中庸の徳たるや、それ至れるかな
2011年6月21日 (火曜日)
毎週、月曜日の朝礼(全体会議)で論語の話をしているのだが、先々週から、あらためて「中庸」と「礼」についての話をしている。
礼というのは、形式だけで終わってはいけないということ。中庸というのは、平凡だったり、たんに真ん中をとったりすることではない、ということを伝えている。
特に孔子は中庸を重んじており、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」とまで言っている。孔子の思想のベースにあるものだ。
恐れながら僕も、様々な価値観や考え方を、交わらせたり対立させたりしている世の中で、人々がもっとも大切にしなければいけないのは、中庸だと思っている。ちょっとニュアンスが違うかもしれないが、いわゆる「バランス感覚」に通ずるものであると解釈している。
人には、その人が属する組織や集団のなかで、それぞれの立場や役割といったものがある。その立場や役割に立脚した価値観・考え方もあるし、その人が元来有している価値観・考え方もある。
複数の組織ではもちろんのこと、同じ組織内であっても、人々が共同で、ひとつの物事を進めるとき、この価値観や考え方の違いが、物事の進捗を阻むことがよくある。あるいは自分の組織や立場を守ることに重きを置くあまり、本質を見失うこともよくある。だから不毛な対立や、独りよがりの主張や、玉虫色の決着や、結論の先送りが行なわれたりする。いま国会で起きていることなんかは、その典型的な例なんじゃないかな。
ここで大事になってくるのは、「中庸」である。
より高い次元で遠くを見る目。相手の立場や気持ちで近くの物事を見る目。世の中にとって(特に後世の人々にとって)大切なことは何なのかを見る目。
僕らは組織人であると同時に、日本人であり、地球人である。地球あってこその日本であり、日本あってこその我が組織である。
中庸っていうのは、そういう視点でものごとを捉えることなんじゃないかと思うのである。決して、足して二で割ったり、真ん中をとったり、衝突を恐れたりすることではない。
・・・あれ?なんでこんなことを長々と書いたんだろう。
なんだか偏狭な議論や、人の批判や中傷ばかりを目にすることが多い昨今。書きたい気分だったんだろうな。
さて、本日は雨模様。梅雨真っ盛りだ。日中は蒸し暑くなるそうだが、アタマは冷静に、ハートは熱く、行動はテキパキを、心がけていきましょう!