パフスタッフが綴る何気ない日常。日々感謝をこめて。「パフ・ザ・マジックドラゴン 執務室」

不思議な出来事

2019年11月12日 (火曜日)

おはようございます。
前日、飲みの仕事でブログ更新が遅れた愚か者の大岡です。

清水が結婚式直後の更新なのに、まさかの日経テストネタでマジか!と。
なら俺が結婚式のレポートしなきゃ!
と思ったら社長がしっかりやってくれているので、
予定通り社会人生活を振り返るかなあ、と思ったのですが、
この間日経テスト→新聞がらみで思い出した不思議な話を書きます。

私が多分23〜24の頃だったと思います。
当時は最近ではいなくなった新聞の勧誘がちょくちょくやってきて
洗剤だの、野球のチケット(これが決まって日ハム戦)だの、
新聞がどうとは一言も言わずに、おまけ合戦で
「なんとか3ヶ月!」
というお願い営業をされたものでした。

しかし、ある日来た勧誘のおじさんは一味違いました。
おまけには一切触れず、新聞の必要性をとうとうと説いて、、、
とか言う話だと、営業の真っ当さの良いエピソードになるんですが、違います。

最初のやりとりは忘れましたが、そのおじさんはおもむろに紙を出し、
「今の夢を書いてみて。私に見えないように。そして書いたら小さく折りたたんで渡して」
と言いました。

訳がわからないと思いつつ、その勢いに負けて、確か
「役者として本多劇場に立ちたい」
とか書いたような気がします。
絶対に見られないように背中を向けて書き、何重にも
折りたたんで、
絶対何を書いたかはわからないようにしておじさんに渡しました。
おじさんはその紙を両手で包み、目を閉じると、

「へー役者さんなんだ。本多劇場に立ちたいんだね」

?????
なんで???

頭はクエッションマークだらけです。
「なんでわかったんですか?!」
と言う私の問いには答えず、B5くらいのちょっといい紙と
墨と筆を取り出したおじさんは、なんかよくわからん
凡字みたいなマークをさらさらと書いて、

「このお札をタンスに入れておきなさい」

?????

「あと、あなたのラッキーナンバーは8だから」

と矢継ぎ早にわけのわからん事を言います。
ありがとうございます、で終わるはずもなく、

「3ヶ月でいいから」

「はい」

もう狐に摘まれたまま、契約ですよ。
何だったんだろう、あれは。今でもわかりません。

ついぞ本多劇場に立つことはなかったので、そのお札の効果はわからないのですが、
この日から程なく、木津さんという先輩たちと麻雀をしているときに、
皆がネットで馬券を買おうとしていて、
それならと普段は馬はやらない私も買うことにしました。
思い出したのが

「あなたのラッキーナンバーは8だから」

8枠と8番の連単1点買い。1000円だけ。
これが何と的中して25000円になりました。
新聞代出ちゃったよ。と。
この日以来、私は自分で自分のラッキーナンバーは8としています。
あ、木津さんはその時5万円すりました。

あの力があればもうちょっと違う金儲けの仕方がありそうなもんですけどね。
という特にいい話にも何にもならない思い出でした。

明日は石上です。

名古屋は名大社の会議室でこのブログを書いております大岡です。
名古屋に入った瞬間から悪寒とくしゃみがとまらなくなりました。
土地が合わないんでしょうか?嘘です。軽く風邪です。
駅で薬を買って飲んだのでそろそろ効いてくれないと困るのですが。

さて、清水さんからは野球好きと紹介いただきましたので
その話題にも触れないわけにはいきません。
清水、石河、鬼丸(入社順)の福岡出身ホークスファン連合
千葉に住んでるけど心は翔んで埼玉な田代がライオンズファン
唯一のセリーグファンは保坂でジャイアンツ
そして私大岡が30年来の日本ハムファン
これがパフの野球好き全員です。
※この間のメッセンジャーだとまみじさんもジャイアンツ?

田代もブログに書いていましたがちょいちょい仕事のやり取りの合間に
野球談議に花が咲きます。
いいなと思うのは

「やられたよー!つええなライオンズ!優勝おめでとう!」

「ホークスの短期決戦の強さはえげつないな。。。」

みたいな感じで自分の応援するチーム以外もけなしたりしないところですね。

私が日ハムファンになったきっかけは西崎幸弘投手の入団です。
この人は愛工大から入って新人から3年連続15勝以上、5年連続二けた勝利という
素晴らしい成績を残したエースです。
ちなみにかなりのイケメンでトレンディエースとか言われてました。
近鉄の阿波野と相当にレベルが高い新人王争いをしたうえで負けたのは
記者たちがイケメンをやっかんだせいではないかと言われています。

で、この西崎投手が滋賀出身なんですね。
瀬田工業高校という当時強かった高校で甲子園にも出ています。
確かけがで控えにまわっていたはず?
私が高校の時の剣道部の同級生の堀川が西崎の入団をきっかけに
日ハムファンになり、その熱い語りにそれまで全く興味のなかった私も
感化されていつのまにか日ハムファンになっていました。

当時は後楽園を巨人と共同で使っていて、かつヨワヨワだったこともあり、まあ不人気な球団だったので
(というかパリーグ全体が不人気だった。1リーグ構想とかなつかしい)
周りに日ハムファンなんていませんでしたね。大学でも出会わず。
北海道に移転して、数年に1回は優勝するのが普通になり、球場も満員になる
最近の状況は、昔を知る人間にとっては信じられないことだったりします。
札幌に仕事で行くと、個人店の飲み屋に入って野球の話を振れば
たいていが日ハムファンで、とても居心地がいいです。
当時は驚いたし、正直嫌だったけど移転は英断だったなあ。
でも北海道の人が日ハムを道民だけのもののような言い方をするのは
ちょっといらっとしますけどね。仕方ないけど。

と、日ハムのことを書き続けるとこれをシリーズにしてもいいくらい
書けてしまうのでとりあえずこの辺にして、
社会人人生を振り返るに戻ります。
長くなったのでライトに比較的関係の薄かった1年上の先輩方の紹介を。

一戸上の先輩は総合職だと5人。
男が坂田さん、千代田さん、田原さん。女が宮田さんと松本さん。
宮田さんは俺の元カノの友達で、その元カノが前の年に

「文化放送ブレーンって会社がある。自分は落とされたけど、面白い会社だから受けてみれば?」

と勧めてくれたのがこの会社を受ける最初のきっかけでした。
宮田さんとはその辺の話をして、確か入社前にOG訪問したような?
松本さんはホント、絡みがなくてうっすら顔が思い出せる?くらい。すんません!
坂田さんは大食い大会決勝で寿司桶に前のめりに吐きながら倒れこんだという伝説しか覚えていません。
千代田さんはインターネットが普及し始めたころにその辺の担当をされていて
やたらと

「ワールドワイドウェブ!」

という言葉を連呼されていたことだけが印象に残っています。
唯一仲良くなった田原さんにはなぜか最初すごく嫌われてて
※多分生意気だったから
そんなとこに田原さんの訪問クライアントに間違えてアポ取っちゃったもんだから、すごい剣幕で

「ここは私のお客さんなんで」

と一言だけ残して去っていく姿はいまだに覚えています。
多分同期の小川主催?の合コン(生まれて2回しか行ったことのない合コンのうちの1回)で一緒になった際に
俺が唯一彼女持ちで、盛り上げ役として弾け飛び、トイレを抱えて出られなくなった
翌日からとても優しくなりました。たしか、

「おまえ、やるなあ」

と言われたのを覚えています。
薄かったなあ、一つ上の先輩との関係。あと誰かいたような???
あ、ピアスの人もこの代だっけ?さいとうさん?

ぼろが出そうなのでこの辺で。
明日は最近なんか幸せそうな石上です。

◆大岡のオススメ100 その4
物忘れが激しくて、前は確か3つだと思うんだけど何を書いたのかが思い出せない。
そのうちかぶるな、きっと。
今回は日本ハムファイターズ、ということにしておきます。
理由は上記に加えてここぞという時のクジ運の強さ。
中田、有原、来なかったけど菅野、清宮。大谷は違うか。
そういやこの後ドラフトじゃん。※今15時過ぎ
明日朝これが投稿されたときには佐々木の行き先決まってますね。
楽しみにしながら名大社とのコラボ会議に臨みます。

毎日真面目に薬を飲んでいたら、右足親指にたまに激痛だった痛風が
いろんな場所で慢性的な鈍痛に変わってきた大岡です。
これ、痛風ですかね?

清水さんからご紹介があったように、先週木曜・金曜と新潟で講演をしてきました。
公演ではありません。講演です。
趣味の演劇ではありません。仕事です。
しかも4時間の長丁場。×4会場。16時間。
あと2回は10月なので来たければ来られますよ。誰に言ってるんだか。

昔からの私を知る人は、私が決してこんな仕事をするタイプでないことはよくご存じのはずです。
なのに何でこんなことになったかというと、田代に騙されました。
講演大好き(そして上手)な田代君から、
「今年は大岡さんですから。」
と毎年持ち回りのようにトスされたのが昨年の初夏。
そう、昨年もやってたんですよ。この仕事。
で、今年は誰かにトスする番だとタカをくくっていたら、田代に、
「今年も大岡さんですから。」
と。

え?

2年連続とかあり?

去年結構得意分野の話全部してきちゃったんだけど?

「先方の要望ですから。」

ほんとかよー。

もう仕方ないので、わかりましたよ。やりますよ。と受諾はしたものの、
去年は田代がスライド全部用意してくれて話すだけだったのが、
2年目となるとそうもいかずに自分で用意。
とはいえ田代に相談して(泣きついて)職サークル関連の勉強会資料を最大限再利用。

慣れない人間からするとね、時間配分が全然わからないんですよ。
4時間ってどんだけ喋れば過ぎてくれるんだよ、と不安でいっぱいです。
だから足りないよりは、とたくさん盛り込みまくってしまい、結果スライド枚数150枚ですよ。

で、やってみたら案の定多すぎて途中飛ばしまくりでした。
去年はそれなりにきれいに終わったのは田代のスライド分量の妙ですね。
やっぱり何事も経験者はすごいです。
あ、田代君。西武ライオンズ連覇おめでとう。

日ハムが優勝するに違いない来年はさすがにないと思いますが、
2回やってわかったこともそれなりにあって、
参加者の方々から終わった後に直接お礼を言われたりすると
ちょっといい気分になっちゃったりもして。
でも関係者の皆さんに「大岡先生」といわれるのは本当にむずがゆくて慣れません。

というわけで社会人人生を振り返るは今回お休みで今回は新潟講演のお話でした。
と、ここで終わると何の話してきたんだよ?という感じなので、
話した中で参加者の皆様の反応が良かったネタをご紹介。

『学生対応は2名以上であたるべし』

会社説明会だと先輩社員を呼んだりして、数多くの社員での対応になる企業も多いと思いますが、
学内や合説などのイベントはおひとり様対応が多いと思います。
1DAYインターンの設計なんかも<人事がひとりでまわせるもの>という前提での提案が多いですね。
ですが、できるならどんな場面でも複数対応で臨む方が効果が上がります。

なぜなら、ひとりで学生と向き合いつづけるためにはなかなか隙が作れないのに対して、
複数だと余裕を持って対応できるのはもちろん、
進行中の二人のちょっとしたやり取りを見て社風を感じ取るからです。

石上みたいな若い女子と私のようなおっさんがペアで出た際に、若い女子が

「なに言うてんねん、知らんわ」

などと私、もといおっさんにのたまわっている姿を学生が見て、
あーパフ、もとい、この会社は上下関係がとても緩いんだな。
と感じてくれるわけです。

「うちはね、上下関係緩いよ」

とか説明されても『ホントかよ?』と思われておわりですから。
学生がよく言うフィット感につながる社風は説明するのではなく、
感じてもらわないと、というお話でした。
4時間なんでもっともっといろいろ話してますけどここではこれくらいで。

明日は
「なに言うてんねん、知らんわ」
などと私にのたまったことは数十回しかない石上です。

◆大岡のオススメ100③ 「風の森」

風の森

最近このコーナーの存在を自分ですっかり忘れていました。
で、今回は私が一番好きな日本酒です。
奈良のお酒ですね。
このお酒と出会ったのは福岡の飲み屋さんでした。
ここ自体が私的に日本で5本の指に入るくらい素敵なと思っている店なんですが、
このお酒に出会ったことでさらにその印象がアップしたくらい、
好みにドストライクなお酒でした。
風の森ブランドのお酒の多くは封切りだと微炭酸が楽しめます。
しかし、お客さんがそれを期待するがゆえに店には置きづらいらしく、
なかなか外では飲めませんが、見つけたらぜひ飲んでください。
あ、我が家には常備されているので来たら飲めるよ。

S生命様の取材で出張した広島からの帰りの新幹線で書いております大岡です。

さて、今回の社会人生活を振り返るブログ。
前回ちょっと先輩エピソードを書いただけでその動物園ぶりがやばかった我が心の故郷文化放送ブレーンですが、
お笑いネタ以外にもホントにタレント揃いでして、順に紹介していくとかなりの回数が稼げる、
もとい、面白い話題を提供し続けられるなと考えております。
と言うわけで、社会人生活を振り返る改メ、最初に入った会社の仲間を振り返りたいと思います。

※前回実名紹介を何人かに指摘されましたが、今後も頑として実名で進めます。
が、流石にこれまずいな、という話題がいくつかありますので、それについては名前か
エピソードのどちらかを伏せることにします。

さて、私が最初に配属されたチームはリーダーが久保田さんでした。
メンバーに宇川さんがいたことは覚えてるんですが、他のメンバーだれだったかな?
昔過ぎるのと、わけあってこのチームあっという間に解散したので思い出せません。

久保田さんで覚えているのは初受注の時。
大崎にあったキャダムシステム様という会社に、「BB KAISHA KIT」という紙媒体をご紹介し、
※補足 キャダムシステム様、今ググったら2004年に統合されてなくなってるんですね。さみしい。
※補足 このBB KAISHA KIT、はがきに企業情報が載っているから本誌を見なくてもはがきを出す企業が選べる!
 ということでものすごい返信率を記録した当時のブレーンの大ヒット商品。
 でも私が入った時期はバブルが弾けていたので、さほどエントリー集めに苦労していなかったため
 そんなに簡単に売れる商材ではなくなっていた。
なぜか忘れましたが至ってスムーズに「発注します」とのお言葉をいただいて、上司の久保田さんに報告しました。
一緒にクロージングに行く、という話になって、
「いやいや、もう決まってるのに何しに?」
と、生意気な感想を持ったことを鮮明に覚えています。
訪問先でも、なぜかまだ意思決定されてない前提でお客様との会話を進めようとされて、
その場で担当の確か村田さんからはっきりと発注意思を示していただいて
ようやく手続きの話に進んだ一連の流れを思い出すと今でもヤキモキします。
これに限らず先輩の同行って嫌いだったなぁ。
全部一人でやりたかった。全部自分の手柄にしたかった。
パフでは主にどうこうする側に回っている今日この頃ですが、
正直なところ、今のパフの若手はどういう気持ちなんだろうか?

もう一つ久保田さんに教わったことは、お客様と学歴の話はしてはダメだということ。
そういう話題になりそうになったら
「いやいや、僕なんて私立なんで」
と言って躱しなさいと教わりました。
そのせいか久保田さんの学歴を思いの外高い(W)と勘違いしていたのを3年目くらいで
木津さんに正された(N)のが思い出です。

その後、お身体を悪くされて?退職されたと聞いていて心配していましたが、最近フェイスブックで繋がりました。
しかし投稿見ても何やってるのか全くわかりません。
ブレーンの中では薄味な方ですが、どこかずっと謎な存在です。

宇川さんは、会社員とは別にDJの顔も持つ変わり種。
久保田さんと違い、ブレーンの中でも究極に濃い方の方です。酒盗くらい。
山パンでものすごい額の取引作ってらっしゃったり、営業としてかなりすごかった印象です。
すぐにいなくなっちゃったのであまり直接の思い出はありませんが、武勇伝は死ぬほど聞かされました。
この武勇伝はブレーン内でもかなりヤバイ部類の話で、さすがに詳しくは書けませんので
聴きたい人は直接聞いてください。
ほんとは書きたい。あー書きたい。

次は誰にしようかなー。
200人の会社で、直接触れた人も50人は下らないのでまだまだネタは尽きません。

お次は石上です。が、どこで書くつもりなんだろう??
?と思った方はきっと明日石上が!とさせてくれることでしょう。

毎日暑すぎて死ねそうな大岡です。
ずっと椅子に座っているのも嫌いだけど暑くて外にも出たくない。
そんな私はどうやって働けばいいですか?

さて、第三回にしてようやくエピソード1。
入社後の話となります社会人人生を振り返るブログ。
いいなあ。書くネタが決まってるって。

私が社会に出た1994年という年は今とは全然違うオフィス環境でしたね。
まず、席でタバコが吸えました。
会議室にも灰皿常備でした。
ほとんどの人が吸ってたんじゃないかなぁ。
学生時代タバコを吸う奴はバカだと思ってた私も環境に流されて吸うようになりました。
終業時刻になると庶務のお姉さんが吸い殻を片付けてくれる。
庶務のお姉さんってのがもういませんもんね。
ちなみに同期の小川の入社動機は庶務の赤松さんが無茶苦茶好みだったからです。

そしてオフィスにテレビがありました。
NHK限定とかでなく、何でも見られましたがあれは何の目的であったんだろう?
この時期は甲子園とかやってると皆で見てた記憶があります。
トトカルチョとかもやってたなあ。金かけて。

当たり前ですが Windowsも95が出る前なのでまだOSは3.1で、ネットなんてありません。
ノートパソコンという存在がかなり珍しく、もちろん1人1台なんてありません。
見積もりも企画書も書院というシャープのワープロで作ってました。
最初に作った企画書を何となく覚えてますが、クドクド書いた結論が
「入社案内を作る」
だったのは恥ずかしい思い出笑

そんな文化放送ブレーンは猛獣だらけの動物園みたいな会社でしたが、一応研修もありました。
まだまだ紙DMの時代で、その辺担当の業務部の山川さんは、ものすごく酒臭い状態で研修現場に現れ、
「郵便料金調べとけ」
と言い残して二度と戻ってきませんでした。
営業研修はほぼOJT。
同行で寝て鈴木宏和さんに怒られたなぁ。
及川さんは偽アポに同行させて
「2時間潰して来い。これも営業の仕事だ」。
それ、新人にやりますか。
Yシャツの袖口からいつも醤油の匂いがしていた今田さんは13時アポに堂々と遅れて
「お昼明けはお客さんもゆっくりしたいんだ」と。
本気にして後日、違うアポで思い切り怒られました。
元自衛官の菊池さんは真夏の同行中に
「喉乾いただろう?いいところに連れてってやる」
と言って、ドトールには目もくれず20分歩いて区役所の給水機に連れて行ってくれました。
この菊池さんは会社の立食パーティーにもタッパー持参で、
タバコ一本一本に「キクチ」と名前を書いていたという伝説を持っています。

皆さん、とても役に立つアドバイスと貴重な経験をありがとうございました。
これらが今の私を作っています。

先輩の話で後5回くらいは行けるな。
ちゃんとした先輩ももちろんいましたのでその辺の話はまた今度。

お次は石の上にも3年目の石上です。

石上の制作案件の見積もりにてこずってアップがこんな時間になってしまいました大岡です。(外罰性高し!)

最近すごく書きたいことがあって、携帯にメモっておいたんですけど、
いい加減な感じに出したくないので、前回踏襲で社会人人生を振り返る第二弾にします。(いい加減なのか、これは。)
でもまだ入社はしません。内定者のころの話です。

さて、文化放送ブレーンに入社を決めた私。
内定通知で会社に行った際に連れていかれたのは四谷三丁目の八千代寿司。
回ってないお寿司を外で食べたのは生れてはじめてだったんじゃないかなあ。
思ったよりおいしくありませんでした。(オイ)

同じ立場で入社が決まった同期は私を含めて6名。
サクマドロップの社長の息子がいましたが、いつでもタンクトップで変な奴。
と思っていたら辞退しました。

入社前は遊び倒せと言うスタンスで特に呼び出されることもない会社でしたが
内定期間中にあった演劇公演の衣装探しに同期の山田に付き合ってもらったりしたのはいい思い出です。
というかこれくらいしか思い出ないや。

この6名うち3.5名はいまだに採用支援業界に関わっており、さらに私を含めて
3人が紆余曲折後に一瞬再度同じ会社の仲間になったりという腐れ縁もありましたがこれはまた別の話。
どうしてるんだろうなあ、佐藤牧。

次は入社後になるかな?
明日はさっきブログの裏を覗いたらもう書き上げていた石上です。

◆おまけコーナー・大岡のオススメ100選その2◆

カレー屋「トプカ」
だいたい週に1~2回はカレーを煮込み、ランチでは食べログで近くのカレー屋を探し、
最後の晩餐はカレーと決めている私が今一番おいしいと思うカレー屋さんです。
本店は淡路町ですかね。サンシャインの地下にもお店があります。
店名はトップオブカリーの略だそうです。
おいしさを文字で表現するとか意味ないし(山田さんに喧嘩)
レトルトでも出ていますが全く違う味なので是非お店へ行ってください。

社長ブログ読んで、劇団名違うぜ、とか思ってたら
自分のブログタスクを軽やかにスルーしておりました。
後ほどアップさせていただきます!
あ、大岡です。

社会人人生を振り返るエピソード0

2019年6月25日 (火曜日)

給料日ですね。
色々足りないものだらけですが社員の中では一番社会人歴の長い大岡です。

平原がなんか素敵な入社エピソードとともに連載宣言をしてるのを見て
(この形式ならしばらくネタに困らなくて)いいなぁ(しかも俺25年分もあるし!)と思い、
とりあえず真似てみます。
安易?いえ、良いものはすぐに取り入れるのが大事なんだと
アミターブバッチャンも言っています。

さて、私が最初に入社したのは文化放送ブレーンという会社です。
1つ上の元カノが
「落ちたけど面白そうな会社だったから受ければ?」
と勧めてきたのと、
1つ下の短大出のサークル仲間(つまり一年前に就活してた)が
「落ちた後に再度呼び出されてまた落とされた」
と言っていたのを覚えていて、興味本位と敵討ち目的でハガキを出した(昔はこうなの)のがキッカケでした。

なもんでまあまあいい加減な気持ちで説明会に行き、
その日のうちに流れで一次選考のグループ面接へ。
世の中のバブルは弾けていたけど、俺のバブルの膜はとても厚かったので、初めての面接も舐め腐ってました。
あまりよくは覚えてませんが、受験理由は後輩の敵討ちだとハッキリ言った覚えがあります。
そこで最後に何か質問は?と問われて
「社会人になっても芝居続けたいんですけど?」
と、呼び出されて行った先で髪が長いだの、ペンを持ち歩くのは
常識だのと文句ばっかり言ってきた現パナ◯ソ◯ックのリクルーターに言ったら
激怒されそうな質問を投げかけた答えが
「僕、やってます」
だったことで突然第一志望に昇格!
有坂さん、あなたの一言で私の人生決まっちゃいましたよ。
(思えばこの段階で文ブレは社員全員が絡む採用してたんだなぁということに今気づいた。)

とは言えその先の面接もまぁ適当に受け答えしてたら何か面白がってもらえて、
社名で勘違いしてくるマスコミ志望者のせいで倍率だけはとんでもない狭き門をくぐり抜け無事に内定。

他にもリクルーターから二度と連絡の来なかった現パ◯ソニッ◯や、
親父にどこ行きたいんだ?と聞かれて適当に答えたらコネ枠取り付けられて受けざるを得なかったT芝とか、
「君は原発どう思う?」と聞かれて「必要悪だ」と答えたら
「君みたいに深く考えてる人に来て欲しいんだ」と、
浅くしか考えてなかった俺を熱く口説いてくれた◯西電力とか、
何の軸もなくそれなりに就活はしてましたが、文ブレの内定が出て全部辞めました。
この時点でこの会社が何のビジネスをしてる会社かも知らず。
そのまま採用支援業界に25年い続けるんですから何があるかわかりませんよね、クランボルツ先生。

こんな就活ですから学生に
「いいか、働くってのはな」とか、
「就活における軸が」とか言えた義理じゃないんですがそこはねえ、時効ってことで。

ちなみに選考官の中で、私のアダ名は「神主」だったと後で聞きました。
キャッチーな経歴は強いです(笑)
学生のみんな、神主資格を取ろう!

何度もしてきた話だけどブログに書くのは初めてよね?
ここまで来て不安になってきたけど、まあ、俺も忘れてるんだから皆忘れてるだろう。
細かいことは気にするなと高見澤さんも言ってたし。

明日は振り返る年数が2年とちょっとしかない石上です。

◆おまけコーナー・大岡のオススメ100選その1◆
とかまた無茶な企画がスタートw

漫画「僕だけがいない街」三部けい
漫画は結末決めて書き始める作品じゃないとちゃんと終わらない。が持論。
この作品はSF要素とリアルのバランスが素晴らしく、
ラストに向けてそれはもう見事な伏線回収っぷりでスカッとします。
漫画が苦手・面倒な人はアニメで。再現度は高し。
アマゾンプライムに入ってます。

髭剃りのこと。ちなみに。

2019年6月3日 (月曜日)

おはようございます。
とか言いながら今は金曜の深夜です。
業界人の大岡です。

私は普段、ヒゲをT字カミソリで剃ります。
ちなみにT字というのは元々丁字だったそうですね。知ってましたか?
なのですが、あ、木曜の夜、先日開催されたパフサービスの内定者向けイベントで、
20年ぶりくらいに再開した元人事の方と飲みに行きまして。
ちなみにこの人事の方、私が担当させていただいた時期、
1997〜1998年頃にこちらの方の会社で制作ツールのコンペがあったのですが、
プレゼン日に芝居の本番が重なり、朝一プレゼン後小屋入りという強行日程で
提案させていただいた思い出深い担当者さまです。
さらに、その夜の芝居にご来場いただき、終演後のご挨拶で
「ありがとうございます!どうでした?コンペ?」
と芝居そっちのけで仕事モードで接したのは勝手にいい思い出です。
ちなみに回答は「大丈夫だと思いますよ」で、お言葉通り無事、
お仕事をいただきました。

と、その方と楽しく飲みすぎて帰ってばったり風呂にも入らずヒゲも剃らずで寝てしまいました。
翌朝も結構ギリギリまで寝てしまい、風呂は諦めるも髭剃りはしないわけにいかず、、、
とふと今年の頭、楽天の福袋に入っていた電動カミソリがあることを思い出しました。
ちなちにこの福袋、2019年初頭にちなんで2019円で販売されていたもので、
大外しでもいいかと酔った勢いでポチったものです。
ちなみに他に入っていたのは加湿器にアロマオイルを垂らすようなオシャレマシンでしたが、
猫に害がある説があって一度も使ってません。
欲しい人いたらあげますよ。
あげますよ、と言えば先日来とんでもなく暑い日がたまにあり、
うちに買いだめた日本酒やワインが熱にヤラレやしないかと心配でなりません。
小型のワインセラーを購入したのですが6本しか入らず焼け石に水です。
仕方ないのでこの間傷んだら勿体無い酒から1本社長にあげました。
表に出てる酒が約20本。本格的な夏が来る前に飲みきれるでしょうか?
と書いたところに(本当に今)新人の岡崎から、
勝手にうちでホームパーティの企画が決まったというメッセージが入りました。エスパーか。
で、その電動カミソリを使ってみました。
中高生の頃の電動カミソリのイメージは切れ味悪く、
ヒゲを巻き込んで痛いし、青々とした髭剃り跡が残る、
というものでしたが、当時から30年経って使った
電動カミソリはとても優秀で、あまり普段と変わらぬ
ええ感じの反り具合を実現してくれました。
ちなみにちょいと出ていた鼻毛もすいすい剃れました。
しばらくはこれでいいんじゃないかな?と思われるほどでした。

結果何が言いたかったかというと、30年のうちに技術は地味ながら
格段に進歩している。ということ。
そんな変化に触れて、「技術大国日本万歳!」と心の中で叫びました。
ちなみにその電動カミソリの裏にはメイドインチャイナの文字がありましたが
それはそれ、これはこれ。
どれはどれ?

明日はなんか最近メガネ女子で変なファンが増えている石上です。

山田さんのこと。

2019年5月10日 (金曜日)

横山のブログアップ遅れます!すみません!という全社メールで今日の当番に気づいた大岡です。今日はついさっき男の約束をかわしたので山田さんのことを書きます。令和最初なのに。いくらでも書くことありそうなのに。山田さんはうちの社長の親友です。俺がこの会社に入って程なく、社長が「名古屋の愚か者と飲もう」と言って名古屋に連れていかれたのがはじめての出会いでした。その時はお互い「誰?こいつ?」というオーラを出し合ったまま終わりました。※社長の説明がなさすぎた。その次に山田さんと密にやり取りしたのはコロタマの公演依頼を出した時です。二つ返事でオッケーをいただき、しかも講演のためにF(伏せ字)ネットの各社長に現地ヒアリングをしてくれて、素晴らしいプレゼンをかましてくれました。ちょっとだけ、この人凄いと思いました。次はパフの20周年です。3次会?4次会?で激酔っ払った山田さんはテーブルの食器の上にスローモーションで倒れ込み、手をガラスで切りました。あ、この人ダメな人だ。とちょっと親近感が湧きました。そんな山田さんがパフの社外取締役になりました。二ヶ月に一回の定例役員会はもちろん、結構ちょいちょいパフに来てくれています。手土産をかかしません。ゆかり率が高めですが、今日のお菓子は違いました。ゆかりより美味しかったです。余計なものが置かれがちですが、山田さんの席もちゃんと用意されています。そんな山田さんと今日飲みました。奥さんとの馴れ初めを聞きました。ライバル会社の営業だった奥さんと、お客様主催の飲み会で知り合い、携帯がない時代とは言え、名刺にあった会社の電話番号に電話して「映画に行きませんか?」と誘う山田さんは勇者です。ブレイブです。奥さんのことをブログで「いい女」と言い続ける山田さん。釘崎さんのことを、酔っ払った時に「全部好き」という山田さん。名大社の部下たちをはにかみながら褒めちぎる山田さん。そんな山田さんをパフの皆は大好きです。これからもパフをよろしくお願いします。令和。※こんな読みづらいブログになっているのも毎回改行しか指摘しない山田さんへの当てつけです。悪しからず。明日はきっともっとちゃんとしたことを書いてくれるであろう石上です。