【ご報告】パフの従業員は全員無事です
2011年3月11日 (金曜日)
弊社お取引先、並びに従業員のご家族の皆さまへ
本日の地震による弊社の被害はほとんどございませんでした。外出中の社員含め、全従業員の無事も確認できております。
サーバー他、社内システムにも異常はなく、業務上の支障も現在のところ、まったくございませんので、どうぞご安心ください。
しかし、お取引先の皆様の中でまだ連絡が取れていない方々もいらっしゃいます(特に東北地方の皆様)。
被害に遭われた皆様へ心よりお見舞い申し上げますとともに、まだ確認が取れていない皆様のご無事を心よりお祈り申し上げます。
株式会社パフ 代表取締役社長 釘崎清秀
昨日は(昨日の日記にも書いたとおり)早朝の新幹線に乗り込み名古屋へ。
朝9時に名古屋ルーセントタワーの会議室に到着。僕がファシリテーターとしてお手伝いしているM社の説明会ダブルヘッダー(午前1回、午後1回)の開始だ。
あいかわらず高い出席率。午前(理系)、午後(文系)とも、95%の出席率達成だ。東京、大阪、福岡で開催した説明会も95%の出席率だった。深く関わっている会社の説明会が、こうやってうまく運んでいるのは本当に嬉しい。
午前の説明会が終わった後、M社の皆さんと味噌煮込みうどんを食べに行った。実は朝から食べたかったのだ。名古屋出張のひとつの楽しみだったのだ。
そしてもうひとつの楽しみが夜だった。
午後の説明会が終わって、僕はM社の皆さんとは別行動。名古屋の同業者、名大社さん の本社オフィスに伺った。
「名古屋の就職情報会社といえば名大社」というくらいに、昔からの同業者にとっては有名な会社。この名大社の山田社長と情報交換を行うために伺ったのだ。
最初はオフィスで情報交換。そしてその後、実はいちばん楽しみにしていた「世界の山ちゃん」へ移動した。
いやー、食べたな、手羽先。ふたりで6人前!
情報交換の中身も充実。
味覚的にも、胃袋的にも、情報的にも、情緒的にも、大満足な名古屋出張であったのだ。
さて、気がつけば本日は金曜日。胃袋にはまだ手羽先が残っているような……。週末はランニングをして、溜まったカロリーを消化しないとマズイかも(苦笑)。
では、そろそろ行って来ます!
名古屋に向かう新幹線の車中より
2011年3月10日 (木曜日)
いま名古屋に向かう新幹線(のぞみ)の車中でこの日記を書いている。
この季節、僕もお客様の会社説明会のお手伝いに駆り出されることが多く(というか、自ら望んでそうしているのだが)、地方への出張の機会がたくさんある。
時節柄、宿泊する余裕が(金銭的にも時間的にも)あまりないので、始発や終電で間に合う場合は、地方出張であっても日帰りのことが多い。
そんなとき、恵まれているなあと思うのが、僕の自宅や会社が、東京駅や羽田空港に近いロケーションにあることだ。
僕の自宅から東京駅まで(タクシーを使えば)約10分。羽田空港まで(浜松町経由で)約40分なのだ。会社からだとさらに近い。始発の新幹線(東京駅朝6時発)であっても、朝5時に起きれば十分なので、普段の起床時間とさほど変わらず、あまり苦にならないのだ。
かといって僕は、都心のすごいところに住んでいるわけでもない。下町の路地を抜けた、もんじゃ焼きの匂いが漂う低層マンションが僕の自宅だ。しかもマンションの相場が落ち込んでいたとき、さらに大幅な値引きをしてもらったうえで購入した。20代の普通の会社員でも十分に手の届くようなところだ。
職住接近。駅傍。若い人には特におススメだと思う。
でも、もう少しして第一線から退けるようになったら、ちょっと田舎に引っ込んで、トマトやキュウリや茄子や大根やトウモロコシなどを栽培できるような、畑のある家に住みたいなあと最近では思う。犬や猫を飼って一緒に遊べるような一軒家。大音量でカラオケをやっても苦情が来ないような(隣の家まで50メートルくらいあるような)一軒家。なかなか素敵だな。
と、新幹線の中で妄想を繰り広げてしまった。
さて、本日のお昼は味噌煮込みうどんかな。そして夜は手羽先だろうか……。新幹線の最終に間に合うようにして帰りましょう。
窓の外は快晴。そろそろ富士山も見えるころかな。
では、名古屋に行ってきます!!
風邪の侵攻から身を守る日
2011年3月9日 (水曜日)
昨日は朝からのどが痛く、耳の下(頸動脈付近)にもイヤ~な痛みがあった。扁桃炎の初期症状である。
扁桃炎といえば、昨年もこの時期(もう少し早い時期だったかな)に罹ってしまい、40度の発熱で3日間寝込んでいたことがある。あのときは本当に辛かった。
思い返すと昨年は、この扁桃炎を手始めに、足指の骨折⇒胃腸炎⇒尿管結石(あまり大っぴらにしなかたけど実は再発していた)と、病気や怪我に悩まされた1年だった。
今年は幸い、風邪をひきかけたことはあったものの、まだ何の体調不良にも陥っていない。昨年の秋からランニングを開始したのも良かったのかもしれない(最近はサボりがちだけど)。
それだけに、昨日の朝からの症状には緊張が走った。
なんとか初期の段階で、追い払わなければ。
ということで昨日は、(うがい薬をつかっての)うがいを入念にし、水分を多めに摂取し、睡眠をきちっととった。
で、今朝は幸い、のどの痛みが和らいでいる。耳の下の痛みも昨日ほどではない。
よし。ここが肝心。なんとしてでも風邪(扁桃炎)を追い払うぞ!
ということで、しっかり朝食もとったうえで、本日も行って来ます。
中目黒でMSPの秘密会議が行なわれた日
2011年3月8日 (火曜日)
昨日は朝から冷たい雨。そして、ほどなくすると雪。寒い一日だった。
日中は寒かったのだが、夜は熱い時間が続いた。
場所は中目黒。渋谷から東横線で二つ目の駅だ。
山手通りから、暗くて人通りの少ない道に入って約5分。ここに昨夜の秘密会議の場所があった。
集まったのは、知る人ぞ知る幻のオヤジバンドMSPのメンバーたち。僕を入れて3名のオヤジたちだ。
何の秘密会議か?
ここで明かしてしまうと秘密でもなんでもなくなってしまうのだが(笑)。
ともあれ日記読者の皆様には、5月14日(土)の午後は空けておいてもらいたい。場所は、オヤジにもっとも似合わぬ街、原宿。
この原宿で、5月14日、何かが起きる。
昨夜の秘密会議で、すべての段取りが決まった。みるみる決まった。実にスピーディー。しかもエレガント。
先着80名。
詳しい内容は、そう遠くないうちに明らかにしようと思う。
どうぞお楽しみに!
季節の変わり目、そして節目の3月なのだ
2011年3月6日 (日曜日)
前原外務大臣が辞任した。前原氏のことを僕は良く知らないし、好きでも嫌いでもないのだが、これはなかなか気が滅入る。ショックとか残念とか、そういうことではなく、いまどきの言葉でいうなら「イラッと」する。政治家の仕事は重箱の隅をつついて人の足を引っ張ることなのか。税金泥棒たちに政治を委ねてしまっている現状(というよりも、無力な自分)が腹立たしい。
それはそうと、先週末は刺激的なことがたくさんあった。
そのうち3つだけ書いておこう。
ひとつめ。
金曜日の朝。(ほぼ)新規で大きな取引を開始したいと(僕が勝手に)思っているK社への訪問。僕が最初の段階から営業現場に首を突っ込むのは珍しいのだが、複数の方々からのご紹介によって縁をいただいた会社なので、監督役として現場に入ることにした。K社は、パフと同じ年の創業の若い会社なのだが、すでに東証一部に上場している。いままでは中途の即戦力採用が中心だったのだが、今年から新卒採用に力を入れていくことになった。パフにしかできない提案で、大きな取引を目指していきたい。
ふたつめ。
5月の下旬(20日に決定!)に行なう職サークルシンポジウム。そこで特別講演をお願いしている、海老原嗣生さんと打ち合わせを行なった。海老原さんとは講演会のときに名刺交換をしたことはあったのだが、キチンとお話しするのは初めて。でも僕は海老原さんの本はよく読んでいたし、海老原さんも僕のブログをよく読んでくださっていたし、最近では、メールで何回も意見交換していたので、話はとてもスムーズかつエキサイティング。5月20日は、とても有意義なシンポジウムになりそうだ。いまから楽しみである。人事の皆さん、5月20日(金)の午後は夜まで空けておいてくださいね!
みっつめ。
金曜の夜。12年前の1999年。パフの創業2年目にインターンとして働いていた、Nグチと、Uスギがやってきた。ふたりとも、腹周りは3倍くらい成長しているが、性格はあのころのままだ。冷房の効かない真夏の狭いオフィスで、(しかもイスも机も人数分なかったので)立ったまま仕事をしていた同志である。いっしょに食事をしながらとある打ち合わせを行なったのだが、とても刺激的な中身。実現したら、かなり面白いことになりそうだ。
土曜日も、ある意味エキサイティングな出来事があったのだが、あえて割愛。本日の日曜日は、気合いを入れた久々のジム。約3時間、筋トレとランニングで汗を流した。
きょうはホントは早朝ランニングもやるはずだったのだが、昨夜、夜更かしをしてしまい断念。うーん。早くペースを取り戻さなければ。また何かの大会に申し込もうかな。
さあ、明日から3月も2週目。今後のカギを握る大事な打ち合わせが、いくつか予定されている。3月は季節の変わり目。そして僕の人生にとっても、節目(を考えるため)の3月になりそうな予感なのだ。
カンニングをしたことを思い出した日
2011年3月4日 (金曜日)
ネットを使ってカンニングを行なった予備校生が『逮捕』されたという。カンニング行為そのものは卑怯な行為であるし、何らかのペナルティが必要であるのは確かだが、将来のある19歳の少年を『逮捕』し、それをマスコミが大々的に報道し、大人たちが大騒ぎしているのには、どうも違和感がある。
僕も高校2年生のとき(確かあれは二学期の中間試験だったかな)、カンニングをして、試験官(まさに物理の先生が試験官だった)に見つかったことがある。
そのときのことを、きょうの日記では書こう。
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僕が通っていた高校は進学校ということもあり、勉強のレベルが高く、先生たちの指導もとても厳しかった。おまけに、僕は(何を間違ったか)理数系に進んでおり、苦手科目である物理や化学に苦しめられていた。特に物理の公式が暗記できずに、お手上げの状態だった。
でも、試験で一定の点数を取らないと進級できない。これはヤバイ!とマジメに追い込まれていた。
試験当日。出題されるであろう問題(ヤマを張ったんですね)を解くための長ったらしい公式を、机に鉛筆で書いておいた。
ズバリそのヤマは的中。僕は嬉々として、机に書いておいた公式を使いながら、スラスラと問題を解いていた。
問題を解き終わったとき、人の気配を感じた。
ふと見上げると、そこには、試験官である物理の先生の顔が!!
しかも先生は、(きっと恐怖に満ちていたであろう)僕の顔をみて、ニコッと微笑んでいる。
万事休す。すべてが終わったと思った。停学処分。留年確定。下手をすると退学処分になるかもとさえ思った。
しかし、先生は何事もなかったかのように僕の脇を通り過ぎていった。つまり、見て見ぬふりをしたのだ。カンニングの現場を押さえたのに、なぜ許してくれたのか、訳が分からなかった。
その翌週から、先生の「愛ある指導」が激しく始まった。
理数系のクラスだったので、週に2~3回は物理の授業があったのだが、毎回毎回、先生はニコニコしながら、必ず僕を指すのだ。「はい、クギサキ、この問題を解いてみて」「はい、じゃ、クギサキ、教科書の続き読んでみて」「はい、じゃクギサキ、前に出て、これ証明してみて」という感じで。
先生のニコニコ顔には、 「おい、クギサキ、なんで俺が毎回おまえのことを指してるか、分かってるよな!」 というメッセージが込められていた。そして指された僕は、 「はい、先生分かってます。その節はカンニングをしてしまい、申し訳ありませんでした。これからは、ちゃんと勉強します」 という懺悔と感謝の気持ちを表明するためにも、必死に指された質問に毎回、回答していた。
そして成績は悪かったなりにも、最後には及第点をもらい、無事、進級することが出来たのだった。むろん、以来、カンニングは一度もやったことがない。
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以上が僕のカンニングの思い出話である。
もし、あのとき先生がカンニングを通報していたら、僕は間違いなく停学処分を受けていた。高校を三年で卒業することもできなかったと思う。きっと、いまの僕はなかったのではないかとも思う。物理の先生の偉大さ、寛大さには、30数年経った今でも頭が下がる。
大人が子供の不正や至らなさに遭遇した時、どのように向き合うのか。その子供を処罰することは簡単だ。しかし、その子供を、どのように立ち直らせるのか。どのように育てていくのか。そこまで考えた向き合い方を、大人たちには望みたいものだ。