新・パフの創業物語<番外編>「仙台の菅原さん」
2020年9月10日 (木曜日)
ここ数回は、創業時(正確には会社が生まれる前)に出資してくださった方々のことを紹介しています。今回は「仙台の菅原さん」をご紹介します。今回は2006年5月に書いた「釘さんの素晴らしき100の出会い」の第74話をリライトしながらご紹介します。
「求人サイト『登龍門』で出会った人々(その4)」 2006/05/15
僕がいたH社には、適性検査の販売をしてくれている代理店が全国に何社かあり、そのうちの1社で、メディアバンクという会社が仙台にあった。
メディアバンクは東北地方を中心として、採用支援サービスと学生の就職支援サービスを手がけており、東北の有力企業を数多くクライアントとして抱えていた。
今回の出会いの人物は、同社社長の菅原さん。元々は東京の大手メーカーや大手教育会社に勤めていたのだが、同社の運営に窮していた創業者に請われ、社長に就任したのだという。
菅原さんと僕とのお付き合いは、1992年頃からだったと思う。僕がH社で人事情報システムを企画開発し、拡販し始めた頃だった。仙台市内の企業の何社かが人事情報システムの導入を決定してくださり、その導入支援で、仙台に出張することが多くなっていた。
仙台といえば、お酒と食べ物が美味しいことで有名だ。仙台に出張するたびに、菅原さんと一緒に地元のいくつかの味のあるお店に足を運んでいた。
僕はサラリーマンだったが、菅原さんは経営者。僕とはまったく違った視点で世の中をとらえていることが興味深く、商売のことはもちろん政治や経済や文化のことなど、様々なことをお酒を飲みながら聞かせていただいた。
そして僕が求人サイトの運営を始めたことで、菅原さんとのお付き合いはさらに深まることになった。
前回のコラムと同じ1996年3月ころだったと思う。『登龍門』をさらに世の中に広めていこうという時期だった。メディアバンクは、仙台で学生向けの大きなイベントを実施していた。学生は500人以上、企業も30社ほど出展していた。
僕はこのイベントで、「インターネットを使った新しい就職活動のスタイル」といった感じの講演を菅原さんから依頼されていた。一時間ほどの講演の後、ブースを設けて、学生の就職相談コーナーなども引き受けた。
実はこのイベントに招いていただいたことで、もう一つの、かけがえのない出会いを得ることになるのだが、その話しはまた次回書くことにしたい。
それから2年後、菅原さんには、パフを設立する時にもたいへんお世話になった。創業時のたいへんな時代から現在に至るまで、様々なシーンで助けていただいている。
菅原さんとの出会いは、僕にとってもパフにとっても、極めて大切な出会いだったことを付け加えておきたい。
※メディアバンクは、1998年(平成10年)、株式会社エムジョイという別会社を設立し、すべての事業を移管しています。
株式会社エムジョイ ⇒ http://www.m-joy.co.jp/
菅原さんのこと、エムジョイさんのことは、パフの古株社員はもちろんのこと、現在の若い社員たちもよく知っていると思います。
が、創業前からのお付き合いであり、株主だったということを知っている人は少ないかもしれませんね。
また、現在僕が幹事兼事務局長の仕事をしているふるさと就職応援ネットワーク(Fネット)を発足させた中心人物も、僕を無理やりこのネットワークに引きずり込んだのも、菅原さんなんです。
👆Fネットのホームページに掲載されている菅原さん
ということは、ふるさと就職応援ネットワークの現会長であり、パフの社外取締役を務めている名大社社長の山田さんとも、この菅原さんがいなければ知り合っていなかったのかもしれません。
人の縁とは、こうやって不思議なくらい見事に繋がっているものなのですね( ^)o(^ )。
さて、本日は朝から出社。出張でもないのに、キャリーバックにたくさんの資料を詰め込んで電車に乗らなければなりません。
では、ちょいとその資料の準備をして、朝食後(きょうは朝ドラ見る余裕がないので)キャリーバックをゴロゴロしながら行ってきます!