業界の大先輩のメッセージを紹介する日
2008年7月27日 (日曜日)
パフが発行する企業向けのメルマガで僕は、『どげえするんか?』というコラムを書いている。
7月10日付のメルマガに掲載したコラムのタイトルは、「26年前の就職業界ベンチャー経営者のメッセージを、どげえ思う?」というものだった。
これは、就職情報誌業界の、かつてのベンチャー企業だった、株式会社UPUの元社長である吉澤潔さんのことを書いたものだった。
このメルマガが配信されたあと、「U社ってどこですか?」という、人事担当者の皆さんからの問い合わせが相次いだという。なかなか刺激的なメッセージだったのであろう。
長くなるけど、そのメルマガを以下、貼り付けてみる。
・・・・・
新卒学生と企業とを橋渡しするビジネスを最初に確立したのは、 誰もが知っ
ているリクルート。かの江副浩正氏が1960年に創業して以来、学生の就職と、
企業の人事採用戦略に、大きな影響を与え続けてきたすごい会社です。
リクルートが誕生した1960年は、奇しくも私がこの世に生を授かった年。そ
して私が(本来は就職活動をしなければならなかった)大学4年生のころに、
約1年間お世話になった会社もリクルート。さらに私が、このパフを起業す
るキッカケを作ってくれたのもリクルート(の先輩社員たち)。
深い縁と、大きな恩義を感じている会社が、リクルートという会社です。
そんなリクルートが、創業時のベンチャーを脱皮し、学生の就職活動におい
て圧倒的な影響力を有し始めた1970年代の中ごろ、この業界に誕生した新た
なベンチャー企業がありました(あえて社名を伏せて「U社」と呼びます)。
U社は、ある種の「こだわり」と「一家言」を持った、とてもユニークな会
社で、私がリクルートで営業マンを務めていたころ、「あの会社には気をつ
けろ。あの会社にだけはぜったい負けるな!」と、ライバル視されるような
会社でした。
企業の規模は(リクルートと比べれば)鯨とメダカ。情報誌のシェアなんて
比べるべくもないベンチャー企業に、なぜそんなにムキになっているのか不
思議に感じたものでした。
そのU社の創業メンバー(かつての経営者)であり、後に経営統合したW社
の役員をつい先ごろ退任されたYさんから、昨日、お手紙と、U社の歴史や
メッセージを綴った一冊の小冊子を頂戴しました。
そうかぁ。あの飛ぶ鳥を落とす勢いだった「大リクルート」が、なぜあんな
にU社を警戒していたのかが、やっとわかったぞ・・・。
頂いた小冊子を読んで、26年前の謎が一気に解けたのです。
頂いた小冊子には、かつてのU社の会社案内に載せられていたという、以下
のコピーが掲載されていました。
│「リクルート(新兵募集)からパーティシペーション(参加)へ」
│
│(中略)
│
│数年前、わたしたちは自らの仕事の問題意識を強烈なコピーで主張した。
│わたしたちは、リクルートの考え方は旧い工業化社会の「人手募集」とい
│う人材思想にすぎないと考え、新規採用の意義を「企業の持続的な世代交
│代」ととらえている。
│(中略)
│わたしたちは「採用のためのPR」というビジネスに、新しい企業社会の
│人間と組織の展望を追求してきた。そのテーマはいま、新しい経済社会の
│パラダイムの最大のキーになろうとしている。
またU社は1982年、「反ガイドブック宣言1982」というメッセージを、世の
中に送り出しています。そのときのことを振り返って、Yさんは以下のよう
に述懐しています。
│1982年、U社は新卒採用の世界の「標準」であったガイドブックに対する
│「否」を突き付けました。若気の至りといっていいでしょう。採用企業の
│表層的な情報を定型的に羅列する就職情報誌が、新卒就職・採用という社
│会システムを支配するのではないか、それでいいのか、という批判精神で
│す。
言葉は違えども、私たちパフが世の中に問いかけている「顔の見える就職と
採用」のメッセージと酷似していたことに、とても嬉しくなると同時に、こ
の危険を顧みない(?)、非難や批判を浴びることを覚悟したメッセージを
読んで、私は思わず感動してしまいました。
その感動をすぐにお伝えしようと思い、業界の大先輩であるYさんに、失礼
を承知のうえで「感動しました」というメールをお送りしてしまいました。
するとすぐに、「ぜひ意見交換しましょう」というお返事をいただいたうえ
に、私のブログ「釘さん日記」( http://puff.weblogs.jp/kugi/ )にYさ
んの実名入りで掲載しても構わない旨の許可までいただきました。
ということで、この話の詳細は、後日(いつになるか分かりませんが)ブロ
グに掲載したいと思っています。私は、若気の至りというには、ちょっと年
を取り過ぎましたし、危険を顧みずに書けるかどうか、ちょっと自信があり
ませんが(苦笑)、若者の問題意識をくすぐるようなメッセージをYさんに
敬意を表しながら書いてみたいと思っています。
・・・・・
U社のYさんこと、株式会社UPUの吉澤(元社長)さんが、つい先日(23日)、パフに遊びに来てくださった。「かつての話」を、いろいろとお聞かせいただいた。
吉澤さんは、僕よりひと回り上。僕と同じねずみ年生まれで年男である。70年代、80年代、90年代、そして現在の2000年代。30年以上に渡って、そのときどきの若者たちに刺激的なメッセージを送り出している。
コラムでもちょっと触れたが、吉澤さんは、企業の表層的な採用情報を定型的に網羅した就職情報誌に痛烈な批判を行っている、
「100の企業があれば100の人材思想がある。100人の学生がいれば100の職業観や選択がある。そのマッチングを図るのに、定型情報が並ぶ就職情報誌システムですませていいのですか」と。
20年以上も前のメッセージである。
時代は変わり、企業の採用情報は、「就職情報誌」から「就職情報サイト」に変わった。しかし、上の図式は何も変わっていない。日本の就職と採用の仕組みというのは、この30数年間、何ら進化していないのである。
この業界に身を置くものとして、自分たちの努力不足を恥じなければならない。口では偉そうなことを言いながらも、結局は、巨大な力をもったモノに迎合したり追随したりしている自分たちがいる。
吉澤さんは、つい先日、UPUを引き継いだ某社の役員を引退し、これから「自由人」としての活動を増やしていくそうである。今後、この業界の大先輩に、いろいろと教えを請いながら、新しい枠組み作りにチャレンジしてみたい。「変える」にチャレンジできるのは、失うものがほとんどない、小企業ならではの特権なのだから。