入社してから今までを振り返る エピソード7
2019年11月27日 (水曜日)
おはようございます、平原です。確かに大人になると雪って本当に面倒以外の何物でもなくなりますよね。一昨年、妊婦で雪の中二人の子を保育園まで徒歩で連れて行った際にいつも10分の道が1時間近くかかったのを思い出しました、、、恐怖。
さて、最近は「入社してから今までを振り返る」というテーマでブログを書いております。
前回は自分で自分に薄利多売のレッテルを貼ってしまったところまで書きました。
今回は予告していた「文章が書けない」ことについて苦しい思い出を振り返ってみようと思います
【 2005年4月~2008年(入社1年目から3年目)くらいまで 大の苦手のライティング 】
パフの仕事には、大量にライティングの仕事があります。入社当時で言うと、パフの就職応援ページへの掲載をご発注くださったお客様のところへあらためて取材に行き、私たち営業担当が顔出し、名前出しで「顔見世請負人」となのり、そのお客様の本当の素顔を学生に自分の言葉で紹介するという内容でした。内容も「誰に対してどんな価値を提供しているの」「熱き想い」「ウソのない採用」のようなほかのサイトにはない項目で、記事を流用したりリライトしたりすることなく、お客様に改めて取材をさせていただき、原稿を書いていました。
これがもう、しんどくてしんどくて、なんど泣いたかわかりません。
文章のうまい人ってパフにはかなり多くて、同期のタシロは大学時代は新聞部、普段は口下手だけど文章を書くとなったら目をキラキラさせてあっというまに感動する文章を書いてしまいます。上司のイトウさんも当時メルマガをずっと担当していた文章上手でライティング好き。1つ上の代のナガサキさんが書いた大手自動車セットメーカーの紹介記事は、日本を代表する超大手企業であるお客様が自社の紹介文に感動してしまうクオリティでした。これぞ第三者紹介の価値、という外部視点でナガサキさんという一人の人間から見たその企業の魅力を手に取るように切り取っていて本当に何度読んでも心が熱くなったのを覚えています。そもそもクギサキさんの文章が一流で、ついつい読ませる、人を惹きつける、人間臭いライティングをする人なのです。
そんなライティングに長けた人たちの中で、中途半端なものを出せないというプレッシャーを感じながら、1つの記事を書くのに5~6時間かけてしまっていたのではないでしょうか。。。もちろん当時日中にそんな時間は取れませんので、夕方以降、というか苦手な仕事は後ろに回しに回して大抵は深夜に書いていた気がします。
中途半端でも、いまいちでも、もっとさっさか書いて先輩に直してもらえばよかったのに、どうしても最初の一文から完璧なものを書かなくてはと悩んでしまう私。あの頃の「自分には文章が書けない」という苦手意識は本当に強いものでした。
そんな中、私にご発注を下さったあるIT機器の専門商社さんの記事を(これも徹夜で)書いたときに、「IT機器のスタイリストのような会社です」と表現したことを、当時の先輩にも、お客様にもすごく褒めていただき、お客様は「平原さんにこう書いてもらってやっと自分たちの仕事をどうやって伝えればいいのか分かったよ!ありがとう!」と言ってもらうことができました。
文章のうまさは全然いまいちだったはずですが、とにかく自分の頭で理解したことを、自分の言葉でアウトプットすることに価値があるんだなと気づけた瞬間でした。少しだけ、自分にもできるかもと思えたのでした。
とはいえストレスなく文章が書けるようになるまでは3年はかかった気がします。
やっぱり特効薬なんてなくて、それはそれは気の遠くなるほど大量のライティングをして、慣れていくしかなかったのです。このブログも当時から続くわたしの「苦悩仕事」のひとつ(笑)
今は時間はかかりますが、そんなに苦ではないですけどね。
次回は「提案書」で苦労した話を書こうと思います!(予告しておくと次回が楽、ということに気が付きました)
次回はこれまた文章上手の木村さんです。ライティングのコツ教えて~!