便利なもの。
2012年1月16日 (月曜日)
こんにちは大野です。
先日、通勤電車の日比谷線で、ご年配の女性に声をかけられました。
「今日ね、銀座にある病院に行くんだけどね、この電車は銀座まで行くのかしら?」
その顔があまりにも不安そうな表情だったので、
自分の記憶をたどり
「ちゃんと行きますよ。確かあと7つで銀座ですよ。」
と答えると、
「あと7つね。」
と安心した表情を見せてくれました。
しかし、
銀座より手前の駅で先に降りた私は、路線図を見て大きな間違いに気がつきました。
1つ少なめに駅数を伝えてしまっていたのです。手前で降りてしまわないかと気になりましたが、それ以上に、3年間もの間通勤してきた路線図が覚えられていないことに衝撃を受けました。
携帯や携帯サイトに頼って覚えようともしてなかったのだと思います。。。。
この時、東京に長いこと住む祖母のことを思い出しました。携帯は使いこなせませんが、乗換にベストな車両も含め、都内の路線図はほぼ彼女の頭に入っています。
まさに長年の経験で身につけた生活の知恵です。
たかが路線図。されど路線図。
便利なものは、たくさんの情報や快適さを与えてくれますが、それによって失うものや、変わってしまうこともあります。
「大切にしたいものは何だろう?」と常に問うこと、便利なものに頼り過ぎないこと、携帯の液晶画面から目を離し身の回りに目を向けることも大切だなと、通勤電車で出会った女性とのやりとりから考えた大野でした。
次は大橋です。
これまでに頂いたコメント
2件コメントがあります
- イトケンさん
- オオノさん
こんにちは!そしてお久しぶりです。コメントありがとうございます。まさにそうなのです。どんなものにも裏表がありますが、これだけは守るぞ!というものを日頃考えて行動したいと思う今日この頃です。
またまた登場、イトケンです。
また「連続コメント事件」が始まったか?
ドアを開けて、自分が通った後、そのドアをちゃんと閉めない人がいますね。
一つの原因は「自動ドア」という便利なものがあることだと思います。
でも、自動ドアを否定しちゃいけませんね。
でも、「ドアを開けて通った後はちゃんと閉める」という所作がみんなできなくなっちゃうのも困ったもんだ、と思います。
でも、世の中のすべてのドアが自動になっちゃえば「開けて閉める」なんていう所作は必要なくなるのかな、などとも思っちゃいます。
こうやって失われてゆくもののことを考えてないといけないですよね。