「申し訳ない」はないんじゃないかと感じた日
2008年8月14日 (木曜日)
僕はその昔(中学生時代)、柔道部に所属していた。いちおう卒業時には有段者となり黒帯を締めることができはしたのだが、それは3年間、厳しい練習を続けることができたご褒美みたいなもので、公式戦では、ほとんど負け続けていた。
柔道は、個人対個人の戦いなので、チームプレイではない。しかし、中学生時代の柔道は団体戦が中心なので、個人の負けは、そのままチームの負けにつながってしまう。
団体戦は5人が出場する。僕は中学の柔道部では7番目の選手だったので、いつもは補欠なのだが、たまに他の選手の体調が悪かったり、相撲の試合と重なったとき(当時強い選手は、相撲部と掛け持ちで試合に駆り出されていた)などは、試合に出ることもあった。
そのときの僕のポジションは、大将だった。先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の順番で、同じポジション同士が戦う。3勝したチームが勝ちとなる。僕は5番目=ラストの登場だ。僕の中学は比較的強い学校だったので、僕の順番のときにはだいたいチームの勝ちが決まっていることが多く、僕は気楽に負けることができた。
しかし、稀に2勝2敗で順番が回ってくるときがある。これは弱かった僕にとっては、とても辛いことだった。「僕の負け=チームの負け」になるからだ。
漫画や小説の世界だと、ここで奮起したり、奇跡が起きたりして、勝ちを収めるわけだが、現実にはそんなことは一度もなかった。
でも、チームの皆は、僕が弱いことを知っているので、僕が負けたとしても誰も僕を責めたり、非難したりしなかった。それどころか「よう頑張ったじゃねえか。ま、しょうがねえわい。気にすんな!!」と、サバサバしたものだった。最初から期待されていないというのも複雑な心境なのだが、極度に申し訳なく思っている僕にとっては、救いだった。
と、こんな昔話をいきなり書きはじめたのは、オリンピック男子柔道100Kg級の鈴木桂治が初戦敗退(しかも三位決定戦の初戦も敗退)し、そのうなだれた姿をいまテレビで観てしまったからだ。
あのうなだれ方は、悲惨である。痛々しすぎる。あそこまで自分を責める必要があるのだろうか。しかも団体戦ではなく、個人戦なのだ。「申し訳ありません」なんてコメントはないだろう。おまけに鈴木は、現役を辞めることを示唆していた。そんなこと言わないでくれ、と言いたい。まだまだ現役としてやれる年齢だ。言うなら「悔しい。もう一度基本からやり直します」じゃないだろうか。
国民や協会が期待をかけるのはわかる。僕ももちろん期待していた。でも、負けようと思って負けたわけではない。手を抜いていたわけでもない。だから、「よう頑張ったじゃねえか。ま、しょうがねえわい。気にすんな」と言ってあげようじゃないか。
オリンピックに連続出場を果たした(重量級では)日本一強い選手なんだから、こんなことで選手生命を終わりにしてほしくなんかない。
鈴木、立て、立つんだスズキ!