かぐや姫の物語を考察してみました
2018年5月21日 (月曜日)
おはようございます。
ハムこと、パフの石河です。
今回はとある映画の考察を踏まえて書いていこうと思います。
その映画とは、故高畑勲監督の作品「かぐや姫の物語」。
読者の皆さまの中にも、金曜ロードSHOWで観ていたという方も多いのではないでしょうか。
「かぐや姫の物語」は、皆さんご存知「竹取物語」をモチーフにアニメ化されたものです。
柔らかいタッチで描かれていて、かぐや姫の心の葛藤や情景描写がとても豊かに目に入ってきます。
ざっくりと内容は以下です。(ネタバレ注意)
【起】かぐや姫、田舎での幼少期
【承】かぐや姫、都での生活
【転】かぐや姫、求愛される
【結】かぐや姫、故郷へ連れ帰される
この「故郷へ帰る」ということは実は「これまでの記憶を失くす」ということを意味していて、
かぐや姫は「やっぱり帰りたくない!」と使者に涙で訴えるもなすすべなく、
翁と嫗の目の前で記憶を失くし真顔で帰郷してしまう。
そして二階堂ふみさんの歌うエンディングを迎えるわけです。
ただ目的なく生きていたかぐや姫でしたが、
都での生活が終わりを迎えることを意識し始めてからは
「なぜ生かされているのか、目的は何だったのか」明確に考えるようになります。
この人生のビジョンを見据えるようになっていたです。
現実の世界に目を向けても、この部分がはっきりしている人はごく少数な気がします。
かくいう私は、それが曖昧な部類に入ると思います。
しかし、社会で活躍している人の多くはここの部分が明確になっている人が多いと感じています。
一朝一夕に人生のビジョンというものができるわけではないと思います。
日々を漫然と過ごすのではなく1日1日の積み重ねを大切に、
そして「何のためのものなのか」を考え続けた先にきっとそれがあるのではないだろうかと
私はこの映画をみて感じました。
余談ですが、高畑勲監督は「かぐや姫の物語」を
構想50年、企画制作8年の歳月をかけていたそうです。
いつかやってくる未来のために、若いうちから種を蒔いておくのは大切なことなんだなとつくづく思いました。
お次は、吉川さんです!