パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

7月26日の日記で、知覧に行って涙したことを書いた。そのときの日記で僕は、こう書いた。

「知覧のことはまた改めて書いてみたい。多くの若者たちに(うちの社員たちも含めて)、ぜひこの特攻隊員の遺書を読ませてやりたい。自分の悩みがいかに小さなものか。いまの時代がいかに恵まれたものであるか。わがままな自分と贅沢な時代に、きっと気づくことであろう。」

で、先日のメルマガのコラム「どげえするんか」で書いた。めずらしく(?)まじめに、緊張感をもって書いた。メルマガだけで終わらせるのももったいないので、この日記にも転載することにしよう。今週末は終戦記念日だし。戦争と平和、幸せとは何か?大切なことは何か?なんてことを考えてみてはどうだろうか。

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01】釘崎の「どげえするんか?」

 第30回 鹿児島の知覧をいちど訪ねてみんか?

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 パフ代表釘崎が、現在の採用市場、就職活動、世の中のあれこれについて、

  日々感じることを徒然なるままにお届けします。

  ※「どげえするんか?」=大分弁で「どうするんだ? どうしたいんだ?」

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 もうすぐ64回目の終戦記念日がやってきます。

 日本が戦争の大きな痛手から立ち直り、経済白書が「もはや戦後ではない」

 という言葉を使ったのが1956年(昭和31年)。私は、それから4年後の昭和

 35年(1960年)生まれですから、まさに「戦争を知らない子供たち」の世代

 ということになります。

 しかし、私の父親は終戦の年に、旧制中学から予科練(海軍飛行予科練習生)

 に志願していたこともあり、幼いころ、よく戦争の話を聞かされていました。

 「終戦が、もうあと何週間か遅かったら、(父親は)特攻隊で出撃していた

 んかもしれんとよ。そしたらば、あんたたちが生まれてくることはなかった

 とよ」と、母親が、くどいくらいに話してくれていたことをよく覚えていま

 す。

 また私が小学生のころは、8月6日、8月9日、8月15日という特別な日は、

 全員が体育館に集められ(夏休みだけど登校日だったんですね)、平和授業

 を受けたものでした。

 私は、「戦争」というものを、身近に感じることのできた最後のほうの世代

 なのかもしれません。

 ☆☆☆

 日本は一切の戦争を永久に放棄した国です。戦争による(一般市民をも巻き

 添えにした)夥しいほどの犠牲者を出した国だからこそ、国境を越えて多く

 の人たちに、戦争の悲劇を語っていく義務と責任を、私たちは担っているの

 だと思います。

 人の命は何ものにもかえ難く尊いものであるということを、私たちは、若い

 世代に対しても語り継いでいかなければなりません。

 ☆☆☆

 そんなことを考えていたこともあり、ぜひ一度行かなければ、と思っていた

 場所があります。

 それは、鹿児島の知覧です。JRの鹿児島中央駅から車で約1時間半。薩摩

 半島の山の中にある小さな町。この町から、多くの若者たちが特攻機に乗っ

 て沖縄方面に飛び立ち、尊い命を落としていったのでした。

 最近、映画やドラマで描かれることがしばしばあったため、比較的多くの人

 たちに知られるようになったのですが、それでも、まだまだ若い人たちへの

 認知度は低いようです(パフの社員に聞いてみたところ、半数以上が知りま

 せんでした)。

 つい先日(2009年7月26日)、念願叶い、知覧に足を運ぶことが出来ました。

 大雨のさなか、限られた時間だったのですが、多くの遺品や遺書が展示され

 ている知覧特攻平和会館を見学してきました。

 ぎっしりと並んだ遺影と遺書と手紙。

 屈託のない笑顔が並んだ写真と、達筆な筆文字で書かれた一つ一つの遺書や

 手紙に、胸を打たれました。皆、20歳前後の若者たちが遺したものです。

 ・自らの迷いを打ち消すために書かれた遺書。

 ・自分の気持ちを鼓舞するために書かれた遺書。

 ・母親に、自分を生み育ててくれたことを感謝する手紙。

 ・妹や弟に、自分の出来なかった親孝行を託す手紙。

 ・妻と幼き息子に、自分亡き後も、力強く生きて欲しいと願う手紙。

 出撃の前夜。狭く暗い兵舎のなかで、隊員たちはどんな思いでこの遺書や手

 紙を書いていたのでしょうか……。

 無念さを押し殺しながら、愛する家族の明日を気遣うための言葉を、一文字

 一文字、綴っている隊員の姿を想像するだけで、私は胸が締めつけられる思

 いでした。

 ☆☆☆

 64年経った現在。日本には戦争で命を落とす若者はいません。平和な時代で

 あるといえるでしょう。

 しかし、人の命を尊ぶ心、親兄弟への感謝の気持ち、妻や子供への愛、隣人

 や国を大切にする心。こういった、特攻隊で死んでいった若者たちにとって

 は至極当然だった気持ちや考え方が、いまの時代を生きる日本人には(平和

 であるがために)欠如しがちなのではないだろうかと思えてくることがあり

 ます。

 戦争は二度と繰り返してはいけないものですが、戦争によって学ぶべきこと

 はたくさんあります。

 普段よりも子供たち(自分の子供だけに限らず)と接する機会が増えるこの

 夏休み。いっしょに戦争の映画やドラマを観ながら、人が人として大切にし

 なければならないことを語り合う時間に充ててみてはいかがでしょうか。

 人事担当者の皆さんや、採用や教育に携わる同業者の皆さんには、ぜひ一度、

 鹿児島の知覧に足を運んでみることをお勧めします。自分の仕事の社会的意

 義や意味を、あらためて考える機会になるのではないかと思うのです。

 【今回のどげえするんか?】

  親のスネをかじりながら大学に通い、就職活動の時期になると、目先のエ

  ントリーシートや自己分析で悩んでいる学生たち。社会人になって、仕事

  で壁にぶつかって、「こんなはずじゃなかった」と嘆いちょる新入社員た

  ち。

  みんな、知覧を飛び立っていった特攻隊員と同年代なんじゃのう……。

 

  お前たちの悩みや苦しみの小ささは、僕たちがいくら言うても分からんか

  もしれん。でも、知覧に展示されちょる隊員たちの遺書や手紙を読めば、

  きっとよう分かると思う。

  こんなちっぽけなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。自分たちは、いか

  に平和で恵まれた時代を生きているのか。いやでも、そう気づかされるん

  やないかと思う。

  僕は、僕たちが過去の戦争から人間としての大事なことを学ぶことこそが、

  戦争で死んでいった人たちに対する最大の弔いになるんじゃと思う。

  あんたは、どげえ思う?

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