入社してから今までを振り返る エピソード6
2019年11月6日 (水曜日)
おはようございます、平原です。田代さんの仕事の早さ、クオリティ、こなしているボリューム、本当にすごすぎて目から水が出ます。
田代さんのブログを読んで、その域に全然達してない自分を恥じ、肩を並べられるように努力しなければと気持ちが引き締まりました!
さて、最近は「入社してから今までを振り返る」というテーマでブログを書いております。
前回は新人3名を釘崎さんが直轄で指導する虎の穴プロジェクトが始まったところまで書きました。
今回はその続き。
【 2005年7~9月 薄利多売のレッテル 】
私は就活をしていた時からよく営業向きだと言われました。自分でも初対面の人と話したり、人前でプレゼンすることに抵抗はなく、むしろ結構好きな部類に入ります。
また、当時の主力の商品はパフの就活応援ページというナビに近いもので、パフのナビエントリーを集めたりイベントでエントリー者を集めたりという時代。平原自身がこのサイトをこよなく愛し使っていたコアユーザーだったということもあり、学生視点でサービスのよさを語り、自信を持ってご提案していました。
結果、よくしゃべる私が自分の好きなものを一生懸命提案する、という営業スタイルになってしまっていて、お客様の本当の課題のヒアリングなんてなかなかできていなかったのだな、と今振り返れば思います。が、あの頃の私にはそんなことはわからず。
私の話を聞いて期待してくれたお客様が1年目だけでも先輩からの引き継ぎも含めて10社近くパフの就職応援ページに参画してくださいました。
そんなこんなで私は今思えば割りと順調に受注がありましたが、タシロはなかなか受注がとれずに苦しんでいました。
ところが、そんなタシロが10月下旬(だったかな?)に初受注!それがアウトソーシングも含む、私の案件額の3~4倍ある大型受注でした。
同期の受注を純粋に喜ぶ余裕は当時の私たちにはなく、タシロの為し得た大型受注がひたすらうらやましく、私は薄利多売だと自分で自分にレッテルを貼ってしまったのでした。タシロさんはこの後も社数は多くはないけれど、ガチっと信頼をつかんで丸っと任せてもらうというスタイルの営業が板につき、私はひそかに自分と比較して自信を無くす毎日でした。
素直にタシロに「営業でどんな話してるの?」と聞いてみればよかったのに、当時は同期でほとんど会話がなく、みな自分のことで精いっぱい。ダメダメでした。
このコンプレックスはこのあと3年ほど続きます。
コンプレックス解消までに、採用予算の大半を私に預けてくださったU野さんや、ミーティングで相談に乗るということにお金を出してくださったK木さんなどなど、私の人生に大きな影響を与えてくださったお客様との出会いがあるのですが、それはまた別の回でゆっくり書いていこうと思います。
ちなみにこの頃薄利多売と同時に悩んでいたのは「提案書を書く」ことと、「文章を書く」ということ。話すことは得意でも、文字にするのは超がつくほど苦手。提案書や文章のプロットを書いて肉付けしていくということができず、初めから完璧なものを作ろうとして無駄に莫大な時間を使っていました。次回はこの辺りを書こうかな。
今の若手を見てこんなにいいものがあっという間に書けるようになっていてひたすら「すごい」の一言。
お次はそんな若手を育てまくっている木村さんです。