パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

パフの強力なパートナー会社に、「あひる部長」と呼ばれている名物部長がいる(またの名を「お兄ちゃん」ともいう)。

その、あひる部長には、うちの若い連中が仕事だけではなく、遊びや、異性との付き合い方や、その他ありとあらゆる(いわば人生そのものについての)指導を広く受けている。ご飯などもよくご馳走になっている。うちの若い連中にとって、あひる部長は、本当に良き「お兄ちゃん」なのだ。

そこで今夕は僕が、日ごろの感謝の気持ちを込めて、築地の美味しいお寿司をご馳走させてもらうことになった。僕が、あひる部長と差しで食事をするのは、たぶん初めてじゃなかったかな?

あひる部長は僕より10歳下であるにもかかわらず、人生経験が非常に豊富で、真面目な話、くだけた話で盛り上がった。

当然、フォークソングの話題にも及んだ。あひる部長も、この分野には深い造詣をお持ちだ。先日のささかみライブも、知人の結婚式とかぶってさえいなければ参加したかったとのことで、すべての演奏曲はチェックしていたのだという。

「ところで釘さん、釘さんが日本のアーティストで5人だけ選ぶとしたら、誰を選びます?」

こんな質問を突然受けた。

いままでそんなことを考えたことがなかったのだが、思いつくままにアーティストの名前をあげた。

・小椋佳

・谷村新司

・さだまさし

・松山千春

まずは、この4人のアーティストの名前が僕の口から出てきた。

あひる部長には、この顔ぶれが、ちょっと意外だったらしく、もっと他の名前(たとえば財津和夫とか、中島みゆきとか)が先に出てくると思ったという。

上のアーティストは、曲や詩や唄が好きなのはもちろんなのだが、「生き様」が好きだったりするのだ。若いころはかなりの影響を受けていた。

そして「残りひとりは?」と聞かれて、答えに窮した。考えれば考えるほど、はずせない(絶対にはずしたくない)アーティストの名前が出てくる。財津和夫や中島みゆきはもちろんのこと、小田和正や、井上陽水や、吉田拓郎や、ビリーバンバンや、加藤和彦や、長渕剛などなどなど……。20人くらいは簡単に浮かんでくる。先にあげた4人のアーティストとの差もほとんどないくらいだ。

なので、あひる部長には「いや、5人目は選ばないことにします。5人目を選んだとたんに、その他大勢のアーティストを失うような気持ちになるので」と答えたのだ。

そのことが、あひる部長の琴線に触れたのか、しばしアーティスト談義が続いたあと、衝撃的な事実があきらかにされた。実は、あひる部長は、僕が上にあげたビッグアーティスト(誰だかは言えませんが)のご子息夫婦と親交があったのだ。もっと詳しくいうならば、このご子息夫婦は、つい一ケ月前に結婚したばかりの新婚さんで、その披露宴にも、あひる部長は、なみいる有名人に混ざって出席していた。そしてさらに披露宴では、新郎の父であるビッグアーティストが(なんと往年の仲間たちと一緒に)生ギターで歌っていたのを、すぐ目の前で聴いたのだという。しかもその唄は、僕が「ささかみ」で熱唱した唄と同じだったのだ。

あー、びっくりした。

しかし、本当にびっくりしたのはこの後である。

あひる部長は、「釘さん、あと1時間ほど付き合ってもらってもいいですか?」と僕の都合を確かめた後、携帯電話を取り出し席をはずした。

5分ほどして戻ってきたあひる部長は、「釘さん、これから行きましょう!」と言うではないか。

「えー?まじっすか!」

いやあ、びっくりした。ご子息とはいえ、大物アーティストのご子息である。しかも、こんな夜遅い時間。ホントに大丈夫なんだろうかと思いつつも、会いたい気持ちを抑えられず、次の瞬間にはタクシーに乗っていた。

到着してびっくりしたのだが、場所は、パフからあるいて10分足らずの銀座の某所。創業時のパフの事務所からだと5分もかからない懐かしい場所でもあった。

 ここから先は、あまり詳しく書けないけど、そのビッグアーティストのご子息は、お父様の若い時とウリふたつ。お仕事はお父様の業界の事務所で、チーフコンテンツディレクターをやってらっしゃる。ご子息も芸術家なのだ。

小一時間いろんな話をさせてもらった。僕はいきなりの突然訪問なので終始、恐縮しまくりだったのだが、あひる部長は得意のトークで、すっかり場を和ませていた。

そして、とどめのびっくりは帰り際。なんとこのご子息夫妻の結婚披露宴のときの引き出物を、プレゼントにいただいてしまったのだ。しかも、新婚旅行のお土産もプラスされて。

いやー、本当にびっくりした。まさか、あの大物アーティストのご子息の新居に訪問することになろうとは思いもしなかった。

それにしても、あひる部長おそるべし。

まだまだ書き留めておきたいことがいっぱいあるのだが、そろそろ出勤時間が近づいたので、きょうのところはこのへんで。

あひる部長、昨夜はありがとうございました!!

いま「釘さん日記」の管理画面をみてみたら、昨日から急にアクセスが増えていた。何があったのかなとアクセス元を調べたら、常見陽平さんが僕のブログを紹介してくれていたのが原因だった。

常見さん、影響力あるなー。AERAにも美人妻とのツーショットがいい感じで掲載されていたし。いや、まじめに素晴らしい写真でしたよ。

常見さんが紹介してくれたのは2つ。ひとつは昨日徹夜明けに書いたタイガーマスクのコラムに関すること。もうひとつは、昨年の今頃、就職人気ランキングのことを批判したこの日記 ⇒ 「就職人気企業ランキングのことを書く日」

あいかわらず就職人気ランキングを高めることをモチベーションにしてらっしゃる採用担当者も多いのだけれど、そして気になるのも分かるのだけれども、みんなで無視する(あるいは、あんなの意味がない!と声を上げる)のもいいんじゃないかと思う。

ところで、タイガーマスクのことを書いたコラムを以下、転載しておこう。

コラムの中では書けなかったのだが、タイガーマスクをはじめとする昔のヒーローたちに僕らが共感したのは、単に正義の味方だったり、カッコよかったりという理由だけではない。

彼らは皆、「苦悩」していたのだ。人間の弱さと必死に戦っていたからなのだ。だから僕らは感情を移入しながら、頑張ってくれ、勝ってくれ!と応援しながら観ていたのだ。

では以下、「どげえするんか?」よりの転載です。

 

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【01】釘崎の「どげえするんか?」

 第47回 タイガーマスクを、見習ってみんか?

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  パフ代表釘崎が、現在の採用市場、就職活動、世の中のあれこれについて、

   日々感じることを徒然なるままにお届けします。

  ※「どげえするんか?」=大分弁で「どうするんだ? どうしたいんだ?」

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  寒い日が続いていますが、心の温かくなるニュースが、この3連休のテレビ

 や新聞で報道されていました。

 

 そうです。タイガーマスクです。

 

 養護施設で暮らす児童たち。特にこの春、新小学一年生になる子供たちに、

 ランドセルや文房具やお金を寄付しているのです。

 

 しかも、全国いろんなところで……。

 

 昨年のクリスマスに、群馬県前橋市で確認されたのを皮切りに、これまでに

 全国14か所で確認されているそうです。

 

 全員がタイガーマスクである伊達直人(だてなおと)を名乗っているという

 ことですが、もちろん全員、本名ではありません。

 

 また、全国14か所のタイガーマスク(伊達直人)は、(たぶん)同一人物で

 もありません。

 

 前橋の「タイガーマスク第一号」に影響を受けた全国のタイガーマスクたち

 が、続々と立ち上がったのでしょう。

 

 昨年のクリスマスのニュースを聞いたときにも、「へー、なかなかやるなあ」

 と感心したものですが、この連日のニュースを聞くにつけ、感心から、すっ

 かり感動に変化しました。

 

 ☆☆☆

 

 この(タイガーマスクが全国各地に続出しているという)ニュースを聞いて

 すぐに思い浮かんだのが、『ペイ・フォワード』という映画です。

 

   ・・・・・

 

   人から受けた親切を、その人に返す(Pay Back)のではなく、次の人

   に渡す(Pay it Forward)ことで、次々と善意の輪が広がる。自分が

   行った親切に対して見返りを求めるのではなく「次に渡してほしい」

   と、ただ願うだけ。

 

   そうすることで、ついには世界をも変えることができる。世界中を温

   かい人の善意の心で包み込むことができるはず。

 

   ・・・・・

 

 『ペイ・フォワード』は、こう信じた主人公の少年が、心に傷を負った大人

 たちを癒していく、という映画でした。

 

 ☆☆☆ 

 

 私たちは、何か行動を起こすとき「それは自分にとって、どんな見返り(メ

 リット)があるのか」と先に考えてしまうことが多いのではないでしょうか。

 

 効率的な仕事や、合理的な考え方が求められるビジネス社会において、それ

 はある意味、自然な思考なのかもしれません。

 

 しかし、それが行きすぎると、「私は、あの人にこんなによくしてあげてい

 るのに、あの人は私に何も返してくれない…」といったような、恨みや怒り

 にも似た、寂しい感情に支配されることになります。

 

 ひょっとすると、いまの世の中を支配している閉塞感は、こういうところか

 ら生み出されてしまったのではないかと思えてきます。

 

 「行動しても見返りがないのであれば、何もしないほうが得だ」という考え

 が、私たちのどこかに巣食っているような気がします。

 

 ☆☆☆ 

 

 そんな私たちに「爽快なる往復ビンタ」をくれたのが、今般のタイガーマス

 クでした。なぜなら今般のタイガーマスクは、完全なる匿名での行為で、何

 の見返りも求めていないからです。

 

 推測ですが、全国に続出中のタイガーマスクは、私とほぼ同年代(あるいは

 少し上)ではなかろうかと思います。

 

 私たちが小学生だったころ、クラスのほぼ全員がブラウン管に食い入るよう

 に、タイガーマスクのテレビアニメを観ていました。

 

 毎週、番組最初のテーマソング(行けっ行けっ、タイガー、タイガー、タイ

 ガーマースークー♪)に胸躍らせて、番組最後のエンディングテーマ(温か

 いー人のー情けーもー、胸を打つー熱いー涙もー♪)で涙を流していました。

 

 私たちは、このテレビアニメで、人が人を思いやる大切さを学んでいたよう

 に思います。

 

 

 「強いものは、弱いものを助けるものだ」

 

 「大人たちは、子供たちを見守り育てるものだ」

 

 「何よりも大切にしなければならないのは、正義だ。どんな苦境に陥っても、

  フェアプレイだけは失ってはいけない」

 

 

 そんなメッセージを、このテレビアニメから強く受け取ったのが私たちの世

 代なのです。

 

 だから、今般のタイガーマスクたちは、40代後半から50代半ばくらいの年齢

 なのではないかと思うのです。あのころ、私たちに夢や希望を与えてくれた

 タイガーマスク。私たちに、人としての大切なことを教えてくれたタイガー

 マスク。そんなタイガーマスクを、もういちど世の中に復活させたいと考え

 たのではないかと思うのです。

 

 私も、いつかどこかで、タイガーマスクになってみたいと思うこのごろです。

 

 

 ☆☆☆

 

 【今回のどげえするんか?】

 

  いやあ、素敵やのう、タイガーマスク! 本当に偉いで、タイガーは……。

 

  タイガーの今回の善意によって、ランドセルや文房具をもろた子どもたち

  は、きっと大人になったら、タイガーのような優しくて勇気のある大人に

  なってくれるんやないかと思うよ。

 

  そういう意味では、40年前、テレビアニメの制作に携わったスタッフの皆

  さんも偉かった。あん人たちがおったけん、今般のタイガーマスクがおる

  んやもんな。いやあ、40年の歳月を経て繋がるもんやのー。

  

  さあ、あんたはどげえする?どげえするんか?

 

 

   ★ ご感想お待ちしております ★

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   └→ http://puff.weblogs.jp/mag_list/2011/01/vol76.html#comments

 

 

ついさっきまで、本日の午後配信のメルマガ中のコラム、「どげえするんか」を執筆していた。

今回のテーマは「タイガーマスク」だ。

この数日間、テレビや新聞のニュースで持ちきりだった。

僕も小学生のころ、タイガーマスクが好きで好きでたまらなかった。いや、タイガーマスクそのものではなく、タイガーマスクの物語が好きだったのだ。

そんなわけで、思わずタイガーマスクの話題を書いてしまった。読む人(社会人向けメルマガなので、企業の人事担当者が多い)には面白いと感じてもらえるかなあ。

そういえば、常見陽平さんの本日のブログにもタイガーマスクが登場していた。なんだか嬉しいな。

でも常見さんって、まだ40歳になっていないので、タイガーマスクをリアルタイムでは観たことがない世代ではないかな(タイガーマスクは1970年前後に放映されていた)。とはいえプロレスファン(いや、プロレスラーそのものか?)の常見さん。共感するところ大だったんだろうな、きっと。

僕のメルマガのコラムは、睡魔に襲われながら書いたので、もう一回くらい見直さないと駄目だな。

あー、それにしても、どうしよう。完全なる徹夜になってしまった。

現在、朝の6時過ぎ。当然のごとく早朝ランニングはお休み。30分くらい仮眠しようかしら。

徹夜でとある仕事をしていたわけだけど、この徹夜の見返りを求めてはいけない。タイガーマスクに怒られてしまう。・・・なんのこっちゃ(苦笑)。

ということで、ちょっとだけおやすみなさいZZZ。

 

やっと走った日

2011年1月10日 (月曜日)

世の中は3連休である。この3連休は、一カ月後に迫った神奈川マラソンに備えて、早朝の走りこみを行おうと思っていた。

が。

情けないことに、土曜日も、日曜日も、走ることが出来なかった。というより、朝起きることが出来なかった。

土曜日は、目覚まし時計のアラーム音にまったく気がつかなかった。日曜日は、気がついた(ような気がする)のだが、「もう少し」と思って寝なおしたら、すでに関口宏のサンデーモーニングが始まっていた(そこから走ればいいんだけど、王さんが出演していたので、ついついテレビを観てしまった)。

ちょっと自己嫌悪。やろうとしたことをやれなかった。意志の弱さだな。昨日は少々落ち込んだ。

で、代わりに足に(両足で)2Kgのおもりを付けてウォーキングをしたりしたのだが、やっぱり早起きをやり直すことはできず虚しかった。

そして3連休最終日の本日。

やっと早起き&早朝ランニングに成功した。

今朝は、なんとこの冬いちばんの冷え込み。走りだしは、確かに寒くはあったのだが、5分も走ると、もうカラダはポカポカ。

月島から新豊洲まで、往復で約5Kmほどの距離なのだが、約30分、いい汗を流した。下は走っている途中に(晴海から新豊洲に渡る橋の上で)撮った日の出前の東の空である。

日の出前 

さて、本日はこのあとパフの二人のT田との打ち合わせを行なう。そのあと仕事の宿題もたっぷり。個人的に溜めていることもたっぷり。3連休最後の日は、悔いなく有意義に過ごそう!!

初日の出を見た朝

2011年1月7日 (金曜日)

1月7日、朝。ついにマラソンランナーとしての年が明けた。大晦日の朝、レインボーブリッジ往復を走って以来中断していた早朝ランニングが、今朝、ついに再開された。

いやー、寒かった。しかし、気持ちよかった。

朝6時59分。運河の橋の上。僕にとっての初日の出が現れた。

初日の出 

美しい。思わず手を合わせた。

今年もいいことがありますように。2月のハーフマラソンで完走し、タカタに負けませんように(苦笑)。

 

ところで昨日は、第15期下期のキックオフミーティングが行なわれた。午後1時から7時まで、ワークや議論を中心としての会議だった。

問題・課題は山積しているが、皆前向きである。なんとか力を合わせてハードルを越えなきゃ。

帰りは某キーカンパニー社の某下やんと打ち合わせ。そこでは新ビジネス構想の議論。ここで、世の中を変えるかもしれないワクワク構想が浮上する。まさに「コロンブスのたまご」。内容についてはまだ誰にも言えないけど、これは確かに、パフにしかできないことかも。楽しみだ。

さて、ではそろそろ出かけるとするかな。

あ、朝日新聞を買ってこなきゃ。

では行ってきます!

昨日は2011年の仕事始めだった。

朝っぱらからちょっとしたアクシデントがあったのだが、無事なんとか乗り切る。やっぱり今年も運がいい。

朝礼。恒例の年頭の社長スピーチを行う。今年のスピーチ原稿には、いつにも増して、赤と黒と純と益の文字が多かったかも(苦笑)。

その後、社員全員で築地の波除神社へ。キーカンパニー社と2社合同で行う団体参拝。2社合同というのも、なかなか趣があっていいもんだ。でも、下薗社長と2人並んで柏(かしわ)手を打つのに、微妙に息が合わなかったかも。MSPの練習をそろそろ再開させろ、という神のお告げかもしれない。これまた運がいい(笑)。

おみくじを引く。末吉。今年は、次第次第に運が開けて行くのだそうだ。やっぱり運がいい。

会社に戻ってすぐに来客。学生時代からお付き合いのある某社の社会人10年目(だったかな?)の女性幹部社員Mさん。今年から、あらたな門出を迎えることになり、そのご挨拶のために来社された。Mさんも、仕事始め早々パフに来社したことで、きっと運が良くなるはず。がんばってね!

お昼。パートナーであり旧友のW氏とランチミーティング。経営を預かる者としての、なかなか真面目な相談もあった。ここらへんから正月休みのボッとした頭が、完全に仕事モードに切り替わる。運がいい…というか、あたりまえですな(苦笑)。

社に戻り、軽い打ち合わせの後、いただいた年賀状を読む。たくさんいただいてしまった。パフは会社としての年賀状を廃止しているので(年賀メールと「パフ新聞」をお送りすることにしている)、多少の切なさがある。自筆でメッセージをいただいている方々には、せめてメールで、お一人お一人に、ご挨拶を書こうと思う。それでもたくさんいらっしゃって、まだまだ途中です。申し訳ありません。

ありがたいことに、年賀メールへのお返事もたくさん頂戴した。こちらからは自動送信の一斉配信メール(つまりメルマガと同じ)だったにもかかわらず、お返事をいただけていることに感謝。僕からもさらなるお返事を出来る限りしたいと思い書き始める。上に同じくまだまだ途中です。申し訳ありません。

そして日が沈んでから、上期決算の数字まとめと、下期の数字シミュレーションに突入する。頭の中が数字だらけになる。むむむっという緊張感も走る。

帰宅は午前様。しかし、家に帰っても仕事モードから抜け切れず、あれやこれやと様々な妄想を膨らませる。

気がつけばこの時間(午前4時まえ)だ。

そして慌てて日記を書き始め、現在に至るというわけだ。

そうなのだ。せっかく習慣化させていた早寝早起きを、仕事始めの日から放棄することになってしまった。いかんいかん。

明日からは(もう今夜だな)きちんと夜12時までには床につくことにしよう。そして朝日を見ながらの早朝ランニングを復活させるのだ。そして本物の運を引き寄せ、あと一カ月後に迫ったハーフマラソンを、なんとしても制限時間内に走りきるのだ。

ということで健康第一。さすがに少しは寝ることにしましょう。

おやすみなさいZZZ。

2011年も4日目になってしまった。

遅ればせながら…

あけましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいいたします。

以下は社会人向けメルマガをお読みいただいている方々にお送りした新年のご挨拶です。「釘さん日記」読者の皆様に向けても以下、転載させていただきます。

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新年あけましておめでとうございます。旧年中は、たいへんお世話になり、ありがとうございました。

 「私たち大人には、キミたち若者と正面から向き合い、社会で働くということを伝える義務と責任があるんだ!!」

 昨年の12月19日に開催した「職サークル」の活動報告イベントの寸劇のなかで、大田区の中小企業・鈴木工業の鈴木社長が、悩める学生にビンタした後に語った台詞です。

 すべての社会人が、鈴木社長のような熱い言葉を、目の前のすべての若者たちに胸を張って語れるような世の中。素敵ですよね。私たちは、そんな世の中をつくっていきたいと考えています。

 2011年が、皆様にとって素晴らしい一年でありますように。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

 2011年元旦   株式会社パフ 代表取締役社長 釘崎清秀

 ★ “2010年を振り返るパフ5大ニュース”パフ新聞 ★

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⇒ http://eace.jp/peace-images/upload/actual/files/351322/yua685.pdf

 昨年1年間を振り返り、パフで起こった出来事を新聞としてまとめました。

 2010年創刊号が大好評でしたので、今回第2号の発行となりました。

 お仕事の合間にご笑覧ください。

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※新年は1月5日(水)より営業いたしております。

株式会社パフ  / Puff co.,Ltd  http://www.puff.co.jp

〒104-0045 東京都中央区築地2-15-19 ミレニアム築地9F

TEL:03-3547-5195 FAX:03-3547-5307

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この正月は、僕が小学校、中学校時代を過ごした、大分県の湯布院に帰省していた。

湯布院は、僕が小学校に入学する前の年の晩秋(1966年11月)、親父の仕事の関係で(温泉旅館で板前をやるため)、熊本から一家そろって引っ越してきた町だ。

以来、僕が中学校を卒業する1976年3月までの約9年間、この湯布院で暮らしていた。

たかだか9年間ではあるが、小学校の6年間と中学校の3年間というのは、僕という人格が形成されるうえで、もっとも重要な年月だったように思う。特に、中学校の3年間というのは多感な思春期でもあり、同級生や恩師からたくさんの影響を受けた。

その影響をたくさん受け取った湯布院中学校の同窓会に参加するのが、今回の帰省のイチバンの目的だった。

かつて15歳だった同級生たちが、今はみんな50歳。

でも再会した旧友たちは、(外見は変わっても中身は)昔のままだ。35年ぶりに会う旧友もいた。嬉しかったな。

さらに嬉しかったのは、恩師の先生方が4人も来てくださったことだ。僕らのクラス(3年1組)の担任の先生(中島先生)は残念ながら3年前に他界してしまったのだが、他のクラス・教科の先生方はお元気で、昔懐かしい話をたくさんさせてもらった。

僕らの時代は、生徒と先生、親と先生の間の絆・信頼関係は、いまの時代と比べ物にならないくらいに強固だった。お尻を鞭で叩かれたり、往復ビンタを食らったりしても、それで文句を言う親など誰もいなかった。もちろん教育委員会で問題になることなどもなかった。先生方は、カラダを張って僕らと向き合ってくれていたわけで、僕らにはそれがよく分かっていた。だから、ビンタで頬が腫れても、鞭でお尻に青筋ができても、僕らには納得感があった。むしろ愛が感じられ、幸福な気持ちになったものだ。

古き良き時代と言ってしまえばそれまでだが、あのころ確かにあったものを、今の時代にまた取り戻す必要があるんじゃないかと思うのだ。

ところで、もともと湯布院は寒いところなのだが、今年の冬は一段と寒かった。雪もすごく、道路が通行止めになってしまっていた。福岡経由で高速バスに乗るはずだったのだが、運行中止になってしまい、急きょディーゼル車を使って帰ったのだった。東京を出発してから湯布院に到着するまで13時間を要した。苦労した帰省だけに、同窓会が一段と意味あるものに思えた。

 
さて、2011年。21世紀に突入して早10年が経過したわけだ。どんな年にしていこう。やっぱりキーワードは、人と人との繋がりのような気がする。そういう意味では、僕らの仕事はますます重要性を増していくはずだ。

10年後、20年後、30年後の現役世代から、評価され感謝されるような仕事をしていきたいと思う。

※以下、帰省に際して撮った写真を時系列に掲載しておきます。

 

博多に向かう新幹線のなかで撮影した富士山。いい天気だ。

冨士山 

由布院の駅前。あまりの寒さと雪の多さに、「ここは富良野か?」と思ったくらいだ。
由布院駅前の雪 

由布岳。富士山と負けず劣らず、勇壮かつ気品がある。

由布岳 (2) 

同窓会の開始。後藤先生のスピーチだ。

同窓会 

姫野と寛。

姫の 

きよさんと潤一郎。

きよさん 

さて、明日は冬休み最後の日。頭をそろそろ仕事モードに切り替えるとするかな。