自分のランニングを振り返る(4)
2017年3月7日 (火曜日)
2011年3月10日。僕は名古屋にいた。朝から夕方までは、顧客企業の会社説明会のコーディネーターとして真面目に働いていた。
そして夕方からは、名古屋の就職情報会社としては歴史も実績もナンバーワンである名大社の山田社長とのサシの会食だった。
いや、会食といっても「世界の山ちゃん」ですが(笑)。
このころ僕らの業界は、2008年度下半期に突如として襲ってきたリーマンショックによって相当な痛手をこうむっていた。我がパフも、2009年の決算で大赤字に転落し、深い傷を負っていた。
名大社さんも例外ではなかったはず。山田さんが社長を引き継いだのはリーマンショック後の2010年で、まさに組織&事業改革を託されての社長就任だったに違いない。
いったん時間をその10年近く前まで巻き戻す。つまり西暦2001年~2003年のころ。
全国採用を行う顧客企業が多かったパフは、札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡の地方都市で、学生向けのイベントを開催していた。パフ創業5年前後のころで、売上げも右肩上がり。僕も若かったし、今思えばずいぶんとヤンチャで勢いがあったものだ(笑)。
しかし名古屋だけは、どうにもこうにも集客がうまくいかなかった。
「名古屋といえば名大社でしょ」
昔から名大社さんは、学生に対して大きな影響力をもつ会社として就職情報業界の中で有名な存在だった。
僕は直接、名大社さんに電話をし、名古屋でのイベント開催や学生への告知に関して協力を仰げないか打診してみた。
・・・しかし結果は「けんもほろろ」。つまり、まったく相手にしてもらえなかった(苦笑)。
まあ確かに地元就職を応援するのが名大社さんのミッションなのだから、全国採用企業を引き連れてのイベントへの協力など(しかも名も知れぬ創業したばかりの会社が唐突に申し入れたのだから)断られても仕方なかった。
そんな名大社さん。社長が交代し方針が大きく変わった。
全国の同業者ともコラボできるところとは積極的にコラボしていこうということになった。
当時キーカンパニーの下薗さんが事務局となって運営していた「ふるさと就職応援ネットワーク」(パフは幹事企業の1社)に名大社さんが加盟したのも、そんな方針転換のなかでの判断だった。
これが、名大社の山田社長と僕とが急接近し、「世界の山ちゃん」で会食するまでになった経緯である。
(今回はマラソンの話はまったく出てきませんでしたね、笑)