パフスタッフが綴る何気ない日常。日々感謝をこめて。「パフ・ザ・マジックドラゴン 執務室」

おはようございます、平原です。
世の中パンデミックですが、1月から家庭内がパンデミック(というほどでもありませんが)子供の体調不良が続きご迷惑をおかけしまくっております。子供三人が代わるがわる熱を出す中、手を洗いすぎてあかぎれが治りません。

さて、田代さんからのバトン。私がなりたかった「将来の夢」遷移は
ウエイトレス(幼稚園)当時しっていた職業がこれだけ
 ↓
アイドル(小学校低学年)人気者=アイドルだと思ったけど、歌も踊りもできない自分に気づく
 ↓
雑貨屋さん(小学校高学年~)とにかく雑貨好き。今も好き。転職するなら雑貨屋さんもいいな~(テヘ)
 ↓
とくになし?記憶なし?専業主婦かな?(中学・高校)
 ↓
研究者(大学生)今でもなっていいと思う。転職するなら研究者!の道はないか~
 ↓
パフ入社・ワーママ

です。脈絡ないっすね。行き当たりばったりで結構幸せに生きています。
田代さんのような振り返りができる要素もあまりありません。夢を叶えるために努力してたというよりはなんとなくあこがれていただけなのでしょう・・・悲しい。

さて、最近は「入社してから今までを振り返る」というテーマでブログを書いております。
前回は「提案書が書けない」残念時代の振り返りでした。
今回は予告していた「理想と現実のGAPで苦しんだ話」を書いてみようと思います。

【 2005年4月~2006年3月(入社1年目)くらいまで 理想と現実のGAP 】

私は就職活動でたまたま出会ったパフに惚れ込んで入社を決めました。
職サークルに参加して社会って面白い、社会人って素敵、就活でこんなにワクワクできるなんてすごい!
となんだかすごく心が熱くなり、パフと職サークルのすべてが好きになりました。
そんな私。「営業」という仕事には全く何もイメージをもっていませんでしたし、「営業」に対する志望動機もありませんでした。

何か大変そうだけど、みんなが向いてるって言ってくれるから大丈夫だろう、くらいの甘い甘い、溶けちゃいそうな甘い考えでした。

入社後、パフの商品を学び、いざ営業に出てみると全く売れない。
お客様に商品のご説明をしても、「高いから値下げして」といわれてしまう。
素直な入社1年目の平原は会社に戻って「高いので値下げしたいです」とクギサキさん(だったかな?)に相談。
「バカヤロー自分で自分の商品の価値下げてどうするんだ。こんなに安くてもいいんですか?と思ってもらえるような営業をしろ!商品の価値を上げろ!」と怒られました。
全くもってその通りです。
でも、営業とは、ビジネスとは、商いとはという根本が理解できていなかった当日の私は、なんだか高額なものを販売することに引け目を感じてしまっていました。
「50万円なんて大金いただけない・・・」とか普通に思っていました。

よって、「営業」という仕事になんだか心苦しさを抱えてもやもやしながら走っていました。
入社が楽しみで楽しみで仕方なかった私にとって、「売る」ということ自体がGAPでした。
でもでも。これは私の商いに対する圧倒的認識不足。1年目が終わるころには「売れる=お客様にそれだけ必要としてもらえた」ということだとすっと理解するようになり(遅っ)勇気をもってお客様に「一緒にやりましょう」といえるようになりました。

もう1つのGAP。
就職活動中に自分が職サークルからもらった変化があまりにも大きかったので、自分がパフに入社したらものすごく影響力のある仕事ができるように感じていました。
が、実際は自分にご発注をいただいたお客様(大きなところは両手に収まる程度)の採用をお手伝いし、職サークルでFacetoFaceで出会った学生にメッセージすることぐらい。

やっていることは間違っていないけど、このままで社会を変えられるの?やっている意味ある??と迷ったのも1年目でした。

その時上司のイトウさんは「たとえばN商会さんに信頼いただいて一緒にやろうって言ってもらっているけど、それはヒラハラが求める影響力とは違うの?」と言ってくださったのですが、そのときは「なんか違うんです・・・」とくすぶっていました。

職サークルが、パフが、もっっともっと影響力を持って社会を変えたい。
でも実際は業界で小さな存在で、認知もされておらず、なかなか思うようにいかない。
ジレンマです。GAPです。
こちらも2年目になったくらいから先ほどのN商会さんの採用が大成功したりということがあり、「あ、自分の仕事に価値はあるんだ」と少しずつ教えていただいて今に至ります。

だがしか~~~~~~~~し!!!!!!!

今、あのころの「職サークルをもっと影響力のあるものにしたい」という思いをもう一度胸に抱いて、抱きしめなおして、職サークルの再構築を行っています。待っててね、15年前の私。

次回はいよいよN商会のU野さんとの思い出を書いちゃおうかな。これでわかる人何人くらいいるのかしら。

お次は、GAPて何だった?木村さんです。

SMAPになれた日

2020年2月5日 (水曜日)

おはようございます。田代です。

保坂さんの言うように、
私はこれからの時期。春先は社内にいないですね。
ということで、その理由をご説明したいと思います。

◆憧れの話

突然ですが、皆さんは
職業でも人でも何でも結構ですが「憧れ」はありましたか。

私の幼少期からの夢の変遷は以下でした。

パン屋さん

花屋さん

プロ野球選手

漫画家

お笑い芸人

スポーツ記者

で、なぜかパフにいる。なぜか…いや本当何でだろう。

ちなみに憧れの「人」で言うと、
イチロー選手、SMAPとミーハーな感じです。

SMAPと、一度でいいから、コラボしたい。

EXILEと一緒に踊った岡村隆史とか、
紅白歌合戦の欅坂46で踊ったウッチャンとか、
あんな感じで一緒にセッションしたい。

と、徒然に執筆してみましたが、最近思うことがあるんですね。

「今の自分はSMAPになれたかもしれない!」と。

 

◆手帳を見て思うこと。

2月到来。

いよいよ就職&採用支援を生業とする当社において
繁忙期に突入です。

先日、2月のマイスケジュールを見て、
冗談抜きに、自分が「何屋さん」か分からなくなりました。

日中は、イベント運営のファシリテーター。
朝晩は、企画立案者であり、プロデューサー。
いや、社内外のシナリオライター、執筆家の仕事も死ぬほどある。
今月も、研修講師の仕事も3本入っている。(先月も今月も)
その他にも地味に細かい仕事も色々あるし…、一体、何屋さんなんだ。

厄介なのは、すべて使う脳と体力や気力が違うというところ…。
という感じなのです。

私はこの環境を「SMAP状態」と呼ぶようにしています。

どういうことか。

ジャニーズファンの皆様、申し訳ございません。
間違っても、見た目のことを言っているのではありません。

SMAPと言えば、歌って踊れるイケメン集団。
私にとって、彼らは、何でもやるし、何でもやってのける。
憧れのグループでした。

一方で…今の自分。

SMAPとはかけ離れた生活をしているけれども、
ビジネスというフィールドにおいては、歌って踊って何でもする感じ。
何をやっているか、よう分からんけど、ステージに立ち、躍動していたい。

これをSMAP状態と言わずして、何と言えば良いのでしょうか。

 

◆冗談はさておいて。今日の本題。

 

30歳半ばを過ぎて職業について思うことは、
なりたい職業、憧れていた人にはなれなくても、
状態としては近づいているのではないかということです。

・パン屋さんになりたくて、工場見学の面白さを知り、

・花屋さんになりたくて、色彩などの色味に興味を持ち、

・プロ野球選手になりたくて、協業する楽しさと難しさを学び、

・漫画家を目指してレイアウトの勉強をするようになり、

・お笑い芸人にも憧れて、人を喜ばせる心の機微に着目するようになり、

・スポーツ記者になりたくて、執筆もたくさんしてきたし、本気で目指した。

この活動に無駄なことは一ミリも無くてですね。
仕事にも活きていると思うのです。

事実、今の会社でも人に届ける「価値」という観点では
同じような状態は間違いなくできていると実感しています。

よく好きなことを仕事にする、という話がありますが、

田代流に解釈するならば、
好きなことを仕事にすることが大事というよりも

・ビジネスという自分の持ち場において、
・好きなこと、得意なこと(人が嫌がることが嫌じゃないとか)が活かせるように
・自分で必死こいて考え、アレンジ、チューニングし、
・生きる道、活路を見出すことが、重要だと思っています。

 

SMAPのように歌って踊れる、カッコいい人間になりたい。
そんな漠然とした無謀な自分の憧れは、
形は変われど、ビジネスという舞台で少しは実現できているのかもしれない。
そんなことを考えていたります。

ということで、もし。

今の自分がSMAPと一緒にステージに立ち、
観衆の皆様にメッセージとして伝えるなら、こんな感じでしょうか。

「趣味でもなんでもいい。
 好きという気持ちは、立派な個性であり、武器だから。
 何歳になっても、諦めたり、捨てないで、持っていてほしい。
 絶対に役に立つ時が来るし、その個性を磨いて自分の活路を見出してほしい」

いや、もっと分かりやすく言うと…こんな感じ。

「夢をあきらめるの、ちょ待てよっ!」

う~ん。言ってみてーなぁ。

ということで、子供の頃の夢は何でしたか? 次は平原さんです。

暖冬ですね。

2020年2月4日 (火曜日)

体育会系文化部の代表、演劇部を9年やりましたので、筋トレのイロハは知っています。
ただ、筋トレより、ストレッチが好きです。いまは、足腰あちらこちらコチコチですが、ストレッチは好きです(ホント)

・・・

さて、2020年2月。

2月は受検の季節。寒い中、受検勉強をしていたあの頃を思い出します。
2月7日が最初の受験日だった気がするので、いままさに追い込み。

受験勉強って、ある程度(結構やることが前提ですよ)やると、
伸びてるのか、伸びてないのか、わからないタイミングが来ませんでしたか。

でも、停滞しないように
とにかくやり続ける、そんな22年前の2月でした。

・・・

20代のころ、とてもお世話になったお客様に、
「社会人になって10年もすると、仕事の終わらせ方がわかるようになる」
と言われました。

当時は「そうかー、なかなか仕事終わらないけどな。。。」と思っていた私。
入社10年目を迎える頃には、この言葉がわかるようになりました。

それからまた10年近く経つイマ。

日々の仕事を終えることはできるのですが
「成果」のために、明日、明後日、1年後、数年後・・・エンドレスを感じる日々です。

あの頃の受験のように。ただただ、続ける日々。

「停滞しないように」と前述しましたが、
その頃は少しでも伸びるように、成果が出るようにと思って取り組んでいたのだと思います。

・・・

もう伸びないと思ったら、伸びないし。
終わらせるなんて、人生つまらないし。

だから「もう少しがんばろう」
22年前の私にエールを送りながら、イマの私にエールを送ろうと思います。そして皆さんにもエールを送ります!

春は来る!

今日は立春。いよいよ春の到来です。

・・・

明日は、春の間はあまり社内にいないタシロさんです。

皆さん、こんにちは。吉川です。
本日は節分ですよね。年齢分だけ豆を食べろ、って、えーそんなに食べられないよ!という歳になりました。
最近、平原さんにお勧めされて、こんな本を読みました。

超筋トレが最強のソリューションである

いやー、面白い。
読み進めて、ロジックとか信憑性とか関係なく、「うん、筋トレしよ!」と思いました。

様々な人と会って人脈広げないといけない。
そのためにもたくさん勉強をして教養を高めなきゃいけない。
大きな志と気概をもってチャレンジングな仕事をしないといけない。

なんだか「いけない」づくしに囚われがちになっていた最近。
いや、そんなこと一旦忘れて、筋トレから始めよ!!となんか単純な思考に切り替わりました。

するとあら不思議。

身体の調子がよくなり、
よく寝られて(これは前から)、
朝から元気バッチリ頭が冴えて。

やらされ感なく本を読んだり人とあったり、チャレンジングな仕事をしてみようかと考え出したり。
私が「やらなきゃ!」と思っていたことは、本来の目的を達成するまでの過程・手段であって、それ自体に目的はない!なんて当たり前のことを忘れていたんだなと気づきました。

先日、大尊敬している方に言われました。

「自分をすべて捨てた時に本当の自分らしさが分かる」

筋トレをすると心が「無」になり、本来目指すべきものがシンプルに見えてきた。
そんな感じでしょうか。

きっと「周りから尊敬される人になりたい」「頑張ってるって思われたい」そんなくだらない感情があったのだと思います。

皆さんも、モヤモヤイライラシクシクしていたら、まずは筋トレしてみてください!
それでは、これからジムに行って、筋トレしてきます。(釘さん日記っぽい)

お次は、意外と筋トレに詳しいホサカさんです。

とうもろこし岡崎の内省①

2020年1月30日 (木曜日)

朝採れのとうもろこしよりフレッシュな、はすみんです。
とうもろこし並みにフレッシュにも関わらず、流れにのって今回は少し過去の話をさせていただきます。

先日、外大出身でパフ出身という、世界に二人といないであろう先輩(件のツチダさん)にお会いする機会がありました。
それも、年末年始の1ヶ月間に計3回も!笑
最初は吉川さんの副社長就任パーティーで初めてお会いし、次はツチダさん帰国タイミングに開催された貴重なパフ飲み、最後はその2日後に誘っていただいた、ツチダさんの外大ご友人との飲みでした。
ずっと気になっていた方に遂にお会いできた!と思ったら、そのままコロコロと何度も会えた、という超ラッキー事件でした。

さてその最終回の会にて、ツチダさんの外大ご友人(キャラと顔と話がめちゃくちゃ濃い)ともお話させていただき、何だか胸がざわざわ・ワクワクとする楽しい夜を過ごしました。

前置きが長ーーーくなりましたが、その時色んな刺激的なお話をお伺いし、とうもろこし岡崎は触発されまくりました。
そして「やろう!」と思ったスモールステップの1つとして、「自分の辛かった経験を振り返り内省する」というものがありましたので、今回のブログネタにしてしまおうと思います。
深い内省は次回に回すとして、今回はパフとの出会いとも絡めながら、全体を振り返ります。

さて。
一部ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、私は大学3年次終了後に休学し、インドネシアのバリ島に留学に行っていました。
前半は現地の大学の外国人コースに属し、インドネシア語でインドネシア語を学びました。
そして後半は、バリ島の中でも高級リゾート地として有名な地域で、日本人GRO、つまり日本語を話せるコンシェルジュ的な立ち位置でインターンシップ生として働いたのです。

この経験は、職業観うんぬんではなく、私の人格にも多少なりとも痕跡を残すほどの、深く強いものとなりました。

今でも、住んでいたホテルの部屋から、床のタイルの質感もカードキーが開く音も、どんどんきつくなっていった制服の着心地まで、はっきりと覚えています。

まだあの大変だった日々を完全に綺麗な思い出にはできていませんし、自分のなかで「良い経験」としてうまくはまるような解釈や位置付けも、まだ見つけられていません。

それでも、超感傷的ですが、あの頃の感覚はとにかく鮮明に私の中に残っています。
あの南国の空気と、必死に敷地内を歩き回るあの感じ。
仕事を終えた時の脱力の感覚と、仕事が始まる朝のカミカゼ特攻隊のような気持ち。
数少ない信頼できる人が隣にいる時の泣けるような安心感と、1人でカウンターに立つ時の心細さ。

ホテルで働くのも初めて、英語で生活したこともない、インドネシアには来て半年弱、という状態でなぜかインターンに受かってしまった私は、もう泥沼で奮闘するしかない日々を過ごしていました。

そして、半年が経ちました。
帰国して就活生となっていた私は、もちろんこの経験は使えるだけ使ってやろうと、売り込みエピソードとして使いたおしました。
色んな媒体に登録していた自己PR文にも、面接でも、履歴書でも。

確かに、まぁまぁ美味しい材料でした。

恐らくバイトリーダーなどの話に飽きていらっしゃった面接官の方々は、まずインドネシア語に食いついてくれ、バリ島留学に食いついてくれ、「辛かったけど頑張ったホテルインターン」に食いついてくれました。
もちろんもっとずっと凄そうな経験をした就活生の方もたくさんいましたが、私自身ちょっとは変わったエピソードを話せることに、正直なところうっすらとした優越感と、謎の安堵も感じていました。

でもどこか、そんな「使い方」をしながらも、心のなかでは真っ直ぐにその経験を見れない、向き合えない自分がいました。。。

はっきり言えば、その「辛かったけど頑張ったホテルインターン」は、そんな綺麗なもんじゃーなかったんです。

ほんとは、毎日ただ辛かった。

もちろん頑張ったけど、逃げたかった。

自分の部屋までかかってくる、日本人客からの電話に出たくないから、休みの日は一人でもできるだけ遠くに出かけた。

自分が成長することなんか二の次。
ただ今日を必死で乗りきって、ミスをしてこってり怒鳴られた時のあの思いを繰り返したくない気持ちの方が、よっぽど強かった。

頼れる人がいつも身近にいる訳ではないから、いつの間にか自分がとんでもなく大きなミスをしてしまっていないか、問題を起こしていないか、いつもビクビクしていた。

設備の古さ、制度やシステムの荒さ、先輩の指導、その他目につくことに憤って、心の中で非難して、ただ食べることでうさを晴らしていた。

見事なまでに10キロ太って帰国を迎えた最後の日だって、頑張った仕事や仲間との別れが辛いことより、やっと解放されることへの安堵が勝って、泣けなかった。

綺麗でもなんでもない、主に我慢と自己嫌悪の日々。

それをまるで、汗水たらして健気に努力して働いて、意気揚々と凱旋帰国したかのように面接で語る自分。
(嘘をついていたのではありません。ただ、語り方の問題)

「もっと要領のいい他の人が同じ境遇にいたら、絶対こんな辛くなかったし、実際そんな風な凱旋帰国ができていたんだろうな」、と思う自分。
そんな濁ったヘドロみたいな思いが、実は心のなかにありました。

もう帰国して2年は経ちますが、こんなにはっきり振り返ったことはありませんでした。
バリ島を出てすぐに英語とインドネシア語で頑張って書いた、お世話になった方々へのお礼メールも、ずっとメモ帳で鎮座したまま。
校正ばかり繰り返して、なんと未だに送れていません。
それくらい、真っ直ぐ見れない、自分の汚さがやたら目につく日々でした。

今回こうやってつらつらと書き、改めて思い出したことで、すこーし気持ちが楽になりました。

さて、パフを振り返ってみると。
…ツチダさんがいらっしゃった昔のことは露知らず、ですが笑
今のパフはきっと本当に奇跡のような会社であり、職場なんだと思います。
嫌な職場ってきっと、何か事がある度に嫌な面をより強く感じてどんどん失望していくのではと思いますが、
今のパフでは何か事がある度に、社員の暖かさや底知れない懐の深さを感じます。

パフを受けた時、役員面接でお会いして私を推してくださった某Oさんは、私がこのインターンを「2度とやりたくない」と正直に言ったことが、合格の決め手だったと仰っていました。

パフでの仕事はもちろん簡単ではないですし、自分の成長のなさに自分でびっくりもします。
でもあの時感じた、この「汚い経験」を「綺麗ごと」にして包み隠していなくてもいい、と言ってくれるようなパフに対する安心感は、特別なものでした。
やみくもに就活していた私にとって、他のどこにも見つけ出せなかった、「私が居たい場所」でした。

なかなかに長いので普段パッとは言えませんが、これも私が「パフに入った理由」の1つだと思います。

以上、乱文炸裂、とうもろこし岡崎の感傷回でした。
次回はもっとちゃんと内省します!

お次は、何でも受入れて全力でぶつかる天才、さとみんです。

仕事は楽しい?楽しくない??

2020年1月29日 (水曜日)

こんにちは、鬼丸です。すっかり暖冬に馴染んでいたのに突然寒くなり、花粉症も発症し鼻がグズグズしております。

世界では新型ウイルスの流行もありますので、しっかりと体調管理には気を付けていきたいと思います!

 

さて、最近たまたま若手の方から耳にした「仕事が楽しい(面白い)か・楽しくない(面白くない)か」という話について。

私なりの感覚でお答えするならば、結論仕事は「楽しい」です。

でも仕事が楽しくなるまでには時間がかかったように思います。

新人時代を振り返り、初めて仕事が楽しかったのは入社1年目後半~2年目前半頃でした。

当時所属していた会社は営業は成果至上主義(偏見)で、たまたま成果が出て表彰をされていた時期です。

恥を忍んで後進のために過去の話を少々。

九州エリア担当でしたので売上額では主要都市の方々には到底及ばず、特筆するような何をしたかというとエリアの顧客網羅率全国一位、これまでになかった顧客窓口の開拓手法を見つけ、その手法を全国に拡大したこと。

(一時表彰でイケイケだった時代があったことは黒歴史です。。私の功績がすごいのではなく、全国の並み居る猛者達を押しのけて私の表彰を押し切った上司の手腕がすごいのだと今なら分かります。未だに彼以上のネゴシエーションの神を見たことはありません!)

思い返しても自ら狙って何かを仕掛けた記憶はなく、お客様(顧客とカスタマー)の役に立つことを真剣に考え、さらに学ぶことが楽しくて邁進していたらそうなっていた、という感じです。

循環がよい時期は周囲に集まる人にも恵まれ、同僚と深夜まで会社で原稿を書き(今なら完全にアウト)、毎晩九州の美味しいごはんとお酒で食を楽しみ、会話に花を咲かせ、その一連が「ああ楽しい」と感じさせてくれました。

仕事だけでなく環境要因が大きかったということだと思います。若いうちはいろいろな環境・経験を含めて「楽しい」と感じる、それでいいのかと。

 

さて、時は流れて現在の仕事が楽しいと感じる瞬間はというと、お客様の役に立てたと思えた時です。

日々の仕事でも、お客様のことを昨日より少しでも理解を深めることができ、メールのやり取りが昨日より減った、とかでニヤニヤします。

途中段階で工程が上手くいっていない時は相当に気をもみますが、無事に納品を成し遂げ思うような結果が出た時は最高に嬉しいですし、楽しいです。

仕事が面白くないといけないとか楽しくないといけないということは全くないのですが、いつか自らに課した目標が達成できた時には「仕事って楽しい」と感じられることを心から願います。

 

ではお次はフレッシュ盛りの岡崎さんです。

おはようございます。ハム石河です。

昨日の釘崎さんのブログを読むかぎりですと、何があったんだろうか…と推察してしまいます。
酔いに任せた失態というのは、たちが悪いですよね。覚えていないこともしばしばで…笑

私事ですが、成人式の後の四次会くらいだったでしょうか、、、
一度だけお酒で失態を起こしてしまい、それ以降は「肝臓八分以上は飲まない!」と心に固く決めていています。

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お酒といえば。。。!?
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さてさて。
「お酒」というとこんな広告を目にするようになりました。

その前は、こんな広告だったみたいですね。

はじめて見たときの印象は「なめてるだろ!」という強い不快感をもったのですが、今となっては、もう見慣れてしまいました。

ちなみに、その前の広告は、こんな感じだったそうです。

180度くらい、違いますよね。伝えている内容は、同じなのに。。

「スタイリッシュだし、こっちの方が好きだなぁ」と思っていました。
そう、少し前までは-。

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なんとも不思議な広告の正体
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そもそも論ですが、考えてもみると、
いかにもコドモが書いたような上記2枚の広告は、正常な神経を持っている”普段”の僕たちには不必要なもの。

でも、許容量を超えてしまったオトナには、3枚目のようなスタイリッシュな広告は目に入ってこないわけで、
上の2枚がちょうど良い、と。なんとも皮肉なことです。笑

 

つまりは、、、
・お酒を飲みすぎた状態で、
・正当な判断がつかないオトナに対しても理解ができるほど、
・言語レベルを落として訴求することで

 

「暴力はダメだよ」という内容を伝えたい。
要素を分解すると、そんなところでしょうか。

訴求するべき相手のレベルに合わせて、こちら側が伝えたい内容を工夫する。

当たり前のことですが、難しいですよね。

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「ヘンな広告」のヨコ展開
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ちょっと胸に手を当てて考えてみると、決して「ヘンな広告」という枠にとどまらない、と思うのです。
採用の世界で考えてみると、どうでしょうか。

「会社のことに興味を持ってほしい」というゴールは変わらないにしても、
「ナビからきた学生」
「合説中に呼び込まれてブースに座らせられた学生」
「オファーサイトから来た学生」
「社員の紹介で来た学生」
「もともとからファンだった学生」

 

「会社説明会に来た学生」に「会社内容を訴求する」ことは変わりません。ただ、
入口が違うだけで、初期接点での学生期待値や選考中の動機形成の仕方が画一的ではないことは言うまでもない、と思います。

 

でも、現実は、どうでしょうか。
HRテックは導入するし、イベントの内容も精査する。でも、接触した後の中身の精査は二の次三の次。

その時々の想定される学生の知識や興味レベルに目線は合わせず、
会社として伝えたいように伝えている実情。

 

それでいて、採用実績作らなければ、次年度の発注先変更。
(パフでは積極的に候補者形成施策は売りませんので、対岸の火事ではありますが)

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結論、何が言いたいのか
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出会い方の選択肢が増えれば増えるほど、出会ってからの学生ニーズも多様化します。
「つかみ」の心理状態を見誤れば、伝えたいことも伝わりません。

 

理性的判断ができない酔っ払いに、スタイリッシュな広告を見させるように。。。
普段の僕たちに、言語レベルの低い日本語で語りかけるように。。。

 

訴求するべき相手のレベルに合わせて、こちら側が伝えたい内容を工夫する。

多様化するこれからの採用市場に備えていかねばなりません。

 

ということを、近々パフの若手社員でセミナーをします。
いわゆる”Z世代”。スマホ片手に就活をしていた世代です。
採用が超本格的に始まる2月に、自社の採用の在り方を見つめ直してみませんか。

 

さて、お次は鬼丸さんです!

 

(写真の出展:鉄道事業者共同PR「暴力行為防止ポスター」)

想像する、ということ

2020年1月27日 (月曜日)

おはようございます。
歯医者さんに行くと、未だに
「りんご味の歯磨き粉と、レモン味の歯磨き粉、どっちが良い?」と
ちびっこ対応をされてしまう、阿久根です。
個人的には、レモン味のすっぱさがなかなか好きです。
youtubeで動画を探していると、
昔、放映されていたCMや映画の予告編に、
思わず目を奪われることがあります。
https://youtu.be/r9UDvEVGoXQ
リップスティックのコマーシャルなのに、
色味も何も分からない。
それなのに、なんだかわくわくしてしまう。
どんな色のバリエーションがあるのかな?
品番の名前から、どんな色なのか、
その時代に、どんな色が流行っていたのかを想像したり。
自分だったらどんな色を身につけたいかな?と考えてみたり。
白黒の映画。
登場人物が着ているドレスは、
赤色なのか、深い緑色なのか、はたまた黒色なのかも
分からない。
それでも、「こんな性格のキャラクターであれば、多分黒色を着ているんじゃないかな?」なんて想像できる。
2人の人間が見つめ合うシーン。
ふと片方の表情がアップになった時の、
瞳や髪の毛のかがやきの、なんて美しいこと!
「きっと、彼女は彼から見たら
こんな風に輝いて見えているんだな」と
観客に感じさせるような演出。
高画質や4kも良いけれど、
“白黒である”という、
普段当たり前のようにある色の表現を制限することで
ひとは「そこにあるはずの色を想像する」という
楽しみが生まれるような気がしました。
もしかしたら、今は
何もかも明らかになり過ぎているのかもしれない。
ハイクオリティであることが当たり前になり過ぎて、
もっと自分で考えたり、工夫したりする余地が
生まれにくくなっているのかなぁ、、と感じます。
これからも、もっと
「わからないこと」そのものを楽しみたいと思います。
自分の想像力が、今後何かの役に立てれば良いなあ、なんてぼんやり考えています。
次は石河さんです。

こんにちは。
目標は決めず、毎年流れのままに生きている大門です。
目標を立てても達成することの方が珍しく、大体「目標」と「現実」の差にゲンナリして終わってしまうので、そこの悲しい気持ちに囚われるくらいならいっそ目標は立てずに生きていくことを選択しているまでです。
ネガティブ寄りの思考はパフとしてはあまり良しとしない空気がありますが、自分としては今まで生きてきた中でのこの選択なので、今年もそんな感じで生きていけたらと思っております。

ちなみに目標は立てませんが、「願いごと」はいっぱいあります(主に「推しごと」で)。
そして、「願いごと」は口にすると言霊になって叶っていくと信じていて、実際に叶ってたりするので、毎日夜のスキンケアの時にハンドプレスで化粧水をぐいぐい顔に沁み込ませながらぶつくさ唱えています。
今年も既に1つ叶いました(先日、三次元女性アイドルのライブで2列目でした☆もちろん推しからレスいただきました。ばんざーい!)。
叶えたい願いごとが多いので、常時2~3つずつ唱えていて、1つ叶ったら次1つ増やす、という自転車操業です。

******

さて、年明けからずっとお仕事が忙しくて訳が分からず、今日もやらなければならないタスクが積みあがっているので、最低限やらないといけないことだけ書いて去ります。

ええと、2月21日(金)の釘さんバンド…「山と鼓と葉」のライブに今年もゲスト出演します。

釘さんLiveで春を呼び寄せます!

↑宣伝してください、と言われたのでリンク。

三次元女性アイドルのライブで推しから心の栄養補給をいただいた翌日は、自分が出る側のリハ。
去年程出番はありませんが、「出過ぎず、引っ込み過ぎず、主役たちを引き立てる」ポジションを全うすべく、いろいろ探りながら練習してきました。
一緒に出演するメンバーの皆さまにも恵まれ、自分自身も楽器を演奏するってやっぱり楽しいし、自分を表現するにはこれだな!と思える時間を過ごしております。

私の大事な楽器。マウスピースは「KELLY」という樹脂タイプのものです。本体は初めて自分の楽器を持った小学生の時から数えると4代目。苦楽を共にし、軽く10年以上の付き合いになりました。

では最後に、釘崎さんが何かに迷いながら歌っている姿を載せておきますね(本人未承諾)。

3枚目の写真は美肌自撮りアプリで撮ったので、心なしかお肌が綺麗に見えます。気のせいだったらごめんなさい。

 

お次は阿久根さんです。

おおきに!カカこと石上です。

パフに入社して、もうすぐ2年11か月になります。

 

毎日、ブログを読んでくれているカカの父へ、安心してください。

結婚は、いたしません。(笑)

 

最近、お気に入りのカフェはこちらです。

iki ESPRESSO TOKYO(清澄白河)

https://www.ikiespresso.com/

ラグビーW杯のときには、日本代表の稲垣選手や、ニュージーランド・オールブラックスの選手がわんさか来ていました!

 

さて、私・カカは、社内で「本質好き」と言われています。(一部の人からですけどネ)

物事の本質を誰かが語っていると、涙したり、感動したり、興奮するからです。(いつもうるさくてすみません)

 

そんな「本質好き」の私ですが、この度、本質とは何かわかっていないことが判明しました。

まずは、お詫び申し上げます。

 

先日、地元京都に帰った際に、禅や哲学が好きな父から「物事には、”現象”と”本質”がある」と教わりました。

人はどうしても「現象」に目が行き、「本質」を見失ってしまうと聞き、最初は、「ふ~ん」と聞いていたのですが・・・。

「人間の本質は”生まれて死ぬ”ことで、人は”生まれる”から”死ぬ”んだよ」と言われて、なぜかハッとしました。

 

企業も人間と同じ「生き物」だから、生まれれば死ぬときがくる。

人間は、今の技術では「死なない」ことはできないが、企業は死を迎えないために、「人」を採用するんだと思ったからです。

 

当たり前だけど、私が意識していなかったこと。

「良い人」を採用するためにお客さまのお手伝いをしていましたが、それはまだまだ「企業最適」であるんだと気づきました。

 

パフのカカとして、「企業が死なないためにお手伝いをしている」という意識、改めて心と頭に留めて、また今日から働きます!

 

お次は、大門さんです!