パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

37年前にもらった父からの手紙

2017年11月24日 (金曜日)

昨日の勤労感謝の日は、朝から引っ越しのための荷造り作業。

押入れやクローゼットや本棚や机の引出しの奥深くに仕舞い込んでいた大小さまざまな荷物を引っ張り出して、要るもの/要らないものを整理していた。

すると、この30年間くらい開けたことのなかった菓子箱が出てきた。表には汚い字で「手紙」と書いてある。

おそるおそる開けてみたら、なんとびっくり学生の頃にもらった手紙やはがきが入っていたのだ。

うわー、懐かしいなあ。学生時代の友人からの年賀状や暑中見舞いがたくさん出てきた。

その手紙の束の中にこんな地味なはがき(官製はがきに赤字で「年賀」と書かれている)が紛れていた。消印は昭和56年1月8日になっていた。

 

 

差出人は「釘崎 弘」。そう、僕の父親の名前だ。

父は当時、熊本の菊池温泉の旅館に住み込みの板前として働いていた。母は大分の湯布院にいたので、いわゆる単身赴任っていうやつだ。

正月は温泉旅館にとっていちばんの書き入れ時。父は湯布院の自宅に帰ることなく働いていたのだろう。

ちなみにこのとき僕は20歳。東京の六畳ひと間の下宿(大田区東馬込だった)に住んでいた。

はがきの裏書を読んで、じーんと来た。ちょっと大きめに貼り付けてみる。

 

 

1月8日は父の誕生日。

文面から察するに、僕は父が働いている旅館に宛てて「誕生日おめでとう」の祝電を打っていたようだ。そんな粋なことをするような若者ではなかったはずなのに・・・。

出来の悪い息子から思いがけずこんな祝電をもらった父は、相当に嬉しかったんだろう。すぐにこのはがきを僕に送ってくれたのだと思う。

「清秀君も学生の本分を忘れずガンバレ‼」か・・・。なかなかいいこと言うじゃないか(笑)。

父は昭和4年生まれだから、この日は52歳の誕生日だったんだな。いまの僕よりも5歳も年下。とても短い文面だけど、父のよろこぶ顔が浮かんでくる。いやあ感慨深いなあ・・・。

メールやLINE等のSNSが主流となった現代では、手紙を書く習慣はほとんどなくなってしまっていると思うのだが、こうやって何十年もの歳月を経てひょっこり出てくるのは手紙ならではの良いところ。僕もたまには娘に手紙でも書いてみようかな。いつも隣の部屋にいるんだけど(笑)。

あ、そういえば奇しくも今日は母親の誕生日だった。来週末の引っ越しが無事終わったら、父と母のところに墓参りに行くことにしよう(*´з`)。

 

さて。本日は午後から、とある業界の採用担当者が70名ほど集まる勉強会にゲストスピーカーとして呼ばれているのだが、その話はまた今度。

では寒い朝、おやじの手紙をもう一度読んで温まってから行ってきます!