パフスタッフが綴る何気ない日常。日々感謝をこめて。「パフ・ザ・マジックドラゴン 執務室」

こんにちは、高田です。

7月に入り、暑い日が続いていますね。
今年は節電の夏ですので、各所の冷房も抑え気味ですね。
皆様、体調は崩されないように気をつけてくださいね。

私は昨年、熱中症にかかりました。
なんか熱っぽいなと思っていたら、だんだん体調が悪くなっていき。。。
40度の高熱+天地が逆転になったような感覚がありました。
あれはきつかった。。。

熱中症になる前の日まで行っていたのが、フジロックフェスティバルというものでした。
もう10年以上参加しているので、自分の中では恒例行事なのです。

思えば初めて参加したのは、高校2年生でした。

小学生のころからロックミュージックといわれるものが大好きで、
とりわけ海外のミュージシャンが作るものが好きでした。

いわゆるカウンターカルチャーというものが好きな子供でした。

当然、ヒットチャートやトレンディドラマの中には自分があこがれるものがなく、
学校の友人たちとは、あまり会話が合わなかったように思います。

一方、暗い子だったかというとそうではなく、自分で言うのもなんですが、
いわゆるクラスの人気者だったと思います。

普段とても仲良くしゃべるクラスメートと自分の趣味が共有できませんでした。
当時は、友人たちとの間に何かフィルターのようなものを感じていた(作っていた)ように思います。

そういう子供だったので、共有できる相手がいない寂しさを感じながら、
月に1回発売される洋楽雑誌や、TVやラジオの数少ない専門番組がとても貴重で、
何度も何度も食い入るように見て、聴いていました。

自分と世の中のつながりは、そういう雑誌やラジオの中の人か、
そういう番組に投稿しているリスナーを感じることで、成り立っていました。

それが当たり前であったので、自分の趣味はマイナーなものだし、
あまり人と共有できる類のものではないのかなと思っていました。

それに転機があったのは、フジロックフェスティバルでした。

当時はまだインターネットがそれほど広がっていなく、フジロックフェスティバルに関する情報も
同様の雑誌などでしか手に入りませんでした。

今思えばギャクにしか思えませんが、電話アナウンスで参加ミュージシャンを教えてくれるサービスが
あり、学校から帰るとそこに電話をして、アーティスト情報を聞いて、好きなミュージシャンが参加
しているのがわかると、喜んでいました。

フジロックフェスティバルに参加して思ったことは、「自分の好きなものを共有できる喜び」でした。

自分と同じ趣味を持っているのは、学校に数人だったけれど、
フジロックという場所に、何万人も存在したのです。

今まで、洋楽雑誌や番組の投稿者としてしか存在していなかった同じ趣味を持つ人が、
数万人いたのです。

何万人が僕と同じものを好きで、同じもので喜んで、同じものに価値があると感じていました。

これは本当にうれしかったです。
自分が丸ごと肯定されたような気分でした。

今、もし君が一人だと思っていたり、自分はわかってもらえないと思っているのであれば、
そんなことはないと思います。

強引に就職活動の話につなげると、自分のよさをわかってくれる会社はあるし、
自分が働く会社もあるし、自分とウマが合う会社だってあるはずです。

世の中には、50億人の人がいて、それぞれ違うけれど、共有できる部分もあるのです。
僕はフジロックに参加してから、そのように感じるようになりました。

次は、田代です。