カンニングをしたことを思い出した日
2011年3月4日 (金曜日)
ネットを使ってカンニングを行なった予備校生が『逮捕』されたという。カンニング行為そのものは卑怯な行為であるし、何らかのペナルティが必要であるのは確かだが、将来のある19歳の少年を『逮捕』し、それをマスコミが大々的に報道し、大人たちが大騒ぎしているのには、どうも違和感がある。
僕も高校2年生のとき(確かあれは二学期の中間試験だったかな)、カンニングをして、試験官(まさに物理の先生が試験官だった)に見つかったことがある。
そのときのことを、きょうの日記では書こう。
———-
僕が通っていた高校は進学校ということもあり、勉強のレベルが高く、先生たちの指導もとても厳しかった。おまけに、僕は(何を間違ったか)理数系に進んでおり、苦手科目である物理や化学に苦しめられていた。特に物理の公式が暗記できずに、お手上げの状態だった。
でも、試験で一定の点数を取らないと進級できない。これはヤバイ!とマジメに追い込まれていた。
試験当日。出題されるであろう問題(ヤマを張ったんですね)を解くための長ったらしい公式を、机に鉛筆で書いておいた。
ズバリそのヤマは的中。僕は嬉々として、机に書いておいた公式を使いながら、スラスラと問題を解いていた。
問題を解き終わったとき、人の気配を感じた。
ふと見上げると、そこには、試験官である物理の先生の顔が!!
しかも先生は、(きっと恐怖に満ちていたであろう)僕の顔をみて、ニコッと微笑んでいる。
万事休す。すべてが終わったと思った。停学処分。留年確定。下手をすると退学処分になるかもとさえ思った。
しかし、先生は何事もなかったかのように僕の脇を通り過ぎていった。つまり、見て見ぬふりをしたのだ。カンニングの現場を押さえたのに、なぜ許してくれたのか、訳が分からなかった。
その翌週から、先生の「愛ある指導」が激しく始まった。
理数系のクラスだったので、週に2~3回は物理の授業があったのだが、毎回毎回、先生はニコニコしながら、必ず僕を指すのだ。「はい、クギサキ、この問題を解いてみて」「はい、じゃ、クギサキ、教科書の続き読んでみて」「はい、じゃクギサキ、前に出て、これ証明してみて」という感じで。
先生のニコニコ顔には、 「おい、クギサキ、なんで俺が毎回おまえのことを指してるか、分かってるよな!」 というメッセージが込められていた。そして指された僕は、 「はい、先生分かってます。その節はカンニングをしてしまい、申し訳ありませんでした。これからは、ちゃんと勉強します」 という懺悔と感謝の気持ちを表明するためにも、必死に指された質問に毎回、回答していた。
そして成績は悪かったなりにも、最後には及第点をもらい、無事、進級することが出来たのだった。むろん、以来、カンニングは一度もやったことがない。
———
以上が僕のカンニングの思い出話である。
もし、あのとき先生がカンニングを通報していたら、僕は間違いなく停学処分を受けていた。高校を三年で卒業することもできなかったと思う。きっと、いまの僕はなかったのではないかとも思う。物理の先生の偉大さ、寛大さには、30数年経った今でも頭が下がる。
大人が子供の不正や至らなさに遭遇した時、どのように向き合うのか。その子供を処罰することは簡単だ。しかし、その子供を、どのように立ち直らせるのか。どのように育てていくのか。そこまで考えた向き合い方を、大人たちには望みたいものだ。
これまでに頂いたコメント
4件コメントがあります
- いまなか だいすけさん
- くぎさんさん
いまなかさん、コメントありがとうございます。僕を助けてくれた物理の先生は水戸黄門の「風車の弥七」にそっくりの人だったんですよね。
カンニングで少年を逮捕してみたり、年5万円の献金で閣僚を辞任に追い込んでみたり、正義ヅラした器量の小さな連中が、日本をますます息苦しい国にしようとしていますね。うーん無力だ自分。 - C.OKAさん
おやじバンド!?
を聞きに行ったことから釘崎さんにお会いしました。
名刺をお渡しし、そのお陰(笑)でパフのメルマガが届くようになり、今に至ってます。(人事担当者ではありませんが興味深く拝読しております)
今回のカンニング事件。
マスコミのとりあげ方で事件になってしまった訳ですが…。
釘崎さんのエピソードを読み、私もカンニングした事があり、どうしてもコメントしたくなりました。
長くなりますがお許しください。
厳格な女子高に通っていたのですが、高2のクラス分けで国公立経済学部を目指そうとしていた私は、当時共通一次(今のセンター試験)で数ⅡBが選択できるのは理数系クラスと思いこみ理数クラスに入りました。
最初の授業のとき、数学の先生が「このクラスは数Ⅲまでやります。」とおっしゃり、「え~!!!」と叫ぶ私(唯一人)、「もう変えられませんよ」と先生の冷静なお言葉・・・。
「選択間違えるなんてあんた以外聞いたことない」と今でも語り草になってます。
高2高3の数学は地獄以外の何物でもなく、ある中間試験で数学の天才だったクラスメートの隣席だった私は回答を盗み見ました。
幸か不幸かバレなかったのですが、その労力の辛さに耐えかね、一度きりでやめ、数学は赤点ぎりぎりでしのぎました。
当時のクラスメートとは今でも飲み仲間で、大学は文系に進んだ私は理系に行った友人たちと異なる意見を闘わせては杯を酌み交わしてます。
確かに公正を期す受験での不正は許されない事ですが、この問題は、他国でのカンニング事件のような外部の人間を交えての組織的な犯罪とは異なります。
携帯であんなに早く打ち込めるなんて、私たち世代では考えられないので、異常に反応してしまったと思います。
最近の日本の各事件への反応のヒステリー現象には辟易です。
私たち大人世代は若者が生き抜く力を身につける手助けをすることだと思います。
過ちを犯してもその後の努力を認める寛容さ、敗者復活がそこかしこで見受けられる環境であって欲しい、いえ、そうする努力を私たちがしなければいけないのですよね。 - くぎさんさん
C.OKAさま、コメントありがとうございます。
いままさに日本人の「寛容さ」や「思いやり」が試されているときですね。
他人を非難、批判、攻撃するのではなく、(特に強い力を持っている人たちは)優しさを発揮してもらいたいですね。
いいお話ですね。
教育ってこういうことなんだなぁ。。。
過去に、同級生で期末テストでカンニングが見つかって、
留年した子がいたので、色々考えてしまいました。