初日の出を見た朝
2011年1月7日 (金曜日)
1月7日、朝。ついにマラソンランナーとしての年が明けた。大晦日の朝、レインボーブリッジ往復を走って以来中断していた早朝ランニングが、今朝、ついに再開された。
いやー、寒かった。しかし、気持ちよかった。
朝6時59分。運河の橋の上。僕にとっての初日の出が現れた。
美しい。思わず手を合わせた。
今年もいいことがありますように。2月のハーフマラソンで完走し、タカタに負けませんように(苦笑)。
ところで昨日は、第15期下期のキックオフミーティングが行なわれた。午後1時から7時まで、ワークや議論を中心としての会議だった。
問題・課題は山積しているが、皆前向きである。なんとか力を合わせてハードルを越えなきゃ。
帰りは某キーカンパニー社の某下やんと打ち合わせ。そこでは新ビジネス構想の議論。ここで、世の中を変えるかもしれないワクワク構想が浮上する。まさに「コロンブスのたまご」。内容についてはまだ誰にも言えないけど、これは確かに、パフにしかできないことかも。楽しみだ。
さて、ではそろそろ出かけるとするかな。
あ、朝日新聞を買ってこなきゃ。
では行ってきます!
夜更かしした2011年仕事始めの日
2011年1月6日 (木曜日)
昨日は2011年の仕事始めだった。
朝っぱらからちょっとしたアクシデントがあったのだが、無事なんとか乗り切る。やっぱり今年も運がいい。
朝礼。恒例の年頭の社長スピーチを行う。今年のスピーチ原稿には、いつにも増して、赤と黒と純と益の文字が多かったかも(苦笑)。
その後、社員全員で築地の波除神社へ。キーカンパニー社と2社合同で行う団体参拝。2社合同というのも、なかなか趣があっていいもんだ。でも、下薗社長と2人並んで柏(かしわ)手を打つのに、微妙に息が合わなかったかも。MSPの練習をそろそろ再開させろ、という神のお告げかもしれない。これまた運がいい(笑)。
おみくじを引く。末吉。今年は、次第次第に運が開けて行くのだそうだ。やっぱり運がいい。
会社に戻ってすぐに来客。学生時代からお付き合いのある某社の社会人10年目(だったかな?)の女性幹部社員Mさん。今年から、あらたな門出を迎えることになり、そのご挨拶のために来社された。Mさんも、仕事始め早々パフに来社したことで、きっと運が良くなるはず。がんばってね!
お昼。パートナーであり旧友のW氏とランチミーティング。経営を預かる者としての、なかなか真面目な相談もあった。ここらへんから正月休みのボッとした頭が、完全に仕事モードに切り替わる。運がいい…というか、あたりまえですな(苦笑)。
社に戻り、軽い打ち合わせの後、いただいた年賀状を読む。たくさんいただいてしまった。パフは会社としての年賀状を廃止しているので(年賀メールと「パフ新聞」をお送りすることにしている)、多少の切なさがある。自筆でメッセージをいただいている方々には、せめてメールで、お一人お一人に、ご挨拶を書こうと思う。それでもたくさんいらっしゃって、まだまだ途中です。申し訳ありません。
ありがたいことに、年賀メールへのお返事もたくさん頂戴した。こちらからは自動送信の一斉配信メール(つまりメルマガと同じ)だったにもかかわらず、お返事をいただけていることに感謝。僕からもさらなるお返事を出来る限りしたいと思い書き始める。上に同じくまだまだ途中です。申し訳ありません。
そして日が沈んでから、上期決算の数字まとめと、下期の数字シミュレーションに突入する。頭の中が数字だらけになる。むむむっという緊張感も走る。
帰宅は午前様。しかし、家に帰っても仕事モードから抜け切れず、あれやこれやと様々な妄想を膨らませる。
気がつけばこの時間(午前4時まえ)だ。
そして慌てて日記を書き始め、現在に至るというわけだ。
そうなのだ。せっかく習慣化させていた早寝早起きを、仕事始めの日から放棄することになってしまった。いかんいかん。
明日からは(もう今夜だな)きちんと夜12時までには床につくことにしよう。そして朝日を見ながらの早朝ランニングを復活させるのだ。そして本物の運を引き寄せ、あと一カ月後に迫ったハーフマラソンを、なんとしても制限時間内に走りきるのだ。
ということで健康第一。さすがに少しは寝ることにしましょう。
おやすみなさいZZZ。
2011年。遅ればせの、あけましておめでとうございます
2011年1月4日 (火曜日)
2011年も4日目になってしまった。
遅ればせながら…
あけましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいいたします。
以下は社会人向けメルマガをお読みいただいている方々にお送りした新年のご挨拶です。「釘さん日記」読者の皆様に向けても以下、転載させていただきます。
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新年あけましておめでとうございます。旧年中は、たいへんお世話になり、ありがとうございました。
「私たち大人には、キミたち若者と正面から向き合い、社会で働くということを伝える義務と責任があるんだ!!」
昨年の12月19日に開催した「職サークル」の活動報告イベントの寸劇のなかで、大田区の中小企業・鈴木工業の鈴木社長が、悩める学生にビンタした後に語った台詞です。
すべての社会人が、鈴木社長のような熱い言葉を、目の前のすべての若者たちに胸を張って語れるような世の中。素敵ですよね。私たちは、そんな世の中をつくっていきたいと考えています。
2011年が、皆様にとって素晴らしい一年でありますように。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
2011年元旦 株式会社パフ 代表取締役社長 釘崎清秀
★ “2010年を振り返るパフ5大ニュース”パフ新聞 ★
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⇒ http://eace.jp/peace-images/upload/actual/files/351322/yua685.pdf
昨年1年間を振り返り、パフで起こった出来事を新聞としてまとめました。
2010年創刊号が大好評でしたので、今回第2号の発行となりました。
お仕事の合間にご笑覧ください。
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※新年は1月5日(水)より営業いたしております。
株式会社パフ / Puff co.,Ltd http://www.puff.co.jp
〒104-0045 東京都中央区築地2-15-19 ミレニアム築地9F
TEL:03-3547-5195 FAX:03-3547-5307
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この正月は、僕が小学校、中学校時代を過ごした、大分県の湯布院に帰省していた。
湯布院は、僕が小学校に入学する前の年の晩秋(1966年11月)、親父の仕事の関係で(温泉旅館で板前をやるため)、熊本から一家そろって引っ越してきた町だ。
以来、僕が中学校を卒業する1976年3月までの約9年間、この湯布院で暮らしていた。
たかだか9年間ではあるが、小学校の6年間と中学校の3年間というのは、僕という人格が形成されるうえで、もっとも重要な年月だったように思う。特に、中学校の3年間というのは多感な思春期でもあり、同級生や恩師からたくさんの影響を受けた。
その影響をたくさん受け取った湯布院中学校の同窓会に参加するのが、今回の帰省のイチバンの目的だった。
かつて15歳だった同級生たちが、今はみんな50歳。
でも再会した旧友たちは、(外見は変わっても中身は)昔のままだ。35年ぶりに会う旧友もいた。嬉しかったな。
さらに嬉しかったのは、恩師の先生方が4人も来てくださったことだ。僕らのクラス(3年1組)の担任の先生(中島先生)は残念ながら3年前に他界してしまったのだが、他のクラス・教科の先生方はお元気で、昔懐かしい話をたくさんさせてもらった。
僕らの時代は、生徒と先生、親と先生の間の絆・信頼関係は、いまの時代と比べ物にならないくらいに強固だった。お尻を鞭で叩かれたり、往復ビンタを食らったりしても、それで文句を言う親など誰もいなかった。もちろん教育委員会で問題になることなどもなかった。先生方は、カラダを張って僕らと向き合ってくれていたわけで、僕らにはそれがよく分かっていた。だから、ビンタで頬が腫れても、鞭でお尻に青筋ができても、僕らには納得感があった。むしろ愛が感じられ、幸福な気持ちになったものだ。
古き良き時代と言ってしまえばそれまでだが、あのころ確かにあったものを、今の時代にまた取り戻す必要があるんじゃないかと思うのだ。
ところで、もともと湯布院は寒いところなのだが、今年の冬は一段と寒かった。雪もすごく、道路が通行止めになってしまっていた。福岡経由で高速バスに乗るはずだったのだが、運行中止になってしまい、急きょディーゼル車を使って帰ったのだった。東京を出発してから湯布院に到着するまで13時間を要した。苦労した帰省だけに、同窓会が一段と意味あるものに思えた。
さて、2011年。21世紀に突入して早10年が経過したわけだ。どんな年にしていこう。やっぱりキーワードは、人と人との繋がりのような気がする。そういう意味では、僕らの仕事はますます重要性を増していくはずだ。
10年後、20年後、30年後の現役世代から、評価され感謝されるような仕事をしていきたいと思う。
※以下、帰省に際して撮った写真を時系列に掲載しておきます。
博多に向かう新幹線のなかで撮影した富士山。いい天気だ。
由布院の駅前。あまりの寒さと雪の多さに、「ここは富良野か?」と思ったくらいだ。
由布岳。富士山と負けず劣らず、勇壮かつ気品がある。
同窓会の開始。後藤先生のスピーチだ。
姫野と寛。
きよさんと潤一郎。
さて、明日は冬休み最後の日。頭をそろそろ仕事モードに切り替えるとするかな。
合宿を終え、2010年の仕事も終わった日
2010年12月30日 (木曜日)
パフの通常業務は月曜日(27日)の夕方で終了した。そして27日の18時過ぎに、社員全員で晴海のホテルに大移動。全社合宿が始まったのだった。
目的はこれ↓
パフのこれからの10年間を支える価値観を確認&共有&腹に落とし、結束を固める。⇒ 我々がこれからの10年間をかけて果たすべきミッション(社会に対して果たすべき役割、使命)、実現したいビジョン(パフの具体的な将来像)、そこに向けて取るべき戦略の大枠を定める。
この2年間で、我々を取り巻く環境はめまぐるしく変化してしまった。中長期の戦略を立てるにあたって、今一度、我々の目ざすべき方向や、存在意義を社員全員で確認したいと考えたのだ。
いろんな意見や考えが出てきたな。
でも、細かなところでの相違はあるものの、目ざしている方向や抱いている価値観は、全員がほぼ合致していた。社長の僕としてはほっと一安心。一方で社員の意外な側面や能力を見ることが出来たのも収穫だった。
具体的に、どんなミッションやビジョンが定められたかというと……。これは年明けのお楽しみということにしておこう。というか、正式な文書(ことば)化は、僕の正月の宿題なので、まだ明らかにしたくてもできないのである(汗)。
社員全員で合宿を行なったのは約2年ぶり。前回は、たしか2008年の9月だったな。これからはせめて年に一回くらいはやりたいな。泊まり込みで全員が語り合うというのは良いことだ。
合宿が終わったのが午後6時。その後、6時半からは納会(大忘年会)が開催された。
これまた愉快な納会で、一年間の総決算が無事行えた。そういえば合宿も納会も、写真を撮るのを忘れていた。臨場感がいまいち伝えられなくて残念。
一次会のあとは、いくつかのグループに分かれて、二次会に向かった。僕は(溜まったツケの支払いも兼ねて)行きつけのスナック「のろ」へ。ヨシカワやホサカも来てくれた。実は10年来の取引企業S社の旧人事担当者(いまはバリバリの事業現場の責任者)が会社の大先輩を連れて、のろに来ていたのだ。久々にたくさん飲んだな。メドレー(たとえば2001年ヒットメドレーとか)をマイクを回して歌ったのだが、マイクが回って来た時の唄を歌えないと、おちょこのストレートウィスキーを一気飲みするなんていう罰ゲームを盛り込んだものだから、マイクだけじゃなく、酔いもかなり回ってしまった(苦笑)。
明けた本日。さすがに早朝ランニングは休んだ。3日連続休んでしまったが、その分、朝から床屋に行ったり買い物をしたりでゆっくり過ごせた。
明日は走ろう。実はこの数日、(先日のスカイツリー15Kmランニングがたたったのか)膝が猛烈に痛かったのだが、いまはもう治まってきた。ハーフマラソンまであと1か月ちょっとなので、そろそろエンジンをかけなきゃな。
ところで今度の正月は、九州(大分県の湯布院)に帰省する。中学校の同窓会なのだ。かつて15歳だった同級生たちが、皆50歳になって再会する。なんだかヘンな感じだけど楽しみだ。
元日の早朝、新幹線でのんびり(?)帰ろうと思っている。東京から博多まで行き、博多からバスで湯布院まで行く。朝7時に東京を出発して、湯布院に着くのは夕方だ。
次に日記を書くのは新幹線の中かな。
ということで、本日をもって2010年の日記納めということにしよう。
今年この「釘さん日記」を読んでくださった皆さま、どうもありがとうございました。きっと来年も変わらず、くだらないこと85%、真面目なこと15%くらいの割合で書いていこうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします!
東京スカイツリーを間近に見た日
2010年12月26日 (日曜日)
本日の早朝ランニングは気合いが入った。目的地は東京スカイツリー。来年の完成に向けて現在、着々と建設が進んでいる東京の新名所である。
月島や佃の橋の上からもよく見えるのだが、建設場所まで行ったことがなかった。工事中のいま、ぜひ間近で見ておこうと思ったのだ。
地図をiPhoneのマップで調べると、僕の自宅から7.2Kmと表示されたのだが、経路があまりにマニアック(最短の距離を自動検索するからそうなるんだろうけど)なので、多少遠回りになっても大きな道路を通っていくことにした。すると片道が約7.5Km、往復で15Kmだ。ハーフマラソンに向けての練習にもちょうどいい。
ということで走りました。
自宅マンションを出たのが朝の7時少し前。月島から門仲に向かう途中の橋で、タイミングよく朝日が現れた。キレイだったな。
そして、一路、東京スカイツリーのある浅草・押上方面へ。
目標があるって素晴らしい。かなり遠い道のりだったのだが、スカイツリーが目の前に現れることを想像しながら走っていると、ぜんぜん辛くないのだ。
途中、ビルに遮られて、ぜんぜんスカイツリーは見えないのだが、両国を過ぎ、右折したあたりで、ぱっと目の前に現れた。ちょっと感動。
そして、そして。やっと到着。東京スカイツリーだ!!
いやあ、迫力あるなあ。
丁寧なことに、現在の高さが表示されていた。
現在、529メートルだそうだ。
完成した時の高さが634メートルだということなので、あと105メートル。もう(高さだけでいえば)80%以上完成していることになる。
でも完成まであと1年近くあることを考えると、きっとこれからの工事がたいへんなんだろうな。
工事をしているところも写真に撮ってみた。
同じ建築物でも、高層マンションの工事をみていると、「あーあ、また空が狭くなる」と、あまりいい気持ちはしないのだが、東京スカイツリーの場合は違う。なんだか、我々の夢や希望を、スカイツリーが代わりに天まで届けてくれているような気持ちになる。
52年前の東京タワーも、当時の人々は、将来への夢や希望を託しながら完成を見守っていたんじゃないだろうか。
将来への夢や希望。若い人たちには、とても大切なことだ。
現在のニッポンでは将来に夢や希望が持てないなんてことを、テレビは言わない方がいい。新聞も書かない方がいい。それを聴いたり読んだりした若者が、そのまま真に受けて、小さくなってしまいそうだ。
東京スカイツリーを眺めていれば、将来への夢や希望は湧いてくるんだから。
そういえば昨夜、新卒採用をテーマとしたNHKの討論番組「日本の、これから」をやっていたけど、思わずブツブツつぶやいてしまった。将来への夢や希望がなくなる話をしていた人もいたが、大人たちは(自分も含めて)しっかりしなきゃと思う。若者たちには大人や時代を恨むより、自分で時代を創れ!(創れるんだ!)と言いたい。
いよいよパフが活躍しなければならない時代が来た。批判や非難からは何も生まれないっていうことを自戒を込めながら再確認しつつ、会社としての将来へのビジョンを描かなきゃな。
話はランニングのことに戻る。
スカイツリー見物が終わって、また月島に戻ったわけだけど、帰りはちょっと辛かった。本日の目標を、「東京スカイツリーを見る」ということだけに置いていたため、帰りは消化試合になり、時間も往復で2時間もかかってしまった。神奈川ハーフマラソンがこのペースだと、完全に時間オーバーなのだ。いかんいかん。
よし、そこで宣言。
年内に再度このコースを走り、往復で100分を切ることを目標とする!!
うん、ささやかな夢と希望が生まれた。
クリスマスの朝
2010年12月25日 (土曜日)
昨夜は、小田和正の「クリスマスの約束」を観ながらいつのまにか寝てしまった。おかげで明け方、テレビの音で目覚めてしまった。なんとなく熟睡した感じがなくて二度寝の誘惑にかられたのだが、えいっと飛び起きた。
クリスマスの朝。きょうも天気が良い。
ということで、いつもの早朝ランニング。また東京ビッグサイトまで走ろうかとも思ったのだが、本日はやや短めのコースにした。月島~晴海~新豊洲~豊洲~月島の、運河をぐるりと回る約8Kmのコースだ。
風が強くて寒かったのだが気持ちのいい朝だ。青空が清々しい。走り始めはカラダが重いのだが、途中からだんだん気持ちよくなってくる。でも無理はしない。早歩きと変わらないくらいのスピードで走った。
そういえば早朝ランニングを始めてどのくらいになるだろう。
あ、そうだった。人間ドックの翌日からだ。
人間ドックのドクターから、「ウォーキングだけじゃ、脂肪燃焼にはほとんど効果がない」というようなことを言われて一念発起して走ることにしたのだ。
そもそものランニングの前段の早朝ウォーキングを始めたのは、運を良くするための講座を聴いた翌日からだった。
それって、いつだったっけ?
こういうときに日記って便利だ。googleで、「釘さん 人間ドック」とかで検索すると、ちゃんと出てきた。
●早朝ウォーキングを始めるきっかけとなったことを書いている日記(10月13日)⇒ http://puff.weblogs.jp/kugi/2010/10/hayanehayaoki.html
●早朝ウォーキングから早朝ランニングに切り替えた日の日記(11月10日)⇒ http://puff.weblogs.jp/kugi/2010/11/growth.html
なるほどね。そういうことだったわけだね(笑)。
日記を書くのって実はとても面倒くさいんだけど、こうやってたまに自分が書いたものを振り返ることができるので、これはこれでなかなかいいもんだ。
さて。本日はこれから歯医者に行く。長く続いた治療も大詰めなのだ。
その後は買い物を数点。
そして家でちょっと真面目に勉強しようと思っている。
クリスマス。年の瀬。特に何があるわけでもないのだが、この季節、昔からなんとなく好きだな。
今年は、たいへんなこともたくさんあったけど、運が良く、幸せで、恵まれた日々を過ごせたように思う。残りの2010年=50歳Yearを、たくさんの人たちに感謝しながら過ごすことにしよう。
オヤジのジャズライブだった日
2010年12月24日 (金曜日)
昨日、オヤジ仲間であるIshiyamaさんとUrataさんのコンサートライブを観にいった。ジャンルは、なんとJazzなのだ。
Ishiyamaさんは57歳、Urataさんは51歳。れっきとしたオヤジである。
二人ともJazzを習い始めてまだ1年ちょっと。先にIshiyamaさんが習い始めて、そのあとUrataさんを引きずりこんだらしい。今回のライブ、どうやら習いに行っているJazzの先生(これがまたド迫力の女性なのだ。推定年齢三十○歳)が、「いっしょにやりましょう!!」と誘ったらしい。
ライブは赤坂の一ツ木通り沿い。TBSのそばのレストランを借り切って行われた。
プロのピアノ、ウッディベース、ドラムをバックに、歌う、歌う、歌う。
いやー、素晴らしい。歌詞はすべて英語だ。譜面も何も見ずに歌っている。
いやー、すっごいなあ。僕なんかは、日本語の歌でも歌詞を覚えられないのに、よくもまあ、英語の唄を覚えられるものだ。
歌声もプロ並みにうまい。ホントにすごい。正直始まるまでは、「たかがオヤジの趣味でやってるJazz」だと思っていたのだが、いやー、ここまでやるとはビックリした。
写真を以下、載せておこう。Ishiyamaさん、Urataさん、昨夜は楽しませていただきました。どうもお疲れさまでした!!