パフスタッフが綴る何気ない日常。日々感謝をこめて。「パフ・ザ・マジックドラゴン 執務室」

ネタに困ったら書こうと決めている社会人生活の振り返りですが、
どこまで書いたのか全然思い出せません。
なので人に焦点を当てようと思います。
というわけで今回はパフとも縁の深いKさんです。

 

Kさんは私が新卒で入った文化放送ブレーンの2年上の先輩です。
父親はボクサーで、自身はロッカーでした。
俺が稼いでるんだから文句あるか、と午前中は会社に来ませんでした。

Kさん自身と最初に交わした会話は思い出せませんが、
「Kさんってどういう人なんですか?」とほかの先輩に聞いてかえってきた答えはよく覚えています。
「社内恋愛でもめてる人」でした。
その流れで聞いてもいないのに社内恋愛事情をバイネームで聞かされ、
なんだか大変な会社に入ったなあと思ったのを覚えています。
俺がそんな情報を知っているとは知らずに、Kさんの元カノ(こちらも当然先輩)から
営業同行中に、Kさんの次に付き合っている人(Kさんの同期)の
のろけ話を聞かされて、微妙な気分になったのはとてもいい思い出です。

その後、Kさんと私は麻雀仲間になりました。
Kさんの同期のKさんの家に全自動雀卓があったので、日曜にちょいちょい集まってました。
その場で生意気な発言を繰り返す俺に
「おい大岡、俺、先輩やぞ」
と冷たい一言をかけていただいた話はもう何度もしましたね。
Kさんが前職の時にもお呼びがかかって2回ほどご一緒させていただきましたが、
俺もKさんも勝って、うちに交換留職できていた新子が毎回負けていました。

その次に覚えているのはセカンドライフですね。
バブル崩壊で会社が傾き、全社員対象に早期退職制度が実施されました。
なんと退職金の上積みが月給12か月分。定員は何人だったか忘れましたが
年齢制限なしというアホな条件のせいで当然脂ののった必要な戦力ばかりが抜けていきました。
この時大好きだった先輩が結構抜けて、自身が一度会社を辞めるきっかけになったんですが、
Kさんは結構悩まれたんでしょうねえ。締切ぎりぎりに申請されて、
結果、定員オーバーで受け付けられず。
でも「俺は金を受け取らずにこのタイミングで辞めることでムーブメントを起こす!」
と宣言して同じタイミングで会社を去りました。
ムーブメントは起きませんでした。

その後も麻雀仲間としての関係は続くも、特に会う機会もなかったんですが、
そのKさんがある日メッセンジャーで連絡をくれました。
「パフの釘崎さんがお前のことをほめてたぞ」
そこがつながっているのも知りませんでしたが、当時Kさんは人事担当でパフのお客さんだったんですね。
それで、釘崎さんと飲んで、文化放送ブレーンつながりでちょっと前に
パフ仕切りの採用ツールコンペで提案した際に釘崎さんと会っていた
俺の話題になったようです。
Kさんは直前facebookで日本の政治にかみつく発言を繰り返していた俺が
ちょっと病んでいるんじゃないか、と心配し、元気づけるつもりでそのメッセージをくれたそうです。
病んでた自覚はないんですが、このメッセージがその後、
釘崎さんライブに足を運んでみるかと思い立つ大きなきっかけになったことは間違いありません。
結果、今ここにいます。

パフに来てからはKさんはお客様としてたまに会うようになりました。
最初はパフの皆がKさんを知っていることが奇妙な感じでしたが
パフのイベントに登壇いただいたり、飲みの席でご一緒することも増えてそのうち慣れました。
そして、その間、やっぱブレーンの先輩はすげえなあと思うこともたくさんありました。

そんなKさんが独立されると聞いて、すぐに声を掛けました。
Kさんの経験はパフにとって絶対大きなプラスになるだけでなく、
パフと想いを共有してきた人で、かつ、立場が違う人の意見は
自分としてもとても重要なものだと思ったので。
二つ返事で(だったかな)受けていただき、今、職サークルを中心にパフの仕事を手伝っていただいています。
一緒に出る打合せがたくさんありますが、
外から見たパフのいいところ、だめなところを的確に指摘してくれますし、
これまでに培った知識をベースに打開するためのヒントもくれます。
中にいて凝り固まっている我々には予想通り、いや、予想以上にありがたい存在です。
知識とかは全然及びませんが、俺がパフに合流した時も
もしかしてこんな感じだったのかなあなんて思ったり。

最近では生意気な口をきいても怒られなくなりましたが
いくつになっても俺はKさんの後輩ですので、今後ともよろしくお願いします。
そろそろ麻雀しましょう。

 

 

明日は石上です。