入社してから今までを振り返る エピソード10
2020年3月2日 (月曜日)
おはようございます、平原です。
田代さんの夢の話、聞いているだけでツライです。私も3月はさらに忙しくなるのですが、またまた子供の発熱で本日在宅勤務です。
田代さん、午後の打ち合わせはWEB MTGで頼んます!
さて、最近は「入社してから今までを振り返る」というテーマでブログを書いております。
前回は「理想と現実のGAPで苦しんだ話」でした。
今回は予告していた「N社のU野さんとの思い出」を書いてみようと思います。
【 2005年12月~2006年6月(入社1年目~2年目)くらいまで N社のU野さん 】
・薄利多売で悩み
・文章が書けずに悩み
・提案書が書けずに悩み
・大きな金額の提案をすることに引け目を感じていた
ダメダメな1年目の私でしたが、足を止めずに新規訪問をしていました。
季節はあっという間に冬になり、10月から就職サイトがオープンしていた当時、12月にもなると
これから新卒採用を検討するよ!という会社はかなり少なくなっていました。
そんな中、テレアポでアポイントを下さったN社さんにお伺いさせていただくと、30代前半の
若くてとっても優しそうな担当者さん(U野さん)が対応してくださいました。
N社さんは立地もビルもなかなか渋く、新卒の学生がたくさん応募してくれる会社ではありません
でした。上からの指示でずっと大手ナビのなかでも当時3番手の、これまた渋いナビのみ掲載して
おり、当時まだまだ買手市場でしたが12月まで継続して採用活動をしており、やっと3人承諾と
いう状況。大変お困りのようでした。
私は当時小規模就職サイトだった「パフの就職応援ページ」の提案をし、学生数は少ないけれど
企業数も少ないため目立つこと、第三者視点で記事を書くことを説明。
プラスHTML形式で凝った内容にできるWEB DMで学生にアプローチし、攻めの採用をしましょうと
提案しました。
今思えば大変シンプルですが、当時はナビに載せて終わりという会社もかなり多かったのです。
N社さんの採用予算は200万円。そのうち既に100万円を例年使っているナビに支払っており、
残り使えるのは100万円。なんと、U野さんはこの100万円をすべてパフに預けてくださる決断
をしてくれました。ものすごく大きなご発注ではないものの、薄利多売で30万~60万くらいの
発注ばかりだった私にとって、自信となるご発注でした。
なかなか固い会社だったので、きっと上司説得も大変だったと思います。
今ならわかります。
「平原さんにお願いします」とお電話いただいたときは天にも昇る気持ちでした。
その後、記事の取材をし、一晩徹夜して原稿を書きました。
うんうん悩んで、なかなか進まず、何度も何度も書き直して書いた原稿です。
N社さんは通信系の専門商社であり、ビジネスもイメージがしにくく、それがまた
学生から応募してもらえないポイントにもなっていたのです。
それを打開しようと私が考えた「比喩」での紹介文が、
「N社は通信業界のスタイリストです」という表現でした。
実はこれ、15年経った今もN社の事業紹介文として生きています(さっき調べました)
翌朝上司にこの原稿を確認してもらうと、この一文をべた褒めしてくださり、「すっごくいい!」
と満面の笑みでOKをだしてくれました。自分の文章に1ミリも自信がない私は半信半疑でU野さん
に原稿を送りましたが、上司よりもうれしい反応をくださいました。
「今まで自社をこんな風に表現してくた人はいなかった」
「自分も学生にうまくつ垂れられていなった」
「これなら伝えられる!」
ととっても喜んでくださったのです。文章苦手というコンプレックスが少し薄らぎました。
その後も説明会の内容を相談させていただいたり、説明会の見学に行って改善案を出したり
と、U野さんとの二人三脚は続きます。パフからいい学生が応募してくれており、これは
例年よりも早く、たくさん内定が出せそうだという感触もあり、承諾を増やすため、
春には内定者サイトも導入してくださいました。
U野さんは本当に丁寧な方で、私がアドバイスをするとその通りに(それよりも丁寧に)
施策を実行してくれました。内定者サイトについても、理想的な運営をしてくれました。
結果、この年は8名内定出しの7名承諾、6月末には採用終了というN社市場過去に見ない
大成功を収めました。
N社さんとのお付き合いはU野さんが転職をするまで、この後数年間続きますが、
本当にたくさんの自信と学びを頂いた、感謝してもしきれないお客様でした。
今日はここまで。お次は、お客様との物語を語らせたら終わらないだろうな。木村さんです。