パフスタッフが綴る何気ない日常。日々感謝をこめて。「パフ・ザ・マジックドラゴン 執務室」

チキみんの引きこもりLIFE

2020年7月10日 (金曜日)

ブログの投稿、遅れてしまい申し訳ございません!!
はすみんです。

なぜかギャンブラーと鬼丸さんに紹介されてしまったのですが、最近の自己認識はチキンでしかないはすみんです。
明日も、まだ飛べないのに崖から突き落とされそうな気分のチキンはすみんです。

もうチキみんと改名した方がいい気すらします。

ブログ当番に気づかず当日の朝を迎える、という失態を冒してしまいましたので、今日は短く最近を振り返る、というヤツをします。
いつもいつも長くて想い重い文章になるので、バランスをとるつもりで。。。

ということで最近、毎朝毎晩ヨガをしています!
10分~15分の動画をYouTubeで適当に見つけて、見よう見まねでやるのですが、なんだか落ち込みづらくなった気が…!笑
少なくとも、家では少しは明るく過ごしています!

それから、ウッドタイルを大量に注文してベランダに敷き詰めました。
1カ月前に自分の中で種まきブームが巻き起こり、買ってくる野菜全て種を植えて育ててみる、をしていたので、ウッドタイルの敷かれたベランダでは様々な植物が育っています。
メロンの芽も、グレープフルーツの芽も出ています。

その流れで、最近はハイドロプランツもきています。
土ではなく水で直接植物を育てるヤツなのですが、100円で勝った観葉植物の根を水で洗い、昔バリで勝ったガラスの容器にハイドロプランツ用のビーズを入れてそこに苗を突っ込むと、結構おしゃれになりました。

また、コロナ期間はプチDIYに明け暮れていたのですが、最近は作るだけでなく色塗りもし始めました。
これまた百均で買った白いペンキで、家の中の気に入らない色の小物を、これでもかと真っ白く塗りたくっています。
タオル掛けも、鏡のふちも、時計も、小さい棚も、ごみ箱の枠も。

一人暮らしではない、というのは大きいとは思いますが、人に会えない寂しさよりも、自分で好きなことをできる楽しさの方が何倍も勝ったこの期間でした。

以上、引きこもりチキみんの近況報告でした!

お次は、在宅勤務はどうでしたか?
さとみんです!

そうだ、エア・トリップしよう。

2020年6月18日 (木曜日)

旅に出たくなったら、あの日あの場所を思い出して「エア・トリップ」するはすみんです。
鬼丸さんに旅の巨匠と言っていただいて素直に嬉しいので、今日は旅ネタでまいります。
ちなみに旅やリゾート系の番組、私も大好きです!
お気に入りはYouTubeの、超高級リゾートの景色をひたすら流す「the Luxury Travel Expert」です。
ぜひぜひご覧あれ。

では、はすみんの旅の軌跡を、ちょこっとご紹介したいと思います。
Facebookでよく見る旅自慢みたいになってたら、すみません…

私の旅の歴史は、浅いです。
子供の頃は、旅といえば両親の実家の鳥取と広島に帰省するくらい。
国内海外あちこち旅行に連れていってもらえる、羨ましキッズではありませんでした。

初めて海外旅行に行ったのは、19歳くらい。
大学のサークルで、バリ島の孤児院に日本語を教えに行く活動の一環としてでした。
今も忘れない、旅立ちのあの日。
ず~っと楽しみで前々から準備していたにも関わらず、成田空港まで行くのに乗る予定だったスカイライナーは【事前予約が必要だった】ことを、
当日の朝、小田急線の中(多分登戸あたり)で初めて気づき。
「初めて海外に行くわくわく」で激しくなっていたはずの心臓の鼓動が、別の意味で「…ドクンッ」といって、
冷や汗と動悸、白黒の視界にとって代わられた瞬間でした。
(どうにかこうにか当日のチケットを買って、無事空港につきました)

次に海外に出た時も、行き先はバリ島でした。
今度は留学&インターンに行ったのですが、その合間でもちょいちょい旅を繰り返しました。

インターン用のビザをもらいにシンガポールへ。
バリに家族が来たときはお隣のチュニンガン島へ。
彼氏が来たときはお隣のレンボンガン島へ、クアラルンプールへ。

さらに友達とヌサプニダ島へ、ギリ島へ。
また友達に会いにジャカルタへ、ジョグジャカルタへ。
後輩に会いにロンボク島へ。
2-3時間バイクの後ろに乗ってシンガラジャへ。

地名を並べられても意味不明だと思いますが、要は近隣の島々です。笑

また、結構1人旅が好きだった&宿泊施設そのものが好きだったもので、バリ島のウブド、クタ、サヌールほかあちこちに1人でも足を延ばしました。
何の目的もなく1人で泊まりに行っては、宿にこもってテイラーのライブ動画を見まくって、この世の楽園を味わっていました。

インターンが終わって日本に帰るタイミングでは、中継のクアラルンプールの宿の物置きに全ての荷物を預け、1人カンボジアへ。
アンコールワットをひたすら歩いたり、バイクのおっちゃんを1日雇ってコウモリの洞窟を見に行ったり、ベッドが超狭い夜行バスに揺られて次の街まで7時間移動したり。
最後に行った小さな島、コー・ロン・サンロームでは、ネットがない、お湯がない、個室もない状態で4泊(1泊3ドル‼‼)し、主にマンゴーを食べて過ごしました。

そんな生活をした直後、日本に帰って就活をはじめ、パフに出会った訳ですが笑
それはさておき。

その後、最後に自分らしい旅をしたのは、卒業旅行のとき。
パフには「いつからいつまでインターンはできません」と宣言し、人生初のヨーロッパへ行きました。

モスクワ経由、バルセロナ発着で往復のチケットを買い、途中のルートはほぼ決めず。
機内持ち込みだけで旅をするため、持ち物の総重量は10kgちょい。
途中で服を捨てては、減ったぶんだけお土産を買う、という原理で身軽に動きました。
合計2カ月弱、食費も宿泊費も節約ざんまいで、本当に行きたい場所にはお金を使う、というスタイルの放浪の旅でした。

まずモロッコで友達と合流、サハラ砂漠で一泊し、満月のもとでさばしょん。(敢えてひらがな)
フェリーでジブラルタル海峡を渡り、イギリス領のジブラルタルでまずいまずいフィッシュアンドチップスを堪能。
そのままスペインをバスで移動し、美術館や市場を訪れながらマドリードへ。
そこから飛行機でギリシャに入り、相当な数の遺跡をまわりました。
ハネムーンのメッカ(?)サントリーニ島も1人でふらふら満喫し、ちょうど船が安かったので行くことにしたパロス島では、史上最高の部屋に泊まりました。
その部屋についてたオーブンでシンプルに野菜を焼いたら、人生で一番美味しいレベルの「焼き野菜(?)」ができたのもいい思い出。
アテネに戻ろういう時、台風で予定の船が来ず、どうなることかとひやひやしましたが深夜に無事に船が出て、お次はマルタへ。
そういえば、「やっと船が出そう!」と家族にLINEで連絡したとき、お父さんが「神に感謝だ」とか言っていたのは忘れません。
ごめんよお父さん。

マルタでは友達と合流して、久しぶりに日本語を話し、文明的な気分になりました。
そのまま鉄道に乗って北上し、イタリアはミラノやヴェネツィアをめぐり。
その後鉄道でドイツへ行き、映画のように美しい港町も訪れました。
そこで節約のつもりで買った缶詰が缶切り必須のタイプで、「スプーンでこすって缶詰を空ける」ハックに初挑戦しました。
小さな小さな穴からレンズ豆のスープをすすった幸せな夜は、忘れません。※豆がなかなか出てこない

最後はまたバルセロナに戻り、モスクワ経由で日本へ帰りました。

良い日々だった…
こうして振り返ってみると、いかに自分が幸せ者か、なんだかじーんときますね。。。

まぁしんみりは置いておいて現実に戻ると、
在宅で疲れたとき、いらいらしたとき、暴走したいとき、
あの日あの時の、色んな場所へエア・トリップしていました。

お気に入りだった、Airbnbのあの部屋。
パロス島で野菜を買ったあのスーパー。
満天の星空のもと、波音に隠れてテイラーを熱唱したカンボジアの島。
ホステルの、洞窟みたいなバンクベッドで入り口を覆って作った、私だけの楽園みたいな空間。

見ての通り私は、世界各地でパーティーに繰り出し、現地でたくさん友達を作って帰ってこれる系の人間ではありません。
でもだからこそ、こもったり巡ったり飛び出したりした、この旅ができた。
これはこれで、お金があって時間がない社会人にはできない、または社交的でアクティブな人にもできない?
「ザ・プライスレス」な旅でした。

嗚呼。
今夜は、写真を眺めて眠ります。
(こういう旅が好きな人、募集中)

お次は、旅行の時は「準備8割」っぽい!?さとみんです。

13日の水曜日

2020年5月27日 (水曜日)

今パフで一番ハッピーらしい、はすみんです。

鬼丸さんに言われてしまった(笑)ので書きますが、今月入籍しました!
5/13です。
13はTaylor Swiftのラッキーナンバー!及び付き合い始めた記念日。
で、5月はご主人さんの誕生月です。

コロナの影響もあり、単にそういうことが下手なのもありで、会社にも上司にも友達にも親族にも、またお世話になっているお客様にも、うまくご報告ができませんでした…
聞いてないよ?!という皆さま、本当に申し訳ございません。

会社に報告する時も、まず上司に報告したあとは皆さんにどう伝えるべきか分からず、ある日の朝礼の連絡事項のタイミングで話してみたところ、「え?え?え?」という雰囲気に。
その日の朝礼に出ていなかった方にはもちろん伝わっておらずでして、その後話が出るたびに「え?どゆこと?知らないの私だけ?」みたいな気分にさせてしまっていたら、本当にすみません。
さらに、結婚報告を完了して気が緩み、会社への入籍報告を2週間ほど忘れていました。。

次に結婚する際は、もっとうまくご報告してみせます。(なーんてな)

さて、1つ最近気になって仕方ないのが、人に言う時の呼び方。
今まで本人を呼ぶときは名前呼び捨て、友達に言う時は「彼氏」で済んでいたのですが、もうそうはいきません。

これは困った。

「旦那」は私の中では、40歳以上です。
「主人」は多少の年齢不詳感はありますが、それでも30歳以下には使いづらい。
ちなみにご主人さんは、29歳になったばっかりです。
「夫」は、35歳以上なのと、なんでだか少しなよなよして聞こえる。
若くても使えるのはなんだ?と思って女性の場合を考えてみましたが、「お嫁さん」はアリでも「お婿さん」はちょっと…ですよね?
「うちの嫁がさー」 うん、OK。
「うちの婿がさー」 うん、OUT。

しかも今までは「彼氏・彼女」という「関係性」で認識していたのに、「夫・妻」などにすると「続柄」感がハンパない。
会話の度に続柄を強調するのは、なんか嫌です。

そんなこんなの悶々期間を経て、冒頭では「ご主人さん」を採用しました。
一番年齢不詳なのと、人に対して「ご主人さまは…」という風に使ったことがあるのでまだ親しみがあるのと、「ご」と「さん」をつけると少し距離を感じさせるので使いやすく、、という感じです。

ま、どうせすぐ会社中に本名が知れ渡って、皆から呼び捨てで呼ばれるようになるであろうことは、諸先輩方を見ていれば分かるのですが。

ちなみに苗字は、私が「岡崎」を捨てることにはなりましたが、仕事上では永遠の岡崎です。
戸籍上はTNKさんになったので、毎日1回は「TNKさん。はーい。」と2人で手を挙げる、というトレーニングを行って、自分の名前を忘れないようにしています。

そんなこんなで、入籍のご報告でした。
いつもセットで聞かれるので一応書いておくと、挙式は来年の夏です!
それまでに消え失せてくれろ、コロナ。

ではお次は、朝礼に結婚報告爆弾を投下する前日に個人的に報告したとき、とっても喜んでくれてありがとう! さとみんです。

「素養がある」話

2020年4月30日 (木曜日)

WEB打合せで画面に映る自分が、なぜかいつも顔面蒼白なはすみんです。
皆さん、コ〇ナで大変ななかですが、いかがお過ごしでしょうか。

岡崎はこの1ヶ月ほどの在宅勤務のなかで、「働くということ」、「自分の仕事の仕方」、「働き方」等など、振り返ってふと考えてしまうことが増えました。
考え出すと止まらないので、一旦ここでは置いておきます。

そして皆さんきっと、「コ〇ナ関連の内容だろうな」と踏んでらっしゃると思うので、天邪鬼(あまのじゃく!ってこう書くんですね!)岡崎、それも避けます。
…前回は壁にビーチを貼った話を書きましたが笑
※ちなみに今夜もジャングルの中でお湯につかり、映画を見る予定です。

コ〇ナコ〇ナ、右を向いても左を向いてもコ〇ナコ〇ナな日々で最近私が求めてやまない、
「コ〇ナとなーんにも関係ない話」
を、させていただきたいと思います!

ということで今日は、
「いつまで経っても人を励まし、勇気づけ続けるささいな一言」
というテーマでブログを書きます。

(その一言を思いついてから、テーマを後から決めた、ということがバレバレでしょうか?)

さて私にとってのその一言は、本日のタイトルのとおり。
「素養がある」です。

これは誰に言われた言葉かと言いますと。
中学校のバドミントン部の顧問の、小林先生(実名です、一般的な名前なので許してください)から言われた一言でした。

それもまた、直接ではなく人づてに。

確か中学生の私が職員室に体育館の鍵を取りに行ったとき、誰だか忘れましたがそこにいた先生に、軽く声をかけられたのです。
「おー岡崎、部活頑張ってるらしいじゃん」みたいに。

いきなりで驚いたのと照れ臭かった私は、てれてれ笑いながら答えます。
「えーそんなことないっすよ、てか誰に聞いたんですか?」
こんな生意気な物言いしてたかは別として。

するとその先生は答えてくれました、
「小林先生がね、「岡崎は素養がある」って言ってたよ」
と。

何かよくわからんが誉められたことだけは分かった私、もっとてれます。
「なにそれー、素養ってなんですか素養って!」

先生「素質みたいなもんだよ、見込みがある、みたいなこと。良かったじゃん。」

そんなんゆわれたら岡崎、こんなんです。
ヘ(≧▽≦ヘ)♪

そのあとどんな会話をして体育館に戻ったかはもう記憶の彼方も彼方ですが、その「素養がある」って言葉が嬉しすぎたんでしょうね。
なぜか24歳社会人になった今も、忘れてません。

今でも何かの拍子に、よく思い出すのです。
「そういえばあの時、小林先生が「素養がある」って言ってくれたなぁ~」と。
そして、なんだか暖かくて力が湧いて、頑張れる気持ちになるのです。

その当時も嬉しくってたまらなくって、お母さんにも話しました。
「小林先生にね、素養があるって言われたんだよ!!すごくない?!」

そしてその後中学を卒業するまで、アホみたいに毎日毎日部活が楽しみで、
昼休みもお弁当食べたら階段駆け降りて友達と外に飛び出して時間目一杯シャトルを打って、
外練の外周もフットワークも楽しくて楽しくて、、、

今考えると、不思議でたまりませんね。
が、そんな日々を過ごしました。

友達にも環境にもある程度恵まれていたことと、あの小林先生の「素養がある」っていう言葉とが、私の中学3年間を物凄くキラキラさせてくれた…。
そんな気がしています。

でも「本当に小林先生がその言葉を言っていたのか、言っていないのか」は不明である、ということには数年前にやっと気づいたのですが…笑

ふぅ。
しばしの間でも、皆さまがコ〇ナから逃れられていたら幸いです。笑
お次はさとみん!

岡崎のちっちゃな野望

2020年4月7日 (火曜日)

鬼丸さんに続き、あっさり味でお送りします岡崎です。

遂に4月に入ったと思いきや、コロナでおうちに缶詰め状態。
アウトドア大好きスポーツ大好きな岡崎ですが、実はインドアな物事も大好きです。

まずこの土日は、部屋の大方付けをしました。
今は2人暮らし2年目なので、これまで2人の荷物がある程度分けて置かれていましたが・・・
この土日でそれらを床に並べて大整理、被っている物はカテゴリーごとに分け、不要なものはこの際に思い切ってさよなら。
無駄のなくなった空間に、とてもすっきりした気持ちです。

そしてこの土日にもう1つしたことは、ステッカーの注文。
何のステッカーかといいますと、お風呂の壁に貼るウォールステッカーです。
外に出れないとなると、うちの中を楽しくしたくなるのが人間の性。

南国風の草木と動物のビッグサイズステッカーを、色んな種類から迷いに迷って注文して、今は到着を心待ち中。

お風呂の壁にぐるっと貼った暁には、
「ジャングルの中でお湯につかり、ロックでウイスキーでも飲みながら映画を見る・・・」
なんてできたら最高ですね!

もう1つ買ったステッカーは、窓から外を見ている気分になれる、フェイク窓ステッカー。

なぜか我が家には置き型ハンモックがあるので、その横の壁に貼る予定。
ハンモックに寝そべってそちらを見れば、もう気分はハワイアンもしくはバリニーズ。

来週の土日も大忙し。
花の慶次ももう一度読み返したいし、北斗の拳も読み進めなきゃ。
Netflixでも見たい映画は大量で、アマゾンプライムもお試し中だから有効活用必須。
あとはキャンディークラッシュ(ゲームです)もやりたいし、ミニトマトと大葉の種も蒔かないと。

以上、StayHomeに全力で勤しむ岡崎の、近況報告でした。

お次はさとみん!

社会人になって分かったこと

2020年3月16日 (月曜日)

旅行は超貧乏、もしくは振り切って贅沢に徹する、どうしてもバスツアーだけは許せないはすみんです。

遂に、3月のブログ当番が来てしまいました。
ということは、次に来るのは4月のブログ当番。
そう2年目です。社会人2年目。良い響きですね。
フレッシュかつ、ちょっと仕事できそう。

まだケツは真っ青ですが、2年目になるのは定めなので、1年目最後のブログをここにしたためたいと思います。

区切りとなる今日は、社会人になってみて分かったことを徒然なるままに書きます。
※思うままに勢いよく書いてみたら、遥か彼方まで遠回りした長い長い文章ができていました。
すみません!がこのまま載せます。

よく「相手の立場に立って物事を考える」のは大切だと言いますよね。

でも相手の立場に立つのって、相手の立場と近いものを経験していたり、身近に相手と近い立場の人がいたり、映画や本で読んでそれを疑似体験していて、相手の立場を「想像」できるからこそ初めてできることだと思います。

そうではないのに「相手の立場に立って」と言う時は、要は相手に自分の立場に立ってみて欲しいだけだったり、本当は理解なんぞしていないのに理解したフリをしてこちらの言うことを聞かせたい時だったり。

結局、相手を思いやっている状態とは程遠いところにいる時、でしょうか。

さて、少し前。
と言っても体感的には決して少しではありませんが...
私は大学生でした。

入社直後のブログで一度、「社会人」と「学生」を対比させて別の生物のように書いたことがありました。

【新入社員岡崎初投稿!】社会人ってなんだろう

その時私は、「学生」である私が「社会人」という別の生き物になり、「学生」の立場としての自分の考えを失ってしまうのが少し怖かったのではないかと、今思っています。

実際1年間社会人として過ごしてしまった私は、二度と学生には戻れませんし、純粋な学生の立場で物事を考えることはできなくなっているのだと思います。

また、社会人になってから何度もこう思いました。
「学生の時は、社会人てこんなだって、全く想像ついてなかったなぁ」

ある意味心配性で、空想・妄想癖のある私は、未来のことはかなり想像します。
社会人になったら、こんな苦労をするかな。
毎日こんな気持ちで目が覚めて、こんな日々を過ごすのかな。
そうやって未来を想像すると、ワクワクどきどきというよりは、ソワソワちくちくします。

でも。
やっぱり社会人になってみたら、そうやってソワソワちくちく想像してたのとは、違う毎日がありました。
いくら想像したってドラマで見てたって、やったことのない「社会人」をリアルに想像しきることはできないですよね。

そして今、1年目を終える時。
まだ残っている学生の自分を呼び起こしながら、少し相手の立場(社会側)に立って考え感じた率直な想いを、羅列してみます。

「社会人って、よく知らない人相手に、ある程度仲良しに振舞わなきゃいけない。
学生の時は、合わないなら気軽に距離おけたな」

「社会人って、完成品かと思ってた。
実際は思ってたよりよっぽど不安定。学生の方が、ある意味自分に対する思い込みを持って、安定した状態で過ごせるのかも?」

「社会人って、小さいことにいらいらすんだな。
満員電車で押されただけで、ここまで胸糞悪くなるっけ」

「企業って学生欲しいんだ。
じゃ学生ってなんで落とされないようにビクついてんだろ」

「社会人って、冷めたもんかと思ってた。
でも、熱い気持ちで連絡をくれる人がいる。よく知らないような会社に、私が役に立ちたい、何とかしたいと思えるおじさんがいる」

「面接官ってマジか、トレーニングしてんのか。
まぁでも同じ人間で、会社で働いてて、勤務時間の一部分で学生の面接を担当させられてるだけだもんね。当然だよな」

「社会人って、街中に溢れてるな。
学生の時に見てた、カフェでパソコンいじるおじさんも、CMに出てきそうな綺麗なお姉さんも、電車で死にそうになってるおばさんも、金曜夜の見るに堪えないお兄さんも、全部社会人だったか。あ、今や自分もその一員か。」

などなど。思いました。

一方で、想像してたのに今もまだ見つけられていない「社会人」も、自分のなかに沢山います。

「なるほど社会人って、思ったことめちゃくちゃ言う人と、ほぼ言わない人がいる。
今自分がここでこんなこと言ってみたら、こう思われるのかな。怒られるかな。もしかしたら、状況を動かす意味のある発言になるかな。いやいや、調子乗ってるって流されるかな。」

最近少しずつ思ったことを言えるようになったのに比例して、自分の頑固さや扱いづらさも出始めていることを感じる今日この頃。

爽やかにフラットに気持ちを伝えられる社会人の自分には、まだ出会えていません。

「社会人って、友達の大部分は大学までの友達なんだな。
でも、あれ?社会人になってからたまに会うと、自分がいかに「社会人らしいか」で、自分も含めみんな無意識に競ってる?
残業、出張、上司、仕事で大変なこと、扱う金額、取引相手。あれ、私ってこういうことを気にしない人でいたかったはず。」

想像していた社会人同士の飲み会ではなくて、会社で働き始めた大学生が大学生同士で飲んでいるような。

部活のように激しく仕事をやり切って、部活のようにどこにもストッパーをかけずただ疲れを分け合って飲んで遊ぶ。
そんなかっこいい汗をかく社会人の自分には、まだ出会えていません。

学生の自分が見ていた社会人。社会人の今思う、学生だった自分。その両者は思っていたより遠かったですが、ある意味思っていたより近かった。

今ふと、昔から事ある毎に感じていた、ある感覚を思い出しました。
「何かをいきなり大きく変えることはできない。頑張ったってできるのはどうせ、今の状況や今の自分をほんの少~し変えるだけ。」という感覚。
私の中ではずっと、ある種の諦めでもありました。
そして、今それを再び実感しました。

なんでだか一気に変わるんだろうなという気でいたけど、社会人になったって、別人種にはなれない。
見えなかった面が見えるようになってびっくりはするけど、その実、社会人って学生と大して変わらない。

1年経ってこう思えたことは、2年目からの自分に少し勇気を与えてくれる気がしました。
「1年やったって大して分かってないし、大して変わってないから。1年間分の経験をしてみただけで、何もステージは上がってないから。」

学生の自分と社会人の自分、1年目の自分と2年目の自分は、同じ人種。
この事実を、「気休め」にも「自分の鼓舞」にも使いながら、4月、そして後輩を迎えたいと思います。

そういえば春休みのない春って、初めてです。。。
お次は、学生時代から今と変わらず働きまくっていた?!さとみん!

風が吹こうが吹くまいが桶なんか買わない、天然少女(?)はすみんです。

今日は、同期のさとみんとバドミントンの試合に出る話をします!

さとみんは中高、私は中高大と部活でバドミントンをしてきました。
今回ひょんなきっかけがありまして、女子ダブルスを組んで3月始めのオープン大会に出ることになりました。
年末ごろに出場を決めてから二人で練習に行くようになったのですが、その中で色々と気づくことがありましたので、そのことについて書いてみます。

①めちゃくちゃ性格が出る:練習日程の組み方編

私は次の練習日は基本決めません。
その日その時練習できる状態か分からないし、その時になったら新たな体育館を見つけているかも知れない。もはや建っているかも知れない!
さとみんは、しばらくしたらいつも「次いつ練習しよっか?」と声をかけてくれます。
結局いつも新しい体育館なんぞ建ってはいないので、現実的に前回の所か、空いている所でやることになります。

いつもおしりを叩いてくれてありがとう。

①めちゃくちゃ性格が出る:練習中の発言編

さとみんは、結構練習中に喋ります。
「あ~今上げたからサイドに開いて、バック警戒してなきゃいけなかったのにフォア来たか、構えるの間に合わなかった~」的な。
具体的には上手く思い出せませんが、そんなラリー途中のさとみんの発言を聞くたび、「そんなに考えながら打っていたのか!すご!」と思うわけです。
ダブルスになるとお互いの性格や役割の違いがかなり明確に明らかになる気がします。
私たちの場合完全に、「考えて戦略を練るさとみんと、ひたすら攻めるはすみん」というペア像が見えてきています。

いつも一言、「相手こうだからこれ気をつけようね」とか言ってくれてありがとう。
言われるまで全く気づいてないので、大変助かります。

①めちゃくちゃ性格が出る:ミスに対する考え方編

私は、1つ1つのミスよりも、全体の流れが大切だと思っています。
気合を入れて、大声を出して、突っ込んでいって、見事にスマッシュをネットに引っ掛けてもそれは良し。
その時自分の体が伸び伸び動けていて、怖がらずに次のラリーに向かえて、次も思いっきりスマッシュを打てる、ということの方が大切だと思うのです。
実際ミスった時は、「うおー!」「くそー!」「ごめんー!」とか叫んだあとは、比較的ケロッとしているつもりです。
さとみんは、結構ミスを重大に捉えます。
私に「おいこらミスってんじゃねーよー」とか言うわけではなくて、「あーやっちゃった、ごめん!」って感じで自分のミスをすごく重く受け止めているように見えるのです。
ミスを軽んじない、真正面から受け止めて1つでも減らすように対策を講じる、という姿勢があるのだと思います。

それは絶対必要と思いますし、部活でも昔から言われてきました。
「ミス多すぎてアドバイスすることないよ」
「攻められたわけでもなく普通のラリーなのに、なんでそんなに自分でミスるの」

はい、そうですね。(カッチーン!)
ミス減らさないといけないのは百も承知ですが、「減らさないと」と思ったらミスが減る訳ではないですしね。

どうかどうかさとみんには、あんま気にせずプレーしてほしいです笑

なんか「私のも見逃してね」と言ってるようになってしまいましたが、そんなわけではなく笑

大会でいい結果が出れば、次回のブログネタにしようかな?
お次は、会社ではおっかないライバル、バドでは心強いパートナーのさとみんです。

とうもろこし岡崎の内省①

2020年1月30日 (木曜日)

朝採れのとうもろこしよりフレッシュな、はすみんです。
とうもろこし並みにフレッシュにも関わらず、流れにのって今回は少し過去の話をさせていただきます。

先日、外大出身でパフ出身という、世界に二人といないであろう先輩(件のツチダさん)にお会いする機会がありました。
それも、年末年始の1ヶ月間に計3回も!笑
最初は吉川さんの副社長就任パーティーで初めてお会いし、次はツチダさん帰国タイミングに開催された貴重なパフ飲み、最後はその2日後に誘っていただいた、ツチダさんの外大ご友人との飲みでした。
ずっと気になっていた方に遂にお会いできた!と思ったら、そのままコロコロと何度も会えた、という超ラッキー事件でした。

さてその最終回の会にて、ツチダさんの外大ご友人(キャラと顔と話がめちゃくちゃ濃い)ともお話させていただき、何だか胸がざわざわ・ワクワクとする楽しい夜を過ごしました。

前置きが長ーーーくなりましたが、その時色んな刺激的なお話をお伺いし、とうもろこし岡崎は触発されまくりました。
そして「やろう!」と思ったスモールステップの1つとして、「自分の辛かった経験を振り返り内省する」というものがありましたので、今回のブログネタにしてしまおうと思います。
深い内省は次回に回すとして、今回はパフとの出会いとも絡めながら、全体を振り返ります。

さて。
一部ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、私は大学3年次終了後に休学し、インドネシアのバリ島に留学に行っていました。
前半は現地の大学の外国人コースに属し、インドネシア語でインドネシア語を学びました。
そして後半は、バリ島の中でも高級リゾート地として有名な地域で、日本人GRO、つまり日本語を話せるコンシェルジュ的な立ち位置でインターンシップ生として働いたのです。

この経験は、職業観うんぬんではなく、私の人格にも多少なりとも痕跡を残すほどの、深く強いものとなりました。

今でも、住んでいたホテルの部屋から、床のタイルの質感もカードキーが開く音も、どんどんきつくなっていった制服の着心地まで、はっきりと覚えています。

まだあの大変だった日々を完全に綺麗な思い出にはできていませんし、自分のなかで「良い経験」としてうまくはまるような解釈や位置付けも、まだ見つけられていません。

それでも、超感傷的ですが、あの頃の感覚はとにかく鮮明に私の中に残っています。
あの南国の空気と、必死に敷地内を歩き回るあの感じ。
仕事を終えた時の脱力の感覚と、仕事が始まる朝のカミカゼ特攻隊のような気持ち。
数少ない信頼できる人が隣にいる時の泣けるような安心感と、1人でカウンターに立つ時の心細さ。

ホテルで働くのも初めて、英語で生活したこともない、インドネシアには来て半年弱、という状態でなぜかインターンに受かってしまった私は、もう泥沼で奮闘するしかない日々を過ごしていました。

そして、半年が経ちました。
帰国して就活生となっていた私は、もちろんこの経験は使えるだけ使ってやろうと、売り込みエピソードとして使いたおしました。
色んな媒体に登録していた自己PR文にも、面接でも、履歴書でも。

確かに、まぁまぁ美味しい材料でした。

恐らくバイトリーダーなどの話に飽きていらっしゃった面接官の方々は、まずインドネシア語に食いついてくれ、バリ島留学に食いついてくれ、「辛かったけど頑張ったホテルインターン」に食いついてくれました。
もちろんもっとずっと凄そうな経験をした就活生の方もたくさんいましたが、私自身ちょっとは変わったエピソードを話せることに、正直なところうっすらとした優越感と、謎の安堵も感じていました。

でもどこか、そんな「使い方」をしながらも、心のなかでは真っ直ぐにその経験を見れない、向き合えない自分がいました。。。

はっきり言えば、その「辛かったけど頑張ったホテルインターン」は、そんな綺麗なもんじゃーなかったんです。

ほんとは、毎日ただ辛かった。

もちろん頑張ったけど、逃げたかった。

自分の部屋までかかってくる、日本人客からの電話に出たくないから、休みの日は一人でもできるだけ遠くに出かけた。

自分が成長することなんか二の次。
ただ今日を必死で乗りきって、ミスをしてこってり怒鳴られた時のあの思いを繰り返したくない気持ちの方が、よっぽど強かった。

頼れる人がいつも身近にいる訳ではないから、いつの間にか自分がとんでもなく大きなミスをしてしまっていないか、問題を起こしていないか、いつもビクビクしていた。

設備の古さ、制度やシステムの荒さ、先輩の指導、その他目につくことに憤って、心の中で非難して、ただ食べることでうさを晴らしていた。

見事なまでに10キロ太って帰国を迎えた最後の日だって、頑張った仕事や仲間との別れが辛いことより、やっと解放されることへの安堵が勝って、泣けなかった。

綺麗でもなんでもない、主に我慢と自己嫌悪の日々。

それをまるで、汗水たらして健気に努力して働いて、意気揚々と凱旋帰国したかのように面接で語る自分。
(嘘をついていたのではありません。ただ、語り方の問題)

「もっと要領のいい他の人が同じ境遇にいたら、絶対こんな辛くなかったし、実際そんな風な凱旋帰国ができていたんだろうな」、と思う自分。
そんな濁ったヘドロみたいな思いが、実は心のなかにありました。

もう帰国して2年は経ちますが、こんなにはっきり振り返ったことはありませんでした。
バリ島を出てすぐに英語とインドネシア語で頑張って書いた、お世話になった方々へのお礼メールも、ずっとメモ帳で鎮座したまま。
校正ばかり繰り返して、なんと未だに送れていません。
それくらい、真っ直ぐ見れない、自分の汚さがやたら目につく日々でした。

今回こうやってつらつらと書き、改めて思い出したことで、すこーし気持ちが楽になりました。

さて、パフを振り返ってみると。
…ツチダさんがいらっしゃった昔のことは露知らず、ですが笑
今のパフはきっと本当に奇跡のような会社であり、職場なんだと思います。
嫌な職場ってきっと、何か事がある度に嫌な面をより強く感じてどんどん失望していくのではと思いますが、
今のパフでは何か事がある度に、社員の暖かさや底知れない懐の深さを感じます。

パフを受けた時、役員面接でお会いして私を推してくださった某Oさんは、私がこのインターンを「2度とやりたくない」と正直に言ったことが、合格の決め手だったと仰っていました。

パフでの仕事はもちろん簡単ではないですし、自分の成長のなさに自分でびっくりもします。
でもあの時感じた、この「汚い経験」を「綺麗ごと」にして包み隠していなくてもいい、と言ってくれるようなパフに対する安心感は、特別なものでした。
やみくもに就活していた私にとって、他のどこにも見つけ出せなかった、「私が居たい場所」でした。

なかなかに長いので普段パッとは言えませんが、これも私が「パフに入った理由」の1つだと思います。

以上、乱文炸裂、とうもろこし岡崎の感傷回でした。
次回はもっとちゃんと内省します!

お次は、何でも受入れて全力でぶつかる天才、さとみんです。

怒涛。2020。

2020年1月8日 (水曜日)

次の当番はまぁだまだだよなぁーと思っていたのに、まさかの明日!?と昨日気づいた岡崎です。

皆さま、明けましておめでとうございます。
本年も何とぞよろしくお願い申し上げます。

さて、新年初は絶対年明けに全く関係ないことを書いてやろう!と意気込んでいたのですが、鬼丸さんからがっつり振られてしまったので、カナダでの年越しのことを書かせていただきます。
(鬼丸さん、折角振っていただいたのにすみません。)

この年末年始、私は人生で初めて海外で年越しをしました。
バリ島留学は1月に出発して12月に帰ってきたので年越しは日本、卒業旅行も1月に出発したので、年越しは日本でした。

さて初の海外年越しとなる今年、知り合い(ホストファミリー)の住んでいる、カナダはモントリオールまで行ってきました。
滞在はその知り合いのお宅!ありがとうございました!

やはりというかなんというか、あまり年を越えた感じはしませんでした。
日本にいる人からは、カナダではまだ大晦日の朝なのに「明けましておめでとうございます」のメッセージが来るし、一体いつが今年の区切りなのか?という感じ。

でも初めてのカナダでの年越し、満喫してまいりました。
ちょこっと振り返ります。

12時間のフライトを乗り越え着いたその日から、がっつりワインをいただきます。
やっと寝て起きた次の日には、5人乗りの車に5人で乗り込み、パンパンの状態で6時間トロントまでのドライブ。
雨の中白い煙をあげるナイアガラの滝を見てきました。
再び6時間ドライブで深夜にモントリオールに帰りつき、次の日は街をちょっと出歩いてもう大晦日。
ワインで真っ赤、ご馳走でお腹いっぱいになったので、消費するため雪の中30分ほどお散歩へ。
大晦日の深夜は紅白かジャニーズカウントダウン、だった私の記憶には、新たに「雪降る夜のお散歩」が加わりました。
お正月は雪だるまを作ってゆったり過ごし、限界までご馳走を詰め込みます。
2日3日は、別の知り合いに招かれたりショッピングしたり、予定ぎっしり。
さぁあっという間に帰りの飛行機。
ほぼ寝ずに13時間、流石にくたくた。
お家に帰り倒れるように10時間寝て、スッキリ起きたら今日から仕事!
それが一昨日で、今が今日。
怒涛の年末年始の記録でした…

でも満足感はひとしお。
今週はスーツケースと洗濯物に埋もれながら、週末お土産と片付けを楽しみます。

お次は、お正月はいかがでしたか?
さとみん!

聖なる夜に想いをはせて

2019年12月11日 (水曜日)

社会人1年目の年末から、最終日に半休とってカナダへゆく荒くれもの、はすみんです。
吉川さん、木村さん、社員の皆さま、すみません。

ところで昨日の鬼丸さんの最新手土産紹介ブログ、ものすごく有用な情報が詰まっていらっしゃり、社会人には有難いことこの上なし、でしたね…。
頭がスポンジな岡崎は、その次に何を書くべきかと戦々恐々としてしまっています。
ただないものはいくら絞っても出てこないので、持っている武器、すなわち夢見がちな心で、精一杯戦おうと思います…!

ということで皆さま、年末が近づいてきました。
お盆にならんで貴重な、社会人の心のオアシス(?)、お正月です。

そしてその前には、心踊るクリスマスも。
今年はたいして何も考えていなかったクリスマスですが、先日テイラー・スウィフトがクリスマスソングを出してから、突如楽しみになってしまってたまりません。

そんな心踊るこの季節。
週の真ん中の水曜日である今日、ほっと一息つきませんか。
本気で空想して、一足先に違う世界を感じませんか。

さぁ、あなたの空想力が試されるとき。
準備はいいですか?
準備ができたら、一度目をつぶって。
次に目を開いたらもう、あなたは違う世界にいます。

目を開きましたか?
あなたは今、薪が燃える暖炉の前にいます。
どこか遠く、ヨーロッパの北の方の国で。
ふかふかのソファーに座って、良い匂いのする毛布をかけて。
時刻は17:00前、外は雪。
右側の壁は一面のガラス張りで、雪景色の中で沈んでいく暖かい夕日が見える。どこまでも綺麗なオレンジの太陽と、周りに広がる深い紫の色。
どっしりとした丸太でできたおもちゃのようにかわいい家で、暖かな空気に包まれながら、あなたは全身に夕日を受けています。
普段会えない家族も、今日はみんなここにいる。

心ゆくまで綺麗な夕日を堪能してから、あなたはソファーを離れてキッチンへ向かいます。
キッチンに入ると、ぐつぐつと煮えるシチューと、オーブンで焼ける七面鳥の芳しい香りでいっぱい。
ほんのり香る甘い香りは、デコレーションの途中のケーキの匂い。
焼けたばかりのチョコとプレーンのクッキーも、バスケットの中でほかほか。

幸せな香りをまた胸一杯に吸い込んでから、あなたは広々としたリビングに戻ります。
豪華なディナーにふさわしいように、お部屋をセットしなくては。

お昼にあらかたセットしたツリーに、星をのせて最後の仕上げ。
大小さまざま、カラフルなロウソクに、火を灯します。
ほとんど濃い紫だけになった部屋の中に、暖かい黄色の小さな光がいくつも。
部屋中の壁に飾られた小さなガラスのトナカイとサンタのオーナメントに、ロウソクの光がちらちら反射して輝きます。

暖炉の左の壁には、天井まで届く白い布のスクリーン。
一番お気に入りの映画をセットして、あとはボタンを押すだけ。

皆と一緒に料理を運んで用意が整えば、この日のためにとっておいた甘~いアイスワインで、まずは乾杯。
今年も1年ありがとう。

もう外は真っ暗。
映画の世界に入り込みながら、暖かいシチューを味わう。
幸せな幸せな夜は、まだ始まったばかり。

はい、空想力を発揮しすぎて乗り過ごした方、今日はまだ12月11日、水曜日です。
でも年末まで、あと少し。
今年も最後まで、駆け抜けましょう!
そして皆さま、今年は大変お世話になりました、ありがとうございました!

お次は、先週一緒にバドしたね( ´∀`)さとみん!