パフスタッフが綴る何気ない日常。日々感謝をこめて。「パフ・ザ・マジックドラゴン 執務室」

とうもろこし岡崎の内省①

2020年1月30日 (木曜日)

朝採れのとうもろこしよりフレッシュな、はすみんです。
とうもろこし並みにフレッシュにも関わらず、流れにのって今回は少し過去の話をさせていただきます。

先日、外大出身でパフ出身という、世界に二人といないであろう先輩(件のツチダさん)にお会いする機会がありました。
それも、年末年始の1ヶ月間に計3回も!笑
最初は吉川さんの副社長就任パーティーで初めてお会いし、次はツチダさん帰国タイミングに開催された貴重なパフ飲み、最後はその2日後に誘っていただいた、ツチダさんの外大ご友人との飲みでした。
ずっと気になっていた方に遂にお会いできた!と思ったら、そのままコロコロと何度も会えた、という超ラッキー事件でした。

さてその最終回の会にて、ツチダさんの外大ご友人(キャラと顔と話がめちゃくちゃ濃い)ともお話させていただき、何だか胸がざわざわ・ワクワクとする楽しい夜を過ごしました。

前置きが長ーーーくなりましたが、その時色んな刺激的なお話をお伺いし、とうもろこし岡崎は触発されまくりました。
そして「やろう!」と思ったスモールステップの1つとして、「自分の辛かった経験を振り返り内省する」というものがありましたので、今回のブログネタにしてしまおうと思います。
深い内省は次回に回すとして、今回はパフとの出会いとも絡めながら、全体を振り返ります。

さて。
一部ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、私は大学3年次終了後に休学し、インドネシアのバリ島に留学に行っていました。
前半は現地の大学の外国人コースに属し、インドネシア語でインドネシア語を学びました。
そして後半は、バリ島の中でも高級リゾート地として有名な地域で、日本人GRO、つまり日本語を話せるコンシェルジュ的な立ち位置でインターンシップ生として働いたのです。

この経験は、職業観うんぬんではなく、私の人格にも多少なりとも痕跡を残すほどの、深く強いものとなりました。

今でも、住んでいたホテルの部屋から、床のタイルの質感もカードキーが開く音も、どんどんきつくなっていった制服の着心地まで、はっきりと覚えています。

まだあの大変だった日々を完全に綺麗な思い出にはできていませんし、自分のなかで「良い経験」としてうまくはまるような解釈や位置付けも、まだ見つけられていません。

それでも、超感傷的ですが、あの頃の感覚はとにかく鮮明に私の中に残っています。
あの南国の空気と、必死に敷地内を歩き回るあの感じ。
仕事を終えた時の脱力の感覚と、仕事が始まる朝のカミカゼ特攻隊のような気持ち。
数少ない信頼できる人が隣にいる時の泣けるような安心感と、1人でカウンターに立つ時の心細さ。

ホテルで働くのも初めて、英語で生活したこともない、インドネシアには来て半年弱、という状態でなぜかインターンに受かってしまった私は、もう泥沼で奮闘するしかない日々を過ごしていました。

そして、半年が経ちました。
帰国して就活生となっていた私は、もちろんこの経験は使えるだけ使ってやろうと、売り込みエピソードとして使いたおしました。
色んな媒体に登録していた自己PR文にも、面接でも、履歴書でも。

確かに、まぁまぁ美味しい材料でした。

恐らくバイトリーダーなどの話に飽きていらっしゃった面接官の方々は、まずインドネシア語に食いついてくれ、バリ島留学に食いついてくれ、「辛かったけど頑張ったホテルインターン」に食いついてくれました。
もちろんもっとずっと凄そうな経験をした就活生の方もたくさんいましたが、私自身ちょっとは変わったエピソードを話せることに、正直なところうっすらとした優越感と、謎の安堵も感じていました。

でもどこか、そんな「使い方」をしながらも、心のなかでは真っ直ぐにその経験を見れない、向き合えない自分がいました。。。

はっきり言えば、その「辛かったけど頑張ったホテルインターン」は、そんな綺麗なもんじゃーなかったんです。

ほんとは、毎日ただ辛かった。

もちろん頑張ったけど、逃げたかった。

自分の部屋までかかってくる、日本人客からの電話に出たくないから、休みの日は一人でもできるだけ遠くに出かけた。

自分が成長することなんか二の次。
ただ今日を必死で乗りきって、ミスをしてこってり怒鳴られた時のあの思いを繰り返したくない気持ちの方が、よっぽど強かった。

頼れる人がいつも身近にいる訳ではないから、いつの間にか自分がとんでもなく大きなミスをしてしまっていないか、問題を起こしていないか、いつもビクビクしていた。

設備の古さ、制度やシステムの荒さ、先輩の指導、その他目につくことに憤って、心の中で非難して、ただ食べることでうさを晴らしていた。

見事なまでに10キロ太って帰国を迎えた最後の日だって、頑張った仕事や仲間との別れが辛いことより、やっと解放されることへの安堵が勝って、泣けなかった。

綺麗でもなんでもない、主に我慢と自己嫌悪の日々。

それをまるで、汗水たらして健気に努力して働いて、意気揚々と凱旋帰国したかのように面接で語る自分。
(嘘をついていたのではありません。ただ、語り方の問題)

「もっと要領のいい他の人が同じ境遇にいたら、絶対こんな辛くなかったし、実際そんな風な凱旋帰国ができていたんだろうな」、と思う自分。
そんな濁ったヘドロみたいな思いが、実は心のなかにありました。

もう帰国して2年は経ちますが、こんなにはっきり振り返ったことはありませんでした。
バリ島を出てすぐに英語とインドネシア語で頑張って書いた、お世話になった方々へのお礼メールも、ずっとメモ帳で鎮座したまま。
校正ばかり繰り返して、なんと未だに送れていません。
それくらい、真っ直ぐ見れない、自分の汚さがやたら目につく日々でした。

今回こうやってつらつらと書き、改めて思い出したことで、すこーし気持ちが楽になりました。

さて、パフを振り返ってみると。
…ツチダさんがいらっしゃった昔のことは露知らず、ですが笑
今のパフはきっと本当に奇跡のような会社であり、職場なんだと思います。
嫌な職場ってきっと、何か事がある度に嫌な面をより強く感じてどんどん失望していくのではと思いますが、
今のパフでは何か事がある度に、社員の暖かさや底知れない懐の深さを感じます。

パフを受けた時、役員面接でお会いして私を推してくださった某Oさんは、私がこのインターンを「2度とやりたくない」と正直に言ったことが、合格の決め手だったと仰っていました。

パフでの仕事はもちろん簡単ではないですし、自分の成長のなさに自分でびっくりもします。
でもあの時感じた、この「汚い経験」を「綺麗ごと」にして包み隠していなくてもいい、と言ってくれるようなパフに対する安心感は、特別なものでした。
やみくもに就活していた私にとって、他のどこにも見つけ出せなかった、「私が居たい場所」でした。

なかなかに長いので普段パッとは言えませんが、これも私が「パフに入った理由」の1つだと思います。

以上、乱文炸裂、とうもろこし岡崎の感傷回でした。
次回はもっとちゃんと内省します!

お次は、何でも受入れて全力でぶつかる天才、さとみんです。