パフスタッフが綴る何気ない日常。日々感謝をこめて。「パフ・ザ・マジックドラゴン 執務室」

ゴリラ的読書日記之13

2016年5月16日 (月曜日)

こんにちは。第13回目となりました。

ちなみに私は「13」という数字が理屈抜きに好きです。理由は単純で自分が高校生の時に2年間近く付け続けた背番号が「13」であったためです。

試合前日のスタメン発表と同時に手渡されるユニフォーム。見慣れた番号。2年間も渡され続けたらそれは誰しもが愛着は湧くものです。

そして引退と同時にその背番号は後輩に引き継がれていき、新たな歴史を紡いでいく…Life Goes Onですね。これは大袈裟ですね。

 

今回ご紹介したい本は静かな話題を呼んでいる東北被災地の「今」を記したものです。

新曜社が今年の1月に出版した『呼び覚まされる 霊性の震災学』。帯には『タクシードライバーが邂逅した”幽霊現象”』と…一見すると何が何だか分からない都市伝説を紹介した著書を連想させるものですが、中身は入念な実地調査にて得た情報を基にした「実話」が若者たちの手によって描かれておりました。

どの「実話」も本当に素晴らしい考察ばかりであり、これを齢20程度の若者たちが記述したのかと思うと、舌を巻きます。真に将来が有望。個々人の素質は勿論のことですが、良き友人、良き教育、そして良き指導者に恵まれたのであろうと想像できます。

熊本がそうであったように、私達日本人は常に震災という予測できないリスクと隣り合わせで生きていかなければなりません。あの多大な被害をもたらした災害を「過去」と表現することに抵抗はありますが、それでも私達は(綺麗事であることは重々承知の上ですが)その「過去」から何か教訓を得なければならないと思います。そして少しずつ個々人に多様な教訓が蓄積されることで、「過去」が永久不変の「歴史」へと変体していくのではないかと感じます。

■動機

書店で目に留まったその背景には、東日本大震災から3カ月が経過した時期に、私が当時通っていた大学内で調査団が結成され、その一員として被災現地に赴いた経験からであると思われます。ちょうど行政機能が回復し始め、徐々に復興への道しるべが示されだした、そんな時期であったと記憶しています。

そこでの調査は今でも鮮明に覚えています。覚えているという表現より、覚えていようとしていると表した方が適切かもしれません。

1週間程度の滞在だったのですが、最初の数日間はどう現実を解釈すれば良いのか分からない状態でした。余りに浮世離れした現実が眼前に続き、自己防衛本能が働いたのか、その現実を直視することを避けていました(調査員なのに…本当に情けない限りです)。ただ周囲のメンバーも日々の過密なスケジュールが終わり、束の間の夜のオフでは意図的に下世話な話をしていたように思われます。多分に私ほどではないにせよ、皆、許容範囲の限界が近かったのではないでしょうか。

被災地には報道では伝わらない「実話」が確かにあります。調査を終えた後も一部の学内有志、及びその関係者の方々と頻繁に被災地に足を運び、僅かなものではありますが、私も「実話」をお聞かせ頂きました。しかし人間は本当に良く出来た生き物で、特に私のような出来過ぎた人間はどんなに強烈な記憶であっても、時が流れるにつれてその記憶が徐々に風化していき、「過去」のフォルダに入れようとしていきます。恐らくですが、そんな自分への嫌悪感が背景にあったのではないかと認識しています。

■所感

帯にも掲載されているタクシードライバーが遭遇した幽霊現象が記載されている第1章は始まりだけに真に力強い記述でした。犠牲者の「無念」を犠牲者への「畏敬の念」を抱く地元の人々が受け取り、タクシーという「何処にでも運んでくれる」「閉ざされた空間」という特異な条件下がかのような現象を現出させた。筆者はそのように結論付けました。ここで一般論を盾に正論を振りかざすことはしたくなく、むしろそのような現象を地元の人々が恐怖することなく享受した事実、そこにこそこの事例の真の価値があると考えます。一言にこの現象は人々にとっての救済であったのだと。

犠牲者には数多くの若者や子供も当然含まれています。私の知り合いで現地に赴いた経験のある警察官の方が仰っておりました。本当に多くの犠牲者を目にした。元々刑事課上がりで免疫はあると思い込んでいた。何の役にも立たなかった。被災地には犠牲者の無念と残された人々の絶望感でいっぱいだった、と。

私のような安全圏から外に出ない部外者には到底理解することが出来ない心情であるに違いはありませんが、残された人は事実、今を生きていかなければなりません。全てが流された後に残るのは、筆者が述べるように「心」だけなのだと思います。であるならば、生きるためにその唯一無二のものに寄り添い、それを拠り所にするのは人として当然のことなのではないでしょうか。

1章に限らず、全ての章がこのような力強い考察で構成されています。特に被災者の社会的孤立の現状と量で測ることのできない各々にとっての平等の死について論じた第5章は読みごたえのあるものでした。改めて被災に遭われた皆さまにお見舞い申し上げると共に、私の記憶の風化を防いでくれた執筆者の方々に心よりお礼申し上げ、Blogを締めくくりたいと思います。

■お薦め本

(該当なし)