場で浮かんだことを口にして、新鮮な講演を行うことをいつも旨としている。
が、今回はまったくダメ。アドリブをやる余裕もなくパワポにあることをそのまま読み上げてしまい、情熱のかけらも乗せることができなかった。せっかく講演を聴きにきてくださった皆さんに、たいへん失礼なことをしてしまった。
講演後、意気消沈して控室で休んでいた。
僕の次の出番は、17時からのセレモニーと、18時からの大情報交換会。10年以上パフと取引を継続してくださっているお客様に感謝の気持ちをお伝えし、そのまま懇親会に突入するというプログラムだ。
まだずいぶん時間があるので、いったん帰宅して休んでから再度、出直そうと思った。
しかし、家に帰る途中からまた胃の痛みが猛烈に激しくなってしまった。家に着いてからもいっこうに治まらず、昨夜からいちばん酷い状態に陥ってしまった。
そして午後3時。復活を断念し、セレモニーを欠席する旨を会場のスタッフに伝えた。
いやあ、本当に残念無念。そして、お客様やパートナー企業の皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
翌、土曜日(10日)。
実はこの日も、外せない仕事があった。しかも、こちらは代役が誰もいない。明治学院大学で実施する「パフマジカル社会人デビュー講座」なのだ。
胃の痛みはまだ抜けないのだが、それでも前日よりは少しはましになっていた。開始時間が15時と遅めでもあったので、どうにかこうにか3時間の講義をやりきった。
学生たちには「普段は3倍くらい元気なんだけど、勘弁ね!」と冗談めかして講義を行ったが、講義が終わったときには立っているのもやっとという感じだった。
いやあ、書いていて悲壮感あふれるものになってしまったな(苦笑)。
そして、この日記を書いている現在(日曜日のお昼)。
やっと胃の痛みは治まった。下痢もない。これだけの文章を書けるくらいまで回復したということだ。
しかし、木曜日の朝ごはんを食べて以来、(水分以外は)ほぼ何も口にしていないのでフラフラではある。鏡で顔を見ると、かなりゲッソリしている。すごいダイエット効果だな。
それにしてもたいへんな思いをした3日間だったわけだが、教訓と学びも多かったな。
<教訓>
健康はやっぱりイチバン大事。金はなくとも健康と元気があれば、なんでもできる。特に経営者たるもの、健康管理には細心の注意を払い、細菌やウィルスを寄せ付けない丈夫な体力を維持すべし。
<学び>
社長はなくとも社員は育つ(?)。
金曜日の史上最大のイベントは、社長不在の状態でも、社員たちの力で無事最後までやりきったとのことだ。実はパフ最古のお客様であるS社のS社長が、克明なレポートを僕の携帯に送ってきてくれた。それを読むと、社員たちの奮闘ぶりが目に浮かぶようで嬉しかった。
もちろんガッカリさせてしまったお客様もいらしゃったと思うので軽々に喜ぶわけにはいかないのだが、この史上まれにみるアクシデントで会社が少しでも鍛えられたのだとしたら、僕の急性胃腸炎もあながち無駄にはならなかったのだと思いたい。
最後に、ご心配やご迷惑をおかけした、ご来場のお客様、そして、出展のご協力をいただいたパートナー企業の皆様に、深くお詫び申し上げます。
次の11月13日に予定されている一大イベントでは、このようなことが決してないように頑張ります!
急性胃腸炎に襲われた日
2010年7月10日 (土曜日)
いま思えば、前兆は水曜日の夜だった。なんとなく息苦しく、全身がだるくなっていた。でも、このときはまだ、期末、期初のあれこれで疲れが溜まっているのだろうと、あまり気にも留めなかった。
翌、木曜日。午前中は大事なお客様が事務所に来訪。そのお客様との打ち合わせが終わり、お見送りしたのが12時過ぎ。その直後、自分の身に起きている異変に気が付いた。
胃が痛いのだ。
単なる胃痛ではない。全身の倦怠感をともなう胃痛だ。ヤバイ!と直感できる症状だった。
翌日は、パフ史上最大の企業向けセミナーの日。僕の講演も予定されている。
迷わず、すぐに病院に行った。
診断結果は、「急性胃腸炎」。
どひゃー!
5年前に罹った「ノロウィルス」の悪夢がよみがえった。
すぐに緊急帰宅し、処方してもらった薬を飲み、布団にもぐりこんだ。
ほどなくして下痢が襲ってきた。熱もぐんぐん上昇してきた。
まずい。
翌日は、パフの大事なセミナー。
数多くのお客様やパートナー企業の方々が来場される日なのだ。絶対休めない。
翌朝までには意地でも治さなければならない。
くー。・・・この続きはまた明日の日記で書くことにします。
リハビリ順調なり
2010年7月8日 (木曜日)
足の指の骨を折ってから、はやくも6週間になる。折った当初は、完治まで2カ月かかるといわれていた。確かに2週間ほどまえまでは痛みも抜けず、とくに階段の上り降りには苦労していた。
が、先週末くらいから痛みもひいてきて、かなり普通に歩けるようになってきた。
医者からも、あとは温熱療法などを利用しながら、堅くなった指が柔軟に曲がるようにリハビリをしていくことを勧められている。手の指でいえば、“グー・パー、グー・パー”の繰り返しだ。足の指でのグー・パーって結構難しいんだけど(笑)。
そういえば先日病院に行ったとき、「ホントは温泉にゆったり浸かってグーパーやるのがいいんだけどね」と医者が言っていたな。
のんびりとした温泉旅行……。
かの坂本龍馬は、京都寺田屋で襲撃され大怪我を負った後、(西郷隆盛の手引きで)しばし鹿児島の温泉で治療をしていたという。それが幕末の大仕事を行っている最中の、束の間の(そして最後の)休息だった。うん。僕も真似して、鹿児島の温泉にでも行ってみようかな。お龍さんも募集してみたりして。
ともあれ、足の回復は順調なのである。歩行スピードも通常時の95%くらいまでは回復した。会社までの徒歩通勤も完全復活。一ヶ月以上にも及ぶ運動不足を、一気に解消していきたいな。
10年ぶりの出会いがまたも、の日
2010年7月7日 (水曜日)
朝起きてすぐ、メールのチェックをしていたら、Twitterからの新たなフォロワーを知らせるメールが届いていた。
読むと、昔いっしょに(会社は別だが)仕事をしていたSさん(実際は実名)が僕をフォローしてくれており、そのことを知らせるメールだった。
あれ?Sさんって、あのSさん??
と思って、すぐにダイレクトメールを送ってみた。
するとまたすぐに返事が…。やっぱりあのSさんだったのである。
丸10年ぶりだ。
実はつい2週間ほど前、Sさんのことが、とある酒の席で話題になったばかりだった。「そういえば、Sさん元気でやってるかなぁ…」という話をしたばかりだったのだ。
聞けばいまは、成長著しい有名某社の総務人事部長をやっているという。
へー!そうだったんだぁ…ということで、「近々会いましょう!」とメールをしたら、「今夜はどうでしょう?」という返事。
まさに電光石火の早業である。
今朝、Twitter上で10年ぶりに再会し、その日の夜には、リアルで再会したのだ。まさにネットとリアルの融合?である。
夜7時半過ぎに、Sさんは築地のパフを訪ねてくれた。
10年ぶりだというのに、(しかも偉くなっているというのに)Sさんは昔のままの、腰が低く、純粋で熱い思いをもった青年(と呼ぶには無理があるかな?)だった。
当然その後いっしょに晩御飯を食べに行き、あれやこれやの昔話から、最近の就職、採用、人材育成についての熱い議論が始まった。10年ぶりの壁なんて、あっというまに吹き飛んだ。しかもいま、会社にとっての初の新卒採用に取り組んでおり、「顔のみえる採用」をスローガンにしているのだという。僕の意志を受け継いで「顔の見える」という言葉を使ってくれているのだという。Sさん、泣かせること言ってくれるじゃん^^。
いやあ、それにしても、最近こういう嬉しい再会が続く。しかも、会いたいなあと思っていた人に、なぜか突然、会えてしまう。
ソーシャルメディアは、(少なくとも僕にとっては)とても価値のあるメディアになりつつある。赤丸急上昇だな。
第15期のキックオフミーティングだった日
2010年7月6日 (火曜日)
昨日は朝から晩まで丸一日、社員全員参加の会議だった。第15期キックオフミーティングである。
第14期の業績の概況を発表した後、各グループの振り返りが午後3時ころまで続いた。
その後、いよいよ第15期の方針と新体制の発表である。
新体制については、この数日間、うんうん悩んだ末の苦心作である。最高のパフォーマンスを発揮するためのチーム編成を追求した。
スライドに新組織図を映し出した瞬間、社員たちがざわめいていた。なるほど。よくよく見なおしてみると、(社員から見れば)なかなかアグレッシブな組織だったかもしれないな。新組織、新しいメンバーの組み合わせが起こす化学反応によって、10のパワーが20にも30にも増大することを期待している。
何より新組織の目玉は、彗星のごとく現れた助っ人の存在であろう。特に男性社員たちにたいしては、大きな刺激を及ぼしてくれるはずだ。
これから、各グループ、各チームが具体的な目標と計画を設定していくわけだが、意欲的かつ挑戦的なものにしていってほしいと思う。第15期は我がパフにとって、飛翔の一年なのだ。
「勝ち」を宣言する日
2010年7月4日 (日曜日)
週末、金・土と2日間連続で、パフの社員全員が参加する研修を実施した。
社員一人ひとりが自分と真剣に向き合い、変わっていくための研修だ。
そして、最終的には優れたビジネスパーソンとなるための奥義を手に入れる、というもの。
「自分と向き合う」と簡単に言うが、これほどたいへんなことはない。できれば避けて通りたいというのが普通の人間というものだろう。
しかし、自分と真剣に向き合わなければ変化などできない。自分が変化しなければ仲間たちと真剣に向き合い、真に一緒に戦えるチームなどできない。
そういう意味で、とても有意義で貴重な体験をした2日間だった。
結果、ほんとうに変わったのか。真に一緒に戦えるチームができたのか。
それは、これから始まる一年間の新しい戦いを通して判断したいと思う。
もちろん、そうであることを心から願っているし、信じたいのは山々だが、ビジネスは結果がすべて。成果をあげることによって、我々が真に変わったかどうかを証明したいのだ。
・・・ところで、先日の日記で、ちょっともったいづけて書いた以下のこと。
—–
・・・さて、結果はいかに。
ほとんどの社員が(と、書かざるを得ないのは残念なのだが)、最後の最後まで全力を尽くしてくれた。
おかげで、「残念な結果」となったかどうかが、まだ分からないでいる。
僕が今期が始まるときに決めていた「勝ち」のレベルが3つある。
詳しいことは書けないが、
1.誰もが満足できて幸せになれる勝利
2.通常レベルの勝利
3.最低限の勝利
である。
ちなみに、3より下が「残念な結果」である。
実はいま、「3」にとどまれるか否かが、とても微妙な状態。いわば「写真判定」のような状態なのだ。
すべてのデータを精査し、正確な数字を算出するのに、あと数日かかるかもしれない。なんともジレッタイのだが、「最低限の勝利」の可能性が残っていることは確かだ。
いずれにしろ日記読者の皆さんには、結果が出たらすぐに、「勝ち」か、「負け」かを、この場から報告しますので、ドキドキしながら待っていただけたらと思う。
—–
実は2日間の研修に入る直前に結果が出たので、報告しておくことにしよう。
結果。
「勝ち!」
である。
いやあ、勝てて良かった。ホントに良かった。一年間お世話になったお客様各位、パートナー各位、その他、関係各位にあらためて深く深く感謝である。
とはいえ、最低限の勝利。しかも、辛勝である。
今年度(第15期)こそは、「誰もが満足できて幸せになれる勝利」を目指したいものだ。
明日は、朝から丸一日、第15期のキックオフミーティングである。新体制も発表する。
過酷な研修を終え、心身ともにリフレッシュした体制で、あらたなる船出が始まるのである。
社長対談の観客は若手社員だった日
2010年7月2日 (金曜日)
パフ会計年度第15期が始まった。
午前中は昨夜に引き続き数字のまとめ。売上他、外から入ってくるお金は昨夜の段階で締め切ったのだが、出ていくお金(経費)は、社外からの請求書や社員の(交通費などの)精算がすべて出そろわないと最終確定できない。いつもは10日ころをめどに確定させて集計するのだが、今回は決算なので、社内外に協力してもらい大急ぎでまとめた。といっても、まとめるあげるのは経理の仕事で、僕はその数字の報告を受けただけなのだが……。
数字のことが気になりつつも午後からは外出。第15期最初の対外的な仕事を行うためだ。
第15期の仕事始めは、「社長対談」だった。
取引が今年で6年目を迎える、神田に本社のある某専門商社。ある特定の領域でナンバーワンのシェアを有する超優良企業だ。
その会社(K社といいます)の社長と僕との1対1の公開対談だったのだ。
学生への公開型の「トップ対談」の企画は、パフではよく秋から冬にかけて実施している。
しかし、この夏場の時期に行うのはとても珍しい。僕の記憶では、おそらく創業以来初めてじゃないかな?
しかもメインの観客は、学生ではない。K社の若手社員たちを招いての社長対談だったのだ。
首都圏近郊の勤務地で働く約30名の入社3年未満の若手社員たちに、あらためて自分の会社のトップの人となりや考え方を、間近で見て、聞いてもらおうという企画だったのだ。
いやあ、抜群に面白かった。
K社の社長は僕より7歳先輩。九州の大分県出身ということで、僕と同郷なのだ。
ガキ大将だった子供のころの話から、学生運動に興じていた大学生時代の話は、昭和の匂いがぷんぷんしてきて嬉しくなった。
大学に8年間通った後、K社に入社して3年後。29歳にして熊本の子会社の社長に抜擢され、赤字だった最初の数年間は無給で必死に働いていたという話。その後、本社と統合し、グループ全体の社長に就任し現在に至る話。まったく飾らぬ人柄で、危ない話も結構飛び出した。
後半は若手社員たちからの質問。「ドラえもんは好きですか?」という突拍子もない質問も飛び出し、終始楽しい対談となった。
この対談の模様は、後日、Webで公開されるらしい。一般にも公開されるようであれば、またこの日記でもご紹介することとしよう。
対談を終えて、神田からひと駅のところにある三越前に向かった。パフの会計顧問の事務所があるのだ。
今朝までの数字をもとに、第14期の決算方針を会計士・税理士の方々と話し合った。
ふむふむふむふむふむ。よっしゃ!
紛糾することもなく、あっさりと両者の意見は一致したのだった。
ということで、第15期第一日目は、社長ならではの仕事を、朝から晩まで、みっちりと行った日だったのだ。
さて、明日は、社員全員が参加する全体研修だ。土曜日まで2日間連続で実施する。
そんなわけで会社は明日、臨時休業。全社員が研修会場に缶詰になるのだ。
さあ、どんな研修になるのか。明日と明後日の2日間がとても楽しみなのである。