これから『キミは就職できるか?』に行ってきます。
2010年2月5日 (金曜日)
今朝は8時から、営業を担うリーダーたち(僕を含めて)4名が集まっての戦略会議。密度の濃い1時間を朝っぱらから過ごした。
朝礼後、これまた1時間の「読み会」。これはヒラハラチームの2名+僕。
その後、諸連絡、諸メールをいままで行っており現在11時。
さあ!! これからいざ出陣なのである。
行き先は、青山一丁目の駅に直結している、アクセス青山フォーラムだ。
目的は、パフの伝統的(第一回開催は1999年だった)イベントの「キミは就職できるか?」に参加するため。
行きがかり上、僕はこのイベントの司会を、なんと7年ぶりくらいに行うことになった。
でも進行台本は、老化したアタマにはほとんど入ってこない。。。
さてさて。どうなりますやら。
詳しくはまた後日。
では、行ってきます!
うまれよ塾inマンションと九段の定食屋さんでの密談
2010年2月4日 (木曜日)
昨夜は、うまれよ塾。年明け以降、週イチのペースで実施している。
普段はパフの小さな会議室で行っているので、参加できる人数は最大で5名。いつもあっというまに満員になっていた。
一ケ月に一回は、少し定員を広げて行おうということで、昨夜はお友達の事務所(マンションの一室)をお借りして実施した。そういえば、このマンションのことは昨年の12月の日記でも書いたな。
マンションの一室でのイベントって聞くと、僕ら世代は、なんだかすごく怪しく感じるのだが、現代の学生はそんな感じでもないようだ。みんな入室するなり、きゃっきゃきゃっきゃとお喋りを始めていた。逆にマンションという空間が、みんなをリラックスさせるのかもしれない。
三時間のうまれよ塾は、いつにもまして和やかな雰囲気で、でも真剣なモードで行われた。
塾終了後、夜の10時を過ぎていたのだが、腹ペコでもあったので、このマンションの提供者であるお友達のトヨサキさん(前回はTさんって書きましたが、実名でいいですよね?)と一緒に近所の定食屋さんに行った。
この定食屋さんの料理が感動的に美味いのだ。田舎の山で採れた食材を使った料理。普通のお店ではまず食べることのできない料理ばかりなのだ。ブロッコリーの茎やむかごの料理を楽しんだ。それと、味噌汁に白いご飯。これがまた美味い。特に味噌汁。なんだかとても懐かしい味だ。トヨサキさんが言うには、ゴボウが絶妙にこの風味を引き出しているのではないかとのこと。
食事の途中で、トヨサキさんの奥さんでもある会社社長のニシヤマさんも駆けつけてくれた。しばし家族の食卓といった雰囲気。
トヨサキさんとニシヤマさんと僕とでよもやま話をしている最中、ひょんなことから壮大なプロジェクトが発案された(仕事とは関係ないんだけど)。うん。これは実に面白い。夢のあるプロジェクトである。
トヨサキさん、ニシヤマさん。ぜひこのプロジェクト、成功させましょうね♪
雪が積もっていた朝
2010年2月2日 (火曜日)
人事担当者向けセミナーの手伝いをしてくれたインターンの学生の日報に、こんな記述があった。
【誘導をしていての所感】
受付時に、コートを脱いでいない人、音楽を聴いている人、挨拶をしてくれない人、携帯電話で話しながら来る人がいらっしゃって、学生のことをどうこう言えない方もたくさんいるなと思いました。
「いまどきの学生は挨拶もできない」とは、よく採用に携わる人事の方々から聞く言葉だけど、我々大人、特に人事・採用に携わっている人間は自ら範を示さなきゃ。さもないと、学生から面接で落とされますよ。
ホントに仕事のできる立派なビジネスパースン(いや芸能人でもスポーツ選手でも)は、誰に対しても腰が低いもんですよ。偉ぶってちゃ駄目だなー。
乙女姉さんが龍馬に送った言葉
2010年2月1日 (月曜日)
更新頻度を変えたとはいえ、日曜の夜は龍馬のことを書かないと寝つきが悪い。
いよいよ黒船が浦賀にやってきて大きく時代は回り始めるわけだけど、今回心に刺さったのは、乙女姉さんが、龍馬が遠く江戸で悩んでいる様子を見破り、檄を飛ばした手紙の文面だ。
「世の中を知るいうことは、みんなと同じような人間になることではないがぞね、龍馬。おまんらしい生き方を探しなさい。それを見つけてこそ自分が何を成し遂げるために生まれてきたがかみつかるがじゃ」
乙女姉さんのこの手紙を読んだ龍馬は、
「わしらしい生き方いうがは、なんぜよぉ!!!」
と悶絶する。
うんうん。悩め苦しめ、若者よ!そこからお前は成長するのだ。
ちなみにこのときの龍馬はまだ18歳かな?
そりゃあ悩むよね。
来週こそが、吉田松陰の登場だな。
そういえばパフの超少人数イベントの『月見塾』 (もともとは月島村塾という名前だったんだけど…)は、吉田松陰の『松下村塾』に倣って丸10年前に創った塾なんだよね。
若者よ、悩んで談論風発させて、成長するのだ!!
日記の書き方を改める日
2010年1月31日 (日曜日)
ただいま(31日正午過ぎ)の体温は36度5分。扁桃の腫れも喉の痛みもほとんどない。やった。ついに回復した。
きょうは朝5時10分に悪友(中3時代から35年間の腐れ縁である)Wからの携帯(メール)でたたき起こされた。枕元に携帯を置いたまま寝た自分が悪かったのだが。
とはいえ、日曜日の朝っぱらから携帯に連絡とはただ事ではないと思い、すぐに着信内容を確認した。
書かれていた内容は……。
おはよう。今朝の新聞読んだよ。差別化が明確になってきましたね。頑張って。(^-^)/
おい、おい、おい、おまえ今何時だと思ってんだよ。そんなことで、病み上がりの俺の大事な睡眠を妨げるなよな!ったく……。
とは思ったものの、まあ彼にしてみればもちろん悪気があってのことではない。というかむしろ、35年来の友を思ってくれての連絡なので、少し嬉しくもある。
寝なおすこともできず、まだ夜明け前ではあったが起きることにした。熱もなく頭もすっきり。すっかり回復していると感じた。4日ぶりの爽快な朝だ。
早速新聞を取りに行き記事をチェック。おお、なるほど出てる出てる。扱いは小さいが、日本経済新聞の本日の朝刊に先日リリースしたニュースが取り上げられていた。世の中に影響を与える第一歩となるといけどな。
ところで、思わぬ病気に罹って丸2日間ずっと寝込んでいたせいで、いろんな人たちとの約束を先送りにしてしまった。迷惑をかけることも期待を裏切ることもあった。日記の更新がないことで、僕のことを心配してくれる(期待してくれる)読者の皆さんが、たくさんいることも知った。
月並みではあるが、人の期待に応え(少なくとも人に迷惑をかけず)、常に最高のパフォーマンスを維持するためには、健康管理をちゃんとしなきゃいけない。
そのためには同時に「捨てる勇気」も大事にしなければいけないと思うのだ。
僕は人から頼まれるとなかなか断れない性格で、相手への強い嫌悪感や教育的な思惑があるとき以外は、出来る限り時間をつくるようにしている(実際には、話を聞くだけで終わることも多いのだが)。いろんな会へのお誘いにも(夜も含めて)出来るだけ応じるようにしている。でもそれらを拾ってばかりいると、捨ててはいけないものが外にはみ出してしまうことがある。はみ出させないようにすると、自然と無理が生じてくる。無理が生じると、やっぱり人間なので体に悪い影響を及ぼしてしまうわけだ。そして結果、大事なことが適切なタイミングで最高のコンディションをもって実行できなくなってしまう。
これは本末転倒な話なのである。
うん。早速、捨てることを始めよう!!
まずは身近な、この「釘さん日記」から。
い、いや、捨てる(書くのをやめる)というわけではない。
書き方を変えようと思うのだ。
今までは、毎日書くことに意義があると思っていた(もちろん今でも意義があることだとは思っている)。でもそれは、「目的」ではなかったはずだ。
タイムリーに、僕の周りで起きたこと、僕自身が感じたこと(感動したこと、頭にきたこと、嬉しかったこと、モノ申したいこと)などを、肩ひじ張らない(顔の見える、多少はオチャラケた)表現で伝え残しておくことが、僕なりに考えているこの「日記」の目的なのだ。
そのことがこの日記を読んでくださっている同業界の方々や、企業経営や人事に携わる方々や、現役学生諸君や若手社会人諸君、はたまた将来起業を目指そうと思っている方々への、刺激や、憩いや、ヒントや、勇気になるんじゃないかと思うのだ。あ、それと、最近よくお便りをいただく(遠く離れてなかなか会うことの難しかった)数十年来の友人たちに向けての、「僕個人の健在の証し」にもなってるよな。
たとえば、日記の更新を「一日に1回」と決めているものだから、伝えたい(記録に留めておきたい)ことが一日にたくさんあったとしても、そのすべてを書くことを敢えてしなかったことがある。
たとえば、逆に伝えたいことが何もない日だってあるわけだが、そんな日は、「子供の絵日記」みたいになっていた(それがまた好評だったりもするので複雑な気持ちなのだが)。
たとえば、当日の日記は翌朝9時までにアップすると決めているものだから、深く詳しく書きたい内容であっても、時間制約上、軽い表現に止めてしまうこともあった。
・・・これはすぐに改革できることである。
ということで、「釘さん日記」の執筆方針を、以下のごとく改革(というほど大げさなものでもないが)することにした。
・「一日に1回」という更新パターンを崩す!! ⇒ 「一日に0回」の日もあれば、「一日に10回」という日もあるかもしれない(いやさすがに10回はないと思いますが)。
・「○○の日」というタイトルに固執しない!! ⇒ これは「釘さん日記」を書き始めて10年間ずっと続けてきたことなんだけど、かなり画期的な改革だ(でも相応しいときは「○○の日」を使いますよ)。
・伝えたいことは数行の日記であっても構わない!! ⇒ 最近、twitter が流行っているが、(まああの正体や効用はともかくとして)あのくらいの短さでもいいじゃないか。
うん。いいね。
やっぱり改革は、まずは身近なところからだな。
さあこれで、いつ寝込んでも読者にバレないぞ。(・・・おいおい、改革の目的が早速、違うだろが!!)
自分の無事を報告する日
2010年1月30日 (土曜日)
いやーまいった。
水曜日の夜、自宅で日記を書き終えてのち、たったいままで、(病院にいる時間以外は)ほぼ布団のなかにいた。
その間、PCは一切開かず。外部との接触は携帯電話に入ってくる緊急度の高いメールのみ。
いまなんとか約60時間ぶりに、PCを開いたというわけだ。
病名は、『急性扁桃炎』。調べてみると、なかなか侮れない病気だったようだ。
たしかに酷かった。
木曜の朝の体温が39度2分。前日医者から、「あすは熱が出るかもしれないけど抗生物質と解熱剤で、じき治るでしょう」と言われていたのだが、その後も一向に下がる気配がない。
その後もぐんぐん体温は上昇し、39度5分~40度という未体験ゾーンに突入してしまった。
金曜日。
もういちど這うようにして病院に行く。普通に歩けば3分程度のところにあるクリニックなのだが、15分くらいかかっただろうか。
あまりに憔悴しきった僕の様子を見て、お医者さんも本気のスイッチが入ったようだった。
すぐに点滴の準備がされ、約2時間ベッドに横たわっていた。熱を計ると40度。点滴の際も悪寒が止まらず、心配した看護師さんは氷で頭を冷やしてくれたり水をストローで飲ませてくれたりと、ずいぶん親切にしてもらった。
点滴後に正式な診察を受けたのだが、扁桃の腫れが悪化しているのが確認されたため、今後も熱や腫れが引かない場合は、大病院に入院する必要があるとの診立て。聖路加病院への紹介状を用意してくれた。
ただ、点滴と新しく処方した薬(強い抗生物質と解熱鎮痛剤)の効果を本日いっぱい見てから、聖路加に行くのは明日でもよいでしょうということだった。
仕事もあるし、極力入院だけは避けたい。
祈るような気持ちで、新しい薬を飲んで床についた。すると16時くらいから汗が吹き出し、体が少し楽になってきたような気がした。熱を計ると38度5分。まだ普通の体温ではないが、40度の体温と比べれば雲泥の差だ。午前中の点滴と新しい薬が効いてきたのだ。
夜10時ころ、さらに熱は37度台まで下がってきた。すると無性に空腹感が襲ってきた。無理もない。この2日間、ほとんど何も食べていなかった。薬を飲むためだけに、無理やりマズイおかゆを食べたくらいだ。
久々に食べるまともな食事。美味かった。
そしていま(土曜日のお昼)。こうやって日記を書けるくらいまで回復した。熱も37度台をキープしている。もうこれで聖路加病院に入院する必要もないだろう。やれやれである。
それにしても、自分の体を過信してはいけない。実は今週は月曜の夜くらいから、なんとなく調子が悪かったのだが、あまり気に留めていなかった。自分には、体力や気力においては(知力はともかく!)人並み以上のものがあるという自惚れがあったようだ。少しは年齢を考えないといかんな。
金曜日は採用プロドットコムさん主催のセミナーでの講演を行うはずだったのだが、これも結局ドタキャンしてしまった。主催者の皆さん、参加者の皆さん、本当に申し訳ありませんでした。
でもこのセミナーでは、うちの長崎がピンチヒッターでインパクトのあるプレゼンを行ってくれたという噂が流れてきている。社長の講演より斬新な内容だったのかも。ホッと一安心である。
そうそう。60時間ぶりにメールをチェックしたわけだが、僕の安否を気遣うメールが何通も入っていた。ありがたいことだ。毎日書き続けている日記が2日間も更新されていないということで、何かあったと思われても無理はない(断筆前の日記の内容もよろしくなかったし)
ともあれ、釘さんは、確実に快方に向かっております。たくさんいただいているメールへのお返事には少し時間をいただきますが、月曜日には完全回復を果たすべく、いましばらく安静を続けたいと思います。
ご心配やご迷惑をおかけした皆々様に、あらためてお詫び申し上げるとともに、励ましのメッセージをくださった皆様、社長不在のピンチを救ってくれた従業員、パートナーの皆様に感謝申し上げます!!