夜を、救命救急センターで過ごした日
2008年10月24日 (金曜日)
夕方6時から、(先日の日記でも書いた)明治学院大学での『職学校セミナー』の本番。僕は、パネルディスカッションの司会を務めていた。
始まった直後から、体に異状を感じていた。左わき腹から腰にかけて、鈍い痛みがあったのだ。実はお昼ころから、腰のあたりに軽い痛みと、なんとなくの違和感は感じていた。
時間が経つに従って、その鈍い痛みが鋭い痛みに変わってきた。脂汗が流れてきた。
今だから書けるが、実は司会どころではなかった。パネリストの話が頭に入ってこないし、司会としての喋りもつっかえつっかえ。機転の利いた突っ込みなど一切できない状態だった。
が、そんなことを見ている学生に悟られてはいけないと、90分間、なんとか作り笑顔を保ちながら耐えた。
そして終了後、こりゃまずいということで、国道に面した大学の通用門から外に出て、タクシーを拾った。まだこのときには、一人で歩ける状態だった。
大学から預かった荷物もあったので、まずは会社に戻って、少し様子を見ようと思った。なので、行く先を「東銀座まで」と、タクシーの運転手さんに告げた。
走って5分も経たないうちに、痛みがさらに増してきた。いまだかつて経験したことのない痛みだ。たとえて言うなら、包丁で、背中から腹を突き刺されたような痛みで(実際にはそんな体験ないので分かりませんが)、何が起きているのか自分でも分からなかった。
さすがに戦慄が走った。会社に戻って様子を見るなんて悠長なことを言っている場合ではない。運転手さんに、築地にある聖路加国際病院に向かうよう伝えた。
その後、痛みは激烈を極め、後部座席で体を丸め、うんうん、唸りはじめてしまった。僕の尋常ではない様子に、運転手さんもびびっていたようだ。
聖路加国際病院には、救急救命センターがある。普通なら救急車が停車するところにタクシーを停めてもらった。運転手さんが気を利かせて、救急担当の医師を呼びに行った。
ほどなくして医師が車イスとともに現れた。僕は、車イスに乗せられて、救急センターの中に運ばれ、ベッドの上にに寝かされた。
「ズボンを脱いで、お尻をだしてください」
医師の言葉に従うと、次の瞬間、お尻に座薬が注入されたのが分かった。
「強い鎮痛剤ですから、すぐに効くと思いますよ」
なるほど。その言葉の通り、次第に痛みが和らいでいき、なんとか会話ができる状態に戻っていった。
いったいぜんたい、僕の身に何が起きたのか……。
続きは明日の日記で書くことにしよう。
#読者のみなさんへ:
いまこの日記を書いているということは、一夜にして、元気な状態に戻っているということでありますので、心配ご無用にてお願いしますね。