うみたまごと、お猿さんと、パンダの日
2008年10月11日 (土曜日)
実は昨夜から、僕の育った故郷である大分・湯布院に帰省している。出張と連休を利用して、ひとりで暮らしている高齢の母親の様子を見に来たのだ。
母親の面倒をみてくださっているご夫婦がいるのだが、ご主人が体調を崩され、別府(湯布院からクルマで30分ほど)の病院に入院している。そのお見舞いも兼ねての帰省だ。
宿泊したのは、実家ではなく、中学生時代の友人エトちゃんが経営する旅館。 『御宿なか屋』という旅館なのだが、とっても情緒あふれる宿だ。なんといっても料理が優れている。「豪華、贅沢」ということではなく、選りすぐりの素材を活かしながら、丹精込めて料理しているのがよく分かる。手作りの胡麻豆腐などは、最高の味だった。
エトちゃんは地元の高校を卒業したあと、板前の修業をするために、大阪に単身渡った。5年間の修業を終え、湯布院にもどり、この旅館の主人となった。料理の腕前は天下一品であり、うちの死んだ親父(やっぱり湯布院の板前をやっていた)ともかつて親交があったという。
加えていうと、エトちゃんは中学生時代、僕と同じく柔道部に所属していた。いっしょに黒帯を目指し、きつい練習に耐えた仲間だったのだ。なんだかんだの深い縁がある友人なのだ。
夕食と翌日の仕込みが終わった後、一升瓶を片手に夜遅くまで語り合った。中学生時代の思い出、湯布院の現状、教育論、子育て論、これからの町づくりのことなどなど。話は尽きなかった。
明けて本日は、(先に書いたように今回の帰省の目的のひとつである)別府の病院へのお見舞い。おじさんは、思ったよりもとってもお元気で安心した。
お見舞いのあと、少し時間があったので、水族館と高崎山の見学をしに行くことにした。
水族館は、昔は「マリーンパレス」という名前だったが、いまは「うみたまご」という名前になっている。別府湾に面した、とても立派な水族館だ。そしてこの「うみたまご」の向かいにある山が、 「高崎山」だ。自然のお猿さんがたくさん暮らしていることで有名な山である。
この水族館と高崎山に行ったのは、小学校の社会見学以来。たぶん40年ぶりくらいだったのかな。いやー、心が洗われた。特に無邪気なお猿さんたち。童心にもどった時間だった。
夕方、前日のエトちゃんに続き、もうひとりの中学時代の同級生、イオちゃんと会う。会うのは30年ぶり。まともに話をするのは33年ぶりである。過去の同窓会ではいつもすれ違いで、会えていなかったのだ。
イオちゃんが別府で働いているということは、昨年の暮れころ、別の同級生から聞いており、ぜひ会いたいなあと思っていた。その念願かなって、きょう会うことになったのだった。
「顔わかるかなあ…」と不安になりながらも、待ち合わせ場所である別府駅前の「手湯」のところでボッと立っていたら、 「パンダ? わたしや、イオやイオ」と、突然ひとりの女性が眼前に現れた。
「イオ? わあ、ひっさしぶり!」と声をあげたら、 「パンダ!ちょっと声でかいよ!」と33年ぶりに怒られてしまった(笑)。
僕の中学生の頃のあだ名は「パンダ」である。あだ名というよりも実名のようなものだった。先生たちも含め、僕を「クギサキ」と呼ぶ人は誰もいなかった。3年間ずうっと「パンダ」と呼ばれ続けてきた。
なので、前日、エトちゃんと飲んでるときもそうだったが、今夜イオちゃんと話をするときも、ずっと僕は「パンダ」だったのだ。
酒を飲みながら昔話をしていると、30数年前の記憶が見事によみがえってくる。僕は当時クラスの班長で、イオちゃんが副班長。イオちゃんはいつも僕の隣の席にいた。尊敬すべき先生方といろんな個性が集まった愛すべき同級生たち。七転八倒しながら一緒に過ごした多感な時代。
なーんて、ノスタルジに浸りながら過ごした別府の夜だった。
これまでに頂いたコメント
2件コメントがあります
- イオちゃんですさん
- くぎさんさん
イオちゃん、コメントありがとう♪
昔のことはよう覚えちょるんやけど、最近のことは忘れっぽくていかんわ[E:happy01]
30年ぶりのパンダはパンダのままでした。班長らしくいろんな事もよく覚えていたし本当に楽しい再会でした!