パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

ミスター牛丼

2016年9月7日 (水曜日)

いろんなところで言っているし、この日記のネタでもしばしば使っているが、僕は大の牛丼ファンである。

初めて牛丼と出会ったのは、中学を卒業したばかりの15歳のとき。高校に入学する寸前の休みを利用して、兄が住む東京に初めて遊びに来た時だ。

千代田線の根津駅のすぐそばにあった吉野家の牛丼を食べたときの衝撃はいまだに忘れられない。

「早い、安い、うまい」の看板通り、注文してから出てくるまでのスピード、(当時)300円で牛肉をたっぷり食べられるという安さ、ツユたっぷりの牛肉に覆われた白飯の旨さに感激したものだ。

高校を卒業して東京に移り住んでからも、牛丼は僕の心強い味方だった。当時僕は予備校生でお金がなかった(バイトはしていたが翌年の大学受験料や入学金を貯めていた)。1か月の生活費は3万円程度。普段の食事はスーパーから買ってきたモヤシを塩コショウで炒めたものを自分で炊いたご飯にかけた「モヤシご飯」。

でも、育ち盛りの18歳男子である。「肉を食べたい!」という欲望が出てくる。

そんなときは吉野家に駆け込み、牛丼を食べることにしていた。

1週間に2~3回は食べていただろうか。牛丼を食べる日は(生活費を維持するために)銭湯に行くのを我慢したりもしていたが、それでも300円で、あの美味しい牛丼を食べられる幸せを噛みしめていたクギサキ少年だったのだ。

前置きが長くなったが、この吉野家の中興の祖で「ミスター牛丼」と呼ばれる安部修二さんが、今月の「私の履歴書」の執筆者だ。毎朝楽しみに読んでいる。

安部さんは僕より11歳年上。高校卒業後ミュージシャンを目指して上京するもまったく芽が出ず、当時アルバイトとして働いていた吉野家に社員として誘われ入社する。

今朝の「私の履歴書」ではまだ吉野家のバイトはしておらず、音楽活動の傍ら、ビルの外窓拭きや土木解体の肉体作業で生計を立てているころの話だ。奥さんらしき女性(ディスコクラブで唄っていた安部さんのファンだったそうだ)と出会った時の話しには、ちょっとキュンときた。

僕は安部さんとはお会いしたこともないし何の接点もないのだが、勝手にシンパシーを感じている。学生に「キャリア」の話をするときも、必ず引き合いに出している。

でも、細かなことは存じ上げていなかったので、今回の「私の履歴書」は本当に楽しみ。

安部さんがどのように牛丼と出会い、社長までの道を歩んでいくのか。そしてBSE問題のときの「牛丼販売停止の決断」の背景には、どんなことがあったのか。ドキドキしながら毎朝の新聞を読むことにしよう。

ということで、本日の昼ご飯はやっぱり牛丼かな(笑)。腹を空かすために早歩きのウォーキングで行ってきます!