パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

三九会の意味を説明する日

2008年5月24日 (土曜日)

前日の日記は、猛烈な睡魔に襲われて、中途半端なところで「続きはまた明日」と書いて終わりにしてしまった。

実は続きを書くほどのことがあったわけではなく、23日の夜は、柳川社長(以下、やなさん)と下薗社長(以下、しもさん)と一緒に、語り明かし、唄い明かしたということを書きたかっただけである。

で、昨日の日記のタイトルで「三九会が発足した」と、意味不明のことを書いたので、そのことをまずは説明しておこう。

やなさん、福岡出身。しもさん、鹿児島出身。くぎさん(僕)、熊本出身。つまり3人とも九州出身なので、三人九州で、「三九会」というわけである。

「つまんねー」という野次や怒号が飛んできそうだが、このネーミングは、しもさんの会社の熊さん が命名した模様である。苦情はそちらまでお願いできればと思う(笑)。

で、元に戻るが、九州出身の3人で語り明かしたあとは、ずーっと延々と唄い明かしたのだが、三九会らしいルールを設けた。

それは、 「九州出身のアーティストの唄だけに限る」というルールである。

長渕、陽水、かぐや姫、甲斐バンド、チューリップ、海援隊、そして吉田拓郎(広島だと思われている人も多いが、実は鹿児島出身)の唄が続出した。

が、そのうち飽きてきて、 「北海道もありにしようか?とりあえず本州以外はOKにしよう♪」という気ままなルール変更がなされ、松山千春、中島みゆきなどなど。さらに夜が更けると、 「あれ?これって九州でも北海道でもないんじゃない?ま、いっか(笑)」と、なし崩しで、何でもあり になってしまった。

いったい何曲歌ったんだろう?? 全員で50曲は軽く超えていると思われる。

翌日に、しもさんの会社と合同で予定していたBBQ大会が雨のため中止されたので、かなり腰を据えてじっくりと語り明かし、唄い明かした、「三九会の日」なのでした。

 

#きょうの日記、「社長たちって気ままでいいよなあ」などと思われやしないか、ちょっと心配です(苦笑)。

きょうは午後、企業(人事担当者)向けのセミナーが8Fのセミナールームで開催された。参加人数は41名。ほぼ満席状態で、セミナールームはちょっとした酸欠状態だった。

このセミナーの終盤、はるばる九州から見学者が訪れた。

「日記に書くときは、実名だしてもらってもぜんぜん構わないですからね」と言われたので、実名でご紹介しよう。

福岡に本社のあるネオ倶楽部という会社の柳川(やながわ)社長である。

ネオ倶楽部の中心事業は、旅行、ブライダル関係。創業されてまだ7年ほどだが、すでに年商は10億円ほどある。パフはまだその半分の5億円も稼いでないというのに、たいしたものだ。

でも、旅行やブライダルの会社の社長、しかも九州の会社の社長がなぜ、東京のパフに足を運んでくれたのか?

それは、このたび発足した、 「ふるさと就職応援ネットワーク」(略称ふるさとネット)の九州代表として参画してくださったからだ。

そしてネオ倶楽部は、旅行、ブライダル会社以外の顔ももつ。それは、就職カウンセラーとしての顔だ。学生の就職相談を日々行い、求人企業とつないでいる。柳川社長は、東京の就職エージェント株式会社と提携して、就職エージェント九州を昨年立ち上げたのだった。

就職エージェントといえば、パフともたいへん仲のいい会社。ふるさとネットの幹事企業にもパフと一緒になっている。僕と社長の下薗さん は、仕事以外の場でも、しょっちゅう顔を合わせている(3月末の結婚式の模様もこの日記でお伝えした)。

そんな関係もあり、柳川社長が、本日パフまでお見えになったというわけだ。そして当然、下薗社長もその後すぐ合流することになった。

で、本題はここから。。。と、思ったのだが、そろそろ明け方で、猛烈に眠くなった(><)。

この続きは、また明日の日記で!!

きょうは夕方から、ふたりの経営者の方と面談。そしてその後、食事会(というか飲み会)を行った。

ひとりの経営者は、ふるさとネットの幹事会社でもあるC社のE社長だ。遠路はるばる、四国の愛媛から東京に出てこられた。

そしてもうひとりの社長は、昨年の始めに起業されたばかりの教育・研修・出版の会社、M社のK社長である。

K社長とは初めてお会いするのだが、実はずっと会いたくてしょうがなかった。

昨年の秋くらいからM社のことは存じ上げていた。中小企業の経営者の心をぐっと掴む読み物(小冊子やFAX)を多数、頂戴していた。いわゆるDMなのだが、ぜんぜん宣伝臭くない価値ある「情報」ばかりなのだ。FAXは週に1回。小冊子は月に1回。通信費や郵券代もばかにならないだろうに、なぜこんなに何回も送ってくれるんだろうと思っていた。きょうお会いしたら、そのことを聞いてみようと思っていた。

お会いしてビックリした。K社長も僕のことをご存知だった。ブログ(この「釘さん日記」)も以前から読んでいただけていた。というのも、複数の共通の知人から僕のことを聞いていたらしいのだ。

話を進めていくうちに、ほかにも共通の知人がたくさんいることもわかった。やっぱり世の中は狭い。悪いことはできない(苦笑)。

そして、毎週のFAX、毎月の小冊子郵送の謎も解けた。なぜ無料で、あんなにたくさんの価値ある情報をいただけるのか……。ここには書けないが、すごいなあと感心してしまった。いっしょに聞いていた愛媛のE社長も感心しきりだった。

打ち合わせ後、近くの居酒屋で、K社長とE社長と3人で、ホッピーを飲みながら、さらにあれこれと深いお話をさせていただいた。FAXや小冊子では聞けないこともお聞きでき、なかなか楽しく有為なひとときであった。

ということで、きょうは、今後もきっとつながっていくであろう方との知己を得た日であった。

西暦2001年。つまり、21世紀に突入した直後から、ずっと採用のお手伝いをしているM社という会社がある。従業員が8千名ほどの、とある業界ナンバーワンの会社だ。

このM社の会社説明会は、翌2002年からずっとパフで企画・運営の支援をしており、今年で7年目となる。

説明会では毎回、先輩社員が3名前後登場し、日常の仕事のありのままを、参加した学生に語りかけるようにしていただいている。

この説明会に、2003年からずーっと出演してくださっている女性営業マン(正しくは営業ウーマンと呼ぶべきだろうが、あえて「女性営業マン」とさせていただきます)がいる。名前をOさん という。

最初にOさん とお会いしたのは、Oさん がまだ入社して丸1年に満たないときだった。初々しいなかにも、しっかりした軸をもった強い女性だなあと感心していたことを覚えている。

もともと女性営業職が数えるほどしかいなかったM社なので、以降、毎年、一度は必ず会社説明会に出演していただき、学生達に熱い(でも、不思議なくらい穏やかな)メッセージを送ってもらっていた。

気がつけばOさん入社7年目。会社説明会への出演も今回で6年目となる。

僕は、1年に1回しか会えないのだが、毎年毎年、着実に成長し、人間としても女性としても、どんどん素敵になっていくOさん を拝見できるのがとても嬉しい。

そしてOさん2年後輩の女性営業マンに、Yさん という方がいる。やはり、とっても素敵な営業マンだ。いっしょにいると、なんだかとても楽しくなる、そんな人だ。このYさん とも不思議な縁がある。

Yさん がまだ大学3年生の就職活動を始めたばかりのとき、Yさん はパフのイベントに参加していたのだ。しかも、札幌で開催したイベントで。Yさん とM社との初めての出会いも、この札幌でのイベントだった。そして気がつけば、数少ない女性の営業マンとして、Yさん はM社の狭き門をくぐり抜けて入社していたのだった。

きょうは、ことし最後のM社の説明会。なんと!僕のお気に入り(俗な表現でスミマセン)の、このOさんYさん が、いっしょに出演してくれたのだ。なんたる幸せ。

そして、きょう二人が出演してくれたことで初めて明らかになった感動の事実があった。

それは、Yさん が2003年のM社の会社説明会(兼一次選考会)に参加したときのコーディネーターが僕で、そのとき出演していた先輩社員がOさん だったということ。そして、YさんがM社に本気で入りたいと思ったいちばんの理由は、そのときの説明会でイキイキとした話をしていたOさん の印象がとっても強かったから、自分もOさん みたいになりたいと思ったから、ということである。

それを、きょうの説明会本番でお聞きして、ほんとうにビックリした。つながってるんだなあ。そして、そのつなぎ役の一部を、僕が担ってたんだなあ。いやあ、嬉しい。とても嬉しかった。

帰社後、すぐにこのことをM社の営業担当のムラカミに告げた。そして、Oさん Yさん を誘ってお礼の宴席を設けるように命じた。邪(よこしま)な気持ちからではない(とも言い切れないが、苦笑)。きょうのこの感動を、ぜひともあらためて、お伝えしたいと思ったのだ。

実に楽しみだ。

うまく日程が合えばいいんだけどなあ…と、そのまえに振られないことだけを、まずは祈ろう

先週末から何気なく新しくなったパフのコーポレートサイト、もうご覧いただいただろうか?

実は、TOPページ以外のほとんどのページは、この「釘さん日記」と同じブログのシステムを利用して作ってある。

いままでのコーポレートサイトは、HTMLで書かれていたため、サーバーにアクセスできてHTMLの書ける、ごく限られた人間しかメンテナンスできなかった。なので、僕が、「おい、この情報もう古いから新しくしといて!」とか、 「新聞に取り上げられたからサイトで紹介しといて!」とオーダーしても、日常のお客様向けの業務が優先され、社内の仕事はなかなか手が付けられていなかった。情報提供を社業とする会社なのに、まさに紺屋の白袴状態なのであった。

「会社のホームページは情報更新のスピードが命なんだ!のろのろしてたらアカンよ。だれでもすぐに更新できるように、ブログで作り直そうよ!」ということで、このたびのリニューアルとなったわけだ。

そしてなんと驚くことに、このサイトは、TOPページ以外の制作を僕がやってしまった(えっへん)。

そしてさらに驚くことに、本日の日記は、これにてオシマイです(そう。いま時間に追われているんです、苦笑)。

きょうは、不意を衝かれた出来事があり、朝っぱらから、その対応に追われた。

さらに、こんな日に限って、不意の来客。その来客のための資料も、急ぎ作ることになった。

僕はせっぱ詰まると、それまでの緩慢な動きから、テキパキとした身動きとなる。トイレから自分の席に戻るときだった。テキパキとした動きが災いした。

「ビリビリビリ!」

服が引きちぎられてしまう音が響いた。自分のジャケットを見ると、ポケットのところが破れてしまっていたのだ。

ドアノブに、ジャケットのポケットが引っかかっており、それを力づくで引っ張ってしまったものだから、ジャケットが引きちぎられてしまったのだった。実におまぬけ。

おかげで午後からの外出時、上着を着ていくことができなくなってしまった。

「あの社長ってば、ボロボロになった上着を着ているよ。大丈夫なのかなぁ…」と、思われてしまってはマズイからだ。

きょう破れてしまったジャケットは、丸4年前、銀座のデパートで買ったものだ。

さて。仕立て屋に持っていって修理すべきか、それともあっさり捨てて、新しいジャケット(またはスーツ)を買うべきか…。貧乏人の僕にとっては、なかなか難しい選択なのである(苦笑)。

ああ、またくだらないことで、ブログの一日を使ってしまった……。

盟友のブログを紹介する日

2008年5月18日 (日曜日)

世の中にブログを開設している人は本当に多くなった。芸能人やスポーツ選手などでもブログを開設している人が多く、人気を博している。政治家もブログを利用しながら、自分の主義主張を世の中に訴えている。もちろん一般の個人も、自分の日常や考えを、日記の代わりにブログに残している。友人とのコミュニケーションの場として使うこともある。

経営者でもブログを書く人は多い。会社の外に向かってのメッセージというよりは、自分の会社の従業員たちを意識しながら書いている人が多いように思う。

僕も、まだ世の中に「ブログ」というコトバがなかったころから「日記」をWeb上に書いており、それが僕の数少ない自慢のひとつになっている(苦笑)。

 

前置きが長くなったが、きょうは僕の盟友ともいうべき二人の社長のブログを紹介しよう。

 

一人めは、マングローブ社長の今野さんのブログ 今野誠一の【マングローブ的生き方】 である。

僕に対抗して(笑)、ほぼ毎日更新されている。しかし、僕のブログとは比べ物にならないくらいレベルが高い。下手な経営書を読むよりも、為になること、心にぐっとくることがたくさん詰まっている。特に企業経営者やマネジメントに従事する人たちには必見のブログである。

 

そして、もう一人は、つい最近ブログを開設した、就職エージェント社長の下薗さんの ~風は南から~ である。

このブログのタイトル。80年代前半に青春を過ごした人であれば一度は聞いたことがあるのではないだろうか。そう、長淵剛の1stアルバムのタイトルである。

鹿児島出身の下薗さんは、長淵の大ファン。それにしても、ブログのタイトルにまでしてしまうとは、さすが下薗さん…(笑)。

 

実はブログの更新って、今野さんのような高尚なものはもちろんのこと、僕の日記のように何の思想もポリシーもないものであっても、結構辛い物がある。特に「毎日更新する」なんて宣言してしまうと、その首の絞まり具合は半端じゃない(苦笑)。立場上、言ってはいけないこともあるので、逆にストレスが溜まったりもする。僕の場合、ついつい言わなくても(書かなくても)いいことまで言って(書いて)しまうクセがあるので、周りもヒヤヒヤする。

それでもこうやって親しくさせてもらっている社長たちが、頑張って自分のブログを更新しているのを拝見すると、とても励みになる。特にきょう紹介した二人の社長のブログは携帯の「お気に入り」に登録して、「お、書いてる書いてる♪」と、毎日チェックしている。

 

ということで、今野さんも下薗さんも頑張ってくださいね。でも、たまには手を抜いてくださいよ。そういうところだけは、僕を見習ってくださいね(笑)。