自分で自分に内定を出す。
2019年7月19日 (金曜日)
パフの新卒採用では、10年ほど前から内定を出さないことにしています。
出すのは選考結果のみ。合格か不合格かだけです(たまに保留や条件付き合格もありますが)。
じゃ、内定出しはどうしてるのか?
はい、こうしています。
最終選考者は応募者自身であり、自分が自分に最終的な合格=内定を出すようにしてもらっています。
自分自身に内定を出せるか否か。自分を、この会社の仲間として認めてあげられるかどうか。とことん考えて結論を出してもらいます。
「それって単なる内定承諾じゃん」と思われるかもしれませんが、ぜんぜん違います。
「あなたがどうしても来て欲しいっていうんなら、しょうがない、分かりました。そのオファーをお受けしましょう」。これが内定承諾です。主体が自分ではなく相手(内定を出した会社)にあります。内定者はそれに応えるかどうか。つまり客体になってしまいます。
一方で「自分で自分に内定を出す」という行動は自分自身が主体なのです。それだけ自分に、強い意志と覚悟と責任がなければできません。
パフの採用担当者にも、ここらへんの意味合いをキチンと理解してもらったうえで、社長面接をうっかり最終面接って言わないようにしてほしいですし、パフ側の最終段階の選考(社長面接とか)を最終選考だなんて言わないようにしてもらわないといけません。あくまで最終選考は、自分が自分に内定を出せるかどうかなので。
と、前置きが長くなりましたが、昨日は、2020採用で第一号の内定者が生まれた日なのでした。
パチパチパチパチ、おめでとう!
以下は、自分で自分に内定を出したことを全社員に宣言する、というセレモニーの風景です。
これじゃ、どこに内定者がいるのかさっぱり分かりませんね(^^;
内定者の紹介と内定に至ったプロセスについては、採用プロジェクトの誰か(カカ?グリ?グラ?)が、そのうちスタッフブログで紹介してくれることでしょう。
さあ、パフの採用枠は残1名。どんな人が自分で自分に内定を出すのでしょうか。来年の4月までまだ8か月以上もあります。気長に待つことといたしましょう。
では、これからピアノを5分ほど練習して、朝食&なつぞら後、行ってきます!
今朝も雨が止んだ隙に走ってきましたよ!
若者たちとの飲み会
2019年7月18日 (木曜日)
昨夜はこの若者たちとの飲み会でした。
日記読者の皆さんならきっと…分からないですよね……。
この若者たちは、去る6月19日の職サークルシンポジウムで素晴らしい演劇を披露してくれた「劇団ブラックスワンシェル」(☜スワンじゃなくてシェルでした(m´・ω・`)m ゴメン…)のみなさんです(サトミンとハスミンも混じってますがw)。
シンポジウム翌日の釘さん日記でも、当日の模様を書いてますのでご覧ください。⇒ 職サークルシンポジウム2019終了しました!
まったくのノーギャラで脚本、音楽、演出までも引き受けてくれた劇団員たちを慰労したいということで、役者として特別出演したサトミンとハスミンが昨夜の場を用意してくれたのでした。
昨夜参加した劇団員は大学二年生3名と大学四年生2名。社会人一年生のサトミン&ハスミンを入れても平均年齢は21~22歳。対する僕は今年で59歳。親子以上の(うっかりすると孫でもおかしくない)年齢差の近年まれに見る組み合わせの幸せな飲み会でした。
若者たちの将来の夢や、これからの進路に対する悩みを聞かせてもらいながら、僕からはささやかなアドバイスなんかもさせてもらったんですが、多少なりとも参考にしてもらえると嬉しいですね。
いやあ、若いって素晴らしい。大いに悩め、若者たちよ(^^)v
さて本日は…。あ、いろいろありますね。では、いつもどおり朝食&なつぞら後、行ってきます!
朝ラン。今朝は両国を走りました
11歳差の3人で過ごした半日
2019年7月17日 (水曜日)
人材研究所の曽和さんとビジネスリサーチラボの伊達さん。二人は、誰もが認める人事・採用業界の知恵袋であり、パフにとっての最良のビジネスパートナーです(まるでドラえもんのポケットみたいだって言ってる奴もいますw)。
と同時に、日本採用力検定協会の理事で、つい最近まで採用力検定の試験問題をうんうん唸りながら一緒に作った仲間でもあります。
伊達さんは、曽和さんより11歳年下。そして曽和さんは、僕より11歳年下。それぞれ結構な年齢差なんですが、それがかえっていい塩梅に作用して、仕事を進めやすくしているんじゃないかと思います。
昨日も3人で、採用力検定の公式テキストを作るための打ち合わせを出版社で行っていました。そして打ち合わせ後は、先日のシンポジウムの慰労会を築地の寿司屋で開催。仕事を終えた後のとても心地よいひとときでした。
最近つくづく思います。パフってホントいい人たちに助けられてきた会社だなって。でも、助けられてばかりじゃダメなので、多くの人たちを助けられる会社にならなきゃなとも。
僕ができることは築地の寿司をふるまうことぐらいですがw、会社としてはもっともっと力をつけなきゃいかんと思った帰り道でした。
ところで本日は、決算数字を会計士さんと一緒に確定させる日で、社員たちに支給する決算賞与の金額も確定させる予定です。僕には1円の配分もないわけですが、払えることに喜びを感じつつ、エクセルと睨めっこすることにしましょう。
では、そろそろ朝食&なつぞら後、行ってきます!
久々の平日朝ラン。朝顔がきれいですね(^_-)-☆
右脳と筋肉を鍛えた休日
2019年7月16日 (火曜日)
7月も半分が過ぎました。今月は、朝ランの走行距離目標を80kmとしていたのですが、すでに黄信号が灯っています。今月走ることができたのは16日中7日のみ。走行距離合計は25.6km。今週も雨の日が続きそうなので50km走れるかどうかというところでしょうか。
ということでこの週末は、走れない代わりに近所のジムに通って筋トレに励みました。
もともとお腹周りの贅肉をなんとかしたいとの理由で始めた朝ランだったのですが、今のところ効き目なし。複数の人から「筋肉をつけるのがいい」というアドバイスをもらっていたこともあり、昨日も一昨日も約2時間せっせとジムのマシンで体中の筋肉をイジメていました。
他には映画とピアノで右脳と指先のトレーニングにも励みました。
ピアノは、来年の「春よ来いライブ」で演奏を予定している曲の練習です。かなり難易度の高い曲なのですが、多少は進歩したように思います。
映画は、学習院さくらアカデミーで受講した「映画の中のキャリアデザイン」の復習を兼ねて、2本観ました。
ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイが主演の「マイインターン」と、ジム・キャリー主演の「イエスマン」。両映画とも面白いです。それにしても、ロバート・デ・ニーロって素敵ですね。あんな70歳を迎えられたらなあと。あと10年あるので努力しましょうか(^^;
上の2本は自宅のテレビで(Amazonプライムビデオで)観たのですが、もう1本は劇場で観た「新聞記者」。名古屋の映画コラムニストが書いていたこの記事を読んで、急きょ行くことにしました。
いい映画でした。終わった後に、Yahooのユーザーレビューを眺めると、多くの人たちが高い評価をしている一方で、少なからずの人たちが思いっきりバッシングをしているのがまた興味深かった…というか怖かったですね。
そういえば、主役の新聞記者がパフのアクネにそっくりだったのも興味深かったですね。途中から「アクネがんばれ、負けるな!」と応援しながら観ていました(笑)。
ということで今朝は、右脳と筋肉を鍛えた週末でしたという脱力日記でした。
では7月も後半戦。いつもどおり朝食&なつぞら後、行ってきます!
人の優秀さは何をもって決まるのか?
2019年7月12日 (金曜日)
これから難しいことを書こうっていうわけではありません(笑)。
日記タイトルの「人の優秀さは何をもって決まるのか」は、昨日のつきしま村塾のお題なのでした。
昨日は、学生6名(ほぼ大学2年生)+社会人3名(企業人事2名とイシガミ)+僕の10名での開催。
アイスブレーキングがてら、過去自分が「優秀だねー」と言われた経験を語ってもらい、
その後、そもそも優秀ってどんなこと(人)を言うのかを2チームに分かれて議論してもらったり、
一つのことをテーマにして語り合うには、ちょうどいい人数でした。
職サークルの名物コンテンツ「つきしま村塾」。西暦2000年からスタートしたイベントが、少しずつ姿を変えながら今も継承されているのは嬉しいものですね。僕はそろそろファシリテーターを引退したいのですが(苦笑)。
こちら昨日の参加者の集合写真です☟
さて、きょうは雨。そして金曜日。今週は大阪に行ったりしたこともあって、まだ2回しか朝ランが行えていませんが、この週末を利用してなんとか挽回したいものです。
では、(もう朝食は食べたので)なつぞら後、行ってきます!
☝昨日の朝ラン前にぶらさがった梯子?です
マー君の慰労会だった日
2019年7月11日 (木曜日)
マー君と初めて会ったのは、僕が31~32歳のころ。このときマー君は43~44歳で、某大手メーカー人事部の課長を務めていました。
人事情報システムの企画・開発・営業担当者だった僕は、マー君の会社にこのシステムを導入してもらい、しばしば浜松町の本社にも通っていました。ベラんめーで親分肌のマー君に、一回り年下の僕はとてもよくしてもらっていました。
でも、マー君は僕がパフを立ち上げるちょっと前に相模原の工場に異動してしまい離れ離れに。
それが、ある日ひょんなことからマー君と再会することになりました。このときマー君は、なんとその会社の社長さんに就任していたのです。
以来、マー君との交流が復活。この日記でもしばしば茶化しながらネタとして書かせてもらっています。
14年ぶりにマー君と再会した日 2011年3月17日 (木曜日)
器の大きな社長のマー君 2012年10月5日 (金曜日)
で、いま「マー君 釘さん」というワードで検索していたら、こんなコラム(当時のメルマガに連載していたようです)が引っかかってきました。読んでたら涙が出るくらい懐かしくなったので再掲させてもらいます。
釘さんコラム『魔法の竜のひみつ』(2012年6月に配信したパフのメルマガより引用)
●第1話『30代前半に出会った人事課長の臼井さん』
1992年の頃だったと記憶しています。
当時、人材アセスメント会社でコンピュータシステムを担当していた私は、新規事業として、従業員の個人データや、教育履歴、異動履歴などを管理するデータベースシステムの企画・開発・販売の責任者となっていました。
責任者とはいえ、仕様を作っているのも、営業を行っているのも、納品やアフターサービスを実施しているのも(最初のうちは)全部自分ひとり。プログラム開発だけは関連会社の技術者が担当していたものの、なかなかシビアでお寒い環境の中で、この新規事業は推進されていたのです。
☆☆☆
当時「人事情報システム」といえば、給与計算システムのオマケとして、大型コンピュータやオフィスコンピュータの上で動くものがほとんど。しかし、私が開発していたシステムは「パソコン」で動作する、当時としては珍しいパッケージでした。
関連会社が優れた日本語リレーショナルデータベースを所有していたこともあり、このDBをエンジンとして採用することで、比較的安価で使い勝手の良い仕組みを開発することができました。
ただ、安価とは言っても、最低1パッケージ100万円程度。そう簡単に売れるものではありません。
私は多いときは毎週のように人事担当者向けのセミナーを開催し、この人事情報システムの販売促進に勤しんでいました。
その甲斐あって、飛ぶように売れる…とまではいかなかったものの、毎月コンスタントに3社~5社ほどに、このシステムは導入されていきました。
☆☆☆
このころのセミナーに参加していたお客様で、とあるメーカーの人事課長を務める臼井さんという方がいらっしゃいました。
臼井さんはこのシステムに大いに関心を示してくださり、その後すぐに導入を決めてくださいました。
臼井さんの会社は東証一部に上場する大企業だったこともあり、まずは限られた部門だけでの試験的な導入でしたが、それでも大企業がこういうシステムを即決で導入するというのは、とても珍しいことでした。
私は後に、「競合システムがたくさんあるなかで、どうして臼井さんの会社のような大企業が、私たちのシステムを即決してくださったんですか?」と聞いたことがあります。
臼井さんのそのときの答えは、「そりゃ釘さんが信用できたからだよ。システムのことだけじゃなく、人事のことを釘さんはよく知ってたもんな。それから、『コイツは簡単には逃げない』と思ったからかな(笑)」というもの。
骨太で、いわゆる人事っぽくないベランメエ口調で語る臼井さんのこの言葉は、バブルの崩壊でシステムの販売に苦しみ始めていたころの私にとって、とても大きな励みとなるものでした。
☆☆☆
しかし、臼井さんとはそれから数年後、お別れになってしまいます。もともと技術屋さんだった臼井さんは、相模原にある工場の現場へと異動になってしまったのです。
「独断でパソコンのシステムを導入しちゃったりして、やり過ぎたのがいけなかったのかなあ…。左遷されちゃったんだろうなあ。可哀想になあ…」と、私は勝手に想像していました。
☆☆☆
時は流れ、昨年の3月上旬のこと(震災が起きる1週間ほど前でした)。日経新聞をパラパラめくっていたら、見覚えのある懐かしい顔が大きく掲載さ れているではありませんか。
名前を見ると「臼井政夫」と書いてある。間違いない。あの臼井さんだ。嬉しくなった私でしたが、紙面を見て驚いたことがひとつありました。
それは、名前のところに書いてある役職が「代表取締役社長」となっていたこと。
「え! あの臼井さん、社長になっちゃったんだ!」
人事課長時代から数えて20年。臼井さんは左遷されていたわけではなく、実は、あれよあれよと出世していたのでした。
しかし、上場企業の社長だろうが何だろうが、懐かしいものは懐かしい。私はすぐに臼井さんに連絡を取り、その2週間後には再会を果たすことになったのでした。
相変わらずのベランメエ口調の臼井さん。年齢は私より一回り上の大先輩なのですが、昔ながらのお付き合いが、その日から再開されたのでした。
人事部門出身なだけに、人材の採用や教育に熱い思いを持っている臼井さん。現役の人事担当者の方々の刺激と勉強になるのならと、「職サークル」にも、すぐさま協賛してくださいました。
☆☆☆
そして偶然ではありますが、来春、臼井さんの会社では、職サークルのイベントで出会った学生2名を事務系で採用することになりました。
20年の歳月を経て、かつてよりも太くて濃いお付き合いが、臼井さんの会社と開始されたことを、とても嬉しく感じています。
今回は、臼井さんのことだけを取り上げましたが、実はパフの周りには、このような縁と出会いがたくさんあります。
あの日、あの時、あの人と出会ったことが、10年後、20年後、30年後に大きな変化を生み出し、そのことがさらに周囲に広がって行く。
たとえば臼井さんの会社に来春入社することになった文系の新卒学生2名は、私と臼井さんとの20年前の最初の出会いと、昨年の偶然の再会がなければ、このBtoBの会社と出会うことはなかったでしょう。
人の縁とは、かくも不思議なものなのです。
「一人ひとりとの出会いを大切にしたい」というパフの想いは、こんなエピソードの一つひとつから生まれてきたのかもしれませんね。
以上、第1話でした。
実は、このマー君こと臼井さんは、社長、会長、相談役を経て、このたび50年近く務めあげた会社を引退することになりました。
ということで昨日は、マー君のお疲れ様会を催させてもらいました。
僕にとってマー君は尊敬する人生の先輩であり経営者です。これからは親友が社長を務める中小企業の顧問として、経営や組織マネジメントのお手伝いをしていかれるとのこと。ますます濃いお付き合いになりそうな気がしています。
それでも今回は一区切り。マー君、長い間のお勤め本当にお疲れさまでした。そしてこれからも、よろしくお願いします!
☝中央がマー君。左はマー君が顧問を務める親友の会社の管理部長。右端はパフの副社長?
今こそ「育てる採用」を!
2019年7月10日 (水曜日)
先週の火曜日(7月2日)、日経朝刊(私見卓見)に掲載された「新卒採用、ESは不要」は、予想を超える反響があって書いた本人もびっくりしています。
この釘さん日記にも「ES撲滅同盟の主張が新聞に掲載された日」というタイトルで記事の切り抜きを貼り付けたところ、近年まれにみるアクセスと「いいね」をいただきました。
やっぱり多くの皆さん方それぞれに(僕の意見に賛成かどうかは置いておいて)現在の新卒採用のあり方に問題意識を持っておられる、ということなんでしょうね。
そんな折、本日の日経産業新聞の15面(働き方)の「HRマネジメントを考える」の欄に、常見陽平さんの「採用改革の議論を~まず育てる気概が必要~」という記事が掲載されていました。
冒頭で先日の「ESは不要」の記事に触れつつ「育てる採用」の意義を伝え、「採用改革」の必要性を説いています。
そして最後には「『新しい時代のスタンダードを作ったのは自分たちだ』。そう胸を張れるような採用改革を期待したい。今こそ採用担当者は奮起すべきだ。」という熱いメッセージを採用担当者に送っています。
パフが過去21年間に渡って主張してきたこととも通底していて、なんだか嬉しくなってきました。常見さん「超いいね×100」です(^_-)-☆
今朝は、昨日の大阪放浪記を日記ネタにしようと思っていましたが、この常見さんの記事を読んで急きょ取り上げさせていただきました。詳しくは(うえの画像を引き伸ばしたりなんかせずにw)日経産業新聞を買って読んでくださいね。
では、本日はいつもどおり朝食&なつぞら後、九段下に行ってきます!
☝朝ランのコース後半、両国橋です