我 今どきの若者なり
2019年10月29日 (火曜日)
少額な出費は「まあちょっとだし」と納得し、多額の出費は「まあこんなことたまにしかないし」と納得するはすみんです。
今回は、若者について叫びたいと思います。青臭いのが苦手な方は、鼻をつまんで読んでください。
若者。フレッシュ。最近の若いもんは。
採用の場面はもとより、恐らくいつの時代もどの場所においても、こういう言い方、しますよね。
ちなみにですがパフの人は、若者を一括りにこのように言う人はいない気がします。
ただ世間一般を見るとたまーに、「若者」という一人の人間がいるかの如く、こういうことを全力で主張する人がいると思います。
今日はそんな方に向けて、一発叫ばせていただきます。
まあ最近の若者として私も、そんな方々の言いたいことや感覚は、多少は理解できる気がします。
耐性がない、堪え性がない。
教えられて当然と思ってる、甘えてる。
主体性がない、受け身だ。
ゆとりだ、踏ん張れない。
多少学業はできても、色んな意味での体力はない。
はい、自分でも思います。私もそんな節あると思います。
なんてったって私も、24歳と2ヵ月。(誕生日は8/20。なお、お祝いは前後半年受付中です。)
恐らくですが、若者です。
1995年に生まれ、カリキュラムはゆとり、高校は無償、戦後も知りませんし高度経済成長も、毎晩会社に新聞紙を敷いて寝泊まりする働き方も知りません。
というか、そんな働き方、したいとも思いません。
すみません、全然かっこいいと思いません。
…でも。でも若者は、実際はそれが言えません。
なんでかって、そんなことゆうたら、「ほらね最近の若者はー」って陰で言われるから。
今まで自分が頑張ったことも、自分なりに耐えたことも、「最近の若者は堪え性ないよね、あまちゃんだよね」という「一般常識」兼「暗黙の了解」兼「中堅以上の共通の話題」に、木の葉のように吹き飛ばされることが分かっているから。
でもほんとは最近の若者にも、声を大にして言いたい、大切にするものがあります。
2019年を生きていくうえでの、悩みがあります。迷いも、奮闘もあります。
どんなにあまちゃんと言われようが、今の自分なりの信念があります。
たしかに、酒の席で媚びへつらうのは下手かも知れません。
本当にそうだと思わないことに、納得したふりして要領よく、うまくやることはできないかも知れません。
できることならちゃんとやりたいので、どうやったらちゃんとやれるか、試す前に聞いてしまうかも知れません。
でも、最近の若者だって、お麩じゃないし寒天じゃないし、ふやけたお煎餅でもありません。
40-50代の方々と同じ荒波はくぐりぬけませんけど、同じ人間です。
2019年の、IoTとかグローバルとかAIとか5Gとか、意味わかんない波をくぐるなり乗るなりして、あと80年くらい生きていくんです。
2100年頃まで。
そう考えたら、思考回路は違って当然でしょう?価値観も違って当然でしょう。
荒波をくぐり抜けた方々にとって我々が「別の生き物」なように、こちらにしたってそんな方々は「別の生き物」です。
不思議な不思議な、生き物です。
九段下と飯田橋のはざま、平成と令和のはざまで満月に咆える若者でした。Happy Halloween!
お次は、きっと大正も昭和も平成も令和もなんだかんだ先頭で乗りこなしそう!さとみん!