パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

恩師に献杯

2011年12月16日 (金曜日)

二週間ほど前の話だが、中学生のときの恩師(担任ではないが国語の教師で学年主任だった)が亡くなられた。

厳しくも優しく、とても人懐っこい先生だった。特に僕らのクラスの担任(故人)とは親友関係でもあり、僕らの教室には、授業以外のときにも、よく出没していた。

今年のお正月の同窓会で久々にお会いしたばかり。そのときはとてもお元気だったので、訃報を聞いたときはびっくりした。

一昨日の夜、東京に住んでいる中学時代の仲間が集まり、先生を偲んで献杯をささげようということになった。

僕は(昨日の日記にも書いたように)夜まで研修の仕事だったのだが、懇親会を中座させていただき、献杯の場所に赴いた。偶然だが、僕らが集まった時間と同じ時間、地元(大分の湯布院)で働いている同級生たちも、みんな集まって献杯をささげていたのだという。

先生に教えてもらっていたとき、僕らは15歳。先生は40代後半。今の我々は、当時の先生の年齢を完全に追い越してしまっている。でも、いつまでたっても我々は未熟な子供だな、そして先生方は今の我々よりずっと大人だったな、と、当時の同級生たちと会うたびに皆で話す。

昔の先生は僕ら生徒から尊敬されていた。親も先生に信頼をおいていた。子供、先生、親。相互の信頼関係のもと、教育が成り立っていたように思う。

でも、それから数年後。校内暴力が全国的に発生した。いったい何が起きたのだろうか。先生が変わったわけではない。子供が急に変わってしまったのか?先生方は、大いに苦悩したと聞いている。ここらへんを境目にして学校教育と、家庭や地域のあり様が大きく変わっていった。

教師(とくに小学校や中学校の教師)という職業は、極めて重要な仕事だと思う。政治家よりも官僚よりも、人格・能力ともに優れた人材がなるべき職業だろう。教師には、どんな職業よりも高い給料を払ってほしい。ステータスを大きく引き上げて、有能な人材が競ってなりたいと思えるような職業であってほしい。

そんなことを、亡き恩師を偲びながら考えたのだった。

 

ところで本日は、銀座で数字お化けの親分との打ち合わせを終えたのち、広島に向かう。12月20日(火)の職サークルイベントのゲストでもある海老原嗣生さんと一緒だ。実はいま、面白いことを仕掛けようとしている。今夜は広島宿泊なのだ。

さて、今年もあとわずか。よい一年の締めくくりにしたいものだ。

では、そろそろ朝食を食べて行ってきます!