パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

世界陸上男子短距離走100メートルで、世界記録が出た。ボルトの記録である。なんと9秒58。すげー!である。

今から21年前。ベンジョンソンという短距離ランナーがいた。彼は1988年のソウルオリンピックで世界記録を樹立し金メダルの栄冠を手にした。そのときの記録は9秒79。

僕はベンジョンソンを、東京で開催されたスーパー陸上(ソウルオリンピックの年、国立競技場で開催された)の場で(その走る姿を)間近に見たことがある。まさにロボットみたいな完ぺきな走りだった。

でも結局、ベンジョンソンは薬物を使用していたことが後に発覚し、記録とメダルは剥奪されてしまった。

薬物を使っていたにしても、あの完ぺきな走りと肉体は現実のもので、ホントに凄かった。9秒79というのは、もうこれ以上はない、というほどのスピードだった。

今回のボルトの記録は、あのとき僕が間近に見たベンジョンソンの走りを0.2秒以上も上回っている。テレビで見ててもその凄さはわかるのだが、きっと間近で見たら、ぶっ飛ぶくらいにすごかったことであろう。

スピードというのはとても大切である。人を感動させる。気持ちよくさせる。

 

これって、実は仕事でもまったく同じ。

書類作成などのデスクワークもそうであるが、人と対面する仕事は特にそうである。営業の仕事なんて、まさに「スピード命」である。営業のときのスピードは、単に「速い」というだけでなく、「早い」と「テンポが小気味よい」という意味も加わる

「速い」というのは、文字通りスピードのこと。(健康であるにもかかわらず)ちんたら歩く奴に仕事のできる奴はいない。ご飯を食べるのが遅い奴に仕事のできる奴はいない。僕は仕事の出来る奴の三要素として、「速メシ、速グ○、速アルキ」ということをよく言う。こういう基本的な日常習慣のスピードの速い奴は、仕事の処理速度も速いのだ。自分って仕事が遅いなあ…と思ってる人は、まずは速く歩いて、速くご飯を食べる(でもよく噛んでね)ことを意識的にやってみたらいい。きっと徐々に、仕事のスピードも上がるはずだ。

「早い」は、期日よりまえに、いつも約束を果たすこと。お客様とは「来週の金曜日までにはなんとか仕上げます」という約束をするのだが、その約束より前の木曜日とか水曜日に仕上げてしまうのだ。するとお客様は「お、早いねえ」と評価してくれ信頼も増す。要するに、決してできない約束をしないのだ。そして、約束よりも必ず前倒しで結果を出す。たとえば相手が「あれどうなった?」と聞いてくる前に報告をする。常に相手の望んでいることの先回りをする。これが「早い」なのだ。

「テンポが小気味良い」は、「速い」や「早い」の要素に加えて、 「見ていて気持ちがいい」ことを指す。これは一律にテンポが速ければ良いというわけではなく、相手によって適度な速さが異なる。人には人それぞれの、もっとも心地よいと感じるテンポ(ペース)がある。相対する際に、それを大きく上回ったり下回ったりすると、その人は不快感を示す。ゆったりペースの人には、それなりにゆったりした(でもその人よりは少しだけ速いテンポの)対応が必要なのだ。

 

・・・なんだか、脈絡なく書いちゃったけど、要は、スピードは大事ですっていうこと。

特にビジネスの世界では、 「速い」と、「早い」と、「小気味良いテンポ」を心がけると良い、という話でした。

<備忘>

なお本日の日記は、ウニャウニャしている男子社員諸君のために書いてみました。

約1か月前の7月15日。僕は夕方5時半ころに外出した。

会社のお出かけボードに書いた行き先は、「マングローブ 今野社長」。

同じ日、同じくらいの時間。当の今野社長も、やはり外出していた。

行き先は、「パフ 釘崎社長」。

なんじゃらほい?

お互いがお互いの事務所に行ってどうするの?

それじゃ、すれ違いで会えないんじゃないの?

でも、今野社長とは、約束の時間にちゃんと会えている。

そう。

書いた行き先は、あくまで「今野社長」(今野さんからみれば、「釘崎社長」)。別に事務所に行くとは書いていない。

二人の行き先は、お互いの事務所ではなかったのだ。とある場所で待ち合わせをしていたのだ。

でも、その行き先を具体的にお出かけボードに書くのを、(まじめに仕事をしている社員の手前)自粛したのだった。

今野さんに「きょうのこと、ブログに書きます?」と聞いた。

「いやあ、すぐには書かないですが、別のコーナーにいつかは書かなきゃいけないんですよ。ある人と約束してるし・・・」

「そうですかあ。じゃあ僕も、ほとぼりがさめたころに書きますかね」と、僕も答えた。

ということで、本日、暴露しよう。

二人が行った場所は、九段にある【日本武道館】だったのだ。

目的は?

・・・ここから先は、今野社長がつい先日、ご自身のホームページにアップしたばかりのレポートでご覧いただくことにしよう。

とっても長いレポートだけど臨場感あふれる内容となっている。

70年代の音楽をこよなく愛している方々にはたまらないレポートだ。

御同輩には、ぜひご覧いただきたい。

では以下、お時間があるときにゆっくりどうぞ!!

今野誠一のパーソナルライフ 音楽 第2回 サイモン&ガーファンクル武道館公演

犬を飼いたくなった日

2009年8月15日 (土曜日)

先週から公開が始まった映画、『HACHI 約束の犬』を観た。

優しくなれる映画だった。

リチャード・ギアの「HAーCHIー♪」と言いながら、HACHIとじゃれているシーンが良かったなあ。

ストーリーには山も谷もなく、ただ淡々と、HACHIとHACHIを取り巻く人々の日常を描いているだけだ。

HACHIは毎朝、リチャード・ギアの出勤のとき駅まで送っていく。帰宅の時(決まって夕方5時の電車)には、必ず駅まで迎えに行く。

そして飼い主であるリチャード・ギアが急逝したあとも、HACHIは毎日毎日、雨の日も晴れの日も雪の日も、帰ってくるはずのない主人を駅で待つ。

そして10年後、HACHIは主人を待ちながら、静かに息を引き取る。

ただそれだけの映画なのだが、観ているものの胸を打つ。

けな気なHACHIが愛おしい。

リチャード・ギアが亡くなる日の朝、リチャード・ギアに「行かないで」と訴えかけるHACHIの演技が秀逸だった。

 

僕が3歳のころまで住んでいた母親の実家(旅館)にも、秋田犬の雑種と思われる犬がいたのだが、その犬(富士という名前だった)を思い出した。とても賢い犬で、泣き虫の僕を慰めながら遊んでくれた犬だ。

いまのマンション暮らしだと無理なのだが、将来、仕事を無事引退できたとしたら、庭のある一軒家に引っ越して、ぜひ犬を飼いたい。というより、犬と仲良く暮らしてみたい。

そう思わせてくれる映画だった。

Hachi

 

 

 

 

 

 

 

 

(松竹の)関根部長!いい映画でしたよ♪

パフにはたくさんの(約200名の)株主さんがいらっしゃる。創業時の、明日はどうなるかわからぬ状態の時に(というよりも、正しくは、明日にも潰れそうな状態の時に)株主となってくださった方々だ。この方々がいなければ、パフは間違いなく潰れていた。あれから10年以上の歳月が流れてしまったが、僕がずっと大きな恩義を感じている方々である。

ただ僕は、その恩に報いることが、まだできていない。その(恩に報いる)日が来るまでは……。いや、その日を現実のものとするためにも僕は、(石にかじりついてでも)パフを大きな価値の存在にしなければならない。世界でたったひとつの存在にしなければならない。

僕にそう思わせてくれるのが、このありがたく、温かい200名の株主の方々なのだ。

 

きょうは、そんな株主の方々にお手紙を書いた。

昨日までは明らかにすることができなかったんだけど、やっと本日、口にしても(手紙に書いても)構わなくなった。

それでも公の文書だと、杓子定規な言い方しかできない。なんとも窮屈な世界だ。このブログも全世界の誰もが見ることができるものなので、下手なことは書けない。さすがの(隠しごとの下手な)僕でも、遠まわしにしか書けない。

なので、真意を株主の皆さんに、直接、手紙という手段で伝えることにしたのだ。

ホントはひとりひとり手書きにしたかったんだけど、時間的制約からやむを得ず、ワープロで書いたものを印刷することにした。でも、その代わり(といってはなんだが)、僕の氏名だけは自筆で書いた。下手な字だけど、思いを込めて書いた。

株主の皆さんには、明日か明後日あたりに届くであろうパフの封筒を、ぜひ開封していただきたい。そして、もし書いてある内容に納得していただけるようであれば、これからもできる限り長くパフのことを応援していただきたい。

分からない人には「なんのこっちゃ?」の日記になってしまって申し訳ないのだけれど。また、おちゃらけた日記が好きな愛読者の皆さんにも申し訳ないのだけれど(苦笑)。たまにはまじめな「釘さん日記」もいいですよね?

CFOだった日

2009年8月13日 (木曜日)

CFOとは、最高財務責任者(Chief Financial Officer)のこと。パフには現在、CFOと呼ぶべき人物はいない。でも会社の機能としては不可欠なもの。なので(考えたり、交渉したり、判断したりする部分は)僕が兼務している。

きょう午前中は、とある証券会社の社長と打ち合わせをしていた。創業時からなので丸11年以上のお付き合い。時節柄たいへんなはずなのに、とことん前向きで明るい社長だ。大切な話をしたあとは、専門的なことをいくつか教えていただいた。

午後は、とある銀行の担当者と打ち合わせ。この銀行の担当者は入行2年目の女性。銀行員っぽくないキャラで、いじり甲斐がある。まだまだ僕のほうが金融知識でも優っているようなので、これからいろいろ教えてあげなきゃな。

その後、IR関連の書類をドサドサと。

夕方、某パートナー企業のCFOとロングミーティング。なんと社長も飛び入りで加わってきた。

とある課題にたいして、ああでもないこうでもないと、シミュレーションしながらのブレスト。約2時間半、休憩も取らずに集中的に議論した。その後、第二部として、このCFOと、社長と、もう一社のパートナー企業の社長と、4人で場所を移して、食事をしながらの情報交換。「へーっ」という初めて聞く話も出てきた。

金融、財務の世界は奥が深い。とても難しいのだが面白い。もっと突っ込んでいくと楽しくなるかもしれない。

ということできょうは、CFOな一日だったのだ。

7月26日の日記で、知覧に行って涙したことを書いた。そのときの日記で僕は、こう書いた。

「知覧のことはまた改めて書いてみたい。多くの若者たちに(うちの社員たちも含めて)、ぜひこの特攻隊員の遺書を読ませてやりたい。自分の悩みがいかに小さなものか。いまの時代がいかに恵まれたものであるか。わがままな自分と贅沢な時代に、きっと気づくことであろう。」

で、先日のメルマガのコラム「どげえするんか」で書いた。めずらしく(?)まじめに、緊張感をもって書いた。メルマガだけで終わらせるのももったいないので、この日記にも転載することにしよう。今週末は終戦記念日だし。戦争と平和、幸せとは何か?大切なことは何か?なんてことを考えてみてはどうだろうか。

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01】釘崎の「どげえするんか?」

 第30回 鹿児島の知覧をいちど訪ねてみんか?

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 パフ代表釘崎が、現在の採用市場、就職活動、世の中のあれこれについて、

  日々感じることを徒然なるままにお届けします。

  ※「どげえするんか?」=大分弁で「どうするんだ? どうしたいんだ?」

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 もうすぐ64回目の終戦記念日がやってきます。

 日本が戦争の大きな痛手から立ち直り、経済白書が「もはや戦後ではない」

 という言葉を使ったのが1956年(昭和31年)。私は、それから4年後の昭和

 35年(1960年)生まれですから、まさに「戦争を知らない子供たち」の世代

 ということになります。

 しかし、私の父親は終戦の年に、旧制中学から予科練(海軍飛行予科練習生)

 に志願していたこともあり、幼いころ、よく戦争の話を聞かされていました。

 「終戦が、もうあと何週間か遅かったら、(父親は)特攻隊で出撃していた

 んかもしれんとよ。そしたらば、あんたたちが生まれてくることはなかった

 とよ」と、母親が、くどいくらいに話してくれていたことをよく覚えていま

 す。

 また私が小学生のころは、8月6日、8月9日、8月15日という特別な日は、

 全員が体育館に集められ(夏休みだけど登校日だったんですね)、平和授業

 を受けたものでした。

 私は、「戦争」というものを、身近に感じることのできた最後のほうの世代

 なのかもしれません。

 ☆☆☆

 日本は一切の戦争を永久に放棄した国です。戦争による(一般市民をも巻き

 添えにした)夥しいほどの犠牲者を出した国だからこそ、国境を越えて多く

 の人たちに、戦争の悲劇を語っていく義務と責任を、私たちは担っているの

 だと思います。

 人の命は何ものにもかえ難く尊いものであるということを、私たちは、若い

 世代に対しても語り継いでいかなければなりません。

 ☆☆☆

 そんなことを考えていたこともあり、ぜひ一度行かなければ、と思っていた

 場所があります。

 それは、鹿児島の知覧です。JRの鹿児島中央駅から車で約1時間半。薩摩

 半島の山の中にある小さな町。この町から、多くの若者たちが特攻機に乗っ

 て沖縄方面に飛び立ち、尊い命を落としていったのでした。

 最近、映画やドラマで描かれることがしばしばあったため、比較的多くの人

 たちに知られるようになったのですが、それでも、まだまだ若い人たちへの

 認知度は低いようです(パフの社員に聞いてみたところ、半数以上が知りま

 せんでした)。

 つい先日(2009年7月26日)、念願叶い、知覧に足を運ぶことが出来ました。

 大雨のさなか、限られた時間だったのですが、多くの遺品や遺書が展示され

 ている知覧特攻平和会館を見学してきました。

 ぎっしりと並んだ遺影と遺書と手紙。

 屈託のない笑顔が並んだ写真と、達筆な筆文字で書かれた一つ一つの遺書や

 手紙に、胸を打たれました。皆、20歳前後の若者たちが遺したものです。

 ・自らの迷いを打ち消すために書かれた遺書。

 ・自分の気持ちを鼓舞するために書かれた遺書。

 ・母親に、自分を生み育ててくれたことを感謝する手紙。

 ・妹や弟に、自分の出来なかった親孝行を託す手紙。

 ・妻と幼き息子に、自分亡き後も、力強く生きて欲しいと願う手紙。

 出撃の前夜。狭く暗い兵舎のなかで、隊員たちはどんな思いでこの遺書や手

 紙を書いていたのでしょうか……。

 無念さを押し殺しながら、愛する家族の明日を気遣うための言葉を、一文字

 一文字、綴っている隊員の姿を想像するだけで、私は胸が締めつけられる思

 いでした。

 ☆☆☆

 64年経った現在。日本には戦争で命を落とす若者はいません。平和な時代で

 あるといえるでしょう。

 しかし、人の命を尊ぶ心、親兄弟への感謝の気持ち、妻や子供への愛、隣人

 や国を大切にする心。こういった、特攻隊で死んでいった若者たちにとって

 は至極当然だった気持ちや考え方が、いまの時代を生きる日本人には(平和

 であるがために)欠如しがちなのではないだろうかと思えてくることがあり

 ます。

 戦争は二度と繰り返してはいけないものですが、戦争によって学ぶべきこと

 はたくさんあります。

 普段よりも子供たち(自分の子供だけに限らず)と接する機会が増えるこの

 夏休み。いっしょに戦争の映画やドラマを観ながら、人が人として大切にし

 なければならないことを語り合う時間に充ててみてはいかがでしょうか。

 人事担当者の皆さんや、採用や教育に携わる同業者の皆さんには、ぜひ一度、

 鹿児島の知覧に足を運んでみることをお勧めします。自分の仕事の社会的意

 義や意味を、あらためて考える機会になるのではないかと思うのです。

 【今回のどげえするんか?】

  親のスネをかじりながら大学に通い、就職活動の時期になると、目先のエ

  ントリーシートや自己分析で悩んでいる学生たち。社会人になって、仕事

  で壁にぶつかって、「こんなはずじゃなかった」と嘆いちょる新入社員た

  ち。

  みんな、知覧を飛び立っていった特攻隊員と同年代なんじゃのう……。

 

  お前たちの悩みや苦しみの小ささは、僕たちがいくら言うても分からんか

  もしれん。でも、知覧に展示されちょる隊員たちの遺書や手紙を読めば、

  きっとよう分かると思う。

  こんなちっぽけなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。自分たちは、いか

  に平和で恵まれた時代を生きているのか。いやでも、そう気づかされるん

  やないかと思う。

  僕は、僕たちが過去の戦争から人間としての大事なことを学ぶことこそが、

  戦争で死んでいった人たちに対する最大の弔いになるんじゃと思う。

  あんたは、どげえ思う?

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今夜の帰り道でのこと。

会社を出たのは夜の10時半ころ。大通り(晴海通り)に入ったすぐのところで、勝どき方面に走っていく自転車と遭遇した。自転車に乗っているのは、若い女性だ。

自転車が僕を追い越したその瞬間、女性は、ポーンと火のついた煙草を歩道に放り投げた。煙草は僕のすぐ目の前をコロコロと転がっていき、天丼屋さんの玄関先で止まった。

「おい、自転車から煙草のポイ捨てとは何事だ! しかも中央区は路上での歩き煙草は条例で禁止されてるんだぞ!! 拾え!!!

と、怒鳴ってやろうと思ったのだが、自転車はもう遥か先に行ってしまっていた。

「ったく最近の若いやつらはしょうがないな。しかも女なのに煙草のポイ捨てとは何事だっ」と、ムカムカしながら歩いていた。

築地市場の交差点まで歩いてきたところでビックリ。

さっきポイ捨てをした女性が、信号待ちをしていた。

「よーし、説教してやる!」と意気込んで、その女性の自転車のすぐそばまで近づいた。

顔を覗いてみた。

なんと、かなりの美人だ。しかも、かなりキワドイ服装である(へそが丸みえで胸元も大胆なタンクトップ)。耳にはヘッドホンラジオ。口には新しい煙草をくわえていた。

正直、ビビった。一瞬、声をかけるのを躊躇してしまった。

えぇーいと勇気を振り絞って「お、おい!」と声をかけようとしたときだった。信号がまだ赤なのに(交差する信号が赤にかわった瞬間)、その女性は、猛スピードで走り去ってしまった。

あ、あ、あぁぁぁぁ、ま、まって……と思っても、もう遅かった。

しかもその女性、僕を嘲笑うかのように、またも煙草を横断歩道を渡りきるところでポイ捨てしていった。

く、くっそー!!

ボウリング大会で負けた時よりも悔しかった。この敗北感、かなりのものだ。

なぜ叱れなかったんだろう。

美人だったから? 周囲に人がいて恥ずかしかった? 逆切れされるのが怖かった? ストーカーだと騒がれるんじゃないかと思った?

ビビって躊躇した瞬間、こんなことを考えていたようだ。

ああ、悔しい。

今度こそ、あの女性をみつけたら、叱ってやる!!