パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

クライマーズ・ハイを観た日

2008年7月12日 (土曜日)

盟友、shimozono社長のブログに触発されて、映画クライマーズ・ハイを観てきた。場所はおなじみ、豊洲のユナイテッドシネマである。

約2時間半の長い映画だったのだが、あっという間に終わったという感じだ。とても面白かったし、感動もしたのだが、反面、ちょっと物足りない気がした。

NHKのドラマにもなっているらしい(DVD化されているらしい)ので、そちらも今度観てみることにしよう。また、原作本(横山秀夫著)も読んでみることにしよう。

1985年8月12日は、僕もよく覚えている。社会人になって2年目(リクルート時代を入れると3年目)の夏で、やっとSEの仕事に慣れてきた頃だった。夜、テレビで第一報を見て「えっ?」と、ちょっと信じられなかった。その後の、新聞、テレビ、写真週刊誌などの凄まじい取材合戦も、記憶に新しい。

あれから、もう23年も経ってしまったのか。

映画のラストのほうで、乗客が必死に機内で書いた、息子あての手紙を(記者役の堺雅人が)読んでいた。感極まった。事故の悲惨さを語り継ぐためには、一人ひとりの生き様や死に様を、マスコミが執拗に追いかけるのも必要なのかもしれないと感じたりもした。

そういえば、同じく堺雅人扮する記者が書いた、現場の状況を描写する原稿も秀逸だった。死に物狂いで現場を這いずりまわって、一本の記事を締め切りまでに書きあげようとする記者の執念も、よく表現できていたと思う。

映画を観終わった後の「物足りなさ」は、この映画の良さの裏返しかもしれない。久々に東映の映画を鑑賞したが、東映っぽい、東映ならではの、社会派・硬派映画だった。

東映さん、いい映画をありがとうございました!!

この秋から正式にWeb上に開校する、 「職学校web」 。校長先生は、この僕である。

この「職学校」には、校訓がちゃんとある。以下、貼り付けてみよう。 

 

校 訓  「職業に貴賎なし」

君が就いた職業が何であったとしても、
君自身が一生懸命に取り組むことによって、
その職業を、かけがえのない貴い職業にすることができる。
しかし、君がひとたび君の職業に一生懸命でなくなったとき、
君の職業は賤しいものとなっていく。
いや、その前に君自身が賎しい人間となっていくのである。
職業に貴賎があるのではない。
君自身の心に貴賎があるだけだ。
職学校ではそのことに気づき、貴い心を養ってほしい。

 

 

「どうしてこの校訓が出来たのか」とか、「そもそも校長先生ってどんな人なのか」といったことを明らかにするための取材記事を、Webに載せようということになり、その取材を本日受けた。

インタビュアーは、昨年から今年にかけてパフを利用しながら就職活動を行った、獨協大学のIさん。「うまれよ塾」にも「月見塾」にも参加したことのある学生だ。

#このIさん、もし僕に息子がいたとしたなら、ぜったいお嫁さんにしてほしい女性だ。こんなお嫁さんに、「お父さん、今夜のご飯はどうしますか?」なんて言われたら、泣いて喜んでしまうと思う(と、前世代的な問題発言?)。

本日の取材記事は、月末くらいにはUPされる予定だ。インタビュアーであるIさんの姿も掲載されるはずだ。「釘さん日記」の読者の皆さんも楽しみにしていてください。

きょうは、怒涛のセミナーシリーズ第5回目だった日。テーマは、 「経営者で魅せる! 中堅企業の採用術」

本日のゲストスピーカーは、先日(7月4日)の日記でも書いたD社のS専務。差し支えないと思うので実名を明かすと、 株式会社ダイワコーポレーションの曽根専務である。

同社は曽根専務のお爺様が創業した会社。曽根専務は3代目の経営者なのだ。

きょうのセミナーのメインイベントは、この曽根専務と僕との対談。そして後半は、中小企業への入社を決意した大学4年生にも入ってもらい、中小企業の採用について、さまざまな意見を交わした。

それにしても、曽根専務は格好いい。外見だけではない。ハートがこのうえなく格好よいのだ。甘いマスクから繰り出される言葉は、実はとても熱く、柔和さの中にも激しさがある。

売り手市場となり、大企業と比べて圧倒的に不利な状況におかれている中小企業の新卒採用。単にお金や労力をかけるだけでは、なかなか優秀な人材の採用は難しい。

中小企業の採用を成功させるには、経営者自身が採用の前面に出て行き、学生に対して熱いメッセージを送ることが必要だ。そのメッセージに共感した学生が、企業の大小や有名無名などという(働くうえでは無意味な)枠組みを超えた会社選択を行うのである。

そういう意味で、そのことを実践している曽根専務のお話は、説得力にあふれていた。

ご参加いただいた中小企業の人事担当者のみなさんにとっても、大きな励みになったのではないだろうか。

曽根専務、本日はお忙しい中、ホントにありがとうございました!!

それから勇気をもって、自分自身の就職活動を語ってくれたHくんとツッチー。ご苦労さんでした。乗り越えなければならない壁はまだまだあるかもしれないけど、社会に巣立つための試練。もう一息、頑張っていこう!!

本日も夕方から企業向けセミナー。これで4回目。怒涛のシリーズも、やっと折り返し地点まできた。

本日のセミナーは、パートナー企業である株式会社イー・ファルコンさんと共同で、「適性検査活用の現場から」というテーマを設定して行った。

ゲストスピーカーは、小糸工業株式会社様。知る人ぞ知る、長い歴史をもった産業用電気機械器具メーカーである。

適性検査を、ありがちな「足切り」や「選抜」のために使っているのではない。スピーカーを引き受けてくださった採用担当の課長Aさんの言葉を借りるなら、『 Side by Side 』。“ ともに歩もう! ”の精神で活用している。

僕も適性検査の世界は素人ではないのだが、この小糸工業さんの活用法はとても勉強になった。

Aさん、ホントにありがとうございました。

 

と、本日の日記のタイトルの出来事が起きたのは、実はこのセミナーのあとのこと。

席に戻り、メルマガの原稿執筆の仕事をしていた。書き終えて、きょうは早めに帰ろうかなと思っていたら、『エレベータの点検が始まります。しばらくのあいだエレベータは使えません!』の社内アナウンス。

げっ!そうだった。

まあ、しょうがない。落ち着いて原稿を書くとするか…と思っていたら、携帯に一本の電話。

旧友からの「これからちょっと一杯どう?」の誘いだった。本当にタイミングのいい奴だ。

「じゃ、30分後に昭和通りの交差点で」という約束をした。

原稿も書き終えて、約束の時間が近づいたので、執務室を出た。が!まだエレベーターは点検中。

結局、非常階段を9Fから1Fまで歩いて降りる羽目になった。当ビルの階段は、勾配がとても急で、とても怖い。実は数か月前、9Fから8Fに降りる際、転倒して、危うく大けがをするところだった。

いやあ、怖かった。

結局、無事転ぶこともなく、1Fまで降りることができたのだが、あらためて普段「当然のようにあるもの」が「突然なくなった」ときの不便さを思い知った出来事だった。

・・・後半、どうでもいいことで、日記のスペースを埋めてしまいました。失礼しました!

先週の木曜日から始まった、怒涛の企業向けセミナーシリーズ。きょう、その第三回目が行われた。

本日のテーマは、 「有名企業に負けない! 学生の心を掴む採用」 。ゲストスピーカーを、株式会社システムイオの採用担当者Sさんに引き受けていただいた。

いやあ、マイッタ。すごい。掴んだのは、学生の心だけではなく、セミナーに参加された企業の担当者の皆さんの心。さらに言うなら、僕の心である。

何がすごいって、Sさんご自身が、である。

差別化しにくい業界。イメージのよくない(勘違いや誤解によるものだが)職種。知名度の低い社名……。

そんな厳しい環境下であるにもかかわらず、きっちりとした戦略と信念のもと、採用活動を行っている。しかも、創意工夫に溢れている。それから(これが同社の採用がうまく進んでいる最も大きな原因だと思うのだが)、Sさんの、終始にこやかで穏やかで相手を包み込んでしまうような、人柄

ご本人は自分自身を「未熟者」と謙遜するが、とんでもない。Sさんが採用担当者だからこそ、同社の採用はうまくいってるのだと思った。

いっぽうで、同社への営業を担当者しているパフのタシロがまたいい。自分の会社の人間を、公のブログのなかで褒めるのもどうかと思うが、奴はとても良い仕事をしているということが分かった。同社の採用プランニングや、企画遂行の大事な部分を、奴は任されており、しかも、Sさんと一緒に、パフのサービスメニューにはない独自の企画を何本も立ち上げていた。

「タシロ、おまえ、こんな斬新な、いい企画やってるんだから、もうちっとは社内にアピールしろよなっ!!」

いずれにしろ同社の採用は、Sさんとタシロとの、相互の強い信頼関係のもとに成り立っているんだなぁということが分かって、とても嬉しかった。

#セミナー後に聞いて初めて知ったのであるが、Sさんは、タシロの出身大学の先輩らしい。それも信頼関係を強くしている理由のひとつかな?

Sさん、本日はホントにありがとうございました。今後も大学の後輩のタシロを、どうかよろしくお願いいたします。

7月7日である。七夕である。北海道・洞爺湖ではサミットが始まった。

東京、築地にあるパフのセミナールーム(ミレニアム築地8F)では、七夕ともサミットとも、いっさい何の関係もない連中の集まりが開かれた。

今年パフを使って就職活動を行った大学4年生(と修士2年生)と、これから就職活動を始める大学3年生との交流会である。

パフの社員も含めて10数名の小規模な集まりだったのだが、びっくりしたことがあった。

参加者のひとり、大学3年生のM君のお父さんは、なんとパフの創業時(いまから10年前)にお世話になった特許事務所の所長さんだったのだ。

「えー、そうだったんだあ!」

と、縁の不思議さにびっくりしたものだ。

M君が、お父さんに、「パフって知ってる?」と聞いたら、「あぁ、知ってるよ」という会話が家庭でなされたという。

M君のお父さんと最初にお会いしたのは、ちょうど10年前の七夕のころだったと記憶している。日々汗まみれになりながら、悪戦苦闘していたころだった。

七夕は1年に一回の再会だが、こちらは10年ぶりの、世代をバトンしたうえでの再会である。

10年も会社をやってると、このような出会いもあるんだなあ…と、感慨深くなった日だった。

2004年に大学院を卒業して社会に巣立ったパフの会員に、K君という(元)学生がいる。

東京の超名門中学・高校を卒業し、東大(理系)に入学し、東大大学院修了ののち世界的に活躍するメーカーで研究職に就いた。

こう書くと、いかにも「凄いやつ、近寄りにくいやつ」のように聞こえるが、実際のK君は、ぜんぜん違う。人懐っこくて、人間臭くて、むちゃくちゃいいやつ。

K君は学部(大学3年生)の時も就職活動を行っており、そのときからすでにパフの会員だった。つまり、3年生だった2000年秋から、就職が正式に決まる修士2年の2003年秋まで。まるまる3年間、ずっとパフのメルマガやサイトを利用してくれていたわけだ。

いつから僕とK君と親しくなったのかは記憶にないが、気がつけばK君は、パフのイベントやら飲み会に顔を出すようになっていた。

そのK君から先日メールが届いたので、きょうは(日曜日でジムに行ったことくらいしかネタがないので)、そのメールを紹介しようと思う。K君にももちろん「ある日、突然載せるからね!」と了解をもらっている。

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釘崎さん、吉川さん、伊藤さん

大変ご無沙汰しております。Kです。

筆不精ですみません・・・。

パフの皆さんはその後お変わりないでしょうか?

先日久しぶりにWebサイトを拝見したところ、様変わりしていて驚きました!

もう最終回が終わってしまっていますが、月刊パフin movieではパフの活力をリアルに感じることができ、なんだかウキウキしてしまいました。

最後にお会いしたのは、恵比寿でのパフ会社説明会(2006年?)でしょうか。

定期的に状況をご報告します、と申し上げたにもかかわらず報告を怠ってしまい申し訳ありません。

その後の変化と近況をご報告させてください。

・○○社に入社以降、3年間○○の開発に従事し、2つの製品を市場に出すことができました。

・自身の希望で、社内公募制度を使って昨年2月に人事に異動しました。

・人事では一通りの業務を経験させてもらっている最中で、今月からシンガポールにあるアジア統括オフィスに勤務しています。

・子供が生まれまして今1歳半です。可愛い盛りですが、単身赴任なので寂しい限りです。

今はシンガポールですが、12月には日本に戻って東京××の本社勤務になります。

非常にお忙しいシーズンとは思いますが、もしお邪魔でないようであれば遊びに行きたいと思っています。

またご連絡いたします!

K

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なんとK君は、自ら希望して人事の仕事に就いているという(しかもシンガポールだというから、さすがグローバル企業だ)。人事の仕事を希望したというのは、少なからず、かつてパフと交流していたことが影響しているのかもしれない。

そして僕が、「日記に載せちゃうぞ」と書いたメールにK君は以下のような返事を送ってきた。

—–

釘崎さん

お返事有り難うございました!ぜひ遊びにいかせて頂きます。

日本に戻ったらすぐご連絡いたします。

まだ築地のオフィスも拝見していないですし、とっても楽しみです!

あの「釘さん日記」に出していただけるとは!!嬉しいかぎりです。

会社・ブランド・個人名が出なければ何の問題もありませんので、

ぜひお願いいたします。

K

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ということでK君、ちゃんと載せたからね♪

そういえばK君とヨシカワと3人で行った(ちょっとお洒落な)お寿司やさん覚えてる?あの寿司屋のビルの8Fと9Fが、いまのパフのオフィスなんだよ。昔の月島のビルと比べたら、ずいぶん大きくなったよ。そのぶん家賃も高くてヒーヒーだけど(苦笑)。

では、シンガポールからの帰国を楽しみに待ってます!