本当にあった「翔んで埼玉」な話【前編】
2019年3月13日 (水曜日)
おはようございます。田代です。
保坂さんから「春をテーマに毎年一句詠んでそう」と言われましたが、
最近、春夏秋冬が良く分からなくなってきたので、俳句は詠んでいません。。
さて本日は、社会派ブログにふさわしいテーマでお届けします。
それは、話題の映画「翔んで埼玉」について。
埼玉県で育ち、埼玉県を愛する。
そんな私が触れないわけにはいきませんので、
今日はこの映画を題材にします!
●本日の留意点
・埼玉県に興味関心のない方、東京が大好きな方、
朝から忙しくて忙しくて仕方のない方は、
このブログを見ずに、どうか社会のために仕事をしてください。
・今回のブログは、翔んで埼玉の世界観を反映すべく、
多少の誇張表現もありますが、気にせずご覧ください。
では進めます。
◆目次
【前編】映画だけではない「埼玉県民の苦悩」
【後編】現在、千葉県に住んでいる「本当の理由」
1回のブログでは埼玉県については語りつくせませんので、
今日は【前編】からお伝えします。
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【前編】映画だけではない「埼玉県民の苦悩」
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何かと話題の映画「翔んで埼玉」ご覧になった方はいますでしょうか。
一言でこの映画を表現するならば、
ダサイタマと称されディスられ続けた埼玉県が
東京都からの迫害に立ち向かうという究極のパロディー映画です。
もともと1982年に漫画として連載されただいぶ前の作品でしたが、
マツコ・デラックスに絶賛されてから何かと話題に出てくるようになり、
ついに2019年に映画化されました。
埼玉県に縁もゆかりもない方は、このハチャメチャな世界観を聞くと
「どうせ漫画や映画の世界だけでしょ?」と思うかもしれません。
いや、違うんですよ。
埼玉県民はリアルガチに馬鹿にされ続けた民族なのです。
漫画や映画は誇張しているにせよ、本当にあった怖い話なのです。
私の実体験からお伝えしましょう。
●例えば、株式会社パフの場合。
入社当時、私は埼玉県の大宮から会社に通っていました。
おそらく、創業以来初の埼玉県から通う社員だったのでは?と思います。
今から15年前ぐらいのパフは、ほぼ9割の社員が新卒出身の20代。
早朝から深夜まで仕事してナンボの社風で、
会社に近い東京都に住まなきゃやってられん状況でした。
また、より効率・効果的に営業訪問をしていくには、
東京都の会社を中心にアポイントを取った方が良いということで
正直、埼玉県企業の訪問優先度は非常に低い状況でした。
たまーに、埼玉県の企業のアポが取れたものならば
「げっ、サイタマだよ。遠っ!」とか
「住所、大宮だって!めっちゃ行きたくないんだけど!」とか
「所沢の企業に行くなんて認めません!」とか
諸先輩方からは散々な言われっぷりでした。
埼玉県の血が流れている私は、
この屈辱に悔しくて悔しくて手がプルプル震えていました。
でも実力のなかった新人時代。私の力不足で何も言えませんでした。
「翔んで埼玉」の象徴的なセリフ
「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!!!」と同じく
当時のパフは「埼玉県の企業は、田代にでもアポ取らせておけ!!!」
という状況だったのです。
私は、会社の埼玉嫌いをどげんかせんといかんと思い、
埼玉県の通行手形を得るべく、
埼玉県の新規開拓をする決意をしました。
事実、世界シェアを持つ高所作業車のあの会社様とか、行田市にある有名な自動車・二輪部品のあの様とか、
中華そばが最高に美味しい一部上場のあの会社様とか。
他にもたくさん。
埼玉県に本社を構える会社様とのお取引を地道に開拓し、
ついに当社に埼玉県の通行手形を認めさせたのです。
また、東京に本社のある会社様でも、
隠れ埼玉県民(以後、隠れサイタマンと呼びます)と親睦を深めていきました。
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◆私と隠れサイタマンとのふれあい事例
・「田代さん、この前、西武ドームで見ました!」と仲良くなったお客様もいました。
・熊谷に住むラガーマンのお客様とは、お家にまで招待されたこともあります。
・埼玉会やろう!と毎年、浦和駅前で飲みかわすお客様もいました。
・訪問する度にいつもアイスブレイクでJリーグの話を30分議論し合うお客様もいました。
・浦和レッズサポーターのお客様とレッズサポの聖地「居酒屋・リキ」で晩酌したことも。
・大宮の高島屋の屋上ビアガーデンでお客様と一緒にビールを飲み合ったこともあります。
・川越にある母校(高校)が同じお客様とは今でも高校野球の埼玉予選の話で盛り上がります。
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いかがでしょうか。
こんなエピソードは枚挙に暇がありませんが、
とにかく、都内にいる隠れサイタマンたちと親睦を深め続けました。
一言だけ言わせてください。
埼玉県出身の皆さんが私は大好きです。
●パフに転機!茨城県のラーメン娘。が降臨
さて、東京都びいきの株式会社パフも、
神奈川・千葉・埼玉の通行手形が認められ平和が訪れたのですが、
今から8~9年前でしょうか。大きな事件が起こります。
オオノという女性社員が新卒で入社しました。
彼女は何と!
パフでは認められていない、つまり通行手形がない
茨城県から通勤するという強硬手段に出たのです。
「イ、イ、イバラキ!」
当然、会社からは「茨城なんて、通えるの?」「東京に住めば」という
冷ややかな目で見られましたが茨城愛に満ちた彼女は、そんな偏見に耐えたのです。
これには、茨城県民に光を与えた次世代鉄道・つくばエクスプレス(通称・TX)の
存在が深く関わっているのですが、本日は割愛します。
なぜ、彼女は茨城県にこだわったのか。
それはオオノが、茨城県民なら一度は口にしたことのある
地元の名物ラーメン屋の娘だったからです。
そりゃー、簡単に東京に魂を売るわけにはいきません。
私は彼女の地元愛を応援し続けました。
事実、彼女のお蔭で茨城県に本社のある会社様との取引も増えました。
彼女の地元愛によって、パフにも茨城県の通行手形が許可されたのです。
いかがでしたか?
「翔んで埼玉」の世界は現実でも起きていることを
ご理解いただけたでしょうか。
>パフの若手社員の皆さん。
今でこそ、埼玉や茨城をはじめ、栃木や群馬などの北関東、
いや、静岡や愛知の企業様と御取引をさせていただいていますが、
これは当たり前ではないんです!!
東京びいきの企業風土にあらがい、苦渋を飲み、時には血を吐いて。
それでも戦い続けた諸先輩たちがいたからこそ、
フルオープンな文化になったということを決して忘れないでください。
以上
【前編】映画だけではない「埼玉県民の苦悩」を終了します。
次回のブログでは、
【後編】現在、千葉県に住んでいる「本当の理由」をお届けします。
これだけ埼玉県に対する愛情を持つ田代が、
なぜライバル県である千葉に家を買ってしまったのか。
実は、これには驚愕の事実があったのです。
次回のブログで、誰にも明かしていない真実の扉を空けたいと思います。
次は「田代さんのブログ、クダラナイなぁ」と地元愛に興味はないだろう、
浜っ子の岩崎さんです。
春
2019年3月12日 (火曜日)
やっと、ダウンを脱いだ、ホサカです。
いままで、3月1日からはダウンを着ないとか。
タートルネックは、2月までとか、決めていたのですが、
今年は、寒い日が続いて、着続ける日々が続いていました。
毎日、天気予報を見て。
あ、明日は朝、10℃以下なんだ。
じゃ、まだダウンでいいね。
あ、今朝は朝、10℃以上なんだ、じゃダウンは脱いじゃおう。
って、どの温度で着るものを変えればちょうどいいのか
やっと、40歳手前で気づきました。。。ハハハ。
でも、季節を意識して、
洋服を変えたり、食材を変えたり、活ける花を変えたり、散歩する道を変えたり。
そんなことをできるのが、日本の良さですよね。
・・・
この週末は、上野公園に久しぶりに行ってみました。
(あまり仕事がしたくなかったので、ちょっとした現実逃避ってやつです)
上野といえば、桜の季節には、たくさんの老若男女が、
ここぞとばかりに、春を楽しみます。
採用シーズンのピークを迎える桜の時期
ここぞとばかりに、桜や春を楽しむことはここ十数年できていない私。
十数年前の若かりし頃の、上野の桜の下で、さんざん飲んだあのころを思い出し
まだ咲かぬ桜の枝を見て、満開の桜を目にした気分でした。
やはり、季節ある日本が、好きだな、と仕事人間の私もそう思う、春のはじまりです。
さ、3月・4月。出会いと別れの春の季節。
素敵な出会いに向けて、今日も明日も仕事しましょ♪
・・・・
次回は、春をテーマに毎年一句詠んでそうな、タシロさんです。
変わるもの、変わらないもの
2019年3月11日 (月曜日)
こんにちは。イベントでは、「元気!やる気!勇気!」をモットーに運営をしているヨシカワです。
ただ最近学生との歳の差が20を超えて、個別対話は10分も持たなくなってきました。
なんでしょうか。歳を感じます…。
さて最近、ホサカからLINEpayの登録方法を教えてもらったことで、平日はほとんど財布を出すことがなくなりました。
スマホの電子決済で、チャリン♪と支払う毎日。
現金しかダメですなんて言われると「面倒だな」なんて思ってしまいます。
昨年の自分だったら考えられない生活です。
一方で、社員たちとKOZOさんのライブに行って、「チェッカーズ」を聴いたら、自然とノリノリになってしまい
やっぱり私、チェッカーズ、フミヤが好きだわ。と思ってみたりしました。
時代によって変わるものと変わらないもの。
変えないといけないものと変えてはいけないもの。
そんなことを少し意識する機会が増えました。
実は現在、4月からの新入社員教育プログラムを考えています。
今年のテーマは、「一位指名される営業になる」。と、勝手に一人で決めました。
困った時に、一番最初に相談される営業になるには何が必要だろう?という要素分解をし始めています。
自分が営業として大切にしてきたこと、お客様から感謝された言動などをまずはバーッと洗い出してみたのですが、
一晩明けて冷静になって見返すと、「これって今の時代に合わない?ちょっと違和感!」みたいなことが結構あったりします。
この後、他の社員たちにも見てもらおうと思うのですが、
パフの営業としての伝統を守る姿勢や言動と今の時代に即した効果的・生産的な行動とのバランスをしっかり見なきゃなと思いました。
完成したら、こちらで皆さんもお披露目しますねぇ。(頑張らねば!)
では明日は、いつも変わらずお客様のためにとことん働きつづけるホサカです。
新卒採用業界の3月が始まりました
2019年3月8日 (金曜日)
皆様、いかがお過ごしでしょうか。花粉が攻めてきて大変辛い3月の始まりです。
今通っている病院で出してくれるアレルギー鼻炎薬は新薬で、まだジェネリック製品もないそうですが、かなり効きます。
一錠飲むとそれはもう、喉から上の水分をきっちり止め、味覚を失った一日が訪れます。
この時期ばかりは鬼ログも停止・・・味覚がなければいい店探しは出来ないものですね。。
さて、3月に入ってからは毎日イベント対応が中心となっています。
就活生の方々と接する機会がかなり増えたので、今どんな状況なのか、どういう心境なのか、日々聞いています。
共通しているのは「みんな不安」ということ。
しかし不安の程度は人によってかなり差があると感じます。
3月1日に解禁と言われたのでお友達ととりあえず初めて合説に来てみて不安な方、
一方で夏からインターンシップで気になる会社にほぼ参加して、業界研究を深めていきたい業界や会社も絞り込めているのに、まだ不安で合説に参加する方、本当に様々です。
いろんな立場の人がどこかの企業で一内定者となり入社を決めていくのですが、企業研究を深めて高い志望動機をもって入社を決める方、さほどでもなく選考を進めて入社を決める方、どうしても混在してしまうと思います。
そこで最近は選考中フォローや内定者の意思決定施策でよくご提案する「キャリアの軸の整理」がかなり効いてくるのだと、就活生の温度感を見て痛感します。
よりよい社会最適を目指すためにも改めて軸の洗い出しの作業をどこかに入れてほしいなと、悩める就活生の皆に言いたいです。
悔いのない就活、納得できる入社先を見つけられるよう心から願わずにはいられません。
あと数か月後には明るい将来が描けるようになっていて欲しいです。
(今日与えらえた金言、「明るい日と書いて明日というんです」)
さて、お次はこの方にかかると学生さんが笑顔で前向きになる魔法使い、吉川さんです。
関ヶ原という途方もない人間喜劇。
2019年3月7日 (木曜日)
おはようございます!ハム石河です。
3月にはいりもる春間際にになってきたはずなのに、あったかくなったり寒くなったりの連続で、体調が芳しくありません。笑
花粉症は持っていないのですが、偏頭痛持ちには辛い気候です。。。
今日は最近見た映画のことについて、書いていきたいと思います。
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【いま関ヶ原という途方もない人間喜劇、もしくは悲劇を書くにあたって、どこから手につけたら良いものかとぼんやり苦慮していると、わたしの少年の頃の情景が昼目の夢のように浮かび上がった。ヘンリーミラーは、「今君は何か思っている、その思いついたところから書き出すと良い」と言ったそうだ。そういう具合に話を始めよう。】
この一節から始まる物語。
V6の岡田准一さん主演の映画「関ヶ原」。(公開は2017年。原作は司馬遼太郎さん。
基本的には、西軍・石田三成と島左近からの目線で描かれる、関ヶ原までの歴史小説と言った内容。
「関ヶ原の戦い」を簡単に一言でというと、
家康と三成が秀吉の死後ドンパチやって、のちの覇権を争ったら、味方だと思っていた秀秋に裏切られ、1日で決着ついちゃった!
という感じでしょうか。(雑ですいません。。。)
どうしても「戦さ」という所にフォーカスしてしまいがちなのですが、
しかし、司馬遼太郎さんに言わせてみると「人間喜劇(悲劇)」とのことで。
そう思って観てみると、この物語は『関ヶ原という戦い』にフォーカスした作品のようであって、
実は、その戦いの背後にある『人間関係』あるいは『人心掌握』といった類いをフォーカスした作品という解釈ができるのであります。
天下分け目の戦さを前にして、御家存続に揺れる各大名に揺さぶりをかけ、長い長い年月をかけて関係各所に根回しをし、「コレ!」というタイミングで一気に動く。
家康の人たらしさが垣間見える一方で、
三成はまっすぐすぎるくらい真面目に、家康に挑んでいく。
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Historyの語源でもあるHis storyは、勝者の物語というだけあって、
歴史の敗者は悪いように脚色されるのが世の常です。
史実はひとつだけど、その解釈はいろいろ。
これが歴史の難しいところであって、また、面白いところ。その中にあって、この作品は後世に伝わっている、
三成の人となりや秀秋の裏切りとは少し違った視点から描かれているような作品でした。
結構長いですが、見応えはありますよ!
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結局のところ、大きな何かを成し遂げようとするならば、1人では絶対にできない。
如何にして味方を集めていくか。
ある者には将来のビジョンを、
ある者には実益を、
そして、ある者には(その人が持つ)三成への憎しみの感情を、
その各々にあった接し方で、人心を掌握していった家康。
打倒家康!復興豊臣!を掲げてきた、三成。
やっぱり相手にあったアプローチで仲間集めをしていかなくては、と再考した出来事でした。
日々の営業にも似たようなものがあるような気がします。
さて、お次は鬼丸さんです!
アーティストは観客が育てる〜リアクションのすすめ〜
2019年3月6日 (水曜日)
阿久根です。
花粉が舞う季節となってまいりましたが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?
私は先週までズルズル鼻水と目の痒みと闘っていましたが、週末やっと耳鼻科に駆け込む事が出来ました!!(パチパチパチパチ)
薬のおかげで呼吸のしづらさ、頭の働かなさはかなり解消されたように感じます…が
今度は副作用の眠気に翻弄される日々を過ごしています(*_*)
先日twitterを見ていたら、ある投稿が目に入りました。
その投稿を要約すると、「日本のエンターテイメントをより成熟させるには、観客のレベルを上げることが必要なのではないか?」という問題提起でした。
投稿者の方曰く、日本の観客が「鑑賞」に徹するのではなく「このショーを(舞台を)一緒に盛り上げよう!」という意識を持つ事が大事なのではないかとのこと。
そこで思い出したのは、先日ディズニーシーを訪れ、名物のショー「ビッグバンドビート」をほぼ最前列で鑑賞できた私ですが、一人で来ていた&周りの人が大人しく鑑賞していた事があり、感動で叫びたい気持ちを抑えてやり過ごすしかなかったという出来事です。
小さい頃から音楽が鳴ると踊り狂いノリノリになっていた私ですが、
成長するにつれ、心高ぶるライブを見ても、周りの人が全くのっていないのを見て、
「ここでは大人しく聴いておこう」もしくは「ノリノリの姿は周りから見てかっこ悪く映るかも」…などと余計な事を考えてしまい、結果とても真剣な表情で(仏頂面で)聴くしかないという事が以前もあったな…という事も、思い出しました。
「パフォーマーと観客の熱量の差」。パフォーマーは様々なオーディションを経て立てた晴れの舞台、流れる音楽やショーの設定に心から共感し、観客の皆にもその高揚感をお裾分けしたい!と弾けているのに、観客はその高揚感を受容しきれず、キャパオーバーになって真顔で立ちすくんでいる。
もし私がパフォーマーだったら、気持ちを共有できない虚しさと、白けた気持ちを抱いてしまうと思います。
パフォーマーに「人を魅了出来る」だけの力がないのであればそこはパフォーマー側がその力を磨かなければならないと感じますが、
ある一定の力があるのであれば、観客は「パフォーマーの伝え方を受け取りましたよ」と、笑顔や頷きや身体の揺らぎなど、何でも構わないから“反応”するのが必要だと、私は思うのです。
私にとっては、この意思表示は、直接会話をしなくても「表現」という形態でコミュニケーションをする相手であるパフォーマーに対して、最低限の礼儀ではないかとも思います。
これはエンターテインメントに限る事なのだろうか?多分、違うと思います。
日常生活のコミュニケーションでも思い当たる節がありました。
社会に出てもうすぐ一年が経ちますが、この一年は「分からないことだらけだから教えて頂かなきゃ」と、とにかく「インプットする」事に重きを置いていた一年でした。
お客様にヒアリング訪問をさせて頂いた際に、様々な事を教えて頂いたにもかかわらず、ただ真剣な顔で「そうなんですね、教えて下さりありがとうございます」と言うのみ。(心の中では『新人だ』とばれるのを恐れていました。バレバレなのに…)
メールで社内の先輩方に相談した際には、「知らない事を吸収する」事で精いっぱいになるあまり、
「承知しました。教えて下さりありがとうございました」と返信するのみ。
私がどのような背景で質問しているかを伝えていなかったので、社内外問わず不信感を抱かせてしまう事もあったかな、と反省しています。
「反応」する事が大事なんだと気づいてからは、分からないのに難しい事を言おうとせずに
驚きや嬉しさといった感情を全面に出すようになって、お客様との会話も前よりかは自然になったかな、と思います。
「サービスはお客様が決める」。日常会話であれば、誰もが誰かの「観客」になり得ます。
周りの心に残るパフォーマーになれるように、また誰かの表現を心に残せるように。
これからも「反応」を大切にしていきたいと思います。
次は石河くんです。
日本語を勉強したい
2019年3月5日 (火曜日)
こんにちは。
3月に入ったら社内(主にサービスマネジメント部隊)が何だかせわしない空気になったな…と思っている大門です。
去年はワケが分からないまま3月に突入していたので、それに比べたらできることも少し増えて、自分自身の心の準備もしていたものの、やっぱりこのざわつく空気感にまだドギマギしてしまう2年目です。
(本音を言うなら3月1日は「推し」の一人が誕生日なので、勝手にお祝いすることに全力を注ぎたい…けどこの仕事する限りは無理かな…とジレンマに陥って2年目です笑)
******
さて、既に3月ではありますが、今年やりたいな(できるかな)と思っていることの一つに、「日本語検定2級取得」があります。
ビジネスレベルの2級を取りたいのです。
実は3年ほど前に一度チャレンジしたのですが、検定の時期含めて2か月くらい体調を崩していて勉強できる状態ではなくなってしまい…。
(大腸にポリープができててしかも大きめのが複数いたので、切除したあと発熱したりごはんも食べられなかったり。更に1回では切除しきれず、検査からすべて切除まで3か月くらいかかりました)
僅かばかりの勉強ではやはり太刀打ちできず、その時は準2級認定止まり。※2級の試験を受けて正答率70%以上80%未満
悔しいなあと思いつつ、その後試験日と自分の予定が合わずにここまで来てしまいました。
そして、最近。
「リシュ活」関連で文章作成の代行をすることが増えてきました。
クライアント企業の代わりに「企業」の顔のひとつになることと、「リシュ活」サービスの顔のひとつになること。
それを考えると、やはり「へたくそ」な文章を書くわけにはいきません。
検定で2級認定をもらったからと言って、必ずしも魅力的な文章を書けるとは限らない。
けれど、どんな文章を書くにしても「日本語の基本」を改めてきちんと学んでおきたい。
あと、準2級のまま終わりたくない。
そんなことから、再度挑戦してみよう!という気持ちになってきたわけです。
受験は6月になるのか、11月になるのか、それともやっぱり見送ることになるのか。
決着がついたらまた改めてお知らせできればと思います。
…漢字検定は、30歳過ぎてからの受験でも平日のみ1日1時間勉強を1か月やったら、2級は余裕で合格できたんですけどねえ(そういう慢心が結果に出たのでは?笑)
そして検定とは別で、目を引くような文章を書く勉強もしたいなあと思うんですけど、はてさて。
次は阿久根さんです。
名脇役になりたい
2019年3月4日 (月曜日)
おおきに!カカこと石上です。パフに入社して、まもなく2年が経ちます。
4月からは新入社員が2名入るので、またまた緊張と期待感のある新年度が迎えられそうです。
今回は、この土日で観ていたあるドラマについてお話しします。
『バイプレイヤーズ 〜もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら〜』
2017年に放映されていたドラマで、by player、つまり脇役の俳優たちがシェアハウスをしたらどうなるか、という話です。
主演は遠藤憲一、大杉漣、田口トモロヲ、寺島進、松重豊、光石研の名脇役6人。
初めは、面白いのかな?と思いながら観始めたのですが、もう第1話からのめり込んでしまい、一気に2シーズン観てしまいました。
名脇役。
それは、主役と渡り合えるほどの存在感を持ち、主役を引き立たせる存在のこと。
普段、脇役にはスポットライトが当たることはほとんどありません。
しかし、脇役がいるから、主役が存在し、成立する。
そして、脇役こそが色んな経験を積んで、大物になっていく。自分に嘘をつかない演技こそが、その役にリアリティを与えることができ、相手の心に響く作品になる。
ユーモアたっぷりの作品でありながら、なぜか私の心に沁みるものでした。
いよいよ、三年目に突入する時期。
積極性や前のめりな姿勢を常に意識し、勢いを持って過ごした二年間。
心のどこかで、これで良いのか?パフは採用における主役ではないよね?と思いながら、ゆっくりと考える時間を持てずに過ごしていました。
しかし今回、バイプレイヤーズを観て、パフの石上は採用における「名脇役」になりたい!と強く決心しました。
そのためには、物事を俯瞰したり、相手を知ったら、まだまだ足りないことばかりですが、新しい目標ができて、改めて頑張りたいと思います。
お次は、大門さんです!
石の上にも。
2019年3月1日 (金曜日)
何が記念すべきかと言いますと、3年前の今日に私がパフに入社したからですね。
毎年この日あたりに回ってくるブログには振り返りを書かせていただいてるので、
今回もそんな感じで振り返って感じる変化を書かせていただきます。
あ、釘崎さんは変わってません。全然。
②当たり前のように「パフらしさ」を語るようになった。
これはちょっと前からそうなってましたが、
今も来期に向けての商品開発とかやってる中で、
「これはパフっぽい」「これはパフじゃない」とかいうセリフを
私自身が当たり前のように吐いてます。
入ってまだ3年なのにね、と思うとちと気恥ずかしいし、
最初からいる皆と本当に同じ目線で話せているのか
少し不安に思うこともありますが、どうやら共通言語化はされていそうなので
自分の解釈を信じてこれからも使います。
こういうところで目線が合わせられるのは
本当に理念型の組織の強みだなぁと実感してます。
③休日出勤が嫌じゃなくなった。
前職まではホント嫌いでした。
社内の皆の能力の高さは事あるごとに言ってますが、
本当にすごいです。皆年下なのに化け物です。
さらに社外に目を向ければ、同い年なのに完成品感のある曽和さん、
釘崎さんのドラえもんこと伊達さんをはじめ
多くの優秀なパートナーや、あぁこの人には一生敵わないなと思わせられる
お客様ともお仕事をさせていただく機会があり、
なんで自分は井の中の蛙だったんだろうと思い知らされます。
追いつきたいという思いがこの歳でも成長に繋がるのだと信じることにしました。⑤学生に就職の何たるかを語るようになった。
これは以前の私を知る人に聞かれると本当にバツが悪い話なんですが、
職サークル会員やお客様を受ける学生に対して、
「就活かくあるべき」みたいな話を進んでするようになりました。
適当な就活だった自分がよく言うよ、と毎回思いながら話してますが、
適当だったからこそ、ちゃんとわかってれば全然違うということもわかるんですよね。
他人なんかどうでもいいスタンスの私が、目の前の学生に
「いい就活をしてほしい!」なんて本気で思ってるあたりが一番の変化でしょうか。
⑥人事の方々に採用の何たるかを語るようになった。
一方、人事の皆様にも採用について熱く語る機会が増えました。
正しい採用とは、いい採用担当とは、なんて、
前職までは考えたこともありませんでした。
これは完全に釘崎さんから発したパフマインドに
染まったと言っていいと思いますが、
まさかこの私が人事の皆様相手に
「採用とは」という講演まですることになろうとは。
※田代に嵌められた
人って本当に変われば変わるんですね。と他人事のように思います。
⑦結果昔の仲間を見直したり。
⑤とか⑥について、私はパフに来たおかげで課題感を持つようになったわけですが、
前職までの仲間が私と同じように何も考えていなかったのかといえば、
昔の会話を思い出すに多分そうではないなと。
パフのように全方位で採用成功支援をしていれば
考えざるを得ない要素だったりしますが、
ツール制作という限られた範囲の事業でも
ちゃんと正しい採用や、いい就職を考えて
日々働いてた仲間がいたんだなぁと思うと
誇らしく思ったりもします。
毎日はいつものように過ぎていくけど、振り返ると結構色々変わってますね。