帰り道の吉野家を書く日
2008年2月12日 (火曜日)
僕はお付き合いがない日は、夜の9時から12時までの間に帰宅するようにしている。
付き合いがある日でも、(最近、品行方正になってきた僕は)できる限り一軒目で終了になるよう努力している。
まあ、どんなに遅くなったとしても、「翌日にならないうちに家に帰る」ことを努力目標としているわけだ。
で、きょうの帰り道。お付き合いもなく、会社からまっずぐ家に向かった。打ち合わせや社員との面談が終わったのが夜10時近くだったため、会社を出た時間はすでに11時を回っていた。
きょうの帰り道は、ひときわ寒かった。北風が吹きすさび、ポリバケツが道路のうえをコロコロと転げ、新聞紙が宙を舞っていた。
「うわっ、さぶっ」と、一瞬、タクシーで帰ろうかという誘惑に負けそうになったが、メタボな僕は「いや、いかん!」と思いなおし、早足で歩き始めた。
帰り道で、いつも考えること。 「きょうの夜は何を食べるか」 。
平日の夜は、原則として家で食事をしない。仕事柄(社長という役職柄)、夜のお誘いが多く、しかも急なお誘いも結構あるものだから、家に食事が用意されていると、たいへんな重圧になってしまうからだ。
よって付き合いがない日は、帰り道の途中で食事をとることになる。
とはいえ、築地から月島への帰り道。選択肢は非常に限られている。
1.シナ麺(ラーメンとは少し違う)
2.吉野家
3.ふくちゃん(博多ラーメン)
の3つだ。
1と3は、最近メタボな(くどいっ)僕は、できる限り避けるようにしている。そうすると、残る選択は、2の吉野家ということになる。
そう、あの偉大な牛丼の吉野家である。
僕は大昔からの牛丼ファン。東京に生まれて初めて出てきた15歳のころ、牛丼の旨さにびっくりしたものだ。
以来、30年以上、牛丼を食べ続けているが飽きない。ほんとに旨いと思う。その日の気分にあわせて生卵を入れたり、“つゆだく”にしたり、紅しょうがをたっぷり入れたり、お新香をオーダーしたり、バリエーションも楽しめる。
ということで今夜も、帰り道の途中で、吉野家に立寄った。
深夜の吉野家の従業員には、外国人の若者労働者が多い。たどたどしい日本語で、一生懸命はたらいている姿には、とても好感が持てる。客が多く、オーダーに追いつかないときなど、“がんばれ、がんばれ”と応援したくなる。
が、今夜の従業員は、いつもと違い、初老のおじさん だった。年齢は60代なかばくらいだろうか。動きがテキパキしており、挨拶もしっかりし、物腰も低い。タダモノデハナイという雰囲気を感じる。
・吉野家の現場たたき上げで、管理職くらいまで務めた方なのではないだろうか?
・現社長の安部修二さんより少し上の年齢なので、ひょっとしたら再建の苦楽をともにした人なのではないだろうか?
・30数年前の吉野家全盛期に入社して、店長を長くやっていた人なのかも知れないぞ……。
などと、想像が膨らんでいく。そうこうするうちに、出てきた今夜のメニューは、牛すき鍋定食(ご飯少なめ)。
「お待たせして申し訳ありません」 と、低姿勢に、でも明るくさわやかに、おじさんは僕のまえにお膳を置く。
牛丼も旨いが、牛すき鍋も、なかなかだ。
満足のうちに食べ終わって、勘定を済ませ、出口に向かう。
「どうもありがとうございました。またお待ちしております!」
と、爽やかな声で見送られる。
完璧だ。旨かった食事が、このおじさんの一声で、さらに心地よいあと味になる。
このおじさんの素性を、いつか聞いてみたいなあ、と思いながら、家路を急ぐ僕なのであった。