新・パフの創業物語<第40話>「クギサキの運命を変える男との再会」
2020年8月26日 (水曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第40話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1997年10月上旬。クギサキくん36歳と10ヶ月。
もう青年とは呼べないクギサキくんは、「登龍門」の運営責任者として足掛け3年を過ごしていました。
「登龍門」も、スタート時は赤字まみれの事業だったのが、なんとか3年目にして利益を出せるところまで漕ぎ着けていたし、それ以上に知名度がグングン上昇していた頃でした。
インターネットもようやく市民権を得て、ネット社会突入前夜といった雰囲気の頃でもあり、「ネット社会における就職情報ビジネスは、これからどうあるべきか?」なんてことを結構まじめに考え始めていました。
「登龍門」によって就職情報事業者の仲間入りをした自分なのですが、一方で、何となく不完全燃焼な状態の自分にも気づき始めていました。
自分の力不足のためなのですが、不本意なことであってもオーナーの意向には従わざるを得ず、「登龍門」が有名になればなるほど、利益をあげそうになればなるほど、我慢しなければならないことが顕著になってきていたのです。
そんなことは、サラリーマンであれば当然のことで、その調整をいかにうまくやるかが組織人としての腕の見せどころなのですが、
「くそー、オレがオーナー社長だったら、こんなクダラナイことで我慢しなくてもいいんだけどな」
なんてことを、夜な夜な行きつけの焼鳥屋でウジウジと愚痴っている、典型的なダメオヤジサラリーマンなのでありました。
そんな折、青春まっただ中の22歳の頃、リクルートで一緒に営業マンとして苦楽を共にしていたムライ氏と再会したのです。
(参照:<第14話> 「ぜんぜん売れない2人の営業マン」、<第17話>「ヘンな新入社員ムライミツル」)
きっかけは、JobWebが出版していた本に、ムライ氏がリクルート社の人事担当者としてコメントを寄せていたのを書店の立ち読みで見かけたことでした。
「あれー?ムライさん、今リクルートで人事やってるんだ、似合わねー(笑)」と思いつつ、次の日にはリクルート本社に電話していました。
「あのー、おたくの人事に、ムライミツルっていう人います?」
まことに怪しげな電話をかけてしまったのですが、次の瞬間に出てきたのは、当時の売れない営業マンの頃そのままの天衣無縫なムライさんの声。
「おー、クギサキー、ひっさしぶりだねー。よっしゃ飲みに行こうぜー!」
こうして、パフ創業への扉が、本人も気づかぬまま静かに開かれるのでした。
(うーん……。つづく)
ついに満を持してのムライさん再登場です(笑)。
この日からパフ創業日の12月12日まで2カ月ほどしかないのですが、さて、このあとどんな展開が待っているのでしょうか。楽しみですね。楽しみなのは自分だけかな?(笑)。
ちなみに以下の写真は、つい最近ムライさんのご自宅に「流し」をやりに行った時のものです^^
さて、本日も朝イチで会社です。
その後は、銀行との打ち合わせ&Webセミナー。テーマは事業承継です。まさか自分が考えることになるとは。創業からあっという間という感じですね💦
では朝食&エール再放送後、行ってきます!