ミスター牛丼に会ってきました。
2018年5月29日 (火曜日)
僕は昔からの牛丼ファン。
僕が生まれて初めて牛丼を食べたのは15歳のとき。今でも忘れない。1976年3月だった。
東京のアパートで一人暮らしをしていた兄(本郷の大学に通う学生だった)のところに遊びに行ったときだった。そのときが初めての東京だった。
アパートは千代田線の根津駅から歩いて10分ほどのところ。その根津駅を出てすぐのところに吉野家があったのだ。
「牛丼を食わせてやる」という兄に従って店に入る。
「並ふたつ!」と兄が注文。
それから数秒後に、牛肉がたっぷり盛られた丼が目の前に出てきた。は、早い!
そして牛丼をひとくち頬張る。う、うまい!
勘定を払う(払ったのは兄だけどw)。一杯300円。や、安い!
まさに、「うまい、やすい、はやい」に魅了された最初の瞬間だった。
このときの吉野家は、それまでの50店舗から100店舗にするなど拡大に向かっていた時期だった。
そして、のちに「ミスター牛丼」と呼ばれるようになる安部修仁会長が、吉野家のアルバイトから正社員に転じたばかりのころ(入社3~4年目かな?)だった。
安部修仁会長は1949年福岡生まれ。1967年に高校卒業後プロミュージシャンを目指して上京。吉野家でアルバイトをしながら音楽活動をやっていた。
しかし、ミュージシャンとしては鳴かず飛ばず。1972年、当時の吉野家社長だった松田瑞穂氏に誘われて正社員になったのだった。
吉野家は1980年、急拡大戦略が仇となって倒産してしまう。30歳になったばかりの安部修仁会長の大躍進はそこから始まる。
10年後には会社を見事復活させ、20年後には東証一部に上場するまでになった。その後も米国BSEの苦難を乗り越えて現在に至っている。
前置きが長くなってしまった。
昨日はこの安部修仁会長にお会いできる機会に恵まれた。会ったといっても講演をお聞きしただけで名刺交換することもできなかったのだけど。
でも、「ミスター牛丼」の話を至近距離で聴けたことは、長年の牛丼ファンの僕にとっては感動もの。チューリップのライブで生まれて初めて「青春の影」を聴いたときと同様の感覚だ(^^♪
あれ?
肝心の講演の内容をいろいろと書こうと思ってたんだけど、時間が無くなってしまった(^^ゞ
ま、いいか。講演はいろんな書籍に書いてあることと同じだったので割愛しよう。一昨年の「私の履歴書」でも連載されてたしね。
安部修仁会長は2014年8月に、すべての権限を若手経営チームに禅譲して今は口出しを一切しない(取締役も退任した)名ばかりの会長職に退いている。
そんな安部修仁会長の仕事観(スライドから抜粋した)を書き留めておこう。
「無駄な経験はない」
「ピンチは必ず克服する」
「挑戦こそが人を育てる」
「自分で作り、自分で面白くする」
「55歳からが勝負。そのために20代、30代、40代なりの生き方がある」
よし、今日の昼飯は牛丼だ(^^♪
では準備をして行ってきます!