歴史は夜作られる?
2010年8月7日 (土曜日)
土曜の朝、高校野球の開会式をテレビで観ながら週の最後の日記を書いている。
高校野球の開会式をテレビで観るのって、いつぶりだろう。ひょっとしたら何十年ぶりじゃないかな。
おー! いいなぁ…。
腕を上げて足を上げて、イッチニィ、イッチニィと行進が続いている。
選手たちはみんな初々しい顔つきだ。引き締まった顔つきだ。にやけた奴もなかにはいるな><。緊張のあまり、手と足が同時に出ている奴もいるぞ(笑)。
僕が高校野球をいちばん真剣に見ていたのは、小学生~中学生のころだった。怪物、作新学院の江川卓選手が活躍していたころが、僕にとっての高校野球のピークだった。
自分も下手糞ながらも、小学校5,6年生のとき、夏の時季だけ特別に結成される少年野球チームに参加していたこともあり、自分自身があの甲子園のグランドにいるかのような気持ちになりながら、応援していたことを思い出す。
それはともかく、今週は夜を中心に忙しかったなあ。
いや、「今週は」ではなくて、7月の中旬くらいから、ずっと続いているような気がする。
でも単なる飲み会ではない(そういうときもたまにはあるけど、苦笑)。
「歴史は夜作られる」と言うけれど、その通りかもしれない。
重要な出会いがあり、打ち合わせがあり、議論があり、意気投合があり、新しい機会創造に向けての第一歩が始まるのが夜なのである。
考えてみたら、パフの創業が決まったのも深夜、場所は新橋の居酒屋だったしね(笑)。
閉塞感が漂う昨今ではあるけれど、前向きなパワーを発揮しながら頑張っている人たちはたくさんいる。特に、同年代の人たちのなかに、そういう人たちがたくさんいるのを見るにつけ勇気をいただく。
昨夜の会合(勉強会)もそうだったな。
障害者雇用に関することで、昨年からさまざまなご支援をいただいている株式会社FVPさん(職サークルの賛助企業にもなってもらっている)。そのFVPさんが開催している勉強会に、昨夜は参加させてもらった。
ヤマト運輸の小倉昌男さん(故人)が、熱い思いで設立したベーカリー運営会社、株式会社スワンの現社長である海津歩さんの話を聞かせていただいた。
場所は同社が運営する東銀座のスワンカフェ銀座店である。ワインと料理の美味しいお洒落なお店だ。
海津さんは現在50歳。昭和35年生まれで、僕とまったくの同い年である。
25歳のときにアルバイトとしてヤマト運輸に入社した。若いころは(入社してからもそうだったのかな?)、リーゼント姿で肩で風を切って歩くようなワルだったという。
※海津さんのことを紹介している記事⇒ http://www.asakyu.com/anohito/?id=300
入社後も、常識人では考えられないような無謀なことをたくさんしでかして、問題を多数起こしたらしいのだが、そのことが現在の宅急便の多様なサービスを生みだすきっかけとなった。理屈ではなく体当たりで、非常識を常識に変えて行った。中途半端な上司には扱いづらい社員だったのだろうが、小倉昌男さんにとっては可愛くて仕方のない社員だったのではないだろうか。
講演は、そんな海津さんの体当たりの生きざまや、経営者としての雇用やビジネスに対する考え方が凝縮されたものだった。実に胸がスカッとするお話しだった。普通なら見捨てられてしまったかもしれない人材を、スゴイ経営者として育てた小倉昌男さんにも感銘を受けた。
ところで、海津さんが人材を採用する(雇用し続ける)基準のお話しに、特に僕は仕事柄、共感した。
3つある(記憶で書いているので多少表現は違うかもしれませんがご容赦を)。
1)朝、遅刻せずに出社し続けること
2)相手の目をみて、笑顔で挨拶すること
3)言い訳をしない(人のせいにしない)こと
これだけである。
しかし、これが守られなかったときは厳しい。
「遅刻するようなやつは問題外だ」
「人の目ぇ見て挨拶もできねぇような奴が、信じられるわけがねぇ」
「人のせいにするような奴に仕事をさせるわけにはいかねぇ。即刻解雇だ!」
・・・痺れたな。
上の三つを採用基準(解雇基準?)にしたら、多くの会社の多くの社員たちは職を失うかもしれない(苦笑)。ひょっとしたら、管理職以上は根こそぎ駆逐されてしまうかもしれない(大笑)。パフの社員はいい線いってる気もするが、それでも何人かは解雇しなきゃいけないかもしれないな(笑・・・えない)。
「即刻解雇」は過激かもしれないが、経営者たるもの、そこまでの思いをもって人の採用や教育を考えなければならないのかもしれないな。
海津さん、昨夜はありがとうございました。またぜひ個別にお話しを伺えたらと思います。
簡単な日記にしようと思ったんだけど、海津さんのことを書き始めたら、思わず長くなっちゃった。
気がつけば高校野球の開会式が終わり、もうすぐ一戦目がプレイボールである。
歴史は夜作られるのかもしれないが、高校野球の感動は日中の炎天下に生まれる。
がんばれ、高校球児たち!
職サークル推進会議だった日
2010年8月6日 (金曜日)
昨夜は、朝8時半の東北新幹線に飛び乗った。
目的地は会津若松。ITの研究に特化していることで有名な、会津大学で打ち合わせを行うためだ。
新幹線を郡山で下車し、その後、在来線(磐越西線)に乗り換えて一時間以上揺られてやっと到着。
朝8時半の新幹線に乗ったのに、到着はジャスト12時。大阪に行くよりも時間がかかってしまうんだな~。
大学での打ち合わせは円滑に終了。今年の11月と来年の1月に、イベントを開催することになったのだ。
打ち合わせ後に、雑談を兼ねて、「職サークル」のことを説明させてもらった。
特に、「絵本」の話で盛り上がる。大人たち(教職員のみなさん)にぜひ読ませたいとのことだった。
打ち合わせ終了後、すぐ東京にとんぼ返り。
せっかく会津まで来たんだから、野口英世記念館とか、裏磐梯とか、猪苗代湖とか、いろいろ行きたいところはあったんだけど、ぐっと我慢。
なぜなら、本日はパフで「職サークル推進会議」の第一回目が開催されることになっていたからだ。
ルネッサンスのために新しくなった職サークル。いちはやく協賛企業になってくださった心熱き人事担当者の皆さんが、パフの狭い会議室に集合してくださった。
僕が帰社して会議室を覗いてみたら、あらびっくり。
日ごろは最高でも6名しか入れない部屋なのに、15名ほどの皆さんが詰め込まれていた。
もう熱気がムンムン。
会議後は、近場の居酒屋で懇親会。ここも会場が狭いこともあり、またも熱気でムンムン。
この推進会議のことはまた別途詳しく書こうと思うけど、「職サークル」の意義を認めてくださり、自社の新卒採用のなかで「選ぶだけの採用から育てる採用」へのシフトをとってくださろうとしている熱い人事担当者のみなさんに最大級の感謝なのである。
さて、本日はすでに金曜日。
毎週のことだが、今週こそは本当にあっという間だったな。しかも、一日も欠かさず会食が入っていた(あ、今夜もだ)。
来週はお盆ウィークなので、外出も控えめ。じっくり籠ることにする。
本日は決算報告のための最終仕上げを行う予定だ。株主の皆様には、来週の中ごろには正式なご報告をしたいと思っている。
ということで、もう一息がんばりましょう!
新富町の良さを再発見した日
2010年8月5日 (木曜日)
昨夜は、某業界団体の専務理事と、その奥様と、僕の3名で、新富町ツアー(?)を行った。
その某業界団体は新富町に事務所が置かれているのだが、この春に赴任したばかりの専務理事は新富町という土地に不案内であり、以前から、「クギちゃん、こんど新富町のお店を紹介してよ」とお願いされていたのだ。
何を隠そう(隠しているわけでもないが)、この専務理事も、そして奥さんも、僕と同い年である。しかも専務理事は、前職では某大企業の採用責任者を務めていたこともあり、旧知の間柄。でもいまは、いっさいのしがらみ抜きの単なる仲のいい「同い年のお友達」なのである。
向かったお店は、新富町の駅を出てすぐのところにある古ーいお店。60歳を優に超えていると思われる(70歳くらいかな?)熟年のご夫妻だけで経営している飲み屋さんだ。
一階にはカウンターが数席と4人掛けのテーブルが一つあるのみ。僕らは二階に通されたのだが、最初から最後まで貸切の状態。まるで田舎の小さな民宿の食堂にいるような感覚だった。
料理がいけていた。
まぐろの刺身(厳密にはぶつ切りと中落ちですね)が一皿300円。枝豆が250円。厚揚げやてんぷらも300円程度。その他つまみ類は、ほとんどが200円~300円なのだ。しかもボリウムもたっぷりある。そして飲み物も、極めて安い。地方の名酒が、さりげなく並んでいるのだ。
会計をしてみると、三人で十分に食べて飲んだにもかかわらず、ひとり三千円でお釣りが来た。
下手な高級料理店に行くよりも(見た目は怪しくてオンボロだが)満足度抜群の店。他人には教えたくない店である。新富町、恐るべし。
この店を気分よく出たあと、もう一軒、新富町の「かの名店」に、専務理事ご夫妻をお連れした。
それは、おなじみ「スナックのろ」である。
この日記でも何回も登場している店なのだが、新富町で開業して、もう40年ほどになる。いまのママが高校生のとき、喫茶店としてスタートした店だ。その当時は若者だったお客さんも、いまはもう60歳超の方々ばかり。なかには、70歳、80歳、90歳といったお客さんも常連だったりする。内装も昭和30年代そのもの。でもとても清潔感あふれる店で、ママ手作りの料理も天下一品なのだ。
うん。やっぱり新富町恐るべしなのである。
実は専務理事は、この業界団体のトップである某大企業の副社長から、「新富町で安くて美味しいお店を探索しなさい」というミッションを与えられていたという。もう、この二つのお店を紹介するだけで、ミッション達成なのではないかな(笑)。
いやー、東京は懐が深い。新宿、渋谷、赤坂、六本木、銀座の繁華街なんかは、素人が行く街だ。
やっぱり下町にこそ、本来の東京の良さがある。
昨夜は、あらためて新富町の良さを発見した夜だった。
いっくんのママの送別会だった日
2010年8月4日 (水曜日)
パフで唯一のママさん社員だったYさんが、つい先日パフを退職した。お子さん(元気な男の子で、“いっくん”という)が来年の春から小学校にあがるのだが、このタイミングで、子育てと働き方の位置関係を見直すことにしたのだという。
できればママさん社員として居続けて欲しかったと思う一方で、いっくんのこともよく知っている僕としては、このタイミングでママとしての時間をたっぷり取りたいというYさんの気持ちもよく分かるので、ここはYさんを気持ちよく送り出してあげたいと思った。
オフィシャルな送別会は、先日会社のそばで行われたのだが、僕はそのときちょうど、Fネットの総会で大阪にいたため参加することができなかった。
そこで昨夜、Yさんのお家のそば(歩いて15分ほど)の神楽坂で、一対一の送別会を催させてもらった。
行き道、いっくんに何かプレゼントを買おうと思い、銀座の文房具屋に立ち寄ったのだが、どうもピンとくるものがない。
そこで、ちょっと足をのばして、ビックカメラ有楽町店5Fの、電子辞書コーナーに向かった。
来年から小学生になる“いっくん”。多少早いかなとも思ったのだが、漢字辞典(ひらがなを入力すると漢字に変換されるシンプルなもの)をプレゼントすることにしたのだ。ラッピングも男の子向きの包装紙を選んでもらった。
Yさんが入社したころのいっくんは、まだ2歳~3歳で、赤ちゃんをやっと卒業したばかりという感じだった。
そんないっくんを、Yさんは土曜日によく会社に連れて来ていたのだが、僕は(Yさんには仕事に専念してもらうために)いっくんを外に連れ出して、よく一緒に遊んだものだ。
そんな思い出もあり、いっくんへのプレゼントの選択には、ちょっと力が入ったのだ。
送別会のお店で、まずはこのプレゼントを渡したのだが、ことのほかYさんは喜んでくれた。よかったよかった。
それからしばし、Yさんの嫁ぎ先(老舗のてんぷら屋さん)の話や、旦那さんの仕事(僕の父親と同じ板前さん)の話や、子育ての話などなどで盛り上がった。辞めた今だからこそ聞けるパフの社員の話も傑作だったな(笑)。
ともあれYさん、3年間のパフでの仕事、お疲れさまでした。
いっくんが立派な男に成長するまで(小学校2年生までに親離れするんだっけ?)、しばし子育てに励んでくださいね。
☆☆ 追記 ☆☆
いっくんのママから、いっくんが電子辞書を見ながら書いたという「初めての漢字」が送られてきました。記念に掲載しておきます。 芸術的な漢字だ!!
18歳の夏を思い出した日
2010年8月2日 (月曜日)
本日は、8月の最初の営業日。しかも月曜日。
パフでは毎月の第一月曜日の夜、月次キックオフ(全社員参加の会議)を行うことにしている。
各チームごとに前月の振り返り、報告、連絡、相談を行う。大切な情報共有の場なのだ。
そして会議後は、全員で乾杯し、軽食をつまみながらの小宴会を事務所の会議室で行う。
短い時間ではあるが、バカ話を中心とした社員同士の懇親の場である。
本日の小宴会の司会進行は、10月から(ちゃんと9月に卒業できれば、だが)正社員となるオオハシ。
オオハシは、本日のアトラクションとして、「仕事を始めてから記憶に残っている“ひと夏のアバンチュール”」を社員に発表することを命じた。
アバンチュールって、なんだか、とてもいかがわしい単語であるのだが(笑)。
社員たちの思わぬ秘話が飛び出した。いやあ、なかなかヒットなお題である。
で、僕の番。
いちおう立場上、めったな発言はできない。
そこで当たり障りのない、18歳の夏の体験を話すことにした。
僕の18歳の夏は、九州の田舎からひとりで上京してまだ数か月のころ。夜勤のアルバイトをしながら、昼は予備校の夏期講習に通っていた。上野駅のそばにある駅弁屋で、夕方の5時くらいから翌朝の7時くらいまで、大量の駅弁づくりに励んでいたのだった。
それはアルバイトがはねて、予備校に行かなくても構わない、土曜日の朝の出来事だったと記憶している。
九州から出てきたばかりの、うぶで純粋な18歳の釘崎少年。
思い出しただけでも恥ずかしくなるようなことを告白してしまった。
さすがに、この日記にも書けないような内容なのだな、これが。
あのころは、とてつもなく貧乏だったけど、将来にはたくさんの希望や夢もあって、楽しかったよなあ……。
“ひと夏のアバンチュール”を語ったことをきかっけに、あのころのことを懐かしく思いだした49歳の夏の夜なのでありました。
8月が始まった日
2010年8月1日 (日曜日)
8月である。もう8月である。すでに8月である。
早いなあ……。
7月は、超特急で過ぎた気がする。
でも、超特急で過ぎはしたのだが、振り返るとたっくさんのことがあり、つい最近のことであっても、遠い昔の出来事のような気がするから不思議なものだ。
・会社を休業にして全社研修を行ったのは7月2日~3日だった。
・パフ史上最大のセミナー「コロンブスのたまご」を開催したのは7月9日だった。
・不覚にも、急性胃腸炎でダウンしたのは、このセミナーの前日だった。
・新潟のささかみで(11月13日のライブを宣伝するための)プロモーションビデオを撮影したのは、7月17日~18日だった。
・ふるさと就職応援ネットワークの総会と、お仕事自慢全国大会を大阪で開催したのは、7月24日だった。
・そしてお客様やパートナー会社との夜の会食は、7月の平日22日のうち15回にものぼった。
こうやって眺めてみると、確かに一ヶ月前の出来事が懐かしくさえある。「あの頃は胃腸炎で苦しんでいたよなぁ…」と、まるで若かりし頃の思い出のようである(笑)。
特に7月は、上にも書いたように、会食の数が尋常ではないくらいに多かった。会食による新たな出会いと再会と、新たな機会の発見が相次いだのだった。
そういえば、先週末の金曜日の会食もそうだった。
とある会社の幹部の方から、とある大手化学メーカーの人事労務のキーマンをご紹介いただいた。
赤坂のはずれにある、小さくてお洒落な長崎料理のお店での4人の会食。「人材」や「組織」や「教育」や「世の中」のことを話題にして熱い議論が繰り広げられた。気がつけば閉店時間。まるまる4時間も話をしていた。
こういう会食というのは、とても心地が良い。7月は、初めて(あるいは久々に)会う方々と、この種の会食が多かったのも特徴的なことだった。
さて、8月。
お盆休みを含む月なので、仕事上の会食は(特に2週目以降は)少なくなってくる。少し落ち着いて、一人で過ごす夜が増えそうだ。最近自分のインプットの少なさが気になっていることもあり、本をまとめて読んでみたいと思っている。9月以降はアウトプットしなければならない場がたくさん控えているし。11月には50歳記念ライブも控えているし(笑)。
そしてパフの営業活動においては、8月はとても重要な一ヶ月となる。
多くの企業が次年度(2012年度)の新卒採用の企画を固めるタイミングがこの8月。多くのライバル会社の営業マンたちは、夏休み返上で足繁く人事担当者のところに日参している。我々の提案活動も、気を抜くことが出来ない。
ちょっと停滞気味だったNHKの龍馬伝も、いよいよ大きく動き出した。8月末には、ついに薩長同盟が結ばれるようだしね。
猛暑が続く8月であるが、「大事」のために、大切なカギを握るそれぞれの夏となりそうだ。
面白い組み合わせだった日
2010年7月30日 (金曜日)
昨日は、朝から来客、面談、打ち合わせ、面談、面談と続き、気がつけば夕刻。あっというまに日中の時間が過ぎてしまった。
17時半過ぎに池袋に向かう。
某一部上場企業B社の社長と、そのグループ子会社R社の社長との会食である。
R社は最近パフと取引を開始してくださったお客様。B社とは現在はまだ取引がない。が、B社の社長は古くから(27年前から)の付き合いだということもあり、一緒に食事をすることになった。
R社の社長は社長とはいえ、B社の社長からみると部下なのである。B社の社長からいろいろと突っ込まれている。そして僕はB社の社長に対しては基本タメ口なのである。でも、僕にとってR社の社長は、お客様企業の社長なのでタメ口というわけにはいかない。基本敬語なのである。
この関係がなんとも面白かったのだ。
話の内容もなかなか興味深いもので、我々が日ごろ消費者として接している業界の裏側の話がふんだんに飛び出してきた。「へぇー、そうなんだ!」 「なあるほどねぇー……」という感じ。
そして終盤、パフの若手社員をB社に対して期間限定で(教育の一環で)出向させてみようか、なんていう案も飛び出したり。これは実は結構、現実味があったりする。
ぜんぜん詳しい話が書けなくて申し訳ないのだが、ともかくも面白い組み合わせの会食だったということで……。
さて、きょうは金曜日。そして7月の最終営業日でもある。いやー、早いなー。
と、本日のスケジュールを確認してみると、あれれ、朝8時から面談が入っている。そして一日ぎっしり予定が詰まってしまっている。
やばい!! そろそろ出かける準備をしなければ。
ではそういうことで、行って来ます。