金子みすずと萩の夕日に魅せられた日
2008年10月13日 (月曜日)
朝、下関を出発し、萩に向かった。
当初の予定では、萩の吉田松陰をはじめとする幕末の志士の生家や松下村塾を回ろうと考えていた。
しかし、急きょ予定変更。
金子みすず の生家が、萩駅の手前の長門市駅から伸びた支線にあると知り、そこへ向かうことにした。
金子みすずとは、『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛されながら、26歳の若さで世を去った、昭和初期の詩人である。
僕が金子みすずのことを知ったのは、つい一年ほど前。この日記や僕のコラムにもちょくちょく登場する國(クニ)さん から、この詩のことを聞いた。
その詩とは、 『こだまでしょうか』という短い詩である。読めば読むほど、その深さに感動する詩である。
以来、金子みすずの詩のことが、いつもぼんやり頭の片隅にあった。でも、まさかその金子みすずの生家が、これから向かおうとする萩の手前にあるとは知らなかった。
下関から電車(山陰線)に乗って2時間(その電車の名もまさに、『快速みすず湖彩1号』というから、JRも洒落ている)。途中、日本海の絶景を左に見ながら到着したのが、仙崎(せんざき)という小さな駅(無人駅)だ。
とても小さな町なのだが、清潔感にあふれている。昔は漁業で栄えた町らしい(日本水産が設立された街でもあるらしい)。
駅から一本道を歩いて5分ほどのところに、金子みすず記念館はあった。時代を感じさせる建物だ。入館すると、大正から昭和にかけての時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。
これ、書きだすと切りがないので(というか中途半端になってしまいそうなので)、詳細な記述はしないが、詩の世界に関心のある方は、ぜひいちど立ち寄られたら良いと思う。あるいは詩に関心がなくとも、人間に関心がある(?)っていう方はぜひ。
そうそう、この町に降りて感心したこと。何人かの小学生や中学生とすれ違ったのだが、みな「こんにちは!」と挨拶してくれるのだ。そんなことに慣れていない僕は、最初びっくりして声がでなかった。ま、まずい!と思って、すれちがった子供の後姿に、あわてて「あ、こんにちは!」と返した。
金子みすずの故郷の子供であるという誇りからだろうか。きっと学校の先生も、「この地を訪れる人たちには挨拶をしよう」という教育をしているのだろう。やたらと嬉しくなって、すれ違う二人目以降には、子どもの声に負けないように大きな声で「こんにちは!」と返すことにした。
心地よい時間を仙崎で過ごしたのだが、なんと電車が二時間に一本しかない。
結局、本来の目的地である萩(東萩)に着いたのは、すでに午後5時。この時間から町の散策をしても中途半端なので、宿に向かうことにした。
宿は、萩の海岸線に建っていた。
これがまたすごい。宿ではなく(いや、宿もきちんとした宿なのだが)、海に沈む夕日のことだ。
きょうは、午後5時40分が日没の時間だという。部屋に入るやいなや、窓から見える夕日にしばし見とれていた。
ということで、きょうの日記は、その夕日の写真で締めくくることにしよう。
長州……。日本の歴史と情緒を、存分に味あわせてくれる街だ。すっかり気に入ってしまった。