アーティストは観客が育てる〜リアクションのすすめ〜
2019年3月6日 (水曜日)
阿久根です。
花粉が舞う季節となってまいりましたが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?
私は先週までズルズル鼻水と目の痒みと闘っていましたが、週末やっと耳鼻科に駆け込む事が出来ました!!(パチパチパチパチ)
薬のおかげで呼吸のしづらさ、頭の働かなさはかなり解消されたように感じます…が
今度は副作用の眠気に翻弄される日々を過ごしています(*_*)
先日twitterを見ていたら、ある投稿が目に入りました。
その投稿を要約すると、「日本のエンターテイメントをより成熟させるには、観客のレベルを上げることが必要なのではないか?」という問題提起でした。
投稿者の方曰く、日本の観客が「鑑賞」に徹するのではなく「このショーを(舞台を)一緒に盛り上げよう!」という意識を持つ事が大事なのではないかとのこと。
そこで思い出したのは、先日ディズニーシーを訪れ、名物のショー「ビッグバンドビート」をほぼ最前列で鑑賞できた私ですが、一人で来ていた&周りの人が大人しく鑑賞していた事があり、感動で叫びたい気持ちを抑えてやり過ごすしかなかったという出来事です。
小さい頃から音楽が鳴ると踊り狂いノリノリになっていた私ですが、
成長するにつれ、心高ぶるライブを見ても、周りの人が全くのっていないのを見て、
「ここでは大人しく聴いておこう」もしくは「ノリノリの姿は周りから見てかっこ悪く映るかも」…などと余計な事を考えてしまい、結果とても真剣な表情で(仏頂面で)聴くしかないという事が以前もあったな…という事も、思い出しました。
「パフォーマーと観客の熱量の差」。パフォーマーは様々なオーディションを経て立てた晴れの舞台、流れる音楽やショーの設定に心から共感し、観客の皆にもその高揚感をお裾分けしたい!と弾けているのに、観客はその高揚感を受容しきれず、キャパオーバーになって真顔で立ちすくんでいる。
もし私がパフォーマーだったら、気持ちを共有できない虚しさと、白けた気持ちを抱いてしまうと思います。
パフォーマーに「人を魅了出来る」だけの力がないのであればそこはパフォーマー側がその力を磨かなければならないと感じますが、
ある一定の力があるのであれば、観客は「パフォーマーの伝え方を受け取りましたよ」と、笑顔や頷きや身体の揺らぎなど、何でも構わないから“反応”するのが必要だと、私は思うのです。
私にとっては、この意思表示は、直接会話をしなくても「表現」という形態でコミュニケーションをする相手であるパフォーマーに対して、最低限の礼儀ではないかとも思います。
これはエンターテインメントに限る事なのだろうか?多分、違うと思います。
日常生活のコミュニケーションでも思い当たる節がありました。
社会に出てもうすぐ一年が経ちますが、この一年は「分からないことだらけだから教えて頂かなきゃ」と、とにかく「インプットする」事に重きを置いていた一年でした。
お客様にヒアリング訪問をさせて頂いた際に、様々な事を教えて頂いたにもかかわらず、ただ真剣な顔で「そうなんですね、教えて下さりありがとうございます」と言うのみ。(心の中では『新人だ』とばれるのを恐れていました。バレバレなのに…)
メールで社内の先輩方に相談した際には、「知らない事を吸収する」事で精いっぱいになるあまり、
「承知しました。教えて下さりありがとうございました」と返信するのみ。
私がどのような背景で質問しているかを伝えていなかったので、社内外問わず不信感を抱かせてしまう事もあったかな、と反省しています。
「反応」する事が大事なんだと気づいてからは、分からないのに難しい事を言おうとせずに
驚きや嬉しさといった感情を全面に出すようになって、お客様との会話も前よりかは自然になったかな、と思います。
「サービスはお客様が決める」。日常会話であれば、誰もが誰かの「観客」になり得ます。
周りの心に残るパフォーマーになれるように、また誰かの表現を心に残せるように。
これからも「反応」を大切にしていきたいと思います。
次は石河くんです。