普通って何
2009年5月21日 (木曜日)
こんにちは。最近、森公美子に妙な親近感を覚えている長崎です。
森三中にも、多大なる親近感を覚えています。
先日、久々に近況報告をしあった友人がいたのですが、こんな言葉を友人から投げかけられました。
「なんか、長崎、社会の洗礼受けて、普通になっちゃったねー」
Σ(゚Д゚)ガーン!!!!!
普通という言葉が嬉しい人、嫌な人いるかと思いますが、私は「こらこら、待て待て」と感じる人種のようです。自分なりに、かなりショックでした。そして考えました。「普通って何だろう」と。
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社会人になって、それなりに色々なことを経験しました。健康で日々過ごせることの有難さ。平穏であるということの幸せ。仕事ができる、仕事があることへの感謝。つまり、普通であることの素晴らしさを社会人になって実感していています。
そう、普通って素晴らしい。
でも、なんでしょう。「君、普通だね」と言われた時のこの衝撃。
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今でもまだ悶々と考えています。
ある程度考えた上での結論は、「普通=特別ではない」ということ。
「特別」の基準は、標準化されていないということ。
つまり、普通か否かの基準は、一人ひとりの心の中にしかないということ。
結局は、何事も答えは各々の心の中にしかないようです。
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5月14日、2010年度卒の方々向けとしては最後の月見塾を開催しました。テーマは「決断を語る」。
21名の学生と3名の社会人に参加していただき、議論は進みます。各チームの発表を聞きながら感じたことは、決断も最後は「自分の基準で、自分で決めるのが重要」ということ。
自分の基準とは?
私が考えるに、「志」なのではないでしょうか。自分の志に照らして、判断することが「決断」なのではないかということが、月見塾を通して自分なりに出た答えです。
月見塾後、前述の友人の言葉が「志が普通になったね」という解釈にみえてきて、それに対して、「違うわっ!」と強く反抗できない自分がいて、なんとも情けない限りです。
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今、決断の時を迎えている人も多いのではないでしょうか。
野村監督並のボヤキ日記になってしまいましたが、少しでも参考にしていただければと思います。
みなさんに幸多からんことを!
次は、リボンの騎士にそっくりな平原です。